■第三話 特訓
(……とても懐かしい夢を見たわ)
目覚めたアリアが一番に持ったのはそんな感想だった。
(いきなり記憶がもどったからかな?)
ずいぶん古い記憶なので、もしかしたら記憶とずれがあることもあるかもしれないが、懐かしく暖かな気持ちになれる夢は幸先がよいのかもしれないと思ってしまう。
なにせ、あの指輪の持ち主の夢なのだ。
(これはちゃんと返せるっていう、吉兆かな?)
ちゃんと返しますからと祈りつつ、アリアは起き上がった。
「さて、縁起がよくても訓練をしないと力は戻らないと思うし……今日も魔力の感覚を戻す訓練をしようかな」
習い事がある時間を除き、アリアの時間はすべて自由時間だ。
とはいえ、一人でうろうろできるような年齢ではないことも十分承知している。
昨日までは世話役のエレナという使用人が遊び相手をしてくれていた。だから今日はそのエレナに『庭で遊びたい』と頼み、特訓をしようと考えた。
しかし朝食後、珍しくオスカーからの呼び出しがあった。
不思議に思いながらも書斎へ向かえば、そこでずしりとした本を渡された。
「お前が騎士になりたいというのであれば、必要な知識になるだろう」
「……! ありがとうございます、お父様!」
「まだ家庭教師の手配はできていないが、しばらくはセルマがお前の先生になる。みっちりと教えてくれるから、しっかりと学ぶように」
「まあ、お母様がですか?」
確かに当主夫人となれば様々な知識を持っているだろうが、オスカーが言うようにみっちりと娘の勉強を見るほど暇な人ではないはずだ。
それにもかかわらず、あえて念押しするということは……。
(もしかして、対叔父様対策を練らせないようにということだったりしないよね?)
しかし、すぐにアリアはその考えを打ち消した。
オスカーが落ち着かない様子で目を泳がせていることは気になるが、勉強が大事になると思ったのは自分も同じだ。
「お父様、とても嬉しいです! 一生懸命お勉強させていただきますね」
「う……。そ、そうだな。頑張るんだよ」
「お母様にもお礼を伝えに行かせていただきますね」
そうして、アリアはすぐにセルマの元を訪ねた。
「お母様、お父様からお聞きしました。よろしくお願いいたします!」
「ええ。では、頑張りましょうね」
そうして、アリアには今までと違った学習の時間が加えられた。
その時間にはエスタの死後の国の歴史や、文化、地理、商業、工業、算術などのほか淑女としての稽古もあった。
刺繍や絵画や音楽が騎士の嗜みとは思えなかったが、前世でも刺繍や音楽は好きだった。特に音楽は前世では自分で彫った木の笛を使っていたのに、今生では立派な銀製の横笛が与えられたのだから驚きだ。子供用なので小さくはあるが、音程がとれたしっかりしたものだった。
(お父様やお母様はきっと、私には騎士だけではなく、いろいろな可能性があると示してくださっているのね)
なにも八歳で人生を決める必要はない。
騎士になると突然言ったように、色々な体験を経て突然ほかの将来を希望するかもしれない。そう思うのは、おそらく当然のことだろうとアリアも思う。
しかしだからこそ、アリアもオスカーには騎士になると主張を毎日欠かさなかった。色々な勉強が楽しいというのは本当だが、騎士にならないと思われてしまったら大変だ。
そしてもうしばらく時間が経つと、簡単な運動を見てくれる家庭教師も雇われた。ただし剣を持つこともない、本当に軽い準備運動程度や、よくて少し長い散歩といった具合だった。
これではとてもブルーノと対峙できないのは明らかだ。
いくら年齢に応じた訓練だと言われても、これでは不意打ちも難しいだろう。
(だからこそ、空いた時間は魔術を練習しないと)
たくさんのことを教わっても、やはり自由時間は存在する。
予習復習をしていれば、今日のように予定より授業が早く終わることもある。
「ねえ、エレナ。今日は裏手の森に行ってもいいかな?」
「森でございますか? もちろん構いませんよ」
「ありがとう。じゃあ、行こう」
裏手の森は獣も少ない、小動物と鳥の多い場所だ。山菜も豊富に採れるためエイフリート家の食卓にもよく上がる。たまにセルマ自身が散歩がてらに山菜摘みをすることもあるくらい安全なところでもある。アリアもこれまで数回散歩で入ったことがある。
そんな森はアリアにとって魔術の特訓にもってこいの場所だった。
エイフリート家の庭で訓練もできるが、あまりに綺麗なのでもしも失敗して地面を抉ったらと思うと、緊張もする。しかし森ではそのような心配はほぼほぼない。もちろん動物の寝床を壊すようなことはしたくないが、そのようなことなど気にしなくてもいいほど拓けた場所もある。
そんなことを考えながら森を進んでいる途中で、エレナがアリアに問いかけた。
「お嬢様は、どのようにブルーノ様と闘われるご予定なのですか?」
それは娘の動向について探ろうとしているオスカーの命により……という雰囲気はまったくなく、ただただ純粋に疑問を持った故の質問であるようにアリアには聞こえた。
「エレナはお父様に内緒にしてくれる?」
「ええ、もちろんでございます。旦那様からお嬢様の作戦をお伝えするようにとは申し受けておりませんので、ご安心ください。旦那様はそういうところをとても大事にされるお方ですから」
「うん、知ってる」
娘には騎士よりも他に目を向けてほしいという想いがあっても、それ自体を閉ざすことは決してしていない。思うところはあるだろうにと思えば、大変ありがたいとアリアも思っている。
(いずれにしても、エレナの前で訓練しようとすればいつかは披露することになるし……エレナも嘘をつく人じゃないし、問題ないよね)
そんなことを考えながら、アリアは周囲を見回した。
このあたりには美味しい果実がたくさんなっている。
それを確認してから、アリアはにこりと微笑んだ。
「なら、いまからちょっとだけ試すから……見ていてね?」
「はい、しっかりと拝見いたします」
「じゃあ、今からあの果実をとるね」
「あの、とは……あの木の上の方ですか? 木登りをするのは危険です」
「違うわ。あれを魔術で取るの」
「え?」
驚くエレナの前で、まずアリアは一つの果実に狙いを定めた。
そして右手をそちらに向け、次に強い風を巻き起こす。
軸に向けて放たれた風は見事に命中し、果実が落下する。アリアはそれが地面に落ちてしまわないよう、今度はふんわりとした風を巻き起こして果実を包み込み、ゆっくりと手元へ導いた。
エレナはただただそれを呆然と見ていた。
「はい、エレナ。半分こして食べよう?」
緩急をつけるための訓練だったつもりだが、思いのほかしっくりと魔術が使えたことにアリアがホッとしていると、エレナは叫んだ。
「お、お嬢様……お嬢様はいつの間に魔術を会得なさったのですか!?」
驚くのは当然のことだろう。
何せ、昨日までそのような素振りはまったく見せていなかった、この世界でほんのひと握りしか使えない術なのだ。
だが、こういう時には子供ならではの特権がある。
「びっくりするかなと思って、内緒にしているの!」
そう、これで大体解決してしまうのだ。
「な、内緒って……」
「お父様にも内緒だよ?」
それを聞いたエレナは非常になんとも言い難い表情を浮かべていた。
それは言わなくても良いのだろうか、しかし状況報告を受けるのはそもそもオスカーの本意ではないはずだ、アリアとも約束した、けれど……といった具合に色々な感情が混ざり合っているようにも見えた。
だからアリアも念押しとして「内緒だよ?」と笑顔を見せた。
そしてほんの少し気の毒だとは思うものの、果実を分け合うのでここは見逃してほしいとアリアは願った。