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7 ◇本心の言葉


 初めて王家の厩舎を見たメイは驚きと感動でいっぱいになっていた。


 広々とした清潔な厩舎に、そのすぐそばには馬達が走り回る事が可能な広々とした走行場まで完備されている。ずらりと並んだ大きな馬達にメイの視線はすぐに奪われた。馬車は街でも頻繁に見かけている。馬が珍しい訳では無いのだが、こんなにも数多の馬を間近に見たのは初めてだった。


 ケンベル殿下の本来の目的は二人きりでエスコートの件について話す事だった。

 厩舎に着いたらすぐに自宅に帰されるとばかり思っていたが、厩舎全体を案内してくれただけではなく、しばらく見学していくと良い、とまで言ってくれる。

 有難く感謝の言葉を述べると、ケンベル殿下は感心した様子で笑った。


「わりと結構、本気で馬が好きなんだな?」

「はい。男爵家には馬がいませんので、詳しい訳ではないんですけど」


 馬丁のカエンを紹介される。この後の案内は彼が代わるらしい。

 メイは改めて感謝の言葉を述べると、きりの良い時間で送り届けるから安心しろ、とケンベル殿下は執務に戻って行った。

 ケンベル殿下の背後で終始無言で付き従っていた用心棒風の男性は、変装していた近衛騎士主衛のセファロという人であるとカエンから教えられた。


 セファロの馬がカエンの担当馬だという。

 触れても大丈夫だと言われ、どきどきしながら撫でてやると、ヒリスはそのままメイの掌を受け入れた。ヒリスの愛らしさとカエンの面白可笑しい説明に、メイはすっかり夢中になって楽しんでいた。


 だから、近づいてくる人の気配に全く気がつかなかった。



「こんにちは。メイ嬢」


 声をかけられて、え? と振り返った先にオーリクの姿を見て、メイは心臓が止まるかと思う程に驚いた。


 オーリクは騎士の姿では無かった。

 無地の白いシャツはしっかりと腕捲りされ、首元のボタンも一つ外されている。いつもは整えられている黒髪も、今は少々無造作に散らばっていた。相変わらずの若々しさは皆無の落ち着いた表情だが、目元から感じられる優しさはいつもと変わらない。

 呆気にとられているメイに構わず、オーリクはカエンに何やら話しをして、カエンは頷くと「楽しんでいってくださいね」とメイに言い、どこかへ去っていってしまう。オーリクと二人きりになり、ますますメイの頭の中は真っ白になった。


「つい先ほど殿下に会いました。強引に連れ出されてしまったのでしょう? ご迷惑をおかけして申し訳ない」

「い、いいえ。そんな」

「私がご案内します」

「でも、お仕事は大丈夫ですか?」

「今日は控え番……いいえ、休日なので」

「休日だったんですか? 私は眺めているだけで十分楽しいです。ちゃんと休んでください」


 本当はとても嬉しい。

 けれど、貴重な休日を、仕事を思い出させてしまうであろう自分の相手をして貰うことが心苦しくもあった。これでは休日にならないのでは、と。

 無表情だったオーリクは不思議そうな顔をしたが、やがて穏やかに微笑んだ。


「休日にメイ嬢にお会いできて私は嬉しいです」


 たとえ社交辞令だとしても、そんな事をハッキリ言われてしまってはどうしようもない。溢れる喜びを抑える事は出来なかった。


「……私もオーリクさんにお会いできて嬉しいです。とっても」


 今のメイが、オーリクに対して好意を伝える精一杯の一言だった。

 嬉しさと恥ずかしさを誤魔化すように少しだけ顔を伏せて、緩んでしまう表情を隠してしまう。

 一人きりの時は先のことを思い悩んでいるばかりだったのに。ケンベル殿下に応援され助言までして貰えるという奇跡が起き、さらにはオーリクに偶然会えるとは思ってもみなかった。幸運を使い切ってしまったかもしれないと思いつつ、今は幸せでいっぱいだった。


「メイ嬢」

「はい」


 しばしの沈黙の後に名前を呼ばれ顔を上げると、オーリクは神妙な面持ちをしていた。


「オーリクさん?」

「ヒリスは、セファロ殿の愛馬であることは聞きましたか?」

「はい。カエンさんから教えて頂きました」


 どうやら思い過ごしだったらしい。オーリクがいつもの落ち着いた様子で案内を始めてくれた事に、メイはホッとした。



 それぞれの馬達の名前や性格、厩舎の一日の流れや、馬達の厩舎での過ごし方についての話を、メイは興味深く聞いていた。時間が許せば乗馬も出来たのですがと残念そうに言われて、メイは慌てて首を振った。日常では立ち入ることすら容易ではない場所なのだ。見学出来ただけで十分に満足だった。

 オーリクの愛馬のレセは、好奇心旺盛な元気な雄馬だった。終始のんびりした様子だった雌馬のヒリスとは様子が違い、馬房から限界まで顔を出したレセは興味深げにメイを見ていた。

 オーリクはさらに表情をやわらかくしてレセを撫でた。

 

「ヒリスもそうでしたが、レセも人好きの馬です。元気が過ぎる時が多々あるのですが。メイ嬢も撫でてやってください」

「よろしいのですか?」

「もちろん」


 メイが触れると、レセは一層興味津々の様子でメイを見つめだす。黒々とした大きな瞳にじっと見つめられたメイは思わず笑顔になった。しばし夢中になってレセとの交流を楽しんでいたが、オーリクが終始無言のまま自分とレセを見つめていた事に気がついた。


「ご、ごめんなさい。つい夢中になってしまって」

「いいえ。楽しんでもらえているようで良かった」

「オーリクさんとレセのおかげです」


 気づいた事がある。

 社交場にいる時のオーリクの微笑みは親切でとても優しいと思っていた。しかし休日の厩舎にいる時のオーリクは、社交界の時とはまるで様子が違っていた。オーリクは心底馬を愛しているのだ。すぐに分かる程に、その微笑みが慈愛に満ちていた。

 騎士服を着ていない普段着姿のオーリクも新鮮だった。普段見ることのない逞しい腕につい目を奪われて、慌てて逸らしてしまう。


 そしてメイは、今更、重大な事に気がついてしまった。


「ずっと外にいてお疲れでしょう。事務棟に客間があります。今、紅茶を……メイ嬢?」


 メイは今までに無いほどの恥ずかしさに襲われて、歩き出していたオーリクの後をついて歩く事も出来ず、それどころか後ずさってしまっていた。顔に凄まじい勢いで熱が集中している自覚がある。


「メイ嬢? 具合が悪いのですか?」

「い、いいえ……! とても元気です。あの、帰ります」

「え?」

「休日なのにご親切に案内をして下さって本当にありがとうございました。殿下と馬丁の皆様にもよろしくお伝えください」

「メイ嬢」

「裏門から帰ります。陽が沈む前には帰宅できますし、王都を歩き回ることは日常なので、心配しないで下さい。失礼します」


 早口に言うと、メイはすぐに裏門へ向かって駆けだした。これ以上自分の姿をオーリクの視界に入れたくは無かった。それなのに。


「きゃ!?」


 思いきり手首を掴まれ、メイは大きく身体のバランスを崩してしまった。しかし地面に倒れることはなく、そのままオーリクの身体に受け止められてしまう。あまりの事態に呆然としているうちに、まるで逃げる事を許さないと言うように両腕の中に抱きしめられていた。


「落ち着いて。何か怖い虫でもいましたか?」


 見当違いすぎる事を言われて、呆然としていたメイは思わずオーリクを見上げた。眉間に深い皺を寄せているオーリクはとても強面で威圧感があるのに、ただ純粋に自分を心配しているのだと悟り、メイはますます恥ずかしくなった。


「ち、違うんです。本当に、大丈夫ですから。離してください」

「離しません。逃げるおつもりでしょう」

「逃げるだなんて、……!」


 さらに強く抱きしめられてしまい、メイはもう我慢の限界だった。


「私、お化粧していないんです」


 しん、と沈黙に包まれる。こうなってしまう事も分かっていたからこそ言いたくは無かったのだ。オーリクが返事に困る事は容易に想像がついていた。


 厩舎に来ているのだから、ドレスを着ていない事に関してはまったく気にしてはいなかった。だから、うっかりしていた。今日に限って、肌色を整える程の化粧しかしていなかったことに。

 メイはちゃんと自覚していた。この王国での美女の基準にはまったく当てはまらない薄い顔をしているのが自分なのだと。

 しっかりと化粧をして、やっと人前に出ることが出来る。そんな顔なのだ。とくに貴族社会は男女共に美に厳しい事を痛感している。社交界でばかり顔を合わせていたオーリクに、突然自分の素顔を晒してしまっていた事に気づき、メイは大きく傷ついていた。


 化粧の下に隠していた自分の素顔を見て、オーリクにどういう印象を抱かれていたのかと思うと、怖くてたまらなかった。


「正直な事をお話しても?」


 沈黙を破ってオーリクが尋ねてくる。メイは蒼白になりながら、オーリクの腕の中で頷いた。


「今日のメイ嬢はいつも以上に可愛らしいと思っていました」

「…………」

「社交界の貴女(あなた)はとても美しい。今の貴女はとても可愛らしい。私にとってはどちらのメイ嬢も、魅力的な女性にしか見えません」


 メイの全身から力が抜けてしまう。

 そうだった。親切で優しく、仕事に真面目で、メイとは違って大人の余裕があるオーリクが、人を傷つける発言を本音で言うわけがない。


「本心です」

「え?」

「貴女はどうも、私の事を口を開けばお世辞と社交辞令ばかりな男だと思っている節がある」

「いいえ、そんな事、は」

「ありますね」

「…………申し訳ありません」


 事実だっただけに反論も出来ず、メイは項垂れてますます顔をうつむかせてしまいそうになったが、出来なかった。オーリクの右手に顎を優しくつかまれて、上向かせられてしまったからだ。

 高い位置にあるオーリクと視線が絡まる。

 驚きのあまり瞳を大きく見開くと、顎を掴んでいたはずの右手はすぐに離れて、メイの頬を包むように撫でた。オーリクは真剣な表情で口を開いた。


「私はまだ貴女との時間を過ごしたい」

「え?」

「しかし、具合が悪い貴女を無理に引き留める気はありません。帰るのでしたら、私がご自宅まで送ります。拒否されても従えません。お許しを」


 混乱してしまう。お世辞でも社交辞令でもないという上で、こんな。盛大な勘違いをしてしまいそうになる。自分の事を大切に、特別に想ってくれているのでは、と。けれど。


 可愛らしい、と、本心で思ってくれていたなんて。


 その言葉が、メイの心を大きく勇気づけてくれた。好きな人が、可愛いと思ってくれている。今のメイには十分すぎる程に幸せな事実だった。

 メイは頬を赤くしたまま、小さく微笑んだ。


「……ごめんなさい。実は喉がからからなんです」

「では、ご案内します。紅茶を淹れますので。お手をこちらに」


 何事も無かったかのように。まるでここはいつもの社交場であるかのように、優しく微笑んで手を差し出してくれるオーリクを見上げて、メイは自分の手をそっと重ねた。


 未来の事は全く分からない。

 今はただ、好きな人と共に過ごせる時間を大切にして、胸いっぱいに広がる幸せを噛みしめていたかった。



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