トーマス・ボンドの最終巻
ガラガラガラガラ……
屋敷を出発してからどのくらい経っただろうか──
馬車の車輪が舗装された道を行く音を、窓から見える町並みを眺めながら聞いていた。
大きな曲がり道に差し掛かり少し速度を落として進む──
曲がりきった先に、先程とはうって変わって、立派なお城の全体が見える場所まで来ていた。
目の前に座る爺は微笑みながらも目線はいつも私の周りを意識している様だった。こうして、小さい頃から守ってもらっていたのだ、と改めて有り難く思った。
「爺、いつもありがとう。そして、心配ばかり掛けてごめんね?」
「フフフ、勿体無きお言葉にございます。そしてミウ様に掛けて頂く心配なぞ、爺にとっては可愛いものでございますよ」
フフフと柔らかく笑う爺にホッとする──が、これから待ち受ける事を思えば、今は気を抜いてなどいられない。
改めて両手に力を入れ膝の上でギュッと拳をつくる。
そして、ずっと考えていた事をきちんと整理する。
思い付いたらすぐ行動、そんな自分が苦手とするのが【計画性】だ。どう計画を立てようが失敗すると結局は成るように成る!と、見きり発車してしまう、大雑把な性分だが、今回ばかりはきちんと考えておかなければと思っていた。
そう、それが『必殺技』だ──
罰金刑の処分になれば、間違いなく一括では払えない。もちろん、公爵家の財を使えばどうとでもなるのだろうが、あの人の世話にだけはなりたくない。
そして、お兄に借りれる様な額でもないし、お祖父様に甘えてばかりはいられない。
よって導きだした答えは
公爵令嬢としての爵位返上だ。
もちろん、娘の私自身に爵位がある訳でもないが、政治の駒として利用価値がなくなるだけでも十分な罰になると世間は評価するだろう。
何より、自分で完全に生計を立てられる状態でこうなるつもりではいたのだが…まさか罰としてこうなるとは結果が同じでも過程が異なる事に若干モヤっとする。
自主返上と強制返上では真逆の意味となるからだ。
これまで、何名かの上位貴族が爵位を自主返上した記録がある。その中で一番有名なのはトーマス・ボンド氏だ。
彼は縛られる事なく、自由気ままに旅人になりたい、と爵位に纏わるもの全てを返上し、世界各国を旅したと言われている。
その時に書かれた手記『トーマス・ボンドに魅せられた世界』という何とも自尊心の塊の様な旅日記は、全12巻まであり、後世に渡って絶大の支持を集めた。
そしてトーマス氏が亡くなり50年以上経つが、未だにたくさんの人が彼に憧れ、また庶民の中でも最も知名度のある貴族人だ。
実際に彼が爵位を返上してからというものの、便乗して返上した貴族がいた様だが…彼以外はその後どうなったか、また本当に返上したかどうか真偽も不明だ。
私も彼の手記はもちろん拝読した一人だ──
だが、男性目線の書き物の為共感出来る事はさしてなかったが…その中で最も感銘を受けたのが、彼が最後に訪れた最貧国での記録だ──
だが、そこに読み付くまでが非常~~に長かった。
読み初めは、この人…馬鹿じゃないの?と、思いつつも、何故か読まないという選択肢はなく、お兄の書棚からコッソリと借り読み進めていた当時の自分を誉めてやりたい。
そして何故、馬鹿じゃないの?と思った理由はこれだ──
「縛られることに逃げる様に生きてきたが、美女に縛られるのは幸せの如し──」
「踏まれて悦を覚えるとは50歳になっても気付かなかった」
「馬鹿ね、の言い方一つでその女の器量が分かり、自分の下半身の熱量が変わる──」
「女のイヤはちゃんと聞き分けねばならない。全てが否ではないが、本気の否を間違えるととんでもない事になる──」
「あぁ、どうしてなのだろう。あんなに逃げてきたというのに…今はやはり縛りたいよりも縛られたい──」
何度本を投げ捨ててやろうかと思ったことか…
てか、どんだけ拘束プレイにハマってるんだよ!!
しかもどの国行ってもただただエロい事してるだけだよね!!
そういや、侯爵してる時も何人も妾がいたんだよね!
などと、思いつつ…
それでも諦めずに読み続けた結果──
『何に縛られるでもない、何に責められる訳でもない。ただ生きているだけか、いや懸命に生き抜くか、目線が変われば、こうも人は美しい──』
何気ない一文であったが、生きている環境の目線が変わる事で人本来の美しさに気が付いた、と書かれていたそれにひどく感銘を受けた。
今、自分は懸命に生きているのだろうか?ただ、何となく敷かれているレールに乗りつつ、あれが嫌だこれが嫌だと所詮我が儘を言ってるに過ぎないではないかと。
こんなにグッとくる(私だけかもしれないけど)言葉があったなんて、と当時13歳の私は気付かされた気がしたのだった。
罰として返上するのなら──もう二度と爺にもビビにも、皆とも会えなくなるんだろうなと思うと気が引けた。
──皆とも今日でお別れになるかもしれない。
今のままじゃ悔いしか残らない。
まだ覚悟が足りてなかったのだろうか、自分が願っていた事なのに、理由が変わればこうも怖じ気づいてしまう──そんな事をずっと自問自答していた。
ただ懸命に、やれるだけの事はやってみよう。本当に自分に返ってくる必殺技にならないように、迫りくる城を眺めながらそんな事を考えていた──
「お嬢様、間もなくご到着でございます」
「うん、そうだね。」
「ジーン様も爺めも…そして何より、旦那様も付いております。何卒ご安心召されませ」
柔らかに声を掛けてくれたが、窓の景色を見入る振りをして爺に返事はしなかった。
───ガタガタガタ…カタカタ…カタ…
馬車はゆったりと止まり、少しすると爺が先に降りる──
少ししてそっと手を出してくれたのは、見覚えてのある大きな手だった。
その手に自分の手を乗せ段差に気遣いながらそっと降りる
「見違えたよ」
お兄は柔らかな笑顔でそう言った──が、いつもとは声音が違う。トーンが少し低く、まさに余所行きスタイルだ。
その声に触発されるように、公爵令嬢モードに入る。
「お兄様、お忙しい中わざわざお迎えに来て下さり、ありがとうございます。」
「可愛い妹の為だからね、どうってこともないよ」
「まぁ」
クスクスと笑い合う2人を珍しいものを見たとでも目を大きく見開いていたのは門番と宮廷仕えの使用人達だだ。
未確認公爵令嬢の生存説がまた新たに流れるんだろうか、などと思っていた。
目の前を真っ直ぐに見る──と
ざっと50人程いるのだろうか、一同綺麗にお辞儀をすると、サササと両端に移動する。
これがVIP対応なのか、それとも城では普通なのか、どっちなんだ、と内心悶々としつつ、お兄に手を引かれそのまま城門を目指して歩き出す。
ふと横目に後ろを振り返ると2、3歩離れた後ろに爺が同じ歩幅で歩いてきてくれていた。
そして私が通り過ぎた後、端に控えていた使用人達は皆ばっと顔を上げボソボソと『ディーク様…!!』『な、生ディーク様よ…』『なんて貫禄…』『はぁ…抱かれ──』などと、爺の名前を次々と小さい感嘆と黄色い声が聞こえてきた。
最後のは流石に無理があるだろうと思ったが、好色は人それぞれだ。
ふと気になり、また爺を伺うと、爺は相変わらず微笑していたが目は射殺さんばかりに鋭くなっていた事に気付いた私はフフフと苦笑する──
お陰で緊張が溶けたのか、周りの景色を見る余裕が生まれた
先日歩いた路を同じように真っ直ぐ歩く──ただ、それだけの事だったが、辺りを見回して見ると夕日に照らされた色取り取りの花が咲く庭が両脇にあった──
また、城の前門に所々彫刻が施されており、既にここからは上部は見えない程大きな城に、芸術の様に細部にまで拘ったそれを眺め『はぁ』と、感嘆の息を漏らしていた──
前と違って真っ赤な絨毯が敷かれていない為、カツンカツンと自分のヒールの音だけが耳に響いてくる。
お兄は、歩きながら、良く眠れたか、今朝は何を食べたか、など他愛もない会話を貴族調で話したお陰で久しぶりに勘が戻ってきたように感じていた。
ようやくエントランスに着き、またズラリと並んだ使用人達に一礼される。
先日見た黄金の調度品は片されており、代わりに赤い絨毯が敷き詰められていた。
エントランスからは大きく3つに分かれる道がある。
左右に広がる通路と冗談に上がる階段だ。
前は金ピカのピカピカに目をやられ見渡せなかったが、こんな感じだったかと興味深く観察していると、お辞儀をした使用人達の中に一際美人の金髪碧眼女子が一歩踏み出し礼を取る。
「お待ちしておりました、ミウクレイシー・エマ・ノワール公爵令嬢様。恐れながら侍女頭である私が客室までご案内させて頂きます。」
見たところ20代と若いのにお城の侍女頭とは…凄いなぁと感心しつつ、淑女らしく「お願いね」と一言告げると、こちらでございます、と丁重丁寧な仕草で案内され、そのままお兄にエスコートされながら彼女の後を付いていった──
ありがとうございました(..)




