■第三十八話 代役は突然に
建国記念日前日、そして建国祭三日目。
ついにシャーリーンが舞台に立つ日がやってきた。
アリアは早朝から準備の為、シャーリーンのもとに足を運んだのだが……そこにいたのは、高熱に苦しむシャーリーンの姿だった。
「昨日から急に悪寒がして……情けないですね」
「ご無理はなさらないでください、起きあがられずとも今は大丈夫ですから」
そう、今はまだ時間がある。
しかしシャーリーンの熱がそんなに短時間で下がるようにも思えない。
「ごめんなさい、皆。少しアリアと二人にしてもらえるかしら?」
そんなシャーリーンの言葉に周囲は驚いたものの、反論は特にない。ただ心配そうな視線が向けられているのは、その熱の高さ故だろう。
(よりによって、今日……。殿下は、ずっと頑張ってこられたのに)
解熱の方法はある。アリアの力を使えば熱程度、簡単に解くことができるだろう。
公にはされていないが、ジェイミーも必要があればその方面からも仕事を振ると言っていた。
(これは必要なことよね)
それに、希少な能力であることは理解している。
この能力について、王族に伝わっていないともアリアは思わなかった。先日、シャーリーンがアリアに聖女のようだと言ったのも、この能力のこともあってかもしれないと今になって思う。
「アリア、お願いがあります」
「はい」
「私の代わりに、聖女役をお願いできませんか」
「……え?」
まずは、告げられた意味が理解できなかった。
一瞬遅れて理解ができた時でも、なぜという思いが続いてくる。
「シャーリーン様、実は私は……」
「貴女が回復術を使用できることは存じています。熱を解くこともできるでしょう。ですが、その稀有な力は、政治の駆け引きに巻き込まれる恐れもあります。貴女の人生が懸かることを、このような些細なことで使うべきではありません」
「ですが」
「代役という無茶を言っていることは承知しております。ですが、貴女なら祈りの奉納も舞も、全て覚えているでしょう」
その指摘は正解だ。
警護のために、アリアは舞台上で起こることを一通り記憶した。
だが記憶しているということと、実演するということは別物だ。
「私がもう少し上手く誤魔化せていたらアリアに迷惑をかけることはなかったでしょう。ですが、後でどのようなお礼でもさせていただきますから、どうか引き受けてはもらえませんか。我儘を言いますが、祭典を台無しにはしたくないのです。それから、貴女を権力争いにも巻き込みたくないのです」
「……わかりました。お礼は必要ありません。シャーリーン様の心身をお守りするのが騎士の任務です。私は、シャーリーン様がゆっくりお休みいただけるよう、そのお役目引き受けさせていただきます」
時間はわずかだが、一通り確認するくらいの時間はある。
アリアとしては、まだシャーリーンを解熱し、舞台に立ってもらった方がよいという思いはある。しかし、それをシャーリーンが望んでおらず、その理由がアリアを心配してとのことであれば、引き受けるしかないと思う。
今までに感じたものとは別種の緊張感や、過去の自分の役をやるという状況に表現し難い不思議な感覚があることも否めない。
けれど、そのことを深く考えている時間もない。
(やれるだけのことをやらなくちゃ。気にしたところで時間がどんどん減ってしまうだけ)
そう、覚悟を決めた。
※※
その後、シャーリーンは周囲にアリアが代役を務めるということを伝えた。
ただし混乱を避けるためにも内々に留めたいということから、両陛下を除くとほんの僅かな、それこそ身の回りのことに関わる数名のみに伝えられるだけということになった。
幸い衣装に関しても何とか誤魔化せそうであったことから、装飾にも変更は生じない。
それらが決まってから流れの修正を行った結果、本番までにとれる稽古時間はほんの一時間ほどであった。アリアがシャーリーンを補佐するはずだった場面が削られ例年通りの流れとなったため微妙な感覚の違いは生じたものの、元々アリアの補佐は目立たないように配置されていたため、違和感は強いわけではない。
これならなんとかできるかと思っていたが……いざ、衣装を目の前にしてアリアは固まった。
(……まさか毒針が刺さっているとは、想像していなかったわ)
毒への耐性と察知能力があるからこそ気付いたが、一般的には備わっていない能力である。もとよりシャーリーンが身に纏うはずだった衣装は相当厳重に管理され、毒がなくとも針の抜き忘れがあるなどあり得ないはずなのだ。
「どうなさいましたか」
「いえ、なんでもありません」
そう言った付き人に気づかれないまま針を抜き取り、手の内に隠した。無関係の者を怖がらせることも、関係者に気づかせることもしたくはない。
(でも、少なくともこの付き人の方は無関係ね)
すでにシャーリーンとアリアが入れ替わっていることを知っているのに、そのまま毒針の存在を気付かせるようなことはしない。仕込んでいる人間は、少なくとも入れ替わりを知らないはずだ。
「申し訳ありませんが、魔騎士のスティルフォードを呼んでいただけませんか。警備の関係で連絡したいことがあります。シャーリーン殿下からも、警備計画で連絡を取る許可を頂いております」
「かしこまりました」
間も無くしてシリルがアリアの元にやってきた。
付き人もすでにアリアの用意が済んでいることから、席を外す。
「代役をすることになったと、おおよその連絡は入っていたが……何の続報だ」
「実は今しがた、衣装に毒針が仕込まれていたことが発覚いたしまして。スティルフォード様以外にはまだ伝えておりません」
「毒針……?」
「もとよりシャーリーン様が着用なさる予定だった衣装です。私の見立てでは、毒性は強いものの針の先程度では致死量には到達しないとは思うのですが」
「見ただけで、そこまでわかるのか」
「ええ。いずれにしても、シャーリーン様に対し何らかの害意を持っているようですね」
それを聞いたシリルは、深く考え込む様子を見せた。
「……毒の解析には時間がかかる。お前が出任せを言っているなんて思わないが、針一つで大規模な変更が承認されるとは思いがたい。特に反王室派は絶対に認めないだろうな」
「反王室派……という言葉は初めてお聞きしますが、計画変更が無理だろうことは理解しています。そして、『抜き忘れた針が一つ見つかった』という程度で祭典を中止にすれば、シャーリーン様の印象を下げることに繋がります。それでも王家の方に害意を持った者が近づくとなれば中止を強く要請することもできるかもしれませんが、今回は代役ですので、それこそ中止はないでしょう」
「その通り。だが懸念であっても、団長権限で魔騎士の配置はある程度融通が利く。相手が何か企んでいるのかは不明だが、市民に被害が出ることは防がなくてはならない」
「そうですね。ただ、犯人の目的は不明であるものの、仮に市民にも害を与えるつもりがあるのであれば予め殿下に危害を加えるということはしなかったと思います。奇襲の効果が薄れますし……死なない程度の毒というのも、どちらかといえば挑発のような気がします」
「だからこそ気が重い。元々脅しで済ますつもりだった可能性もあるが、毒で動きが鈍れば舞台上で狙いやすくもなる。それを狙ってかもしれない」
そこでシリルからは大きなため息が溢れる。
「念のために聞くが、軽く言っているお前が囮になる可能性は理解しているんだろうな」
「むしろ、そうであって幸いだと思っていますが。解決まで一番早い可能性すらあります」
このまま放っておいてシャーリーンが危険な目に遭うのであれば、ふさわしい場でないにしても早く片付けるに越したことはない。
「いいか。無茶はするな。絶対だ。特に飛び道具には気をつけろ。護衛を置いていても、距離があれば間に合わない」
「広い舞台ですから、狙いやすそうですものね。ご心配ありがとうございます。でも、何かあれば絶対に捕らえましょうね。私も頑張ります」
何が理由なのかは知らないが、卑劣な手段を見逃すつもりは微塵もない。
懸念で済めば何よりだが、もしも皆が楽しみにしている祭で本当にシャーリーンを狙うような輩がいるとしたら、誰であっても逃しはしない。
ただただ一生懸命な子を、不幸になんてさせない。
「……お前、やっぱりわかってないだろう」
「いえ、よくわかってますよ」
そうアリアは強く思いながら、舞台に向かう準備を整え始めた。