■【追憶(一)】 かつて聖女が村娘だった頃
聖女になる前のエスタは、田舎で薬師の祖父母と共に暮らす村娘だった。
少し珍しいことに、エスタは親族に使える者がいないにも関わらず魔術が使えた上、その特性は治癒という、少なくとも村人にその存在を知るものがいない種類のものを行使することができた。
医師の常駐がない、かつ高齢者が多い村でその力はとても重宝され、また、エスタもそのことを嬉しく思っていた。
ただしその力について、村人は外部の者には固く口を閉ざしていた。
それはあまりに珍しい力を悪用する者が現れるかもしれないという心配からだった。エスタも十分気を付けるよう、常日頃から注意を受けていた。ただ、エスタはそもそも外部の人間と交流を持っていなかったうえ、村に客人が訪れることもないのであまり気にしていなかった。
しばしば村を離れて山へ薬草を取りに行っても、そこに人がいることはほとんどない。
だから十二歳になったばかりのその日も、いつも通り特に何かを気にすることなく薬草摘みに出かけていた。
その道中、エスタはお気に入りの湖に立ち寄った。
蒼く美しいその湖は、とても心が落ち着く場所だ。
ちょうど一休みをするにもいい場所だったので、毎回必ず訪ねているのだ。
そして、そこでよく横笛を吹いていた。
しかし、その日はいつもと違うことがそこで起こった。
エスタはその場所で一人の少年にであった。
少年は同じくらいの年頃で、しかし服装は平民のそれではなく、王都に住む富裕層なのではないかと察せられた。
エスタは吹いていた笛を止め、慌ててその場を立ち去ろうとした。
もともと村人以外と交流のないエスタには王都流の、しかも上流階級の礼儀作法がわからない。
人の存在自体に警戒したわけではないが、なにか気まずいことが起こるのであれば先に去ろうと思ったのだ。
けれど、少年はすぐにエスタを呼び止めた。
「もしも私が邪魔なら、私が帰るから。だから、その音楽は続けて。とても綺麗で、きっとこの湖ももっと聞きたいと思っているから」
その言葉にエスタは驚いた。
少年はウィルと名乗った。
ウィルはエスタの想像通り、王都に住む少年だった。湖にたどり着いたのは偶然で、お忍びがてらに山を散策していたらしい。
そうして簡単に話はしたものの、その日はそのまま、特にほかの話をするではなく別れて帰路についた。
しかしその後、あえて約束をすることはないものの、たびたびエスタは湖でウィルに出会った。
そのうちウィルも弦楽器を持参するようになり、互いに聞かせあったり、一緒に演奏したりするようにもなった。
特に言ってはいけないわけではなかったものの、エスタはあえてウィルのことは誰にも何も言っていなかった。
何となく秘密の友達ができたことにエスタは嬉しくなっていた。
しかしある日、湖畔に突如コカトリスが現れた。
大きな魔物を見たことがなかったエスタは驚いた。
だが、ウィルはそれに対してすぐに対処した。
瞬く間にコカトリスは首を落とされた。
いつも笑顔で話していたウィルがとても強いことに驚いたが、それと同時に彼が怪我を負ったことにエスタは衝撃を受けた。
そして、治癒の力を彼に使った。
村の人たちの言いつけを忘れたわけではない。
けれどウィルは悪い人ではない。
助けてくれた恩人の傷を癒さないような人は人ではない。
ウィルもその力に驚いていたが、やがてエスタに礼を言い、そして村の人たちと同じようにエスタを心配してくれた。
なんだかそれがおかしくなってエスタは声を上げて笑い、それからお礼を言い返した。
この数年後、彼から自身が王子ウィリアムであることを告げられ、そして魔王の討伐に同行して欲しいと言われることなど、このときは想像だにしていなかった。
だが、受けた誘いにエスタは何の迷いも見せずに同意した。
(大事な人は私が死なせない)
誘いを受けたエスタが感じていたのは、その気持ちだけだった。
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3話は本日18時に投稿させていただきます。
よろしくお願いいたしま。