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9 ◇急転


 他の人にも帰国の挨拶まわりをしてくるよ、と言い残したジャックと別れ、メイは再びオーリクと二人きりになった。


 他の男性に声をかけられる前にダンスに誘わなければ。

 メイは再び緊張し、しかしジャックの言葉を胸に、勇気を出して再度口を開こうとした時。異変に気がついた。オーリクはメイではなく、またもどこか遠いところを見つめている。少しだけ厳しい表情で。


「どうかなさいましたか?」

「……ある方の恨みを買ってしまったようです」

「恨み、ですか?」

「はい。私の問題です。メイ嬢に危害が及ぶ事は一切ありません。ご安心を」


 オーリクを恨む人がいて、しかもオーリク本人も恨みを買ったとハッキリ自覚しているという。

 思いがけない事だった。

 メイはオーリクが誰の恨みを、どんな理由で買ってしまったのかが想像も出来なかった。不安になり、思わずオーリクが先程眺めていたであろう場所を見る。しかし今日は多くの人々でごった返している。会場もとても広い。オーリクを睨んでいるような人は見当たらなかった。


「思い当たる事があるのでしたら早急に……謝罪を、すべきかと。誤解なのでしたら、その誤解を解いてほしいです。恨みが大きくなって、悪い方に拗れてしまったら……オーリクさんに何かあったら私は心配です」


 わずかに目を見張るオーリクを見て、メイは少しだけ肩を強張らせた。図々しい事を言ってしまったかもしれない。それでも、不安が何倍も大きかった。


 もしかしたら相手の人はオーリクの事を何か誤解しているのでは、と、メイの本心はそのように思えてならない。しかしオーリクに恋をしている自分は無条件に彼を信じてしまい、特別視してしまっている。

 完璧な人などいないのだ。

 オーリクが何かを間違え、恨みを買ってしまった可能性も否定はできない。


 メイの気持ちは二回目のダンスに誘うどころではなくなっていた。


「今から私は父のところに行きます。オーリクさんは私ではなく、お相手の方との関係を修復する事を優先して欲しいです。どうか、お願いします」


 メイが真剣に伝えると、目を見張ったまま無言で話を聞いていたオーリクは、やがて穏やかな表情になった。その表情には怒りや悲しみと言った負の感情は全く見受けられない。いつものオーリクだ。


「私が恨みを買ってしまった方はティーノット卿です」


 思いがけない人物の名にメイが驚いて目を見開くと、オーリクの右手がメイの()()を掬い取るように持ち上げていた。オーリクは距離を詰めて呆然とするメイに歩み寄ると、そのまま左手の甲に、手袋越しにそっと口づけを落としてくる。


「オーリクさん……!?」


 信じられない事が起こっていた。

 動揺したメイの頬は真っ赤に染まってしまう。

 右手への口づけは一般的な挨拶だが、左手の口づけは意味がガラリと変わる。


 愛する女性へ、唯一の愛を込めて。


 

「メイ嬢に惹かれ、その想いを隠すことなく貴女の側に何食わぬ顔で立っているのです。今日、ティーノット卿は私と顔を合わせた瞬間にその事実に気付かれていたようだ。恨まれて当然です」


 オーリクの視線がメイから外れ、違う場所へと向けられる。その場所にメイも導かれるように顔を動かした。視線の先、ダンス会場よりもさらに遠くの場所にある、紳士の社交場と言われるカードルームの入り口に、ライザフが立っている。

 憤怒の表情を浮かべ、ワイングラスを握って割りそうな勢いでぶるぶると手に力を入れて震わせている姿がハッキリと見えた。


 あんなにも怒りを露にしたライザフを見たのはメイは初めてだ。しかしそれ以上に、今オーリクから発せられた言葉の衝撃の方が何倍も大きかった。


 ――メイ嬢に惹かれ、その想いを隠すこと無く貴女の側に何食わぬ顔で立っているのです。



「誤解ではないので誤解を解くということは出来ません。謝罪に関しても、出来ません」


 オーリクはメイを見つめていた。

 いつもと変わらない落ち着いた、堅い印象を与えるような渋い顔は、やはり淡々とした表情を浮かべている。惹かれている、という言葉は冗談には聞こえないのに、本気と受け取るべきなのか困ってしまう程に、あまりにも普段通りなのだ。

 それでも、見つめ合う灰色の瞳から向けられる眼差しから、いつもは感じる事のない確かな熱を感じる。

 メイの左手を支え持つオーリクの手も一向に離れる気配がない。


 これは現実なのだろうか。

 ケンベル殿下に忠誠を誓っている、冷静で真面目で、仕事熱心な人。そんな人がまさか。


「ところで、先程私にお願いがあるとおっしゃっていましたが。お伺いしても?」

「!」


 急に話が変わり、呆然としていたメイは我を取り戻して赤面した。

 オーリクに支えられていた左手を自分の胸へと引き寄せようとしたが、その行動はとっくに悟られていたらしい。オーリクの右手によってしっかりと掴まれていた。


「教えてください」


 先を促すように顔をのぞきこまれてしまう。

 吐息が触れそうな程に近い距離に、メイは赤面したままうつむいた。現状をよく理解出来ないまま半ば勢いで言葉を発してしまう。


「私と、ダンスを。もう一度、踊ってくださいませんか」


 視線は相変わらず自分のドレスの裾から外す事も出来ない。

 近い距離にあるオーリクの表情を見る事が出来ない程に、先程のオーリクの言葉に心を乱されていた。


「メイ嬢。お顔を上げてください」


 こわごわと、やっとの思いで顔を上げた先には、嬉しそうな様子を隠す事なく優しく目尻を下げて微笑むオーリクの姿があった。


「光栄です。喜んで」

「……あの……本当に?」

「もちろんです。しかし既に連続で二回も踊っておられる。少し休憩しましょうか?」

「い、いいえ! 踊りたい、です」

「かしこまりました」


 ふわふわと、身体も心もどこかに浮遊してしまっているような。メイはそんな感覚に陥ってしまっていた。一体今何が起きているのだろう、と、頭の中はずっと混乱している。


 オーリクは明らかに、今日最初にメイと踊った時とは様子が違っていた。


 いつもはメイの方が頻繁にオーリクに視線を送り、その視線に気づいたオーリクがメイを見下ろす。毎回その繰り返しだった。

 しかし今は真逆の事態になっている。

 少しでも余裕が出来ればオーリクは躊躇いなくメイを見つめてくる。ちらりとでもメイが視線をオーリクに向けようとすると、既にオーリクがメイを見ているのだ。今までこんなにもオーリクから見つめられる事の無かったメイは、途端に恥ずかしくなり緊張してしまい、せっかくの二度目のダンスなのに楽しむ事も出来ず、うつむきっぱなしになっていた。




「メイ!」


 二度目のダンスを終えた途端、ライザフは声を張り上げて人混みから飛び出してくる。メイの左手を強引に掴むと、オーリクから奪い取るようにメイの肩を抱き寄せた。


「今日は帰るぞ」

「えっ? あの、まだ始まったばかりで、」

「駄目だ。帰る」


 メイが痛みを感じる程に、メイを抱き寄せるライザフの片腕には力が込められていた。ライザフは厳しい顔付きのまま、殺気を隠さずにオーリクを睨んでいる。オーリクはその視線をただ真っ直ぐに、静かに受け止めていた。


「メイのエスコート役にオーリク殿はもうふさわしくないようです。今日限りで職務としてメイに関わるのは終わりにして下さい」

「お父様……!? 待ってくださ、っ!」


 オーリクの返事を待たずに、ライザフはメイの肩を強く抱きかかえたまま踵を返し、強引に早足で歩き出していた。

 ティーノット家は馬車を持っておらず、夜会や舞踏会が開かれる度に借用馬車を利用していた。ライザフはメイと共に馬車に乗ると、すぐに御者に家へ帰るようにと命じてしまう。メイの口を挟む隙は一切与えられないまま、馬車は動き出していた。


 どんどんと遠ざかっていく公爵邸宅を呆然と見つめるメイの薄茶色の瞳から、ぼろぼろと涙が零れていた。


「…………お父様。あんまりです」


 一体なぜ。どうして。



 ライザフからとても愛されている事を、メイは日々感じていた。

 貴族社会ではどうしても浮いてしまいがちでも、快活で明るく、共に働く仕事人や使用人達を大事にし、茶葉園を盛り立てようと努力を惜しまない父のことをメイは尊敬し、愛していた。

 大切な家族。今ももちろん愛している。

 けれど――。


 馬車の中に広がる重い沈黙を破り、腕を組んで顔を深く伏せていたライザフがその体勢のまま口を開いた。


「オーリク殿には、彼が近衛騎士になったばかりの時から私はずっと世話になっていた。良い男だと思っていた。だからこそメイのエスコートに彼が選ばれた時は、良かったと、心底思ったさ」


 メイは窓の外の暗闇を眺めながら、口を開く事なく静かに話を聞いていた。涙だけが、どうしても止まらない。


「だが、今日のオーリク殿は職務としてのエスコートの範疇を超えた接し方をメイにしていた。父親としてはもう許すわけにはいかない」

「……はい」


 確かにおかしかった、と、メイも思う。小さな声で返事をして父に同意した。

 職務に忠実なオーリクらしからぬ振る舞いがあちこちに散見されていたのは事実だ。メイもとても困惑した。しかし、嬉しかったのも事実だ。

 もしかして、という淡い期待を持ってしまう言葉まであったのだから。


「メイ。彼の事を好ましく思っているだろう?」


 初めてライザフに尋ねられ、メイは驚いて思わずライザフを見つめた。

 ライザフは相変わらず顔を下に向けたまま、メイを一目も見ようとしていない。どのような表情をしているのかは分からない。口調は厳しいものの、怒っているような雰囲気ではないことだけは分かった。


「いつから、お気づきに……?」

「もうずっと前だ。二、三回目の舞踏会の時あたりからか。すぐにオーリク殿に惚れていただろう? どれだけ辛かったと思う? 娘は恋をしているのに、その相手は仕事でしか娘に向き合っていなかったんだぞ」


 ライザフの言葉に、メイは息を呑んだ。


 メイ自身がオーリクに恋をしていた事を自覚してからはまだ十日も経っていない。

 しかしライザフはメイが自覚するよりももっと以前から、メイがオーリクに特別な感情を抱いている事を悟っていたのだ。


 メイの胸の中に名前の分からない熱い感情がこみ上げる。

 恥ずかしい気持ちだけではない。

 ライザフは娘の事をとても心配しながらも、今後の良縁のために、と、ただ遠目から見守る事に専念してくれていたのだ。オーリクのエスコート前は容赦なく近づく男性達を拒絶していた事を認めているライザフにとっては、ただ見守る事がどれほど苦痛だったことか。


「私はメイに不幸な結婚をさせるつもりはない。家の利だけを重視した結婚の申し込みをされたとして、たとえそれが高位貴族の男だったとしても最初から徹底的に抗うつもりでいたさ。……オーリク殿のあの態度の変化を、本当は喜ぶべきなのかもしれないとは思っている。だが、彼自身に何か大きな心境の変化があって、ただメイを弄んでいる可能性だって否定出来ない」

「オーリクさんは! ……そのような不誠実な人ではありません。絶対に、あり得ません」

「彼を慕っているメイはそう思うだろうが、私は無理だ。仕事上の付き合いでは信頼できても男女のそれはまた別問題だ」


 メイは一度目を伏せたが、やがてゆっくりとライザフを見つめた。


「私はオーリクさんをお慕いしております。……心配をかけてしまってごめんなさい。お父様、愛しています」


 ライザフからの返事は無かった。


 夜道の中を走る馬車の中に再び沈黙が訪れる。

 結局、帰宅するまでライザフは一度も返事をせず、メイの顔を見る事も無かった。



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