■第七話 白銀の精霊
最初、白銀の狼は気絶をしているようだった。
だが、アリアが頭を撫でているとやがて目を覚ましたようだった。
「……気がついた?」
『お主が、我を助けてくれたのか』
「怪我を治したのは私だよ」
アリアの言葉に、白銀の狼はゆっくりと体を起こし深々と頭を下げた。
『人の幼な子よ、心より感謝申し上げる』
「感謝は、ありがたいけど……でも、人間にやられたのよね」
矢が刺さるなど、他の生物が原因とも思えない。
それなのに感謝をされるなど、何か違うとも思ってしまう。
しかし白銀の狼はそれを否定した。
『今の人間は精霊を知っていない……いや、見えず、気付けない者が多くなりすぎた。珍しい毛皮と思い、猟師が狩ろうとしても不思議ではない。注意散漫で人前に姿を現した、我が悪いのだ』
それは少し寂しそうな言葉で、アリアとしては同意し難いものだった。
だが、沈黙を続けるにも内容が暗すぎる。
「どうして、人前に姿を? 何か、必要に駆られてのことなの?」
『昔の友人によく似た人物を見かけてな。もしや生まれ変わったのかもしれぬと思い、確かめるために人に見える姿になった。突如現れては驚くだろうと山で準備をしたのだが……猟師に見つかったのは誤算だった』
「そうなのですね」
『猟師が獲物を狩るのはわかる。が、そのときに友人の最期を思い出してな。矢の痛みを感じ、あのときのことを抑えきれなくなった』
悲しかったんだね、という言葉だけではその気持ちは伝わらないだろう。
射られていること自体を受け入れている白銀の狼の気持ちを、はっきり言ってアリアには理解し難いところもある。そこまで自分は達観していない。
だが、それほど達観していても何度も射られているうちに思い出し、気持ちが抑えられなくなる……それは、どんなに辛かったことだろう。
『お主のおかげで助かった。我は我が守るべき森を怨念で枯らせ、友が我に言い遺した『人を恨まないでほしい』という願いを違えるところだった』
「ううん、気にしないで」
『精霊は恩には忠義で返す。何か必要なことがあれば、いつでも呼んでほしい。すぐに駆け付け、助けになろう』
白銀の狼がそう言った時、アリアの右手に六花のマークが浮かんでいた。
「これは?」
『我からの礼だ。人間風にいうと加護というのか』
「えっ……、その、ありがとうございます」
『礼など言わずとも構わぬ。それより、もっと何か……こうしてほしいという希望はないのか?』
「これで充分ですが……!」
『足りぬ』
全く以て足りないなんてことはないとアリアは思うが、精霊はそんな言葉では全く納得しそうになかった。
(この様子だと、お願いを一つだけしてもまだ足りないって言われそうな……)
どうしたものかと悩み、そしていくつか希望をひねり出した。
「ええっと……じゃあ、三つほどお願いしてもいいかな?」
『三つでいいのか? どんな内容だ?』
「一つ目はもし知っていたら教えて欲しいの。私、今日から突然動物の声が聞こえるようになったみたいなんだけど……どうしてかな」
『それはお主の能力が今日目覚めたということではないのか? 異種族間でも意思疎通を可能にする力……我らは真話と呼ぶ力だが、それが目覚めたのではないか』
なるほど、と言っていいのかアリアは迷った。
そんな力があるなど、あっさり受け入れるのも難しい。
『確か発現条件はある程度魔力が必要であることと、意志疎通が困難な異種族から強く訴える気持ちを持たれることだったか』
そうなると、昨日のコカトリス事件が原因なのではと思った。子狐たちが強く感謝の気持ちを伝えようとしてくれていたのはその動作から理解していたので、当てはまる。
『ちなみにそれは我も会得している。仮にお主にその力がなくとも、我との会話は成立する』
「……つまりあなたの言葉は他の人もわかるってことなのね。あ、あと、もう一つ聞いてもいいかな? お名前は? 私はアリア」
『我はルース』
「よろしくね、ルース」
『あともう一つの願いはなんだ?』
「それは……もし、ルースがよければでいいんだけど、ルースがこの森に住んでいるなら、その間はこの森をこれからも見守ってほしいなって。もし引っ越すなら、気にしなくていいから」
すぐに駆け付けると言ってくれたことは嬉しいが、それほどのことをしたという認識まではアリアにない。どちらかといえばのんびり暮らしてほしいという願いと、ここにいてくれる間、見守ってくれるということであればエイフリート家も安心度が増すという想いもある。
『三つとも、実に欲がない希望だったな』
「そうかな?」
『だが、そなたが望むことだ。我に異を唱える理由はない』
それから、ルースの勧めでアリアはルースに乗って元の場所まで戻った。エレナは出発前と同じように眠っていたので、魔術陣を消してからゆっくり目覚めるように魔術をかけ直した。
『お主、ただの幼子というには知識が深いな』
「まぁ、いろいろありまして」
『そうか。我はもう行くが、そなたの未来が明るいことを祈っておる』
そう言ったルースはすぐに姿をかき消した。
(でもまさか、精霊様と出会うとは)
知識はあっても前世でもなかった出会いに今更ながら驚きつつ、けれど前世の力があったからこそ何とかなったと思えばとてもありがたかった。前世の蓄えが精霊と森を助けたのであれば、過去に努力していた自分に感謝したい。
(ルース様にはいつでも呼び出してもいいって言われたけれど……ルース様の力が何なのか、聞き忘れちゃった)
もともと人の前に姿を現すことが少ない精霊にあまり頼るのは良くないと思うので、知らないままで良かったのかもしれないと思う反面、一度も呼ばなければそれはそれで薄情となるのだろうかとアリアが悩んでいるうちに、エレナが目を覚ました。
エレナは自分が眠っていたこと自体に驚いたあと、さらにアリアの手を見て目を見開いた。
「お嬢様、その印は……? お怪我ではないようですが、一体何がございましたか……?」
「あの、えーっと……いろいろあって狼の精霊様と意気投合したの。それで、何かあったら呼んでねっていうことになって……」
「精霊様……⁉︎ 聞いたことはありますが、本当に存在しているのですか!?」
「あ、で、でも私が寝ぼけていただけかもしれないけど!」
魔術がもっと盛んであった過去でも珍しかった精霊が、今ならさらに珍しいだろうことは想像がついてしまう。
そんな中で精霊と会ったなんて言ってもおかしいと思われるかもしれない。
しかしアリアの心配をよそに、エレナの目は輝いた。
「この模様も美しいですし、きっと精霊様はお嬢様を祝福してくださったのですね」
「え? ええ、そうかもしれないわね?」
「きっと、侯爵様も奥様もお喜びくださいます」
(あれ? 思っていた反応となにか違う気が)
過去の時代では精霊は非常に尊いものとされていたが、この反応を見る限り『流れ星が見られて良かった』という程度にも思える。
(……もしかして、精霊の話があまりに伝わらなさ過ぎて、こうなった……?)
しかし思ったよりも大ごとにならないのであればそれで構わないかとアリアも思ってしまった。
そしてその夜、実際にアリアの手を見た両親の反応もエレナと似たようなものだった。
「とても素敵ね。アリアのことを精霊様が見守ってくださるなんて、とても嬉しいわ」
「アリアが怪我をしないようにおまじないをかけてくださったのかな」
そんな二人を前に、もしも好きなときに呼んでも構わないと言われていると伝えればどういう事になるのか、そして本当に精霊を目にしたらどう思うのかとアリアは思ってしまった。
ただ、やはり今は言えない事柄だ。
もしもブルーノの試験の時に精霊の力を使うと思われてしまうと余計な警戒を招きかねない。もちろんアリアはルースを呼ぶ予定はないので、この勘違いを訂正しないくらいは許してもらおうとアリアは心の中で一人頷いた。
※※※
そしてその後、基本的にアリアは平和で穏やかに一年を過ごした。
「ついに今日ね」
八歳が九歳になったからといって、きっとブルーノからは大した差だとは思われないはずだ。しかしアリアは一年間でかなり調子を戻していた。むしろ前世では充分に仲間をサポートするために控えめだった水と風の魔術も思う存分練習できているので、戦闘能力は向上している認識がある。
さらに言えば、祝福を受けて以降、以前より風や水の魔術の質が向上している気がしている。
時折挨拶程度に会うルースは未だ何の精霊なのかは尋ね損なったままになっているが、恐らく風や水に関する精霊なのだろうと最近は思ってもいる。
つまり準備万端な状態で、更に能力向上しているのだから、完璧な仕上がりだと言って差支えはないはずだ。
「ずいぶん自信がみなぎっているようだな、アリア」
「はい、叔父様。本日はよろしくお願いいたしますね」
第一歩はここからだと、アリアは約束の場に臨んだ。