■第三十七話 理想と現実と希望
「ただいま戻りました、シャーリーン殿下」
「ご苦労様です。視察はどうでしたか?」
「やはり舞台は思ったより広く感じましたが、概ね問題ないかと思います。不成者が現れた場合でも、少し時間を稼ぐことができればすぐに騎士が駆けつけることも可能だと思います」
「頼もしい限りです」
通常であれば、このタイミングでアリアは一旦退出していた。
しかし、強引に尋ねると決めた以上はまだ下がれない。今は幸いにもシャーリーンのそばには侍女すらいない。
(踏み込んだ話をするなら、今しかない)
この機を逃せば、次のチャンスがいつになるのかはわからない。
「アリア、どうかしましたか?」
「一つ、質問がございます。殿下にとって、聖女エスタとはどのような存在なのですか?」
無礼にならない程度に配慮しながら、けれど遠慮はせずにアリアは尋ねた。普段であれば雑談を挟むことのないシャーリーンにアリアも合わせていた。だが、それでは話が進まないのであればそれを変えていくしかない。
「……突然ですね?」
いつも質問に対してすぐに返答するシャーリーンだが、珍しく瞬きを繰り返した後、直接の答えとはならない返答があった。やはり聖女に対し、何か思うところがあるのかとアリアは感じた。ならば、このまま押すしかない。
「同じ舞台に立たせていただく者として、殿下のお考えをお聞かせいただきたいのです」
「なるほど。確かに認識の共有は大事ですね」
だが、その後にあるのは沈黙だった。
「ごめんなさいね、うまく言えないのだけれど……アリアは、聖女についてどのように思っていますか?」
「私が、ですか?」
「ええ」
まさか質問で返されるとは思っていなかったアリアは目を丸くした。
(しかも聖女について……って、私です、なんて言えないし)
だが、何も答えないわけにもいかない。有名な聖女について何も感じていないというのもこの国の人間として不自然だ。しかし、だからといって真顔で聖女を素晴らしい人だと持ち上げるのは無理がある。
そうなると、正直に思ったことを言うしかない。
「私が想像する聖女は一般的な印象とかなり異なると思いますが、それでも構いませんか?」
「ええ、もちろんです。むしろ、新たな視点となれば貴重です」
「では、遠慮をせずに申し上げます。……私は、聖女エスタは語られているよりももっと人間じみた人であったのではないかと思うのです」
「人間じみた、ですか?」
「はい。確かに伝記で聖女は『国民を救えと天啓を受けた』からという理由で賢王の前に現れたとなっています。けれど、たとえ天啓を受けたとしても、国民を救うという大義の前に、身近な大切な人を守るために戦いに赴いたのではないかと思うのです」
実際には天啓なんて聞いたこともないのだが、仮にあったとしても具体的に守りたいものがなければ疑問なく戦いに向かうことはなかったはずだ。
確かに王族からの要請ではあるが、それはたまたま友人が王族だったというだけのことだ。
「では、彼女は国民のことを考えたわけではないと……?」
「人々を救うことが決して嫌だったと考えているわけではありません。しかし彼女は、それまで国民のことを考えるような立場になかった。そう思えば、手の届く範囲を守りたいと考えるのが自然かと考えております」
アリアの言葉にシャーリーンは真剣に耳を傾けていた。
「具体的に、アリアは聖女がどのような生活を好まれたと思いますか」
「そうですね。自然と共にあったのではないかと思います。森や湖を好み、格式ばった夜会よりも朗らかな村のお祭りのほうが好きな方だったのではないかと。村のお祭りも、焼き立てのお芋が出てくるなど楽しいことがありますし」
最後は少し冗談っぽく言うと、やや間を置いてからシャーリーンは小さく笑った。
「お芋、ですか。とても魅力的ですね」
「ええ。エイリー地方でもよくあるんですが、お祭りで出る焼き立てのお芋はとても美味しいのですよ」
「それはとても魅力的ですね」
「殿下も、もしエイリー地方をご訪問されることがございましたら、ぜひ体験なさってください。殿下が来られると知っただけで、領民は喜んでお祭りを開催いたしますから」
「ありがとうございます。ぜひ、いつか」
それは社交辞令なのかもしれない。
焼き立ての芋程度、王都でも作ろうと思えば作れるものだ。
それでも今の笑みは作り物ではないものだと思え、アリアも嬉しかった。
「アリアはまるで聖女のようですね」
「え?」
今の流れでなぜそうなるのだろうかとアリアは驚いた。アリアは実際のエスタの考えと芋のことを述べたに過ぎない。今のそして世の聖女像とはあまりにかけ離れているのは理解している。そんな聖女像を話したにもかかわらず聖女のようだと言われるなど、欠片も思ってはいなかった。
だが、シャーリーンはくすくすと笑い続けていた。
「実は、私もアリアの想像に近い聖女様の印象を抱いています」
「え?」
「うまく言葉に表せなかったのですが……アリアが言った人間じみたという言葉や自然体という言葉。それが、とても似合うと思います」
「そ、そうでしょうか……?」
「ええ。だって、物語の聖女様はとても素敵ですが、あまりに完璧すぎて……もはや、人を越えているようですから。芋のお話をしてくれるアリアの姿が、私が想像していた聖女様に近くて……とても驚きました」
逆に同意されるとは思っていなかったので、アリアとしてはやや反応に困った。伝記に残っているものはアリアの言った聖女とはかなり異なる。むしろ、シャーリーンの姿が聖女そのものと言ってもおかしくはない。
だが、シャーリーンはとてもすっきりとした表情を浮かべていた。
「やはり聖女様の話をするアリアこそ、聖女様であってほしいと私は思いました」
「そんな、大袈裟です」
「大袈裟などではありません。実は私、ずっと迷っているのです。人々に伝えられている聖女様を演じるべきか。それとも、私が憧れている、聖女様の姿を演じさせていただくべきか。もし、私が憧れている聖女様を演じるのであれば、もっと溌剌とした動きも必要ではないか、と」
「それはどういうことでしょうか」
「私は幼い頃から聖女エスタのようにあれと、両陛下から教育を受けました。私自身も聖女に憧れ、たくさんの本を読みました」
確かに伝わっているエスタの話は、一国の王女の姿として模範的なものになっているとは思う。
「ただ、聖女様については正規の記録がほとんど残っていないことから、創作されたものが多いと気づきました。ですので……色々な書物から聖女様を探したのです」
「それらから聖女様は見つかったのですか?」
「ええ。断言はされていませんが、おそらく聖女様だと思われるお話はありました。中でも王族のみ観覧を許されている賢王の日記には何度も『村娘』として登場されていました」
「そ、そのようなものがあるのですか?」
ウィリアムが日記を書いていることも知らなかったし、さらにそれが千年先まで保存されていることにアリアは戸惑った。千年先に自身の日記を読まれるという状況に陥ったウィリアムを少し気の毒に思わないわけではないが、それよりも中身が気になってしまう。
「日記に出てくる『村娘』さんは、木の上で笛を吹き、歌いながら野草を摘み、香ばしいパンを焼くのが得意だとされています。お淑やかとは無縁で、だからこそ清々しいほどに心地がいいと」
それは果たして誉められているのかどうか、アリアには判別がつかなかった。ただの素直な感想だと言えばそれまでだが、なんとも言い難い。むしろ当時は危ないから降りろと言われたような覚えさえあったが……あれは、最初の頃だけで、途中からはある意味諦められていたと思っていた。それが心地いいという表現になっているのは、とても意外だった。
「賢王の日記は魔王討伐の旅の時にも続いておりますが、記されているのは楽しいお話ばかりです。公式のものとして残る各地の記録や戦績などとは異なるものを書くことで、仲間との時間を大切にされていたのだと、思っております。特に、賢王は聖女様を好いておられたのではないかと思うほどに」
「それは、仲間という意味で……」
「いいえ、恋愛という意味です。聖女様のお気持ちが読めないのは残念ですが、賢王が独身を貫かれたのも、聖女様への想いがあったからこそかと」
「え?」
シャーリーンの言葉に、アリアは二つの意味で驚いた。
まず一つ目は恋愛感情という話だ。それはないと、アリアは顔を引きつらせそうになったほどだ。断言できる。それはさすがに妄想だ、と。
ただし独身だということは想像だにしていなかった。
けれど、王族が言うのであればおそらく間違いではないのだろう。おそらく調べればアリアも知れることなのだろう。
(でも、独身というのは……どうして?)
婚約者もいたはずなのに、とアリアが思っていると、シャーリーンが少し笑った。
「……と、ごめんなさい。これでは話が逸れてしまいますね」
アリア個人としてはその中身にも非常に興味があるが、続きを促すわけにはいかない。今の話は、あくまで聖女の話についてなのだ。
「あまりに伝記と異なる聖女様のお姿に私は戸惑いました。けれど調べているうちに、聖女様の名誉を守ったうえで讃えるため、記録に手が加えられたのかと考えるようになりました。当時、成り上がりの聖女と罵る者がいたという記録が貴族たちの日記や手紙等で残念ながら残っております。それらの非難から聖女様を守るには、貴族が考える望ましい聖女の姿が必要だったのではないか、と」
俯き加減で辛そうに話すシャーリーンに、アリアは少し申し訳なくなった。
(そこまで調べてくださったなんて……。そして、私より辛そうだなんて)
確かにそれは事実だが、アリアはあまり気にしていなかった。自分とは関係ない人たちだと割り切っていたので、逆にそうしないと気が済まないことを気の毒だと思ったくらいだ。
だが、シャーリーンには伝わらない。伝えられない。
「彼女の生き生きとした姿が、なぜそのように思われたのか。時代のせい、といえばそれまでです。今も風潮がなくなったとは言えません」
「……」
「ですが、私はエスタ様の賢王の日記にお出ましになるお姿の方が魅力的だと感じています。伝えたい気持ちもある。ただ、もし……伝記のエスタ様の方が良いと思われるようなことがあれば、聖女様を傷つけることになるのでは、とも思ってしまうのです。それに個人の見解の域を出ませんから、間違っているかもしれません」
そこまで聖女に強い思いを抱いてくれる人がいると、アリアはこれまで思っていなかった。伝記とは異なる自分を見つけようとしている人がいたということは、くすぐったい。
更に、心配されているということが不思議で、同時に嬉しく感じた。
「私は、聖女なら殿下のお好きにして構わないと仰ると思います」
「え?」
「だって、千年も経っているのですから。自身のことがどう伝わるか、伝記通りでも、想像でもたぶん気にしません。逆に自分のことを詳細に理解しようと努めている少女がいると知れば、照れてしまうかもしれませんね」
「そうでしょうか……?」
「もちろんです。もし千年後、殿下を讃える祭りが行われたとしましょう。もし、現在の殿下と少し違った姿で伝わっていたとしても、慕い、大事にしてくれようとしている者たちのことを悪く思いますか?」
正直アリアとしては『なぜそんなに美化されたのか』という印象は受けたが、嫌な気分になったわけではない。
もっとも、逆に貶しに貶されていれば別の感情を抱いたかもしれないが。
「……ありがとう、アリア。本当はこの舞台だけではなく、いままで聖女エスタのようにあれと言われていたことも、気になっていました。日記にもあったように、本当の聖女様が賢王相手でも堂々と意見されていたことを見習うべきだと思う反面、皆が思う聖女様のように、何より調和を大切にするべきか……迷っていたのです」
「……それは王族だと思っていなかったのもあるんですが」
「え?」
「いえ、きっと殿下でしたら両方を取り入れることができると思いますよ。調和と意思の強さは、必ずしも対極にあるものではないと思いますので」
「そうでしょうか……? いえ、そうあるのが、一番ですね。今、そう思いました」
しかし、悩みの原因がそんなことだったのはアリアにとっても意外だった。
(なりたい自分と、求められる自分の差、か)
シャーリーンに今まで友人と呼べる存在がいなかったのも、彼女自身がどういうスタンスを取るか自分で決めきれていなかったからなのかもしれない。
自分の対応が決まらないまま、相手との距離は測りにくい。けれど決意ができたのであれば、それも近いうちに解消されるかもしれない。
「ねえ、アリア。貴女は今私の護衛ですが、この機会が終わっても一緒にお話をする機会を持ってくれますか?」
「殿下がお時間をくださるのであれば、喜んで」
「でしたら私のことは殿下ではなく、シャーリーンと呼んでくださいな。私だけアリアと呼ぶのは、不公平ですから」
「かしこまりました、シャーリーン様」
「ありがとう。なんだか、これで当日までうまくいくような気がしてきました」
そう、シャーリーンはとても喜んでいた。
アリアももう心配は何もないと思っていたのだが……。
祭典の当日、まさか、シャーリーンが高熱を出すなど、予想だにしていなかった。