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恐るべきリケジョたちⅠ  作者: 響月 光
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世にも不愉快な物語

 河原では一〇人の男がダンボールの中で暮らしている、といっても立地条件の関係上、やむなく狭い場所に集合しちまった。全員アフター六○だがけっこう有能だった連中もいて、仕事がなくてホームレスになったわけじゃない。みんな働くのがいやになったのだ。過去にいろんなトラブルを抱え込み、会社をクビになったり辞めたりした。客や上司、同僚に思う存分痛めつけられて、脱落したというわけ。つまり極度の人間不信に陥り、人間関係がうざくなってこうなったんだから、ここでもお互い挨拶を交わす程度で、会話が弾むことはなかった。人間だもの寂しいのはいやだろうが、仲良くなればそのうち互いのエゴが出始めて、喧嘩がはじまることを知っている。生まれてから死ぬまで、他人は常に腫れ物のような存在だった。孤独を楽しむというほどじゃないが、隣に無関心なのがいちばんラクチンというわけだ。

 一〇人が一〇人、摂食や排泄以外は一日中寝ていても苦にならない。寝ているのか起きているのか分からない状態で夢を見ていて、退屈しない。過去には楽しく働いた時期もあったし家族団らんもあったりで、そいつは昔の幸せな思い出だが、粉々に割れた断片になっちまって、使いものにならない。時たま一かけらが心の奥底から浮かび上がってはすぐに沈んで消えていく程度。なんの感傷もありゃしない。


 みんな一日中横になっていたいのに、腹が減ったり、尿意や便意を催したりで、面倒くさそうにダンボール屋敷から這い出してくる。お互い顔を合わせたくない。周囲で動きがないときを見計らい、キョロキョロ首を回して亀みたいに出てくる。期待に反してばったり出くわすと、簡単な挨拶だけですませ、そそくさと用を足しに離れていく。排便の場合は、近くの公園の公衆便所に出向き、小便はそれより近い河原の叢ですませる。食い物の調達は明け方だが、集団行動を取ることはない。すべてがやっかいな仕事だ。しかしそれ以上に面倒くさいのが、オマワリやボランティアのやつらだ。生きることに執着していないのに、余計なおせっかいを焼きやがる。寝たまま楽しい夢を見ながら往生できるなんて、こんな幸せなことはないのに、横槍を入れてくるのだ。仕事や人間関係がいやでホームレスになったんだよ。人生の価値観が違うんだよ。やつらはねちねちと寄ってきて、競争社会の歯車の中に再度引きずり込もうとしている。もう働くのはウンザリなんだ。いまさら堪忍してくれよ、というわけだ。



 しかし、どこかの植物学者だという若い女はスタイルのいいとびきりの美人で、一〇人が一〇人気に入っちまって、一〇人が一〇人の夢の中にも出てくるようになった。こんなところにモデル級の美人が来ることじたい夢かうつつか幻か分かりゃしないが、そんな区分けなんざ彼らにとってはどうでもいいことだった。しかし少なくとも全員が、食事や排泄のほかにもう一つのプリミティブな欲望があったことを思い出した。彼らの生殖器はすでにミイラ化していたが、キリスト教徒でもなかったので、この先生とセックスしてる夢を見るのは自由だった。

 先生の名はミドリといって、NPOの会員でもボランティアでもない。ある交渉をしに、どぶ臭い河原にやってきたのだ。端の段ボールから一戸一戸、それぞれ一時間くらい時間をかけて納得のいくまで話をし、五日間毎日やってきて一〇人全員と契約した。

 タコのダンボールには最後にやってきて交渉を始めたが、タコは昨日隣のダンボールでの交渉に聞き耳を立てていたので、ミドリが話を切り出す前に「オッケーだぜ」と快諾してしまった。

「隣のトラさんと話していたのを聞いていらっしゃったんですね」とミドリはいって、愛想よくわらった。

「ああ、人体実験をしたいんだろ?」

「そんな……、新しい人間の創造にご協力いただきたいんです」

「しかし、ホームレスだっていろいろさ。このご時勢、働き口がなくてホームレスになるやつらも多いんだ。そんな連中は娑婆っ気があるから、きっと断るね。ところがここの連中はみんな命なんか惜しくない」

「危険なお仕事ではありませんわ」

「まあいい。ところで、あんたはどうやってここを見つけた?」

「偶然です。正直のところ、みなさんオッケーしてくださるとは思っていませんでした」

「生きる気力がないのさ。惰性で生きてる。かといって自殺は面倒。動くのもかったるい。特にオマンマが悩みの種だ。飢えて死ぬのは苦しい。しかし腹が減りゃエサを探さにゃならん。面倒くさいぜ。エサ場は三○分も歩くのさ。そんだけ苦労したって、収穫ゼロも珍しくない。腐っても人間、腐ったものは食わないぜ。でも、ひもじい思いをするのはうんざり。で、みんなあんたの話に飛びついた。その人体実験とやら――」

「そんな……、実験段階は済んでいるんです。いまは臨床段階です」

「しかし病人じゃないぜ」

「でも、無気力は精神的な病ともいえますわ。病気はどんなものでも、薬で治せる時代です」

「へーえ、怠け者も薬で治るのかい」

「怠け者じゃありませんわ。社会恐怖症、対人恐怖症です。みなさんのお話をうかがって、そう思いました」

「なるほどね、ここのやつらはみんな恐怖症か……。ダンボールの中から出たがらないしさ。みんな外が怖いんだ。ダンボールは母親の子宮ってわけだ。ここに入っていると安心なんだ」

「でも、食べ物を探しに外出しなければいけない?」

「そう、そいつがネックさ。エサ場は繁華街だ。人間がうようよいる場所は嫌いなんだ。恐怖さ。冷たい視線を浴びせやがる。昔、いろんなやつから浴びせられたな。女房や子供からもな」といって、タコは自虐的にわらった。

「でも、食べないわけにはいきませんよね」

「だからさ。だから話に乗ったんだ。あんたの話だと、食わなくてもひもじい思いはしなくて済む。排便、排尿の面倒はほとんどない。俺の悩みを一気に解決するような話じゃないか」

「うそじゃありませんわ。未来の人間は進化しなければいけないんです。で、その歴史的な第一歩がおじ様からはじまるということです」

「大げさだな。それで、いつから?」

「さっそく明日お迎えに上がりますわ。その前に、契約書にサインねがいます」

 契約書は一○ページぐらいあって、なにやらいろんな文言が書かれている。タコは一行も読まずに先生が示した最終ページにサインをし、ガラクタの山から貴重品の入った小箱を探すのに五分ぐらい待たせた。箱の中には、残額のない銀行通帳、期限切れの運転免許証や健康保険証などが入っていた。どれも過去の遺物だった。そこからわざわざ実印を探し出し、契約書に押してからへへへと照れわらいし、顔を真っ赤にした。こんな社会生活の残滓を、いまだ大事に持っていることが未練がましくに思えたし、箱の中身を先生に見られたのもひどく恥ずかしかった。





 翌日の朝は約束の時間にマイクロバスがやってきて全員が乗り込み、あとから軽トラックで二人の作業員がきてダンボールの家々を解体し、きれいさっぱり自然の河原に戻していった。バスが到着したのは山奥のプライベートな植物園だった。広大な敷地の四分の一程度を無料公開しているが、来場者なんぞほとんどいない。ずっと奥の見えない場所に、金持ちが入る保養所のようなゴージャスな研究施設があって、一〇人はそこに収容された。植物園も研究施設もミドリの所有で、どうやら彼女は大金持ちらしい。

建物は厳重に警備されていて、共同研究者の医師一人と看護師の女性が三人いるだけで、ほかの人間はだれも入ることは許されていなかった。もちろん治験者の一〇人はこの建物内に収容され、まずは浴場に通されて体を洗い、検診着のようなユニフォームを与えられて二階のホールに案内された。

一〇〇人ぐらいは食事ができそうな大部屋だ。バイキング方式だが、大きなテーブルの上にバラエティーに富んだ豊富な料理が用意されていた。加えてウィスキーから日本酒、ビール、焼酎等々、アルコール類まであったのには全員が驚かされた。ここ一、二年満足に酒を飲んだこともない連中だから、思わず顔を見合わせニヤリとした。

 久しぶりの豪華な料理と美味い酒に舌鼓を打ち、満腹感に浸っていると、ミドリが出てきて話し始めた。

「これからお話しすることはインフォームド・コンセントですが、すでにご契約いただいたわけですから、お聞き流してくださってもけっこうです」


 タコ以外はほとんどだれも聞いていなかった。難しすぎて細かいことは分からなかったのだが、大雑把なことはタコにも理解できた。要するに、これから地球はますます食糧不足になって、増え続ける人間を養うことができなくなる。で、当然のこと戦争が起きて、世界中が大変なことになるが、その最悪な未来を回避できる唯一の方法がミドリの研究する人間改造なのだという。

 ミドリはひと通り話し終えると、もう一度実験の利点をアピールした。

「人類の脳の進化は、すでに数万年前に止まっているのです。でも、肉体的な進化の余地はまだまだ残されています。私たちが研究している新しい人間は、エネルギーの基となるでんぷんを体内で自ら生み出すことが可能なんです。つまり、食べ物を摂らなくても生きていけるんですから、みなさんの最大の悩みである空腹感からも解放されます。人類から飢餓が一掃されるんです」

「そいつは夢のような話だぜ」と、毎日夢しか見ないヤスが大きな声を上げた。ひさし振りに酒を飲んだので、かなり酔っ払っている。

「しかし、こんな美味い食事をできないのもしゃくにさわるな」とトメ。

「それは大丈夫ですわ。胃袋はちゃんとありますから、美味しいものはいつでも食べられるんです。でも、食べる必要はありませんけどね」

「いいんだよ。こんな豪華な食い物にありつけるチャンスなんか、もう二度と来やしないんだからな。残飯食いの生活に戻るより、腹がへらなくなったほうがありがたいさ」

 タコはそういって、ミドリにウィンクした。ミドリは微笑みながら優しい眼差しをタコに向けて、しばらくの間逸らそうとしなかった。タコは赤い顔をますます赤くして、ミドリの愛らしい顔を一生懸命脳裏に焼き付けようとした。

〝ようし、今夜も夢の中でこいつとセックスだ〟


 ミドリの話が終わると、ミドリに負けないぐらい素敵な皮膚科のマコ先生が話を始めたが、みんな酔っ払っちまって、意識朦朧としている。ミドリは植物学者だが、マコは医療行為ができるので、実際に臨床を行うのは彼女のほうだ。マコは実験のプロセスを一通り説明したあと、「さて、明日から始まりますので、今日は豪華な個室の柔らかいベッドでゆっくりお休みください」といって、晩餐会はお開きとなった。




 明くる日の朝、全員が二日酔い状態の中で、一人ひとり処置室のような部屋に呼ばれて少しばかり尻の皮を剥ぎ取られた。ここから幹細胞を取り出して培養するという。それから一カ月ほどは、三食付きの優雅な生活が続き、昼と晩にはアルコールが飲み放題というわけで、ほかになにもすることのない連中だからすっかりアル中状態になっちまった。もっとも一〇人が一〇人、もともとアル中で、酒を買う金がなくて我慢していたんだからタダ酒が飲めるとなると際限がなくなる。昼間っぱらから赤い顔して、施設内をフラフラ徘徊する。もちろんタバコも吸い放題。路上のシケモクを吸うよりゃよっぽど健康的だ。マコにいわせると、狭い場所でストレスを溜めるよりか、好き放題にしていたほうが臨床実験には良いコンディションが得られるとのことだが、実際は皮膚移植の拒絶反応を弱めるために、免疫力を低下させるのが狙いだった。


「俺たち天国にいるんじゃない?」とゾウが絆創膏の貼られた大きな尻を搔きながら感慨深げにいった。豪華な食事と高級ウィスキーやタバコ類、それに優雅な個室に寝心地のいいベッド。おまけに二人の先生と三人の看護師はどれもとびきりの美人ときてる。こんなのは夢か天国か高級クラブかのどちらかに違いないとなれば、天国を選ぶのは当然のことだ。全員が夢でないことを確信できたのは、ひとつの欲望だけが満たされていないこと。毎晩先生たちと寝ることができるのは夢の中で、そいつだけが口惜しかったからだ。


しかし、天国があれば地獄もある。彼らは地獄の話を聞かされなかったと主張するだろうが、契約書にはちゃんと書かれていて、ちゃんと判を押している。入所から一カ月後にとうとう地獄の釜が開くことになった。本格的な臨床実験が始まったのである。

 ミドリは切り取った皮膚から幹細胞を取り出し、高度なバイオ技術を使って小麦の遺伝子を組み込んだ。これを三週間かけて、特殊な培養床で移植用の皮膚の大きさまでに培養したが、そいつは一センチ四方の基から一平米にまで大きく育っていた。

 いよいよ移植手術である。けっこうな大手術なので、一日二人が限度で、全員の手術が終わるまでは五日ほど要した。試験台は全身麻酔をかけられ、まず移植部分の皮膚が全身にわたり二〇カ所剥がされ、二○分割された移植用皮膚が次々に貼り付けられていった。一人四時間ぐらいかかって手術が終わると、すぐに無菌室に運ばれ、移植部分が定着するまで絶対安静となった。

 最終日まで残ったのはタコとモツ。仲間と呼べるほど親しくはないが、ほかの連中が二人ずつコンビで忽然と消えていくのは、二人にとっても不気味な感じだ。しかもここ数日、先生方を見かけることがなかった。タコとモツの世話をするのはモナという若い看護師一人だけで、ほかの看護師もどこかへ消えちまった。タコは不安になってモナに聞いた。

「いったいみんな、どこへ消えちゃったんだい?」

「一日二人ずつ手術をしているんです。先生たちは手術で忙しくて、ここに来る時間もないんです」

「そんなに大変な手術なのかい?」と、モツが不安そうな目つきでたずねた。

「いえ、一〇分くらいの簡単な手術です。光合成のできる皮膚を移植するお話は、もう知っていらっしゃいますよね」

「ああ、体内ででんぷんができるから、メシを食う必要がない」とタコ。

「そいつはソーラーパネルのようなものかな?」とモツ。

「いいえ、それ以上のものです。移植は簡単ですけど、皮膚は外から侵入するばい菌を遮断する関所ですからね。完全にくっ付くまでは、無菌室に隔離する必要があるんです。五日間ぐらい入っていれば、もとのようになって、みなさんここに帰ってこれますよ」

「へえ、五日間禁酒禁煙かい?」

 モツはいって、顔をしかめた。ただでさえ皺だらけの顔が、丸めた紙くずのようにクチャクチャになった。

「少しばかりのガマンです。お酒を飲むと皮膚の定着が遅くなるんです。そろそろ肝臓を休めてもいい時期ですしね」といって、モナは可愛らしくわらった。



響月きょうげつ こう


詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。




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定価(本体1100円+税)

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