"婚約者"という簡単なお仕事
「殿下のワインに薬を入れたのは私です!」
声高々にそう言い張るも、殿下は目を丸くしたと思えばすぐにクスリと笑い、長い脚で素早く1歩、2歩歩くともう目の前に立っていた。
あまりの早業に驚いていると、殿下は私の髪を一房とると撫でるような仕草をし、毛先に軽く口付ける。
一連の行動にポカンとしていると甘さのある低い声は尚も私を問い詰めていく──
「う~ん、それはまずないと思うが念のために聞こう。ではミウ嬢、君は何故私のワインに媚薬を入れたのかい?」
愛称呼びを許可した覚えはないが、そこにはあえて触れずにおこう。
何故ならば、薬が媚薬だとうっかり忘れてたからだ。
殿下の殿下が元気になると私にとっての有益な事…
全くもってないんだよな、これが。
だけどまぁ、思い付きにしろ何にしろ口走ってしまった訳だからせめて足掻いてみようじゃないか、と心を決める。
「私が殿下のワインに媚薬を入れた理由───そんなの、決まってるじゃありませんか。」
うん?と、微笑みながら聞き返す殿下はただ楽しんでいるとしか思えない。
殿下はクスリと笑うと私の言葉を待つ。
その柔和な眼差しを止めてはくれないだろうか。無駄に心臓がうるさい気がする。そんな事を思いつつ、必死に頭の中でそれらしい事を言おうと辞典を捲るように探していた。
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『ミ~ウ~?い~い~?媚薬って言っても助けるのは一概にムスコだけじゃないのよぉ!!』
昔、アイーヌ姐さんから受けた『媚薬』について、という授業があった。
いくつになっても男でいたい、媚薬はその気持ちのために作られた訳ではなく、確かに他にも効能があると姐さんは言っていた。
愛酒館には客室があった。それは介抱部屋とも呼ばれ、酒に溺れた客を介抱する為の部屋である。
そして部屋には『媚薬』が常備されていた。
客の半分は名前通りの使い方をし、もう半分はその部屋で薬の力を借り、集中して自分のしたい事をする、という事であった。
勿論、そのしたい事とは仕事であったり勉強や趣味であったり、いたって健全なものだったという。
姐さんは大人の医学にも通じるものがあり、いち早くにその事に気付いたそうで、普段恥ずかしくて買えない男の矜持の為、と服用できる環境を作ったと話していた。
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"言い訳大事典"の媚薬ページから抜き出した情報を、さも最もな理由として御託を並べてみた───
「一概に媚薬といっても、忌々しい意味だけではございません。効能は集中力·記憶力の向上、あとは毛髪促進…ですね。」
「…それで?」
「あの夜会は7年に一度の3国夜会の大宴です。我が国の王太子殿下がご出席なされる大舞台に、少しでも尽力をと思い臣下として、力になればと思い差し出がましくございましたが、助力させて頂ければと思った次第です。」
「なるほど。私は臣下にそんな薬を盛られる程、不甲斐ない王太子ということか。」
──────ブリザードが降り凍めく。
しまった───!
姐さんの豆知識と共に盛大な不敬爆弾を投下してしまった。
目が泳ぎつつ、またしても"脳内辞典"をパラパラ捲っていると──
「それにね?先程も言ったけど、ミウは緊急の産婆のリズムを知らないよね?」
またでたよ、謎のキーワード。気になりすぎて誰かソワソワを止めてくれないか。
「…は、はい。」
素直に言うと殿下は続ける。
「あの時あの床下に嵌まっていたのだから、知らなくて当然なんだよ。ルシファー嬢が用意していたのは紛れもなく我が国のネオタリス産ワイン。あの夜会では時間によって出すワインを変えていたんだよ。ちなみに『緊急氏の産婆のリズム』が発表されたのは午後10時。そして我が国のワインが提供されたのは午後10時半。これが重なる事実はね───あの場にルシファー嬢がいたからこそ、リズムに合わせて私と踊れば水面下の婚約を進めているという内外へのアピール、更にあのワインを用意し、私に薬を盛れたという事実。この2つが出来たのは貴女には出来ないということだよ?」
わかったかな?と諭すように言う殿下の目は優しい。
あぁ、やっぱり。行き当たりばったりじゃどうにもならないよな。そして"緊急の産婆"の謎が、今の殿下の語り口調から"キンキュウさんの新しいサンバか何か"なのかもしれないという片鱗を見せた事に少しのトキメキを感じつつ、やはり全貌を早く教えてくれないかな、なんて考えていると
「私の提案を全て飲むと言うなら、ルシファー嬢の刑を軽くしてあげよう。無罪放免というのは難しいけれど、行き先を牢獄ではなく修道院に変更するくらいは出来るかもしれない。」
よろしいですよね?陛下?と言わんばかりに殿下は陛下にアイコンタクトを送る──が、陛下は何がツボなのかまだフルフルと笑いを堪えていた。
「提案、というのは先程仰った明日の晩餐会の出席、ですよね?」
殿下は「ああ」と、言い頷く。
ならば話は早い。それくらいならお安い御用だと、わかりました──と言い終わる前に殿下は続ける。
「そして、君には私の婚約者として表立ってもらいたい。」
「…はい?」
「ルシファー嬢が撒いた種を回収するにはこれが一番早いんだよ。ノワール家の令嬢と水面下で婚約の儀を交わしている、という事にする。そして国内外に回ったその噂を真にすれば、私もノワール家が被る泥も初めからなくなるからね。」
「こ、婚約…?私と…殿下が?」
「あぁ。そして、あの夜会に嫉妬深い私が美しい君を他の男に見せたくなかったから、太る薬を飲ませて出席させた、そういう筋書きにすれば、君の罪は王太子命令として消えるし、ルシファー嬢も妹の婚約話を誤って流してしまったとすれば話は早い。だが、これまでの罪を全て消すことは流石に出来ないがせめてもの温情で修道院で慎ましやかな生活を送ってもらう事になる…」
言葉がでない。
王太子妃────
絶対に嫌だ!!!!!
「そのご提案は、呑めません。」
「話は最後まで聞こうね?ミウ?」
なんで今度は愛称プラス呼び捨てなんだ。
「…失礼しました。」
「要するに、婚約の儀は水面下で動いていた、という事にする方が王家としては有難いんだ。臣下に吹聴された噂で国家が揺るがされるという事態になったのは最悪の印象だからね。そして、公に発表するその時まで貴女には水面下の婚約者としていて欲しいという事だ。」
水面下の婚約者──つまりは婚約者のフリって事か──。
それなら…まぁいい…のか?
うーんと唸る私を見て殿下はもうヒトオシと思ったのか話を続ける。
「これまでの生活スタイルを変えさせるつもりはないが、ルシファー嬢が使っていた馬車で同じ回数、私に会いに王城に来てくれれば問題ない。初めに見た通り、ルシファー嬢は少し貴女に似ていたからね?」
「······。」
どうしようか、考えあぐねて言葉のでない私に殿下はトドメを刺した。
「なーに、簡単なお仕事だよ?」
破顔したお顔にウインクされれば…跳ねた心臓と共に私に勝ちの"か"の字もなくなった。
「…わかりました!その提案乗ります!!」
両手を握り、改めて声高々にそう宣言すると、破顔した王子に蕩ける笑顔で抱き締められた。
『なーに、簡単なお仕事だよ』
この甘い言葉がこれからの私の人生を狂わす事になるとは、この時は露とも思わなかったのだが…
それはまだ先のお話。
ありがとうございました(..)




