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8 ◇兄の親友


 この日行われている舞踏会は、今までメイがオーリクと参加した中では一番の大規模なものだ。


 メフィト公爵が主催の舞踏会。

 一人娘の婚約がまとまり、婚約者とのお披露目の意味合いを兼ねての開催ということもあり国内数多の貴族達が招待されている。


 ライザフは相変わらずの親馬鹿ぶりを発揮していた。規模が大きく多数の貴族達がいるせいか、くれぐれもメイに悪い虫がつかないようにといつも以上にオーリクに口うるさく言い含め、ちらちらとメイ達を気にしつつも、重い足取りで紳士達の歓談の場へと向かっていった。


「いつもごめんなさい……」

「心配されるのは当然の事です」


 二人は手を取り合うと、早速ダンス会場へと足を進めた。


 最初の一曲目は必ずエスコート役のオーリクとダンスを踊る。

 その瞬間がメイにとって一番幸せな時間だった。


 ダンスの最中は会話が出来る。むしろ貴族にとっては意中の相手と二人きりでの秘密の会話を楽しむための数少ない機会でもあるのだ。しかしメイはあまりオーリクに話しかける事はしなかった。オーリクからも体調を気遣われる事が数度あっただけで、話しかけられた事はほとんど無い。たまにメイが話しかけて返事をする位だ。

 近い距離感から感じる熱。

 目が合うとやわらかく微笑んでくれる。

 この瞬間だけは確かに二人の時間を楽しむ事を許されている。


 ダンスを終えると、会場の中央から離れていく。メイは今日、必ず成し遂げたい明確な一つの目標を立てていた。毎回一度きりで終わってしまうダンスを今日は二回踊る、という目標を。


 女性から男性をダンスに誘うことはマナー違反ではないが、あまり褒められた行いでもない。生粋の貴族にいたっては最悪、ふしだらな、とすら思われかねない行為でもある。

 職務姿勢を貫いて参加しているオーリクから二度目のダンスを誘われる事はあり得ない。義務として一度踊ってくれた後は、積極的に他の男性と踊ることを毎回勧めてくる。恋を自覚してしまうと、他の男性と踊るようにと配慮されてしまう事実を思い返すと辛かった。


 ダンス会場の中央を抜けて歓談の場に着く直前、メイは胸を緊張に震わせながら口を開いた。


「オーリクさん。お願いしたい事があるんですが」

「はい」


 ほんのわずかに驚いた表情でメイを見下ろしたオーリクは、緊張した面持ちのメイを見て改まった様子で向き直った。


「あ、あの。今夜――」


「メイ! メイ、だよな!?」


 人混みをかき分け、明るい声でメイの名を呼びながら突如現われた青年。

 柔らかそうな麦色の髪を揺らし焦げ茶色の大きな瞳を丸々と見開いている。太陽という言葉がぴったりと当てはまる満面の笑みを浮かべた青年がメイに駆け寄ってきていた。

 彼の事をメイは良く知っている。親しいという言葉以上に、もう一人の兄と言っても過言ではない人物だ。

 彼は兄の親友で、アンリの兄でもある人なのだから。


 青年が思わずといった様子でメイの肩に手を伸ばしたが、触れそうになる直前にその動きが止まる。オーリクが青年の腕をしっかりと掴んでいたのだ。


「失礼ですが、お名前をお伺いしても?」


 オーリクが淡々と青年に尋ねる。青年は「えっ?」と硬直していた。今まで一度も見たことのなかったオーリクの冷たい姿にメイも驚いてしまう。

 硬直していた青年だが、すぐに姿勢を正してオーリクを見て苦笑を浮かべた。


「もしかして貴方がオーリク殿ですか? メイの兄から手紙で事情は聞いていました。私はジャック・スバイドと申します。スバイド伯爵の長子です。ティーノット男爵家とは古くからの付き合いがあります。私自身がマリエーナ国に留学していた関係でメイとは一年以上ぶりの再会なんですよ。つい馴れ馴れしくなってしまいましたが、警戒されて当然でしたね」

「スバイド伯爵の――、大変失礼致しました」


 ジャックの名を聞いた途端、オーリクは殺気をあっという間に消失させて手を離し、丁寧に頭を下げた。全てを知り尽くしているような反応だ。


「ジャック様をご存じだったんですか?」


 驚いたメイが尋ねると、頭をあげたオーリクは頷いた。


「ティーノット卿から何度かお話を聞いた事があります。しかしお姿までは存じ上げなかったので。ジャック殿、申し訳ありませんでした」

「ええ? いいえ! むしろ全力でメイを守ってくれているみたいで、安心しました」


 アンリ同様に整った美しい容姿を持ち気さくな人柄のジャックが、先ほど駆け寄ってきた時と同様に輝かんばかりの満面の笑顔で言うと、オーリクもいつもと変わらない穏やかな表情を浮かべていた。


「不審者の誤解がとけて良かった。メイ、久しぶりだな。会えて嬉しいよ」


 メイの右手を掬い取るようにとったジャックが、挨拶の意味を込めて手袋越しの手の甲に口づけを落とす。メイはこの口づけをされる事が本来とても苦手だが、ジャックは兄と同じ位置づけの人であるせいか、全く緊張する事のない唯一の男性だった。


「お帰りなさい。アンリにはつい先日会ったばかりだったのに。帰国されていたなんて聞いていませんでした。いつこちらに戻られていたんですか?」

「昨日だ」

「昨日、ですか?」

「招待状も届いてたし、俺は帰国の挨拶まわりも兼ねて参加したんだ。そうしたら早速メイを見つける事が出来て運が良かったよ。せっかくだ、踊らないか? それとも先約がある?」

「約束はありません。ぜひ」


 承諾の返事をした後、メイはすぐにオーリクを見上げた。伝えたかった事がまだ伝えられていない。

 しかしちょうど良く音楽が切り替わってしまった。ジャックに手を引かれて、導かれるようにダンス会場へと足を進めていく。ちらりと横目でオーリクを見ると、彼はいつもの無表情で、しかし優しげで静かな瞳でメイを見送っていた。



 ジャックは二十二歳、メイの兄アンドリューは二十一歳だ。

 二人は昔から語学、経営経済について幅広く学ぶために外国への留学を決めており、ジャックはアンドリューよりも一年早く隣国マリエーナ国に留学していた。

 そしてジャックこそ、メイに馬の素晴らしさや乗馬の楽しさを教えてくれた張本人でもある。


 ダンスのステップを踏みながら、互いに簡単な近況報告の会話に花を咲かせる。やがて結婚についての話題になった。


「俺は結婚はまだ先になる予定だなぁ。もう少し勉強したいし。父の仕事を継ぐ立場だ、本格的に学んで覚えていかないと」

「帰国直後でもすぐにお忙しくなりそうですね」

「そうだなぁ。ま、良いさ」


 さらりと告げたジャックはニッと深く笑っている。

 知識欲が旺盛で、昔からスバイド伯爵を尊敬していたジャックは、勉学を続けながら本格的に家業を継ぐために働く事に喜びを抱いている。

 アンリ同様に、ジャックが溌剌と元気な姿をしていて良かった。メイは喜んで微笑んだ。


 ジャックは一度メイから視線を外すとオーリクを眺めた。

 メイもオーリクに少しだけ視線を向けたが、偶然オーリクはどこか違う場所を眺めていて視線は合わなかった。


「つい一昨日までアンリが帰省していたそうだな。俺宛に置き手紙があったんだ。メイのことも事細かに書かれてたよ」

「私のこと、……!」


 頬を染めたメイがジャックを見上げると、ジャックはいつの間にかメイを見下ろしていた。その表情は不安そうだ。


「疑いたくないんだがオーリク殿って本当に二十六だよな?」

「本当に二十六歳です」


 へえぇ、と、ジャックは乱さずにステップを踏みながらも驚きに満ちた息を吐いた。


「そうかぁ。やたら手紙に老け顔を強調して書かれていたけど。想像以上だった。近衛騎士の装いを見たらすぐにメイのエスコートって分かると思ってたのに、顔を見て、さすがにあの人はオーリク殿じゃないと思ったんだよ」

「え……では、先程の。私に真っ先に駆け寄ってくださったのは」

「嬉しかったのもそうだけど、メイはオーリク殿とはぐれて、やたら年齢の離れた近衛騎士に無理に口説かれていたのかと勘違いした。メイも難しい顔してたし、困ってるのかと。二人きりの時間を邪魔しただろう?」

「いいえ! ジャック様と再会出来て嬉しかったです」


 メイとジャックは互いに顔を見合わせて苦笑した。

 ジャックが訝しむのも無理はない。メイも最初はオーリクの年齢を誤解していたのだから。顔だけを見たら確かに二十代には見えない。

 さらに表情豊かな人というわけでもないので気難しい印象も拭えない。会話をしたら年齢を感じるかと言われたら、それも難しく、淡々として落ち着いている。二十代と感じられそうな若々しさという点は、初対面では見つける事は困難だ。


「唯一の年齢詐欺の疑いの不安も解消されたし。俺もアンリ同様にメイを全力で応援できるよ」


 ジャックの言葉に、メイは大きく瞳を見開いた。

 アンリ、ケンベル殿下、そしてジャックまでも応援してくれる。


「本当ですか?」

「というより、もう両想いじゃないか?」


 思ってもみなかった事を言われて、メイはぽかんと口を小さく開いてジャックを見上げる事しか出来なかった。あの短い時間のやり取りだけでなぜ、両想いという可能性がジャックの中に浮上したのか。


「さっき俺がろくに挨拶もしないでメイに触れようとした時のあの殺気、本物だったぞ」

「私に何かあったらケンベル殿下の評判にも関わってしまいます。敏感になってしまうのは当然です」

「んー、悪いが殺気をあてられた身としては同意出来ないかな」


 くるりと、困惑しているメイはジャックに導かれ、音楽に合わせて大きくターンすると、薄青色のドレスの裾がふわりと舞い広がった。


「オーリク殿はメイの事をもう特別な人として見てると思うよ。さっき安心できるって言ったのは本当だ。オーリク殿は職務ではなくてもきっとメイの事を守るし、大事にしてくれるんだろうなって、違和感なく思えたんだよ。不思議だけど」

「…………」

「メイは全くそう思えないか? エスコートとしてじゃないと大事に扱ってはくれないって、そう思う?」


 つい先日の厩舎での出来事を思い出す。

 楽しくて幸せで、まるで夢のように思えた一時の事を。

 あの日はオーリクは休日だった。今のような社交場とは違う姿を、隠そうともせずに見せてくれた。馬が好きな青年。正直で真っ直ぐな人柄をより強く実感出来たあの出来事。


 可愛らしい、と言ってくれた。

 逃げ帰ろうとしてしまった時、まだ共に過ごしたい、と。

 大事なもののように腕の中に抱きしめられた時、どれほど驚き、そしてとても嬉しかったか。同時に、勘違いしてはいけない、と。

 けれど……。


 メイはやがてゆっくりと首を振った。


「いいえ……」

「ほら。そうだろう?」


 音楽が終わり、会場は数多の人々の拍手に包まれる。

 メイとジャックは向かい合って形式的に礼をとった後、ジャックの差し出された手にメイは手を重ねた。


「アンリはメイにオーリク殿を落とせと発破(はっぱ)をかけたそうだが、もうとっくにオーリク殿は落ちていたというわけだな?」

「ジャック様……」


 屈託ない笑みを浮かべてジャックは言う。

 関係は悪くなく良好なのは事実だが。両思いという確信があるわけではないメイは曖昧に苦笑した。



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