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1 ◇メイ・ティーノット


『身支度を整え次第、すぐに応接間に来るように』


 父の伝言を執事のカールスから聞いたメイは、手紙の整理をしていた手を止め、慌ただしく来客を迎え入れる準備に取りかかった。



 王都東部にあるティーノット男爵邸。

 メイ・ティーノットは男爵家の娘だ。


 貴族の娘でありながら、茶葉園を専門に営む男爵家として家業を支えるために毎日動き回っていた。貧乏ではないのだが爵位は低い。そもそも爵位を賜ったのはメイの祖父の代からで、元々は茶葉農家だった家柄だ。男女関係なく働くことはティーノット家の者達にとっては家訓のように受け継がれている。

 当然、貴族の娘としての嗜みとして求められるダンスや裁縫、マナー等の勉学も怠らずに取り組んでいるのだが、生粋の貴族令嬢とはやはり違う。少々異端な存在だった。


 そんなメイは現在、悩みを抱えていた。



 廊下を急ぎ歩いて私室に向かいながら、隣に付き従って歩いてくれているメイドのポーラに尋ねた。


「お客様に私もご挨拶を、という事かしら?」

「はい。オーリク・ヘウム様という騎士の方がいらっしゃっておられます。ご存知ですか?」

「オーリクさん? 知らないお方だわ」


 ポーラの手を借りながら、メイは大急ぎで髪を整えて化粧を直す。動きやすさ重視のワンピースを脱ぎ、ティーノット家の色を表す新緑色の落ち着いたデイドレスに着替えた。

 新緑色のドレスに、ふんわりと波打つやわらかい薄金髪と白い肌は溶け込むように馴染んでいる。髪はゆるく三つ編みにして背中に垂らした。二重で美しい形だが控えめな大きさの薄茶色の瞳と、頬紅でほんのりと薄桃に色づけた頬は、清潔感と優しげな印象があった。

 ポーラは満足気に頷いた。


「終わりました。とてもお綺麗です」

「こんなに短時間なのに。ありがとう」

「いいえ。けれど少し残念に思いまして」

「残念?」


 何が? とメイが不思議に思いながら尋ねると、化粧箱を片付けながらポーラはため息をついた。


「オーリク様のお出迎えに立ち会ったのですが、おそらく三十代後半程のお方かと。ご結婚されてお子さまもおられてもおかしくないような立派な男性でした。未婚の若々しい殿方では無い事が残念なのです」

「どうして?」

「私は心配しているのですよ、お嬢様を」


 じろりと冷ややかに見つめられてその言葉の真意を知り、メイは逃げるように素早く視線を逸らしてしまう。身支度の最終確認をするフリをして鏡を見つめた。


 鏡に映るのは特徴も派手さも無い平凡な薄い顔。

 誰の印象にもハッキリとは残りそうにない大人しそうな女性(じぶん)。髪を綺麗にして化粧をしているから今はまだ多少の華やかさはある、と思ってはいる。

 それでもこれが自分なのだとしみじみと思う。


 十八歳になったメイは結婚適齢期の真ん中にいる。

 十六歳で社交界デビューして二年が経つが、これといって浮いた話はない。


 なかなか良縁を結ぶ事が出来ない原因は、元平民という家柄が理由で生粋の貴族達に敬遠されているのだろう、と親族や親しい友人達は口を揃える。メイの両親も婚約が成立するまでは大変だったと聞いている。

 現実その通りだが、それだけではない、とメイは自覚していた。

 緊張しいで上がり症な性格が災いしていた。

 しかもその性格は社交界の場所で色濃く出てしまう。


 貴族令嬢達が備え持つ独特の優雅な所作、常識が、メイには少々足りていなかった。デビュー前に必死な思いで勉強したが、やはり生粋の貴族は違うのだと痛感する場面に多々遭遇し、すっかり恐ろしい場所になってしまっている。それでも男爵令嬢として、真剣に参加していた。

 しかし、その場を粗相の無いようにやり過ごす事に必死になりすぎてしまう。女性との歓談も、殿方との交流も上手くいかない。

 空回りばかりだ。


 そんなメイの事を、父も兄も、幼い頃から面倒をみてくれている母親のような存在のポーラもとても心配していた。おそらく亡き母もこの現状にやきもきしているのだろうと思うと肩を落としてしまう。


「準備は整いましたでしょうか?」


 扉の向こうから再度現れたカールスに尋ねられ、メイは大丈夫だと伝える。

 ポーラに見送られ、父と客人の騎士とやらが待つ応接間へと緊張しながら向かった。




「オーリク殿、こちらが娘のメイです。私に似ず亡き妻に似て冷静で落ち着きのある子でしてね! 淑女の鏡のような自慢の娘です」


 緊張しいで上がり症なだけなのに、と、父であるライザフ・ティーノット男爵の言葉に頭を抱えたくなってしまう。こちらを静かに見つめてくるオーリクの視線を受け止めながら、メイはひきつりそうな口元に必死に抗い微笑んだ。


「お会いできて光栄です、メイ嬢。オーリク・ヘウムと申します。お父上に用事がありましてこちらに参りました」

「オーリクさん。メイ・ティーノットと申します。どうかご滞在の間、ごゆっくりとお過ごしください」

「ありがとうございます」


 背筋を伸ばして立つオーリクは堅物で気難しそうな第一印象を受ける人だった。しかし人を拒絶するような雰囲気も、じろじろと品定めするような視線も一切無い。ただただ穏やかな様子だ。

 とても怖そうな人かと思ったけれど大丈夫かもしれない。メイは緊張しつつも内心ホッと安堵した。


「メイ、彼はオーリク・ヘウム殿。ケンベル殿下の近衛騎士を務めておられる。とても優秀なお方なんだよ」


 オーリクは、にこにこと上機嫌なライザフの紹介の言葉を聞いて険しい表情を見せた。


「大げさな紹介はお止めください」

「大げさですか? 事実を言っただけですよ!」


 がはは、と貴族にあるまじき豪快さで笑うライザフに、オーリクは諦めたように瞳を細め、メイは肩を縮ませた。

 三人は着席し、ライザフとオーリクが近況報告のような会話を始め出す。メイは静かに相槌を打ちつつ、ティーカップでお茶を飲みながらオーリクを見つめた。


 健康的な肌色と彫りが深い顔立ちは渋味に溢れている。

 薄い唇と、切れ長の涼しげな一重の灰色の瞳。短く切られ、整えられている黒髪の短髪。鍛えられた身体に、近衛騎士団の証である濃紺色の布地に金糸で刺繍が施されている騎士服はとてもよく似合っていた。ポーラの言っていたように三十代後半か四十代程に見える彼は、貫禄があり堂々としていた。


 最初こそ初対面で緊張していたメイだが、同年代とは違い落ち着いた物腰の騎士オーリクは、ライザフとは仕事でそれなりの関係性を築いているらしく気さくさがある。安心感もあるせいか、ずいぶんと穏やかな気持ちで過ごす事ができていた。

 これが社交場だったらメイはこんなにも落ち着いてなどいられない。


「本日はケンベル殿下に代わりまして、改めましてお礼を申し上げます」

「こちらこそ感謝してもしきれませんよ! 噂も広がり、茶葉のブランド価値も大きく上がりました。とても名誉な事です」

「二週間後には公表されますので、その時に改めてティーノット卿から皆さんにお伝えください」


 ライザフはとても嬉しそうに顔を綻ばせている。詳細を知らなかったメイは二人の会話に口を挟まないまま静かに驚いていた。


 ここ、サウエンデ王国の王太子ケンベル殿下と隣国マリエーナの第二王女サフィア殿下の結婚が決まった事は記憶に新しい。


 こちらに嫁がせる事を決めてくれた隣国への感謝の印として、いくつかの贈り物を捧げた事は知っていた。

 その贈り物の一つとして選ばれたのが、ティーノット男爵家が責任者として管理、運営しているサウエンデ王国特産茶葉園で栽培している『ホーリン茶葉』だったのだ。

 美しい新緑色の優しい色合いが出るホーリン茶葉は、後味がスッキリとしていてとても飲みやすく、温かくても冷ましてもどちらの飲み方も美味しい。季節問わず愛飲でき、サウエンデ王国民にとっては贈り物に適したお茶として浸透していたものの、外国でもじわじわと話題になっていた。


 まさか国を代表する贈り物に選ばれていたなんて。

 メイもライザフ同様に、茶葉園の管理運営に携わる人々の喜ぶ顔を思い浮かべ、自然と頬を緩めていた。今自分達が飲んでいるお茶もホーリン茶葉のものだ。


 どうやらオーリクの本題がこの茶葉に関する事だったらしい。

 用事はメイにも分かったが、なぜこの場に自分が呼ばれたのかが分からなかった。アンドリュー()は外国へと留学中でしばらく家を離れているから、その代理かしら? と考えるが、可能性は低いようにも思われた。

 それに、このような報告を文官ではなくケンベル殿下の護衛が任務である近衛騎士が知らせにくる事も意外に思っていた。


「無事に隣国に茶葉も贈られ、事はつつがなく終わったという訳ですね。例のお話をどちらか本格的にお願いしても?」

「はい。殿下は、二つのご希望をどちらも叶える方向で行くと仰せです」

「……両方、ですか!?」


 無表情で落ち着いて話していたオーリクの表情は、喜ぶライザフとは裏腹に真剣な色をのぞかせた。


「ご希望の一つである茶葉園の事業拡大についての件は殿下は既に了承し、動いておられます。もう一つのご希望についてですが、()()()は私が引き受ける事になりました」

「オーリク殿が?」


 感激したような様子のライザフに、メイは目を丸くしてしまう。

 普段から明るく分かりやすい性格ではあるものの、ここまで喜びを爆発させるライザフはとても珍しかった。


「大変有難いお話です! しかしオーリク殿はよろしいのですか?」

「はい。ティーノット卿とメイ嬢がよろしければ」


 突然名を呼ばれたかと思えばオーリクの視線がこちらに向かってくる。一人だけ事態を把握していないメイは戸惑いが隠せない。

 困っていると、ライザフは強引にオーリクの両手をとっていつの間にか固く握手を交わしていた。


「ありがとうございます! どうかメイをよろしくお願い致します」

「はい。こちらこそ」


 喜びに浮かれているライザフの気迫に少々押されながらもオーリクはしっかりと頷いていた。

 ただ一人。事情がわからないまま様子を見守っていたメイだが、どうやら自分が関係しているらしい話を聞き逃す事はさすがに出来なかった。


「あの、一体何のお話をされているんですか?」


 失礼だとは思いつつ勇気を出して口を開くと、握手を解いたオーリクは怪訝そうにメイを見た。渋い強面の彼が放つ険しい表情と真っ直ぐな眼差しは迫力がある。

 上機嫌のライザフが「失礼、娘にはまだ何も言っていなかったので」とあっけらかんと言い放つと、「え?」と言葉をこぼしたがすぐに黙ったオーリクは眉を寄せた。


「メイ! 喜ばしい話だ。これから一年間、メイが参加する社交界やお茶会でのエスコート役は、大小の規模を問わずにすべてオーリク殿が引き受けてくださる事になったんだよ」

「え?」


 ぽかんとメイが目を瞬かせるが、ライザフは相変わらず上機嫌のまま説明を続けた。


「先月からアンドリューは一年間の留学に行ってしまっただろう? 当然私がエスコートすべきなのだが、今は仕事が大事になってきている関係もあってな。社交場でもメイから離れなければならない事も多くなる。かといって、私や妻の親戚筋にメイのエスコート役を頼めそうな男がいなかっただろう? メイも大事な時期だ。変な男を寄せ付けないためにも、アンドリューと私の代わりに、身元がしっかりとして信頼のおける殿方に一年間のエスコート役を頼めそうな人がいないかとケンベル殿下にご相談していたんだ。それで引き受けてくださったのがオーリク殿という有難いお話だ」

「お待ちください!」


 想像だにしなかった。事の大きすぎる話にメイはたまらず声を震わせた。


 贈り物を献上した事に対する王家からの褒美が、茶葉園の事のみだったら素直に納得出来たし嬉しく思う。

 しかし、まさか男爵令嬢にすぎない自分のエスコート役を、兄の不在期間でもある一年間も務めてくれる人を見繕ってほしいなどとケンベル殿下に頼んでいたなんて。しかも、選ばれた人は殿下の近衛騎士。自分のエスコートのために殿下の護衛という大切な居場所を離れさせるなどあってはならない。

 失礼であり不敬すぎる。

 メイは真っ青になっていた。


「私は大丈夫です。決してお父様に心配をかけるような事をしません。一年間もエスコート役をお願いするだなんて、殿下にもオーリクさんにもご迷惑なお話です」

「メイ嬢」


 ひと息に言いたい事を必死に伝えると、落ち着いた声音で静かに呼ばれる。メイは不安げに声の主であるオーリクを見た。


「殿下はティーノット卿や茶葉園を管理する者達に深く感謝すると共に、より一層の発展を強く願ってもおられます。そのためにはメイ嬢の結婚相手も、相応しい人との成立を望んでおられるのです」

「は……はい」


 まさかケンベル殿下から直々に男爵家の繁栄を願われ、しかも自分の結婚についても心配されているなんて。


「ヘウム子爵家の生まれですが私自身に爵位はなく継承権もありません。社交場では殿下の近衛騎士としての身分を明かした上でエスコートさせていただきます」

「でも、オーリクさんの奥様にご迷惑がかかってしまいます」


 驚いたように微かに細い目を見開くオーリクに、何か変な事を言ってしまったかとメイが困惑していると、「ああ、なるほど」と納得したようにオーリクが呟いた。


「私は独身です。婚約者も恋人も、想い人もおりません」

「え?」

「年齢は二十六です」

「ええっ!」


 二十六歳だなんて、そんな。全然見えない。四十と言われた方が納得できるのに。内心でそんなことを思いながらあわてて両手で口をおさえる。あまりに失礼な反応だったと冷や汗をかきそうになっていた。

 メイの反応にライザフはおかしそうにゲラゲラと笑っている。オーリクも、メイのように反応されることは慣れている様子で気にしている様子は皆無だった。


「独身で婚約者もいらっしゃらないのでしたらメイはどうです?」

「お、お父様!」


 いくら冗談とはいえ、本人同士を目の前にさらりと簡単に恐ろしい事を言うライザフがメイにとってはあまりにも怖い存在だった。

 ライザフのこの豪快さや明るさは貴族では無い人々からは好意的に受け止められていても、貴族社会では慎みの無い下品な紳士だ、と噂されている事を知っている。メイはライザフの事を尊敬し愛しているからこそ、現実を知ってとてもショックだった。


 ライザフの調子良い冗談に、狼狽えるメイとは正反対に、オーリクはまったく動じなかった。


「そのような大切なお話は冗談でするものではないかと」

「ははは! 確かにそうですなぁ」


 返事をするオーリクの声にはハッキリとした呆れが感じられる。そして相変わらずあっけらかんとライザフは笑っていた。


 綺麗に話題を終了させたオーリクに深く感謝しつつ、メイは申し訳なさが怒濤の勢いでこみ上げてくる衝動に、うつむく事しか出来なかった。


 

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