■第三十話 エルト火石山(一)
アリアが魔騎士団に戻って一月が過ぎた。
魔騎士団の任務には犯罪抑止や違法な取引の摘発、警衛など様々な事柄があるが、シリルが主に従事しているものが魔物の討伐であることから、アリアも数件の魔物討伐に同行していた。
魔騎士の討伐はよほど相手が大物でない限りは基本的には二人一組で行うので、アリアはまだ他の魔騎士と組んだことはない。
(でも、それはメデューサみたいなのが出ていないということだから、喜ばしいことよね)
あんな魔物が出てしまえば、被害は甚大になるだろう。
そもそも巨大な野犬のような魔物であっても、実際に被害が出ているから自分たちが出動しているのだ。
しかし、だからといって毎日魔物が出るわけではないので、討伐ばかりをしているわけでもない。
今日のアリアの仕事は各地から報告されている魔物の出現状況についての整理だった。シリルもこの業務には初めて当たるようであったが、先月引き継ぎをしたらしく困る様子を見せることなく、アリアにもわかりやすく説明をしていた。
(引き継ぎしたばかりなのに、人に説明ができるなんて……シリル様は事務仕事も得意なのかしら?)
勝手に武闘派だと思っていたので意外だったが、書く文字は繊細であるし、ずいぶん綺麗な姿勢で書くのだなと思ってしまった。文官ですと言われても信じてしまいそうだ。
だが、シリルを見つめてばかりいては仕事も進まない。
アリアは早速自分の分の仕事に取り掛かった。あまり経験したことがない仕事だが、事務仕事もなかなか楽しいものだとアリアは思っていたのだが、そこでふと気がついた。
「……あら?」
「どうした」
「いえ……。でも、すみません、昨年以前の資料を少しお借りします」
過去五年程度であれば、同じ室内に資料はある。
アリアは今見ていたエルト火石山周辺のものとを見比べていた。
エルト火石山は不思議な赤く光る石が落ちている山だ。素手で触れば火傷をするほど熱い上、溶けて液体のようになるので誰もその石は持ち帰ることができないと本で読んだことがある。
そんなエルト火石山はその石の影響で年中高い気温であるため、独特な薬草も多く育っている。薬草は王宮でも重宝されているものが多い反面、山自体が小型の魔物と遭遇しやすい地域に含まれていることもあるので、武術の嗜みがない者の単独入山は難しく、護衛を雇うのが一般的だ。
さらに薬草によく似た毒草も多いので、薬草学に通じていない者だけで山に入っても旨味は少ないとされている。
そんな場所の資料に目を走らせながら、アリアは目を細めた。
「やはり先月も、先々月も……? でも、まだ誤差の範囲かもしれない……」
「何が気になるんだ」
「ここ最近エルト火石山付近で目撃された魔物の種類が中型種に分類されるものばかりのようなのです。周囲は小型種も多い地域なのに、小型種が目撃すらされていないのが妙に引っ掛かるのです」
「何?」
報告書にあるのは魔物の名称や、不明確な場合は特徴だけだが、アリアはたいていのものを認識している。
「一応中型とはいってもギリギリ中型種という程度の魔物もいます。それに遭遇により重症者が出ているわけでもありません。ですがこの地域は小型の魔物が主流とされていますから、徐々に魔物が強くなっている気がして」
まだ誤差の範囲や偶然とも言えるかもしれないが、小型種が数ヶ月にわたり姿を見せなくなることがあるのかと問われれば疑問も湧く。
「エルト火石山自体が特殊な魔石の多い場所ですから、周囲と異なることもあるのかもしれませんが……」
「わかった、他の魔石のある山について調べよう。ほかの地域にそのような傾向がなければ、現地に行ってみればいい」
「はい。……って、え?」
「とりあえず、お前はそれを続けてくれ。他の資料は俺が当たる」
「あ、ありがとうございます。……杞憂であればいいのですが」
ただ、そういう思いがある時ほど欲しい過去のデータは見つからないというものである。
その結果、三日後のアリアたちはエルト火石山の中にいた。
過去の資料を漁っても結果が出なかったことから、シリルが即座に報告書を仕上げ、そのままアリアを伴い出立して現在に至る。
ただ、いきなり現地調査となると思っていなかったアリアとしては少し緊張もある。
「言い出したのは私ですが……。これで何もなければ、すごく申し訳ないのですが」
アリアは道中、正直にそう伝えた。
(何か確信があれば、私ももう少し楽な気持ちで挑めるんだけど……)
もちろん何もないのが一番であることは前提だ。
しかし何もなければ、事務仕事を遅滞させたことへの申し訳なさが生まれる。前世では噂やすでに調べられた情報を頼りにすることが多かったので、こうして紙から推測することにもあまり慣れていない。
しかしシリルは淡々としていた。
「お前が最終判断を下したわけじゃない。というより、その権限はお前にない。それに、一度現場を確認してもいい時期に来ていたから、今回の件がなくても近々来ていた」
シリルの言葉は尖っているが、おそらくそれはアリアに気を遣わせないためのものなのだろう。なんだかんだで面倒見のいい先輩騎士は、後輩の心理的負担を減らそうとしてくれているのだ。ただ、言葉選びが絶望的に悪いだけで。
しかしアリアにはもうひとつ懸念はあった。
(実は……私、あまり火の魔力と相性がよくないから心配していたのよね)
前世から火の魔力に対する耐性が高くなかったが、エスタとして魔王と最後に戦った場所が炎の燃え盛る場所だったことも苦手意識を助長させている気がしている。
(勝ってるし、トラウマっていうわけではないけれど、あまり好きな気持ちにはなれないのよね。だから火石山って名前から警戒はしたんだけれど……)
しかし、実際に到着したエルト火石山は魔石こそところどころにあるとはいえ、平穏な森の風景が広がっていた。かつて戦っていた場所とは明らかに異なる。
やはり火の魔力が濃いとは思うが、視覚的には決して問題ではないことにアリアは少しばかりほっとした。
ただ、その安心も僅かな時間だった。
山道を進みはじめると、火の気配とは異なる、けれど肌を刺す緊張感が増していく。
(なにかが、ある。いや、いる……?)
それを感じたのはシリルも同様だった。
眉間の濃い皺は、その原因を探ろうとしているからだろう。
(でも、あれ?)
ほんの僅かだが、シリルの呼吸が荒いような気がした。
「スティルフォード様。もしかして、体調がよろしくないのではありませんか」
「ちょっとした魔力酔いだ。すぐ治まる」
魔力酔いとは、身体が周囲の魔力を取り込もうとするも合わないときに起こる現象だと、エスタのときに聞いたことがあった。
魔術を使う人間には稀にあることで、確かに深い問題ではないのかもしれない。
だが、解消できるのであればそれに越したことはない。
「スティルフォード様、手をお借りできますか」
「何だ」
拒否ではないと判断したアリアは許可が出る前にシリルの右手をとった。
(中和)
そして、聖女としての力を流し込む。
「いかがでしょうか? お身体、少しは軽くなりましたでしょうか?」
「……ああ」
アリアが離した手を握ったり開いたりしながら、シリルは答えた。
「これはヒルに使った力か」
「似ていますが、少し違います。シリル様の症状はヒル様ほど大事ではありませんから。……というか、やはり何があったのかご理解されていたのですね」
「否定はしない。見たままを言ったまでだが」
確かにシリルが見た時には治っていた……というのであれば間違いでもないだろう。
「深く尋ねなかった理由なら、二つほどある」
「お聞きしても?」
「一つは、魔騎士がその能力を明かすか否かは本人が決めるからだ。特性ゆえに、自身が隊の役に立てると思ったものを申告するようになっている」
「そうなのですね」
「もちろん、役に立つようであれば周囲が尋ねることもある。だが……お前はヒルを治したあと、疲れていただろう」
「え?」
「顔が青白かった」
疲れたという記憶はなかった。
昔と同じように使えたと思っていたのだが……。
「無理をされて倒れられては困る。それに、必要があればお前自身が使うと申告するだろう。ヒルのときのように」
「そういうことだったのですね」
「珍しく、そして便利な力でもある。噂を知り、些細な傷でも治せと言ってくる輩も出かねない。あまり広く知らしめる必要もないだろう」
「そういうことなんですね」
「ああ。だから、無理をして使う必要もない」
「無理はしませんよ、無理は」
だが、やはり以前と同じほどには力が戻っているわけではないのだとアリアも実感した。
ブルーノに使った視力回復よりも、ケイレブの治療のほうが力を使ったのは事実だ。
(でも、疲れていたということは……思っているより、私の力もまだまだエスタに及ばないということなのかな)
使えると思った力が使えなかったというわけではないが、あまり大丈夫だと思い込み過ぎないことも大切なのだろうとアリアは少し反省した。
しかし楽になったはずのシリルの眉間は、まったく薄れていなかった。
「まだ、どこかご不調が残っていますか?」
しかし、回復術者の立場からみてもシリルに体調面での不調は見あたらない。もしや他に何か心配事でもあるのかとアリアが思っていると、シリルはやや迷ったように口を開いた。
「いや。なんでもない」
「何でもないという顔にも見えないんですが……」
「本当に無理はするな。それと……お前の力は普通の魔力ではないように感じただけだ」
「え?」
それは間違いではない。
エスタの時代でも、アリアの使う力は魔力ではなく、厳密には神聖力と呼ばれていた。
しかし神聖力は『治癒術も使える魔力』程度の認識であった。そもそも魔力にもさまざまな特徴があり、例外というケースは非常に多いうえ、当時でも区別できていたのは極僅かの人間だけだった。
当時より魔力が廃れたこの世界でそれを認識されるということにはアリアはとても驚いた。
実際、これまで『魔力以外の何か』という可能性を指摘されたことなど一度もなかった。
「なぜ、そう思われたのですか」
シリルが相当な使い手だということは認識していたつもりだが、まるでかつての仲間たちのようではないかと感じながらアリアは問いかけた。
「わからない」
「え?」
「ただ、知っている気がしただけだ。あまり気にするな。今はそんな時じゃない」
それがどういう意味なのかアリアには分からなかった。
(でも、知っているとなれば……もしかして、これまでにこの力を持った人に出会ったことがあるのかしら?)
他にもアリアが知らない魔術が新たに生み出されている可能性もある。
ただ、そうだとしても断定ではなく、引っ掛かるというような言い方だったことがアリアは気になった。普段のシリルならそのような曖昧な物言いはしない気がする。
(とても不思議だし、気にはなるけれど……今に限ってはスティルフォード様が仰るように、気にしている場合じゃないわね)
何せ、今の自分たちは問題点の前にいる。
聞きたいことがあるのであれば、まずは目の前のことを片付けるべきだろう。
その後、無言のまま道を進むと、やがてアリアたちは木々が生い茂っていた場所からやや開けた場所に出た。暫くぶりに覗く青空を見上げると、やや遠いところに三羽の黒い鳥のようなものが見える。
アリアは目を細めた。
「あれは……死喰い鳥でしょうか?」
魔物の一種である死喰い鳥は、魔物の死肉を喰らって生活している。生きている者に対して攻撃を加えることはめったになく、体格はよくともあまり強いわけでもないので、基本的にあえて騎士が狩るようなことはしない。
だが、その三羽は互いに争っているように見えた。
「……妙だな。死喰い鳥には争ってまで獲物を求める習性はなかったはずだ。しかも、うち一羽はかなり傷を負っている。初めて戦闘になったようなものでもなさそうだ」
「え?」
「なんだ?」
「いえ……その、そこまで見えるものなのですか?」
目が良いというレベルの話ではないとアリアは目を瞬かせた。
そういう魔力特性も持っているのかもしれないが、何せアリアから見えるのはせいぜい鳥の形と色程度だ。死喰い鳥の傷までは到底見えない。
しかしシリルの表情は相変わらず変わらない。
「見えなかったら言っていない」
「それは、もちろんなのですが……」
それにしても目が良すぎるのでないかと思わずにはいられない。
(その上淡々としてらっしゃるけれど……どれほどすごいことなのか、ご自身で認識されているのかしら?)
もしかしたらシリルがアリアの魔力を異質だと感じたのは、シリル自身が異質な魔力を持っているので敏感だったのかもしれないとも思ってしまった。
新たな疑問は新たな発見につながるが、いずれにしても妙な点を発見したなら目的地は定まったも同然だ。
「行くぞ」
「はい」
そして、アリアたちは新たな目的地に向かって進み始めた。