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6 ◆決意


 訓練場のそばにある武器倉庫にオーリクはいた。


 他の近衛騎士達との訓練を終えたばかりの彼の身体は熱を帯びている。シャツの袖をしっかりと捲りあげ額の汗を拭いつつ、自分が使用した模擬剣を片付けながら、他の模擬剣に欠損などはないかの点検をしている最中だった。

 オーリクと共にその作業をしているのは、同じくケンベルの近衛騎士を務めるベルツだ。


 近衛騎士としての歴はベルツが三年とオーリクよりも長いが、同い年、貴族生まれだが爵位を継ぐ身では無いという共通点もあり、二人は気が合った。ケンベルに仕える近衛騎士達の中ではお互いが唯一砕けた言葉を交わす事が可能な仲でもある。


 今日、オーリクもベルツも控え番としての勤務が割り当てられていた。

 控え番は、現在ケンベルについている近衛騎士に何らかの不測の事態が起きた場合、速やかに代わりとして駆け付けなければいけない。メイン勤務でないが休日という扱いにもならない控え番の日は、原則として王城で過ごす事になる。

 しかし過ごし方に制約はない。近衛騎士達は体力錬成に励み訓練をし、馬の世話をし、それぞれ抱えている雑務を片付けたりして過ごす場合が多かった。


「最近誰か点検した感じがするなぁ。どの模擬剣も綺麗じゃないか?」

「多分そうだろうな。大丈夫そうだ」

「次はどうする? 俺は詰所で書類を片付けるつもりだけど」

「厩舎に行く」


 オーリクが即答すると、ベルツは目を丸くした。


「また行くのか?」

「休日と控え番の時ぐらいにしか行けないだろう?」

(レセ)は幸せものだなぁ」


 まぁもちろん俺も(タル)の事を大事にしてるけど、とベルツは言いつつも、そこそこに書類はたまっているらしい。片付けを終えたベルツはすぐに詰所に戻っていった。



 国家騎士団に所属していた時は事務作業よりも圧倒的に外での実務が常だった。

 近年は大きな戦争もなく平和な世が続いているが、国境沿い、あるいは国内でも小さな小競り合いが起こる時がある。その時に早急に駆け付けて沈静化させる役割を国家騎士団は担っていたのだ。当然、毎日のように鍛練と馬の世話を欠かさずにしていたが、近衛騎士になった今は違う。事務作業、ケンベルの身辺護衛の日々なのだ。


 王城には立派な厩舎と優秀な馬丁達がいる。馬達は快適に過ごす事が出来ているのは分かっている。それでもやはりオーリクは馬と触れ合う時間を欲してやまなかった。

 だからこそ、たまにある貴重な休日と控え番の日は、オーリクは大半の時間を馬の世話と体力錬成、訓練にあてていた。近衛騎士になってからというもの、宿舎以外には王城でしか過ごしていないのが現実だ。


 武器倉庫の鍵を所定の位置に戻し、一度宿舎に戻って簡単に汗を拭ってシャツを着替えたオーリクは厩舎へと向かった。


 厩舎に近づくにつれて何やら賑やかな様子がある。

 馬丁達が慌ただしく事務所に駆けていく様子を見て、オーリクは足を止めた。熟練馬丁以外の馬丁達が姿を消すように厩舎から事務所に戻っているということは、王族の誰かが厩舎に来ているのは間違いない。


「オーリク様! レセに会いに来たんですか?」


 親しげに声をかけてきたのは、少年馬丁のルセフだ。どうやら彼も事務所に戻るところらしい。


「そうしたいんだが、今は行かない方が良さそうか?」

「いいえ、オーリク様なら大丈夫です! お越しになられたのはケンベル殿下と主衛のセファロ様ですから」

「殿下が?」


 今日は王城から出る予定は無い日だが。

 しかしあの人の事だ。予定通りに事が進まないのが日常。今からどこかに出掛けようが、あるいは出掛けて帰ってきたところだと言われても驚かない。

 ルセフはちらりと後ろを振り返って厩舎を眺めたあと、照れたように笑った。


「それと、めちゃくちゃ可愛い人が来てます。さっきまで、その人をケンベル殿下が直々に厩舎を案内していたんですよ」

「可愛い人?」

「はい。あんなに可愛い人が厩舎に来られたのは初めてです。俺にも挨拶してくれたんですよ! 天使かと思いました。殿下とどんな関係の人なんですかね?」

「そうか。とりあえずご挨拶してくるよ」

「あ、はい!」


 可愛い人とやらと会話出来た事に上機嫌らしいルセフは、足取り軽く事務所に戻っていく。


 ケンベルの周囲に可愛らしい人と言える女性達はごまんといるが、挨拶の話を聞いて、ふとオーリクの脳裏にメイが浮かんだ。貴族だが良い意味で貴族らしくない彼女ならば、きっとルセフや馬丁達にも礼儀正しく挨拶するのだろう。馬が好きだとも言っていた。それに彼女はとても――。

 そこまで考えて、オーリクは軽く額を押さえた。



 メイのエスコートを務めて三ヶ月が経過した。


 社交界シーズンはあと二ヶ月、終わったとしてもささやかなパーティやお茶会もある。自分の務めはまだあと九ヶ月も残っている。焦る必要は無いことは重々承知だが、それでも気を揉んでいた。


 リストに記載されていた、ケンベルが認めた十人の令息達。

 現時点で既に九人の令息をメイに近づける事は出来ている。

 半数程の令息との交流は、互いに相性が合わなかったのか、既に交流は途切れてしまった。しかし残りの半数に関しては両者共にそこそこの好印象を抱きながらの交流は継続して出来ているのは間違いない。


 だが、まったく進展する気配がない。


 男達に共通している懸念は、やはりメイの貴族としての身分の低さなのだろう。どれほどメイが魅力的な女性であり、そして王家が今目をかけてると噂も出ている茶葉園を管理運営している貴族だとしても、日々の暮らしぶりを含めて貴族的とは言えないのが現実だ。 



 ――茶葉園の娘との繋がりは確かに有益だ、彼女自身も問題は無く好ましい。王家からも目をかけられていて興味はある。しかしつい最近まで平民だった家柄だ。もっと他に良い条件の女性がいるのでは?



 そんな男達の心情をオーリクは察していた。

 メイを気に入り、持ち上げ、気のある素振りをしつつも他の女性を物色する。悪いことではない。社交界はそういう場だ。家名を背負っている立場の人間としてはそうならざるを得ない。

 だが、メイが少しでも特定の男に対して特別な好意を抱いているような素振りを見せていたら、案外男はあっさりとメイを妻にと望むだろう。

 オーリクがそのように確信出来る程には、男達がメイに少なくない好意を抱いている事も分かっていた。貴族の男達はよほど野心溢れる者以外は危ない橋は渡らない。良くも悪くもリストの男達は慎重な性質の者ばかりだった。


 爵位を継がない身でも貴族の家の生まれとして、男達の様子や行動に理解は出来ている。

 当然だ、とすんなり納得出来るはずだった。


 しかしなぜかオーリクにとって気分が悪い状況だった。

 最終手段の申し込み相手として、メイを保留のような扱いをしているのが透けて見えるのがどうしても気にくわない。ケンベルが認めている男達だと納得していてもそんな感情を抱いてしまう。


 メイは平等な態度を崩さない。

 緊張しているのは分かる。しかし常に努力を怠らない。いつも礼儀正しくふるまい、楚々として美しい。


 オーリクは男達の心情は察する事は出来ても、メイの気持ちだけはどうしても察する事は出来なかった。


 彼女は一体どのような男が相手だと結婚を本気で意識して見る事が出来るのだろうか。



「おい。何をぼーっと突っ立っている」


 呆れた様子で声をかけてきたのは、尊大に両腕を組んでいるケンベルだった。

 服装は明らかに変装で、そこそこの良家の子息のような格好をしている。その姿を見ただけで、ケンベルがお忍びで王都のどこかに視察へ行った事をオーリクは把握する。ケンベルの後ろに控えているセファロも変装しており、雇われの用心棒のような格好をしている。顰め面でオーリクを見ていた。


「馬の様子を見に来ました」

「控え番のお前の行動は分かりやすいな。絶対に厩舎に来ると思っていたが、案の定だ。俺とセファロは今から執務に戻る。ああそれと、視察先で馬が好きと言っていた令嬢がいてな。気晴らしに連れてきてやった。楽しませてやった上で家まで送りとどけてやれ」

「承知しました」


 突拍子もない言動にも慣れて驚きすらないが、オーリクはそのご令嬢とやらに申し訳ない気持ちを抱いていた。


 どんな経緯で連れて来られたかは分からないが、いくら馬好きとはいえ、大前提としてケンベルの言動に振り回され、逆らうことも出来ずに厩舎に連れてこられたのは間違いない。彼が大いに振り回す対象の人間は限られている。

 ルセフから聞いた女性の印象は悪くはない。恐らく気に入られたからこそ振り回されたのだろう。しかし突然の事で困らせてしまった事には違いない。

 ケンベルの近衛として謝罪しなければと、肩の荷が重くなった。


 任せたぞ、とケンベルが軽く言いながらすれ違う直前。ケンベルは不適な笑みを見せて、もう一度薄く口を開いた。


「お前、俺を失望させるなよ」


 驚き、振り返った時には既にケンベルはオーリクを見ていなかった。

 セファロは終始厳しい表情でオーリクを見ていたが、やがてオーリクに背中を向けてケンベルの後を追っていく。


 言葉の意味を探りかけ、しかし今はまず厩舎に放置されてしまっているのであろうご令嬢の案内をしなければと思い出す。裏口から厩舎に来ていたオーリクは急いで正面へとまわった。


 正面から見て四つ、縦に並ぶ長い厩舎。

 一番左端の厩舎にその令嬢はいた。


 熟練馬丁のカエンが熱心に馬の説明をしている。彼が説明している馬は担当馬であるセファロの愛馬(ヒリス)だ。ヒリスの身体を撫でながら、薄茶色の瞳を輝かせて、カエンに負けず劣らすに熱心に説明を聞いている女性の姿に、オーリクは口を開く前に思わず足を止めてその姿に見入ってしまった。

 令嬢とはメイの事だったのだ。

 よく知っているはずの女性なのに、オーリクはなぜか、今初めて彼女に出会ったかのような感覚に陥っていた。


 華やかに着飾った美しいドレス姿でもなく、初めて挨拶をした時に見たデイドレス姿でもない。踝丈の深緑色のワンピースに、ヒールの無い茶色の靴を履いているメイは、街を歩いている平民の女性と何ら変わらない姿だ。薄金色の柔らかな髪をうなじの辺りに一纏めにしているメイの横顔がオーリクにはハッキリと見えた。

 真剣に説明を聞いていた横顔がくしゃりと可憐な笑みに崩れて、そんなメイにオーリクは思わず視線を奪われたまま息を呑んでしまう。

 心臓から指先にかけて痺れるような感覚が走った。


 ――俺を失望させるなよ。


 オーリクの耳の奥に残るケンベルの言葉がじわじわと身体に染みこむように溶けていく。自分にのみ与えられているメイのエスコートとしての役目と、リストの令息達に関する密命を改めて思い出し、強く拳を握りしめた。


 ケンベルを失望させる近衛騎士になるつもりはない。


 強く握りしめていた拳の力を少しだけ抜き、オーリクはしっかりとした足取りでメイの元へと歩みを進めた。



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