2輪の薄桃色の花
デスクに完全に隠れるように鎮座していたのは可愛らしい子ブタだった。
僅かにフルフルと震え、項垂れ、握った両拳は丸々としており、彼女の胸の前あたりで左右揃っていた。
上から観察していると背もたれの代わりになっていたのは床の蓋、つまり何故か彼女は床下を椅子代わりに座っている…いや嵌まっていたのだ。
月明かりに照らされた亜麻色の髪はキラキラとしており艶やかで美しかった。
ある程度近付いても女性特有の香水のキツい香りがなく──ほっとした。
(しかし、何故こんな所に───)
もしや他国の間者か─? いや、こんな床下に嵌まる様な間抜けでは即刻始末されているだろう。
まじまじと近づき顔が見たくなる。
警戒させないように書棚を壁代わりにもたれかかり穏やかに話しかけてみる。
「こんばんは」
声を掛けられた彼女の肩はピクッと反応し恐る恐る顔をあげていく。
始めに牽制した様に声をかけたのが効いているのだろう、怯えた様な仕草は似つかわしくないが小動物の様な仕草だった。
そして、顔が見えそうになった時、丸々とした輪郭ではあったが、長い睫──潤んだ瞳──通った高い鼻筋──艶やかでほんのり赤らめた可愛らしい唇──瞬間ゾクッとした。
(なんだ…?微かだが感じた事のない魔力を感じる…魔術師の類いか…?)
一瞬そんな事を思案したが…床下に嵌まる魔術師がいるか、とすぐにそんな考えを捨てた。
そして目が合った瞬間、彼女は思い切り顔をしかめ、『げっ』と言い放った──。
(げっ…て)
思わず苦笑する。顔がニヤけそうになり…つい、いつものクセで顔の筋力だけで作り上げた笑顔を張り付ける。
必死に笑いをこらえつつ、黙って彼女を見つめる。すると、月の明かりのせいなのか彼女の瞳の色が何色にも定まらない色に吸い込まれそうになる。
「お初にお目にかかります。少々アクシデントがございまして、今すっぽりと…はまっております。身動きが取れない為とはいえ、御前に相応しくない格好深くお詫び申し上げます。」
すっぽりとはまる。
何があってそんなアクシデントが起こるのだろう。必死に作り上げた彼女の笑顔は淑女そのものであった。もしここで嵌まってさえいなければ見本になるほどのそれは、何らかのアクシデントが全てを台無しにしているのだと思うと不憫に思う。
一体何が…と考え初めて、先程見た彼女の姿を思い出した。
眉を寄せて汚いものでも見るような目線──ざわめき立つのは不協和音でしかないそれに、苛立ちを感じながら2国の重鎮の相手をする。
尊敬する師匠とも呼べるその人の元へすぐに行くことが出来ない自分に更に苛立ちを感じているなか、パタッと不協和音が止む。
使用人が上手くやったか──そもそも王宮で仕えてくれている者達はほとんどが三国語マスターしている。
今日の様な日には全ての来賓の対応が出来るようにしているはずだ。あの方のクセのある訛りも聞き取れているはずだ、と、自分を無理やり納得させた。
(あの方の訛りも…聞き取れているだろう)
そんな事を考えつつ、足早にアルディ閣下のもとへ向かうと一人のぽっちゃりした女性が対応しているのが目に入った。立ち居振舞いや所作は完璧な令嬢のソレで遠目から見ていて華がある笑顔は人を惹き付けるものだったし、ポッチャリした姿も愛嬌を感じ、談笑している様子は来賓対応として素晴らしいものだった。
同じ人物だろうと、声をかけるも返事はない。
ただ、貼り付けた笑顔を必死で縫い付けているようだった。
(そこに応じないとなると怪しくなってくるな…)
少し前の記憶を呼び起こしながら事情説明を求めるもなかなか応じてはくれない。
嵌まった事実が余程恥ずかしいのだろうが、頑なに教えてくれないとなると俄然気になってくる。
自分の求める情報に何か関係があるのではないかと気になってしょうがない。かと言って、誰かを呼んで事を大きくしてしまう程の事ではないだろう。何となく、ただ2人で焦る彼女を観察し話がしたい──そんな気にさせられる。
ただ、漏れでる感じたことのない魔力には幾何の不安を感じるが。
もう少し近くで観察したいと距離を詰めると、ほんのり青白い顔色をしていた。
月光に依るものか──それとも彼女自身の不調によるものか───
ひとまず助けてやろうと手を伸ばすも、丸々とした手に制されピシャリとお断りと言われた。
断られるのはまだしも、触れられる事を嫌がられると思わなかった。
王太子である限り、触れて欲しいと近付いてくる女性は数多いたが拒否される事は初めての経験だ。過去、あの手この手で取り入ろうとしてくる───何なら閨の相手をと寝室に潜り込もうと躍起になる人がいるくらい、この国の女性は積極的だ。最近では周りから固めようと思ったのか既に寵愛を受け水面下で婚約の約束をしている──と馬鹿な噂を流す輩もいた。
3国間を揺るがす噂がある以上──黒幕がどこの誰と繋がっているかを判明させる為にも、そういう馬鹿も泳がせる事にしていたのだ。
片手に持つ時計をチラチラと見ている彼女がますます気になる。
誰かと待ち合わせをしているのか──?
もし彼女が黒幕と通じている場合、ここで出くわしたのは奇跡かもしれない。
何にせよ、彼女から目を離してはいけないと直感する。
遠回しに何度も出ていけと言われるが、のらりくらりと躱す。
こういう技術は王太子に敵うものはいないだろうと、内心苦笑する。
警戒心を解いてやろうかと、お腹を空かせている事を思い出し、食事に誘ってみるも嫌そうな顔をして断られる───が、お腹は正直なようだ。
ここに食事を持ってきた方が早いか──そんな事までも思案する。腹が満たされたら彼女も話をしてくれるかもしれない。だが、ここまで丸々と育った彼女の胃を満足させられるにはかなりの量が必要だろう。残念ながらここで取り揃えてやることは出来ないな。
再び彼女に声をかけるも、チラチラ見ていた時計を凝視し、固まっていた。
(何だ?何をそんなに恐れている?)
もしや彼女は実は間者で任務失敗か何かで抹殺されるとかか何かか?
考えられる可能性を模索しながら、必死に出ていけと懇願する口調はきっと素なのだろう。
令嬢ではなく普通の女の子そのものだ。
砕けた物言いに嫌な気持ちは沸かないが、焦りすぎている彼女の周りを察するも一切不穏な気配はない。
そうこうしている内に彼女は諦めたかの様にぎゅっと目を瞑っている。
小さい子が怒られている様な──そんな姿を一瞬可愛いなと思ってしまった。
ピカッ─────
眩しい程の光が襲う。
漏れでていた魔力がわっと出てきたかの様な、こちらを攻撃するようなものではないのは感覚から分かっていたが目眩ましには十分だった──
(しまった──)
これまで戦地で返り血が目に入り動けない状況に陥った事もある。そんな中でも相手の殺気を読み取り返り討ちにしたこともあった。
冷や汗が背中をつたう。
こんな状況で首をかかれたらこの世から即退場だ。だが、相手から殺気を感じない分厄介なのと包まれていた魔力は跡形もなく消え失せていくのにまだ目は開けられそうにない──
使った魔法の残骸を残さないとは…どれだけ高度な技術なんだ。
一体君は何者なんだ?と言い掛けて、大きな声で叫ばれた
『ポンポンスッポンポン!!』
───は?
ポンポンとは…?
スッポンポンは…裸を意味する幼児言葉…だよな?
叫んだと思ったら、戸惑っている様子だ。
本人すら分かっていないのか、二つの大きな気配を感じる。威圧感がないのはこちらを攻撃するつもりがないからだろう。
そして同時に爽やかな風を感じる。窓を開けてもいないのにおかしな話だ。新たな魔法の類いだろうが、素っ頓狂な彼女の反応からすると、彼女以外が発したのだろうと予測した。
無理やりにでも嫌がる目蓋を開けた。
若干視界が白っぽく映るが…問題はない。
やはり攻撃魔法ではない様だ。
段々と視力が戻る。きちんと色が認識できたと判断したとき、彼女がいた方向に目をやると──
一糸纏わぬ姿の──美しい女神がいた。
着ていたはずのドレスや下着は彼女のまわりに鎮座しつつも風に靡いていた。
彼女だけ台風の目にいる様だが、彼女の意識は横にいた馬車に釘付けになっている。
2つの大きな気配は焦点が合わずとも分かっている。見なければいけない、分かっている──分かっているのに女神から視線を外せない。
今の華奢な彼女からは想像できないほどの豊満な胸がプルンプルンと風に揺れている。
透き通る様な白い肌──見ただけでも柔らかいだろうと分かる大きな膨らみに、愛らしい薄い桃色の2つの花は風に揺れるように揺れていた。
女性の身体は知っている、その柔らかさも、全て──
手を伸ばせば触れる距離──だけど固まったように動けないし、もっと見ていたくて視線も外せない。既に考えるという事を放棄していた。
至福の時間は一瞬だった──
彼女の悲鳴で我に返ると、一瞬で彼女と身に付けていたもの達は御者席に吸い込まれていく。
そして馬は変わった嘶きを上げ窓をすり抜け夜空に走り去っていく。
(何だったんだ…!?彼女は一体…!?)
立ち上がり走り去る馬車を見つめる。
見えなくなった頃に、彼女がいた場所を見やると月光に輝くガラスの靴が片方残されていた。
ありがとうございました(..)




