ゆかちゃんの話 管理人室
私は今大路紫。皆にはゆかちゃんって呼ばれてる。というか呼んでもらってる。今大路だから『いまちゃん』とか可愛くないし。別に自分の名前もそんなに好きじゃないけど。パステルの紫とアナスイの紫は可愛いけど、赤紫とか可愛くないじゃん。藤色と紫って違う色だから。
普段はITの会社で受付嬢のお仕事。にこにこして、人の名前覚えるのは得意。にこにこされて嫌な顔する人っていないでしょ。
好きなものはオシャレなものと可愛いものとコスメと甘いものとイタリアン。オシャレ大好き。お給料はほとんどコスメと服と交際費。可愛いは作れる。でも作るにはお金がかかる。だから、私は時々アルバイトをすることにした。というか、お手伝いの一環。お小遣いくれるから、これもアルバイトの一環かなーなんて。エントランスの前を掃いていたら、2階に住んでる奥さんが挨拶してくれた。
「こんにちはー」
「あ、こんにちは」
ここはちゃんと初期投資したら二人暮らしでも余裕があるからか、単身者も多いけど結婚されてる方も多いみたい。良いなぁ、幸せそうで。私も結婚とかしたいなぁ。どっかにいい人いないかなぁ。
「ゆかちゃん?何してるのこんなところで。うちって副業禁止…」
「わー、一ノ瀬先輩。先輩、ココに住んでたんですね。副業じゃないですよ、お手伝いです。ここのオーナーって母方の祖母なんです」
「え、そうなの?」
美人の一ノ瀬先輩は今日も美人だった。3日前にデスマーチ終わった後は、さすがにうっかり息をしている死体みたいな顔色だったけれど。メイクもなんだか明るく、顔色もなんだかいい。キレイ目な洋服着てる。私が読む雑誌なんかに載ってるやつじゃないけど、先輩ノーブランドでも品のいいキレイ目なお洋服着てるんだよねー。よく行くお店聞きたいけど、多分そういう系統は私あんまり似合わないと思う。
「先輩、もしかしてデートですか?今日もきれいですね」
「えっ、まあ、そんなところかな……。ちょっとね……。ゆかちゃんはパンツルックも可愛いわね」
「そうですか?ありがとうございます。いってらっしゃい」
そういうと微笑んで軽く手を振ってくれた。先輩、彼氏できたのかな。少し前はいないとか言ってた気がするけど。まあ、先輩美人だしね。その気になったらその辺の男の人がほっとかないし、彼氏すぐ出来るでしょ。そう思ってたし、そう言ったこともあるしね!
しかし、うちって副業禁止なのか。まあ、これそういうんじゃないし。本当に本当に母方の祖母の持ち物だ。
もっと正確に言えば祖父の物だったんだけれど、相続したのね。ここもう築30年超えてるしね。リフォームもしてるし、定期的に点検とかいろいろしてるからそこそこ綺麗だけど。だから、この辺の平均家賃より少し安価なんだ。
もっとも母が小さいころは古い木造の二階建てのアパートだったらしい。それを老朽化で取り壊して、建てたのがこのマンション。前の木造アパートは『暁荘』だとか『曙荘』だとかそういう名前だったらしいけど。折角オシャレなマンションにしたんだからと祖母が
『マンション・カトレア』
という名前を付けた。花の名前とかオシャレで可愛くていいと思う。で、空室の把握もしてた私は友達の千鳥ちゃんにこの物件を紹介したわけだ。ちょっと前種明かしをしたらびっくりしてたなー。彼氏と別れったって言ってたから落ち込んでるかと思ってたけど、なんだかサッパリした顔してた。
また、ちょっと綺麗になった。きっとお別とれしたことで千鳥ちゃんは大人の女性として、一段階段を上ったんだと思う。素敵な女の子だもの。
「千鳥ちゃーん。おはよー」
「おはよ、ゆかちゃん。ホントにお手伝いしに来たんだねー。来るとは聞いてたんだけど、今日とは思わなかったよ」
「そういえば、言ってなかったっけ。千鳥ちゃんは今起きたとこ?」
「まあね、仕事持ち帰ったから寝たの遅くて。いいよ、忙しい方が。失恋を癒すには新しい恋が1番っていうけど、まだ次に走る気は起きないしね。恋愛は少し休むよ」
そういって千鳥ちゃんは綺麗に笑う。うん、やっぱり恋愛は女の子を可愛くするし、お別れはお別れで女の子を綺麗に大人っぽくさせる。
「新しい恋を走る気になったらいつでも言ってね。合コンセッティングするから!また、ご飯も行こうね」
「その時はよろしくね」
笑って部屋に帰って行った。さて、そろそろ本腰入れてお掃除しないと。サボってばっかりいたら怒られちゃう。
私も彼氏欲しいなー。うーん、モテないとは言わないけど、最近ピンとくる人がいないのも確かなんだよね……。やっぱり運命ってあると思うし。別に付き合ってから好きになるっていうことを否定するつもりはないけどさ。でも、付き合ってから好きになった人って、会った瞬間なんか予感ある。それがいわゆるピンとくるってやつだとも思うんだ。掃き掃除を再開するとパタパタと女の人が降りてきた。
「あの、すみません。ゆか先輩、ネクタイピン落ちてませんでした?」
「ふえ?!えっとぉ、もしかしてシルバーの?管理人室でお預かりしてるよ」
「良かった…。落としたって聞いて、この辺かと思ったんですけど……」
余程大事なものだったのかな、高校の後輩の花音ちゃん。ここ知り合い本当に多い。偶然?運命の悪戯?良い所だもんね、池袋駅も徒歩でいける所で交通の便も悪くないし、住みやすい。管理人室の机の引き出しから銀色のタイピンを取りだす。なんか高そうだな。指紋とかつけないようにしないと。そっとつまみ、見せると。
「これです、間違いないです」
私から受け取りすぐにポケットから出したハンカチに包む。彼女もまた指紋をつけることを怖がってるみたいだった。花音ちゃんて、もしかして潔癖症?うーん、ここ賃貸だし潔癖症の人なんてそういうの無理だよね。程度に寄るかもだけど……。彼女はそのタイピンを愛しい人の欠片のように見つめていた。
「見つかって良かったね」
「そう、かもですね。見つからなくても……」
「え?」
「いえ、何でもないんですっ。ありがとうございます」
ペコリと小さく頭を下げて、パタパタとエレベーターへ駆けて行った。その時なんとなく気が付いてしまった。勿論直感だし、違うかもだけど。もしかしたら
「苦しい恋でもしてるのかな……」
なんか道ならぬ恋みたいな感じがするんだよね。浮気とかそういうの嫌そうなんだけれどな。高校の時の花音ちゃんは恋愛とかそういう事にどこか潔癖なところがあった。そこがいいところでもあったけれど、なんかお堅いイメージがついてて。陰で『鉄のパンツ』なんて呼ばれてたよね……。そういうこと言ってた、おばかな男の子に怒ったりしてたけど。昔花音ちゃんに行った勿体無いっていう言葉は、そういう肩ひじを張ったお堅さが魅力を隠して勿体無いっていう意味だった。別に私みたいなのがイイともいえないけど、もっと肩の力抜いたらいいのにとも思ってたんだけどな。もしかして、意味ちゃんと伝わらなかったのかな……。気になるけど、そこまで聞ける仲じゃないし……。
不倫とかだったら特に聞きもせずに、
「そんなこと駄目だよ。結局、本命のところに帰っちゃうんだよ?」
とか言ってしまいそうだ。逆に焚き付けてしまいかねない。私は、浮気しても結局私のところに帰って来たら許しちゃう人種だし。花音ちゃんみたいなイイ子が深く傷つくことがなければいいと思う。
「ゆか、頑張ってるかい?頑張った分だけお小遣い弾むよ!」
「お祖母ちゃん」
「ここではオーナーと呼びなさい」
そういってお祖母ちゃんはくすくす笑う。多分冗談だ。もう80を超えてるのに偶に16歳の娘さんみたいに冗談言ったりするんだよね。そして時々子供みたいに駄々をこねたり、地団駄踏んでるのを見たことがある。そんな話すると友達は皆
「お祖母ちゃん可愛いねー」
と笑ってくれる。まぁ、話に聞くだけならそうかもしれない。
「オーナーは花壇のお手入れ?」
「ふふ、ゆかちゃんはまだまだお手入れは素人だからね」
マンションの花壇はお祖母ちゃんが季節によって手を入れている。勿論カトレアも大事に育てている。花壇にはほかの園芸品種に紛れるように、ひっそりと紫色のシロツメグサみたいな花を見る。お祖母ちゃんが植えたものじゃないんだろうけれど、抜こうとはしない。まあ、園芸品種じゃなくても綺麗だしね。
「ゆかちゃん、ご覧。ムラサキツメクサが綺麗だよ」
「あ、これそういう名前なんだ」
白じゃなくて紫だからムラサキツメクサとは。ちょっと安直だよね。
「ゆかちゃんの名前の漢字はこの花から来てるの」
「そんな話初めて聞いた」
というより、私の名前はかつて『源氏物語』から来ているのではないかと疑っていた時期がある。源氏の君が幼い紫の上に出会う段『若紫』は教科書にも載ってるし。藤壺にゆかりの方、確か姪っ子だから『紫の上』。それで紫ってゆかりとも読むって授業で聞いた。お母さん愛読書が日本の古典文学だから絶対そこから来てるのかと。
「ゆかりって名前は決まったけれど、漢字が決まらないってね。苗字が3文字だから名前は1文字の方が、字面もきれいだしね」
なるほどね。確かに名前もあんまり好きじゃないけど、字面だけは結構イケてると思う。花の名前から来てると思うとこの名前も悪くないと思った。
「いつかこのマンションをカトレアにした理由も教えてあげるわ。まあ、あなたがお嫁に行く頃とかに。だから早くいって私にひ孫の顔を見せておくれ」
「まあ、ピンとくる人がいたらね。お祖父ちゃんがお祖母ちゃん選んだみたいにね」
「まあ。先は長そうね」
昔聞いたことがある。お祖父ちゃんはお祖母ちゃんのお見合い写真を見て一目ぼれして、お見合いしたって。で、実際に会ってまた惚れたって。
「いやー、あのばあさんも昔はえらい器量よしの別嬪さんでなー。写真見て一目惚れして、実際に会って二目惚れよ。それから女房として長年連れ添った。ゆかにもそういう男が現れるんかねー。あ、涙が……」
まだ見ぬ孫の婿を想像して泣く、涙もろいお祖父ちゃんだった。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんのように、善良な人を捕まえようと思ったら自分もそうでないとだよね。とりあえず、今はあの花に追い付くように自分磨き頑張ろうっと。
ムラサキツメクサの花言葉…豊かな愛、善良で陽気