■第三十三話 呪いを解く癒しの手
そして想像通り、思った以上の力を行使したらしい。
(めまいはあるけれど、倒れるほどじゃない)
ただ、今はどんな術でも使えないというほどには力を使っている気がした。
『本当に、呪いを解くとはな……』
「あら、信じてくださっていたのではないのですか?」
『任せても良いと思ったのは事実だが、半信半疑であったことも事実だ』
そんな竜の言葉にアリアは肩を竦めた。
竜は深々と頭を下げた。
『呪いが解けたおかげか、苛立ちが渦巻いていたのが、嘘のように落ち着いている。迷惑をかけたな』
「お気になさらないでください。正常でなかったのなら、仕方がないこともありますから」
竜に頭を下げられるというのは少々落ち着かない。しかもその相手が先ほどまで荒ぶっていたものとなれば、尚のことだ。
(というか、最近だとヒル氏がこういう、ガラッと雰囲気を変えられたときのことを思い出すような……!)
しかし落ち着かないアリアとは対照的にシリルは冷静だった。
「一つ教えていただきたい。あなたは何に呪われたとしているのですか。それは、人々に危害を与える存在ですか」
異変の原因が解決しても、その原因の原因が残っているならこの件は解決していない。そんな考えからシリルは口にしたのだとアリアは思ったが、それにしても切り替えがずいぶん早いと思わずにはいられなかった。
『我に呪いを与えた者は、人間のみならず、他の生物に対しても危害を与える存在にはなり得ただろう。だが、我が殺した。もう問題はない』
「もしかして、その原因を解消しようとなさったせいで呪いを……?」
『違う。我を呪ったのは、より自分の序列を高めんとし我を殺そうとした我の同族だった。呪詛に頼るような、自らが怨念の化身となるような竜族の面汚しだったがな』
「そう、だったのですか……」
吐き捨てるように言ったこの竜は、同族を殺めなければならなかったことに憤りやるせなさが混じっているようにアリアは感じた。
(同族に呪いをかけられ、殺されかけ……そんな中で、余計に気が立ったとなれば、無理もないことだわ)
しかも、自分で同族を殺めなければいけなかったのだ。
アリアはなんと声をかければよいのかわからなかったが、竜はもはや気にしていない様子だった。
『竜は忠義は尽くす。我が正気ではなかったがゆえに、迷惑をかけた。何か望むことはあるか』
「では……。このあたりに、魔物が集結しておりますが、なんとかなりますでしょうか」
『ああ、我の骸を狙わんと近付いてきた奴らか。浅ましき者共を蹴散らす程度、願われずとも叶えよう』
それは、どちらかといえば竜の個人的な仕返しという意図を含んでいた。
そして竜が口を開き始めたと同時、アリアは防壁を張り、自分たちを半球状に包む。
その直後、轟音がその場に響いた。
防壁を張った状態でも耳を塞ぎたくなった音なのだから、その音量というのはとんでもないものだろう。しかもアリアの耳は音が発せられる直前にシリルが塞いでくれたのだが、耳栓ができていないシリルにはもっとうるさく聞こえたことだろう。
『こんなものか』
「あ、あの。今の音だと、動物たちも気絶したのでは……」
『なに、問題ない。死にはせんし、そのうち起きる。魔物は怯えてしばらくこのあたりには出ないだろう。まあ、咆哮に魔力を乗せ追尾できるようにもした。この辺りの魔物は……少なくとも我を狙っていた者は、後ほど我が一匹残らず駆逐しておこう』
それは結果的にこの付近の安全にもつながるのでありがたいのだが、それなりの量がいたはずだ。とはいえ、竜は長生きをしているのだから対象をすべて狩るくらい、大した時間だと感じないのかもしれない。
(まあ、どっちでも問題はないか)
この辺りの安全が守れるならそれでいい。
『他の要望は何かないのか。これでは我の借りが大きすぎる』
「とはいえ……お願い事を考えてここまで来たわけじゃありませんし……。スティルフォード様はいかがでしょうか?」
困った表情でシリルを見ると、彼もまた同様にあえて何かを願うことなど考えていない様子だった。
そもそもアリアも例があるならともかく、何なら頼んでも構わないのかわかっていない。
『……欲のない奴らだ。ならば、これを授けよう』
そうして竜は自らの鱗を二枚抜き、それを風に乗せてアリアたちの方に届けた。
ふわふわと漂うそれは、不思議な力を纏っていた。
「これは……」
『身につけていれば、ある程度……まあ、通常人間が使える程度の魔術であればすべて無効化することができるだろう。もっとも、神聖術使い殿には無用の品かもしれんが、ほかの人間にくれてやってもよい』
それがどれほど高価なものなのかと思うと、アリアは驚かずにはいられなかった。
そういえば、鱗を狙っているのかと初めに竜が尋ねていたということも思い出す。
『では、我もそろそろ去るとしよう。いかんせん、懲らしめるべき奴らが多いからな』
「あ……お疲れさまです」
『最後に一つ言っておこう。神聖術使い殿。そなたには妙な宿命が絡んでいるように見受ける』
その言葉にアリアは息をのんだ。
竜の言う言葉は抽象的だが、心当たりは大いにある。
『神聖術使い殿ならば、治癒や呪いを解くことなら得手としていることだろう。だが、昔から神聖術使いは皆他人を優先したがる。自らを危険にさらさぬようにな』
それはどちらかといえば年長者からの注意ともとれるものだった。
(あえて他の人を優先したってことは、今までなかったのだけれど……)
限界があるなら必要な順に術を行使する。
合理的に、そしてもっとも損害が小さくなるようバックアップをするべきで、いままでしかるべき対応をしてきたと思えば、その忠告をまっすぐ受け止めることに抵抗がある。
だが、アリアが何らかの返答をする前にシリルが前に出た。
「突っ走らないように、できるだけ見張ります」
「あの、どういう意味ですか、それ!」
「そのままの意味だ」
「色々認識の違いはあるかもしれませんが、突っ走ってはいませんし危険な賭けはしませんから!」
大きな誤解を与えてしまっているなら、後で認識のすり合わせをして認識を改めてもらわなければならなさそうだ。
そうアリアが少し引き攣っていると、竜が笑った。
『それは良いことだ。ならば、その言葉を違えぬよう努めよ』
そして、竜は飛び去った。
「……何がともあれ、解決したようですね」
「ああ。戻って報告書を作成、その後置いてきた仕事の続きだ」
先ほどまで竜の前に立っていたとは思えないほど、シリルは淡々としていた。
とはいえ夢幻だったとは思わないし、実際手元には竜の鱗が残っているので大変なことが起こったのは理解できるのだが……。
「後はもう少しお前の力についても尋ねる。さすがに、なにも報告書に書かないことはできそうにない」
「ですよね。でも、周囲に同じような力が使える人もいないので、うまく説明できるかもわかりませんが」
実際は『転生したなんて言えないから』なのだが、さすがにそこまで正直に話せるとは思わない。というより、聞いたところで冗談だと思われるか、頭の心配をされるかが関の山だ。
「構わない。さっさと行くぞ、エスタ。夕暮れ時までに近くの村にまでは戻りたい」
「はい」
今から最寄りの村に戻れば食事の時間には間に合う。
携帯食料はまさしく栄養補給の味なので、それはありがたいのだが……。
「え?」
あまりに自然に言われたので流してしまったが、今、呼ばれたのは前世の名前だった。
思わずアリアが足を止めると、数歩先を歩いていたシリルが振り返る。
「どうした、エイフリート」
「え、いえ……」
聞き間違いだったのだろうか?
だが、その名前は聞き間違うわけがないと思っている。
しかしエスタとエイフリートは大きく違い、言い間違えることはない。
アリアとエスタを間違えることも、まずないだろう。
(じゃあ、どうしてその名前が……?)
まさか、シリルは前世で関わりがある誰かなのだろうか。
けれどシリルらしき知り合いを急いで思い出そうとしても、該当する人が思い浮かばない。
(スティルフォード様の様子だと、ぶっきらぼうで面倒見がいい人だけれど……面倒見がいい人はたくさん思い浮かんでも、ぶっきらぼうな人が思い出せない)
それ以外の部分……例えば、動きが似ていると思ったところがないわけではないのだが……。
「……何を変な顔をしている」
「あの、スティルフォード様。スティルフォード様は転生って信じますか?」
わからないなら聞いてしまえ。
その思いから尋ねてみれば、この上なく表現し難い表情が返ってきた。
何を言っているんだ。そう、顔に描かれている。
「……いえ、何でもありません」
驚きの一つもないその顔を見れば、やはりエスタというのは聞き間違いだったのかとも思えてくる。
ただ、そう言い切ってしまうほどの確信はまだ得られなかった。