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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

どうかゆっくりと美味しく食べて

作者: 滴 橙子

 きっと貴方は、蔑んだように冷たい瞳を細めて嗤うでしょうけど。ちょっとくらい私の話を聞いてもいいと思うの。だから、食べながらでいいから、聞いて頂戴。


 この話は…例えて言うなら、そうね、国一番の才女と謳われた公爵令嬢との婚約を愛嬌だけの女に騙されて破棄された頭の悪い王子様がいるように、恋は盲目というじゃない。私も例のごとく盲目になった瞳で、自分の愚かさに気が付かず彼の事ばかり目で追いかけていたわけ。


 私が追いかけていた意中の彼の名は、アンダーソン。詳しくは知らないけれど、誰かがそう呼んでいたわ。

 初めて出会ったのは、私が十二歳の頃。私は兄妹の中でも特別に身体が弱くて、雨の日なんてすぐに愚図愚図になってしまうから、専用の部屋でずっと引きこもりのような生活を送っていた。

 貴方は、好きな時に好きな所へ行けるからわからないでしょうけど。光を多く取り込められるよう作られた格子窓だけがある狭い部屋で、何年も外で楽しそうにいる兄妹を見ているだけの、そんな生活。想像できる?とても退屈なのよ。


 ある時、私のことを診てくれるおじいちゃん先生と助手のアンダーソンがやってきた。部屋のドアしか外界との繋がりが無い私にとって、若い男性を見たのはそれが初めてのこと。ごつごつとした腕や、凪のように涼やかな瞳は、美しく衝撃的だったわ。

 しかもそれだけでなく、彼はとても紳士的な対応をしてくれたのよ。誰よりもずっと、ずっと私に気を遣ってくれたわ。

 それだけ?って顔をしないで。至る女性を食い散らかす貴方と、淑女の私は違うのよ。初心な私は、その紳士な振る舞いに恋に落ちずにはいられなかったの。


 アンダーソンは、先生の来るタイミングに必ず私の部屋に訪れて、私の状態を確認してくれたわ。優しい手つきで腕を折ってくれたこともあったし、髪を抜いてくれたこともあった。先生はちょっと雑で痛かったけど、アンダーソンは違うの。丁寧に、丁重に、私が立派なレディになれるように育ててくれた。


 もし私が普通の令嬢ならば、社交界にデビューするくらいの年齢になった頃。アンダーソンはいつの間にか助手から先生になっていた。助手の時は寡黙で私に話しかけることすらなかったけれど、先生になったら私に色々話しかけてくれるようになった。


 天気の話とか、私の体調の話とか、ああ、あと素敵な思い人の話もあったわ。そう、アンダーソンには素敵な思い人がいたのよ。あら貴方、そんな悲しそうな顔も出来るのね。いいえ、彼に悪気はないの。

 確かに私はアンダーソンに恋焦がれていたけれど、彼の思い人の話を聞くのは悪い気分じゃなかった。なぜならば、彼もまた私と同様に片思いだったのよ。


 彼の思い人はシェリーという男爵令嬢で、もともとアンダーソンと同じ町に住む平民だったらしいわ。幼い頃は仲良しで、二人は結婚の約束もしていたらしいの。でもある時、彼女のお父様が男爵の称号を儲けたお金で購入し、彼女は貴族に。もちろん、アンダーソンとシェリーは離れ離れよ。

 酷いことに、シェリーは通っている王立学園で第一王子殿下に見初められて、結ばれることになったんですって。アンダーソンというものが有りながら、酷い話よね。


 それでも、その話を語るアンダーソンに悲観の表情はなかったわ。国一番の庭師になれば、王宮の庭師になれるからと。シェリーと会いに行く約束をしていたから果たさねばならないと。だから、私のところに来ているのだと言っていたわ。


 私は、愛している人の為に、ひたむきに頑張る彼をいつの間にか愛していたわ。

 そして私が彼への愛情を自覚したとき、瘤ができた。それは次第に増えていって、私の身体は瘤だらけになった。正直、日に日に重くなる身体に心は耐えきれなかった。でも、アンダーソンは私に美しいと言葉を掛けて、瘤一つひとつにガーゼを付けてくれたの。その慈悲深さに、私はまた胸をときめかせ、瘤をつけた。莫迦みたいよね。


 瘤が大きくなる頃、アンダーソンは私に「一つくれないか」と聞いてきた。なんでも思い人に渡したいとのことで、変わった人だなと思ったけれど、アンダーソンの為だもの。二つ返事で瘤を渡したわ。


 それまで知らなかったけれど、私に瘤ができたら、彼は国一番の庭師として王宮に呼ばれる約束をしていた様なの。私の瘤は、栄養価が高く、甘くて美味しいんですって。まあ、貴方は、瘤ではなく身体の方が好きみたいだけど。


 瘤を渡してから、毎日。アンダーソンは私の瘤をいくつか捥いでいくようになった。ぶちぶちと肉を切る感覚は、やはり気持ちよいものではなかったけれど、毎回アンダーソンが嬉しそうな顔をするから。私は痛みも幸福の一つのように感じていた。


「ああ、君。命をありがとう」って、言ってくれるのよ。だから私は、ゆっくりと美味しく食べてって言っていたの。


 ある時、アンダーソンとシェリーが私に会いに来た。私のおかげだと、お礼をいいたいと、私の大嫌いな格子窓の向こうでアンダーソンとシェリーが立っていた。

 格子窓の向こうには桃色の髪を靡かせた美しい女性が立っていて、私に微笑みかけたのよ。憎たらしい甘ったれた顔の女だったわ。見せつけるように、アンダーソンと唇を重ねていた。私には無い柔らかい唇。私には無い柔らかな肢体。全部憎くて悔しかったわ…。


 季節が一周しても、アンダーソンは私の元へ姿を現さなかった。私の瘤は、アンダーソンにしか捥がせなかったから、いつしか私の暮らす部屋の床にはぐちゃぐちゃな内側を晒して落ちて腐った瘤だらけになっていた。それでも私はアンダーソンを待ち続けた。


 いつしか瘤は少なくなり、髪は抜け落ち、身体はやせ細った。アンダーソンの優しい微笑みや、眼差しを思い出して、苦しくなる。寂しくて、悲しくて、また醜くなる。


 そんな時に貴方が現れたの。死神のように黒く嫌悪感を及ぼす様相で、私の身体に穴を開ける貴方が、床に落ちた瘤から匂いが立ち、噎せ返るような甘い香りに釣られて、やってきた。あら、死神は心外だって?でも、私たちにとって貴方はまさしく死を呼ぶ者だもの。それくらい許してくれたっていいと思うわ。


 ふふ…覚えているかしら。はじめましての私に対して、貴方は「なんてみすぼらしい娘だ」って言ったのよ。どう?ようやくどうしてこんな状況だったかわかってくれたかしら。


 貴方は、ただ食べるだけかもしれないけれど、私にだって過ごしてきた命があるのよ。ああ、アンダーソンにもう一度会いたかったわ。でもきっとできないでしょうから。せめてアンダーソンと同じように…どうかゆっくりと美味しく食べて。





 さらさらと洋紙にペンを走らせていると、一行の報告文映った。


 “サンルームの無花果の木を処分する件について”


 私は、王宮のはずれにある古びたサンルームを思い出した。一年程前、平民の庭師の男をテストする為に使った、実のならない無花果の木。


「そうか、あの木は処分されることになったのだな…」


 王妃の実家からの贈り物で仕方がなく育てていたが、面白いことに国一番の庭師が手入れしても実を成らせることが無かった。

 だからこそ“平民の庭師をテストする”ための題材として使ったのだが。どんな魔法を使ったのか、あの庭師が手入れした数か月だけ実を成らせたのだ。提出させた無花果の実は、他の実に比べて、驚くほど丸々としており、砂糖でも入っているのかと思うほど甘かった。

 忌々しいことだ。


「あの木とは、なんだ?」

「殿下、あの庭師をテストした例の木でございます」

「あの庭師か、忌々しい。そんな木、さっさと焼き払ってしまえ」


 吐き捨てるように殿下は判断を下し、私は備考欄に許諾の文字を記載する。

 カミキリムシに食われてしまい、穴だらけになった幹は復活することはない。王妃もこれなら納得するだろう。


「そうだ。近日ある、庭師の火あぶりの際に一緒に燃やしてしまいましょう」

「おお、名案だな!そうしよう」


 殿下の婚約者へ不貞を働いた庭師の愛した木など、燃えてしまえばいいのだ。


 FIN

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