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ゼロ・カルテル  作者: 池田 ヒロ
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4話:ハッピーバースデー(後編)

 ジュディから事情を聞いて、ヴァンダは納得してくれた。彼女は「そういうことだったんだ」と小さく笑う。ローベルトを含めた彼らはメガロポリスにあるレストランでディナーを楽しんでいた。


「確かにそうだよね。オフィーリアは私たちよりも、タクマに懐いているようだもんね。まるで兄妹みたいに」


「タクマもだけど、どちらかって言ったら、ミスターミカミの方にだよな。タクマは彼の息子だから、延長線上で懐いているって言った方が正しいかもな」


 ローベルトはワインを飲みながらそう言う。二人はそれもそうだ、と納得するように頷いた。


「なんだか、ミスターミカミと一緒にいると、親子って感じがあるよね。きっと、タクマも自慢の父親って思っているでしょ」


「羨ましいよね。今は学生って感じで、あか抜けないあの子もいずれは彼みたいになるんじゃないのかしら」


「そうなると、兄貴面をしている俺の立場がないな。タクマがミスターミカミみたいな優秀な捜査官になるなら」


 なんて、苦笑いをするローベルトは近くを通るウェイターにワインの追加注文をした。それを見ながらジュディが「じゃあ」と肩を竦める。


「今の内にミスターミカミの武勇伝と同等以上のことをすれば、抜かれる必要もないわね。これまで通り、兄貴面ができるわよ」


 タカシのことを優秀な捜査官ということしか知らないローベルトは「たとえば?」とフライドポテトを突く。


「ミスターミカミはどんな偉業を成し遂げたか教えてくれよ、先輩たち」


「一番有名なのは日本にある高層ビルから飛び降りても死ななかったってところね」


 とんでもない話に彼はポテトを詰まらせてしまいそうになった。慌ててワインを流し込む。ややあって、その業は無理だろと鼻白むのだった。


「それ、尾ひれがついていないか? ミスターミカミがいくらすごいからって、人間業が離れたことができるわけがない」


「そうかもしれないわね。でも、彼がゼロを追い詰めようとしたときに、ビルから飛び降りたって話だけは本人から聞いたわ」


「もしかして、ヴァンダってらかわれていた?」


「初めてのパートナーが彼だったもの。きっと、そうね。年下の私をからかって、楽しんでいたに違いない。だから、ゴーストを殴って成仏させた話も聞いたわ」


「それを信じていたと?」


「最初は半信半疑よ。彼はゴーストバスターでもなければ、エクソシストでもないし、血筋的にありえないからね。でも、迫真の顔で話すなら、当時の私は信じるしかなかったわ」


 ビーフステーキをナイフで切っていたジュディが「私もへんな話を聞いたわ」と顔を上げた。


「彼が冥界に行って、ハデスと対峙したときにケルベロスを手なずけた、ってどや顔で言っていたけど」


「ミスターミカミは人をからかうことが好きな人なのか?」


「その内、ローベルトもいたずらをされるわよ」


「ああ、されそうよね」


「ホントかよ」


 なんて、三人は談笑しながら――ジュディは真っ暗になった窓を眺めながら「今頃、あの二人はどうしているかしらね」と呟くのだった。


     ◆


 話は半信半疑で聞く方がいいだろう。タクマはそう思いながら、チキンステーキを口にする。目の前にいるモンタニェスは突然と夜の町で会い、自分をディナーに誘ってきた。それも半ば強引に。ほぼ初対面の人物に。しかも、奢ってあげるとな? これはもしかして、自分が捜査官だと正体がバレてしまっている? でなければ、ただの客一人にここまでしつこく来ることはないだろう。


 ではあるが、可能性は広がったとも言えるだろう。仮にこちらの正体に気付いていて、あえて近付いてくるというのは、自分はヘコですよと言っているようなものだから。だとしても、彼がヘコであるという証拠は掴めていない。ここでのやり取りは非常に繊細なはずだ。互いに探り合いをするかのような、緊張感。どのように答えるべきか。どんな風にして証拠を掴むべきか。音声録音はしている。


「よく、ここで食事をされているんですか?」


 ここは疑うこともなく、何も考えない人間としているべきであることは確かだ。バカなふりをするというのは実のところ難しい。わざとらしさも我が身が危険であるだろうから。そう考えるタクマは「このチキン、美味しいですね」と料理の評価に移る。いや、本当にこのチキンステーキは美味しいのであるが。


 この話題にモンタニェスは乗ってくれたようで「まあね」と白ワインを注文していた。


「この店は素材にこだわっているらしいよ」


 そして、この店はビーフステーキがおすすめだと教えてくれた。


「また来たときはビーフを頼んでみようかな」


「いやいや、そうとは言わずに遠慮なく頼みなよ。これらは僕の奢りなんだから」


 いくら奢ってもらえるからといっても、いくらふりに乗っかっているとしても限度はあるだろう。目の前にあるチキンステーキはかなり大きい。あとどの口で食べ終えるかがわからないほど。日本のレストランで提供される物よりも大きいというのは承知の上で、正直言うと、半分ほどで限界かもしれない。いや、チキンだし、ぎりぎりいけるか? ビーフもこれぐらいの大きさならば、三分の一でギブアップかもしれない。


 野菜すらも大量にあるテーブルを傍目にタクマは「そこまで食べられないから」と正直に話す。だって、食べられなかったらもったいないし。たとえ、持ち帰りができたとしても、翌日の夕食までにはようやく食べ終わりそうだ。


「そうなの? 僕はまだ物足りないと思うけど」


「ええ……」


「食べなさ過ぎだと思うけど。きみは二十三歳だろ? なのに、見た目は学生。こっそり、中学校とかに潜入したとて、バレやしないだろうね。ああ、もしかしてきみは転校生? なんて」


「そういうのって、ホントにバレたらヤバいじゃないですか。俺、逮捕なんてごめんですよ」


 モンタニェスは持ってこられた白ワインをグラスに注ぎながら「そう言えば」と目線をこちらに合わせてくる。


「きみはこっちに働きに来たって言っていたけど、日本で働きたいと思う会社はなかったのかい? 起業もする気がないから?」


「いえ、入った会社の支部がこっちにあるので」


「そうだったんだね。というか、家探しもしているなら、今はどこで寝泊まりをしているんだい?」


「オフィス近くのホテルですね。元々は、研修関係でこっちに来ていたんですけど、研修が終わってこの国にって言われて……」


「なるほど、仕事の都合だったんだね。それは大変だったね」


 本当に大変だったのは、大学をどうにかこうにか卒業して、就活でようやく内定を取れた会社が倒産したことだろう。そのあと、新たに仕事を探さなければってときに、あのクソ親父は――。


――何もかもが勝手過ぎる。


 人の意見の有無も聞かず、日本に突然戻ってきたかと思えば――いきなりオフィーリアを紹介すると【今日からこの子がお前の上司な】と言い出していた。意味がわからな過ぎて、自分の脳みその処理に限界が訪れていたことは記憶に新しい。受けようとしていた会社の面接を突然キャンセルにしてきて、この国へと引っ張るようにして連れてこられて――このありさまだ。


 そんな風にタカシに怒りを感じていると、モンタニェスは「じゃあ」と訊いてきた。


「今の仕事はどんな感じ」


「どんなって……」


 説明のしようが難しい。この仕事自体は普通のサラリーマンではない。適当に外資系ですとか嘘ついても、相手は仮にも不動産屋だ。様々な職業の人たちと携わってきているはずだから、下手な嘘はつけないだろう。


――どんか感じかって……。


 タカシ抜きに考えてみる。チームメイト。何もない、才能もほとんどない親のコネクションで捜査官に入った自分を普通に受け入れてくれていた。自分なりにできることをして、そこをきちんと評価もしてくれる人たち。そんな彼らがいるから、日本へ逃げようとすることもなく、ゼロ・カルテルを追いかけ続けている。


「やりがいはあります」


「へえ、楽しいんだ。いいねぇ」


「モンタニェスさんも、今の仕事にやりがいを感じているんじゃないですか?」


「そう思うかい?」


 事実であるかもしれない。彼が麻薬カルテルの一味だということは置いといて、モンタニェスが不動産として働いているところを見ればわかる。部屋を紹介するとき、間取りを見せているとき。どうにかして、目の前の日本人に契約を結ばせようとしている下心があるにしても、目がとてもきらきらとしていたのだ。おそらくは、この不動産業の仕事が好きなんだろうなとは思える。それに、こちらには一切死んだような目を見せていないというところもポイントが高い。なかなか、自分が逃げるに逃げられなかったのはそこもあるかもしれない。


「そう思いますよ」


「そうかい? そんなことを言われたのが初めてだよ」


「ええ。だって、モンタニェスさんの目の奥から不動産業界の愛が見えましたし。好きなんでしょう、この仕事が」


「確かにね。今の仕事は好きさ。家が見つかる喜びを提供するってね。僕は昔、ストリートチルドレンだったから。家というそのものに憧れもあったからさ」


「すごいじゃないですか。そこから、勉強とかして不動産屋になったんでしょう?」


「まあね。……というか、きみは人の心が見えたりしているのかい?」


「いやいや、まさか」


 と、ここで一つだけ引っかけをしてみようかと思った。くだらない冗談を言ってみることだ。そこで、モンタニェスがどう反応をするか。


「実は俺って、読心術を会得しているスパイなんですよね」


「えっ」


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ彼の顔が強張った気がした。瞬きをすれば、元のにこにこ顔に戻っていた。これは気のせいで片付けるべきだったのだろうか?


「何かの冗談かい? それとも、ニンジャの末裔?」


「冗談です。俺は普通の日本人ですから」


 モンタニェスの笑顔が偽物か本物なのかがわからない。だが、先ほどの表情は焦っているというわけではない。普通の驚きとして見るべきだろうか。


「そっか、それは残念だ。もし、きみがニンジャであるならば、ニンジュツでも習おうかなと思っていたんだがね」


「ははっ」


「それとも、ホントはきみが勤める会社もスパイ関係とか?」


「いや、あの……だから、俺はニンジャでもスパイでもありませんよ。普通にIT関係の仕事ですし」


「IT……ああ、もしかしてだけど、あっちの通りにある灰色のビルに入っているところ?」


 居場所を特定し出してきたモンタニェス。だが、そこは支部所であり、タクマが普段足を運ぶオフィスは少し離れたところにある雑居ビルだ。だが、ここはあえて「そうです」と言ってみよう。半分は本当だから。


 その発言に引っかかったのかは定かではない。彼は「このあと、職場には戻らないよね?」と訊いてきた。


「ビルの隣にネットワークサービス関係の会社のオフィスがあるんだけど、そこに送る分の書類を郵便に出し忘れていたことを今思い出したんだ。明日の午前中までに届けないと、僕が違法営業扱いになりかねないんだ」


「……つまり、仕事場へと行くついでにそこのオフィスへと届けて欲しいと?」


「うん。届けてくれたら、きみが住みたい家の家賃の値下げ交渉成功を約束しよう」


 これは承るべき案件か。相手は自分をどういう風にして認識しているのかが、まだわからない。探り合いをしていても、向こうもこちらの正体に気付いていてわざとそう言っているのかも見抜けない。


「日本人は働き者だものね。ディナーの後でも仕事をするんだろう? 書類は僕のオフィスにあるから、一緒に来て欲しいな」


「いや、俺はこのあとホテルに戻る予定なんで」


「ホテルって……あっちの通りにあるホテルでしょ? 今、寝泊まりしているって」


 墓穴を掘ってしまった。働いている会社のオフィスの場所とか、今は会社近くのホテルで寝泊まりしているとか、変な設定を練るんじゃなかった。


 つまりだ。オフィスに戻ると言おうが、ホテルに戻ると言おうが結果としてはモンタニェスの依頼を受けなければならないということになる。断るにしても、別にいいじゃないかという精神があるようだし。何より、自分はディナーをおごってもらっている身。ということは、彼はそれを後ろ盾にして発言しているに違いない。おまけに、本来足を運ばせているオフィスに戻るという作戦も通用しないだろう。まだ彼がヘコではないとは決まっていないにしても、自分たちの拠点までバレるのは危険だ。


 どうしたものか。下手に、断るに断れないタクマはモンタニェスの依頼を承るしかなかったのだった。


     ◆


 今日は人生で一番に最悪な日だとタカシは思っていた。腕時計を見る。最後に見た時間から数時間は立っているようだ。この時計がデジタル時計でよかったと心から思う。なんせ、アナログだと昼なのか、夜なのかがわからないのだから。ここには窓がないから時間の感覚が狂いそうになる。それでもなお、今の時間がわかっただけでも心強いものだと考え、膝を抱えているオフィーリアに声をかけた。


「そんなに落ち込むなよ」


「落ち込むなって言う方がどうかしてる」


 こちらを見てくる彼女は涙目のようだ。それもそうだろう。目の前で追いかけていたやつが現れたかと思えば、こちらが捕まえられた挙句に閉じ込められただなんて。プライドの高いオフィーリアにとっては屈辱的のはず。


「捕まえられると思ったのに」


 鼻水を啜る音が聞こえる。声に出して泣きたいようであるが、それを我慢しているようであった。そんな彼女を慰めるようにして「俺も思っていた」とフォローする。


「俺だって、あと少しで捕まえられるところを何度も見逃しちゃっているからな。だから、俺に比べりゃ、まだまだマシ。ここで挫折している場合なんてない」


 まずはこの密室から出ることが先決だ。タカシはドアを軽く蹴った。鍵がかかっている上に頑丈な扉。どうあがいても、拳銃一丁での対処は不可能。更に、電波が届かない部屋だからなのか、圏外という最悪のコンディション。大声を上げたとて、それに気付いて助けてくれる者はいるだろうか。答えはノーに近い。この建物に閉じ込められたのだ。ということは、あの閉じ込めたくそ野郎とここの連中すべてはつながりがあるはず。出してもらえないに等しいだろう。


「通気口が小さいな」


 ならばと、強引なやりかたで窓や通気口からの脱出を試みようとしても、窓はないし、なんならば、通気口はオフィーリアが入ろうにも小さ過ぎるのである。


 これは完全に詰んだな。どう考えてもその通り。そう苦虫を潰したような顔をしたときだった。


「何か月ぶりだ? タカシ・ミカミ」


 ドアの向こう側から男の声が聞こえてきた。これにオフィーリアが反応する。ここから出せと荒い口調でドアを蹴った。向こう側にいる男はこちらの様子がまるで見えているかのようにして、嘲笑した。


「いつの間に、子どもと再婚をしたんだ? 流石はヘンタイの国出身だな」


「言っておくが、俺はこれまでもこれからもエリを愛しているからな」


「大層なことで。それじゃあ、その子どもは誘拐でもしたのか」


「この子は俺の同僚だよ。元々が誘拐犯のお前に言われる筋合いはない」


 またしても向こう側から大笑いが聞こえてきた。自分のことを嗤われたような気がして、オフィーリアは「失礼ね」とドアを蹴る。ドアの向こう側にいる男は「最高のジョークだな」と扉を面白おかしくノックしていた。


「子どもを仕事仲間にするとは。それだけ、そっちは切羽詰まっているんだな? いよいよと俺らの天下が近付きそうだ」


「俺ら捜査官を舐めんな」


「舐める? 舐めて当然だ。なんせ、あのタカシ・ミカミがこの様だからな。ほら、悔しかったらここから出てみれば? ケルベロスを倒したことがあるんだろ?」


「ファンタジーじゃあるまいし。お前は何を言っている。そんなことができるなら、今頃日本では神様であふれかえっているからな」


 自分たちのやり取りが面白かったのか。はたまた、その男の笑いの沸点が低いのか。面白みもないことに笑いを飛ばしていた。あまりにもその笑い声が鬱陶しいと感じているのか、オフィーリアが「うっさい」とずっと扉を足で蹴っている。あーあ、こうして叩いたり、蹴ったりしていたら、出れるってことないかな。


――そうじゃないから、ホントむかつく!


 怒り、苛立ちの頂点に達したオフィーリアはこれまでよりもドアを強く蹴れば――開くわけもなく、相手の笑い声が聞こえるだけだった。


 さて、ここで油を売っている場合ではない。そう考えているのか、ドアの向こう側にいる男は「生きていたらいいな」という不吉な言葉を残してどこかへと去ってしまうのだった。その腹立たしい発言に彼女は「何なの、あいつは」とまだ蹴っている。


「人をバカにして。おじさんがケルベロスを倒した? ケルベロスなんているわけがない。あれは想像上の生き物。ギリシャ神話に出てくる怪物なのに」


「それは相手もわかった上で言っただけだろ。ホント、落ち着けって。俺、ここに潜入捜査としてここに行くことをチームメイトにも支部長にも伝えているからな」


 それでも、オフィーリアにとって助けというものは要らないと思っているらしい。こんなところ、一人で出てやると意気込んでいた。なぜって、先ほどタカシの腕時計を見たのだ。あと十二時間でモニカと遊ぶ約束をする時間になってしまうのだから。せっかくの友達ができたのに。こんなところで詰むなんて。


「絶対に出てやる!」


     ◆


 正直言うと、あまりいい思い出のない不動産屋。それもそうだ。今日だけで何時間も拘束されていたのだから。だとしても、今回深夜に訪れたのはモンタニェスに頼まれたから。なんでも、自分の帰り道にあるであろうとある会社のオフィスに届けて欲しい書類があるからという依頼がある。これは実に簡単なミッションではある。


 しかしながら、とタクマは薄暗い不動産屋のオフィスを見て思う。麻薬カルテルの一味が不動産業を行っているという情報は掴んでいる。ということは、そこで書類を探しているモンタニェスだって、ゼロ・カルテルの仲間である可能性は捨てきれない。なんせ、一人の客相手に食事に誘い、奢ったのだから。ここに何かしらの情報はあるだろうか。視線を動かす。至って、気になるものはない。昼間に見た景色を少しだけ不気味化させただけのようだ。


「ちょっと待っていて。ここに保存していたはずだから」


 この待ち時間でこちらも白か黒かをはっきりさせたい。オフィス内を捜索したい。だが、できるはずがない。無人ではないし、ここにモンタニェス以外の誰かが潜んでいるかもしれないから。


――流れに任せたけど、一人で来るべきじゃなかった?


――というか、今の時代にペーパーって……。


 今更な思いが次々と湧き上がってくる。今からの逃げ出すという行為は不可能。もしも、本当にモンタニェスがヘコであれば? 向こうがこちらをあやしんでしまえば、こちらは一巻の終わりだから。最初からオフィーリアがいればとも考えた。であっても、自分という人物が銀髪碧眼の美少女と一緒にこちらへと来訪することに無理がある。なんせ、以前の運び屋の件もギリギリの言い訳で通っただけに過ぎないし。そうであるならば、まだジュディやヴァンダと共に行く方が正解。であっても、彼女たちの場合は来訪した設定的に無理が生じてしまって無理があるだろうけど。


「あった、あった」


 タクマが考え事をして待っていたとき、ようやくモンタニェスは書類を見つけたようである。にこにこ笑顔で書類を封筒に入れ、こちらへと近付く。


「あったよ。ほら、これを届けて欲しいんだ」


「わかりました」


 そう書類の入った封筒を受け取った瞬間だった。彼が「でも、届けられるかな?」と意味深なことを言ったかと思えば――。


「きみはエサになってもらわなくちゃならないからね」


 突きつけられた拳銃。ほのかに火薬臭がこちらへと漂ってくる。


 ここで正体を現すとは。だとしても、どこで自分の正体がバレたのだろうか。特にこれと言って、挙動不審になったこともないし。なんならば、目の前にいるモンタニェス――いや、ヘコか。ヘコは初めて会ったのに。


「僕は知っているよ、きみがタカシ・ミカミの息子であることを。ねっ、タクマ・ミカミ君」


 ヘコの狙いはタカシのようだ。自分をエサにどうかしようと考えていた。つまり、最初からタクマが来店したときから狙われていたということ。そして、自分は父親の心を揺さぶるような道具としてでしか見ていない。


――それだけは絶対に嫌だ。


 書類を握る手の力が強まる。タカシが嫌いだからこそ、その思いがある。死にたくないとか、死にたいという次元の話ではない。ただ単に、父親の息子だからとしての扱いをされることが嫌いなのだ。そのため「俺はその人の子どもじゃない」と否定した。


「何か勘違いをしているのでは?」


「演技のつもりかい?」


「演技だって? 冗談きついですよ。俺に演技はできない。エキストラ役でも何でもない。たまたま、偶然にもテレビに映った一般人だ」


「一般人。だったら、なおさらきみを殺さなくては。それなら、一般市民を守れなかった無能どもというレッテルが張られるからね。こちらとしては好都合」


 どちらに足掻いても、ヘコはタクマの死体を利用したいらしい。であるならば、自分が助かる見込みはほぼゼロパーセント。誰かが颯爽と間に入って解決しなければ、どうしようもないぐらいのピンチなのである。ただ、そうなる奇跡すらもゼロに等しいのだが。


「さて、そろそろ名残惜しいこの世からおさらばの時間だ」


 ヘコが引き金を引こうとする前に、「ここで何をしている」と懐中電灯を手にした誰かが現れた。警備員の人か? あまりにも眩しくて。なおかつ、彼はこの現状を見られたことに対する不安に、こちらを殺害する前に懐中電灯を手にした誰かに向かって発砲した。


 その焦った様子のヘコに動くチャンスであると、タクマの体は動いた。顔はこちらを向けていない。銃口も倒れようとしている誰かだ。であるならば――。


「このっ!」


 タックルをかました。そのまま床へと二人は共倒れ。一瞬の怯みの隙をついて、ヘコの手を足で踏んだ。その拳銃を強引に奪い取り、タクマは逃走を謀った。手に取った銃はどこかへと放り投げる。とにかく、逃げる先は一番近い自分のオフィス。支部へと逃げ込むのは危険だ。


 後ろから声が聞こえる。これはヘコの声に違いない。だとしても、振り返ることはない。見ることはない。なんとしてでも、相手から一目散に逃げるということがタクマにとって唯一できることなのだから。


     ◆


 ひたすらに逃げる、逃げる。歩く気は一切ない。そこで足を止めたら、自分は死ぬと思え。そう頭に叩き込みながら、そこまで体力のない己の体に鞭を打ちながら足を動かしていた。後ろを振り返ってみる。誰も追いかけているようには見えなかった。というよりも、前を見て走らないと、何かにぶつかりそうだから。あまり後ろを見てられない。追いかけてきていないことを祈ろう。


 息切れ限界。よくもここまで走れたものだとタクマは感心していた。オフィスのドアを勢いよく開け、勢いよく閉めた。もちろん、鍵もかけて。


 ドアに背もたれる。心臓がバクバク言っている。ダメ、足が限界。座り込む。しばらくは立てなさそう。


「はあ」


 大きな息を吐くと、オフィスの電気がついた。これにタクマは慌てるようにして「マリア、電気を消して」とマリアに言う。彼女はすぐに消してくれた。


《お帰りなさい、タクマ。動悸と息切れが激しいようですが、いかがなされましたか?》


「ヤバいやつに追いかけられていたんだ」


《なるほど。であるならば、タクマはどこを通ってここまで来ましたか? 監視カメラにその人物が映っているかもや知れません》


「どうだろうね? 俺に顔を割られているんだ。逃げることを専決するかもしれない」


 タクマは少しだけ落ち着いたのか、自席へと座る。ノートパソコンを広げて、マリアに「不動産屋から逃げてきた」と伝えた。モニカが誘拐されたときの監視カメラを見た。現れる男たち。画像があまりにも荒いせいで、顔の見分けがあまりつきそうにない。遠くからかろうじてわかるのがサナタス。彼の右斜め後ろがソロか? そして、サタナスの左隣は――こいつはヘコだろうか。


 手掛かりである監視カメラがあまりにも使い物にならないのは残念過ぎる。もっと、この監視カメラは彼らに近ければ、情報は多く手に入っていたかもしれない。


「マリア、結局この男たちの足取りはよくわからないんだよな?」


《はい。彼らの足取りや居場所の特定がされているのはソロ、ブエイ、ヘコの三名です》


「ジュディたちはヘコのことを知っていたの?」


《潜入捜査も視野に入れておりましたので。演技力が皆無だと判断されたタクマには伝えなかったそうです》


「俺、そいつに正体がバレて殺されそうになったんだけど」


《それは大変です。すぐにジュディたちに連絡を取りましょう》


 マリアがジュディたちに連絡を取ろうとするが、ここでタクマが「マリア、待って」と提案を出した。


「すぐにでもいいけど、みんな一緒に来た方がいい。そう伝えてくれないか? ヘコがまだこの辺りをうろついている可能性も示唆して」


 だからこそ、電気をつけないようにお願いもした。もしかしたら、一瞬だけ電気がついたところを見られたかもしれないけど。


「周囲にヘコはいないよな?」


 マリアに周囲の監視カメラの映像提供を依頼する。彼女はすぐにノートパソコンへと送ってくれた。今のところ、ヘコはいないようである。いるならば、ホームレスのおじさんぐらいか。


「諦めてくれりゃ、いいよな」


 ようやく彼は椅子の背もたれに寄りかかるようにして、リラックスをするのだった。


     ◆


 小一時間もしない内にジュディたちはこちらへと集合してくれた。彼らはタクマに心配の言葉をかけてくれるが、「オフィーリアは?」とローベルトが電気のついていないオフィスを見渡した。


「一緒にパーティーへ行ったんじゃなかったんだっけ?」


「オフィーリアなら、親父と一緒です。二人なら、今頃楽しんでいるでしょうね」


 彼女を呼び出したら、呼び出したで不機嫌になりそうだ。せっかく楽しんでいたのに、とこちらに八つ当たりをされそう。それならば、パーティーをもうちょっと楽しませてあげたい。その思いもあってか、タクマは呼び出さなかったのだ。これにジュディたちも「そうね」と納得してくれた。


「あれだけ楽しみにしていたしね。ミスターミカミがいれば、問題はなさそうね」


 そうは言っても、本当は、オフィーリアはタクマと一緒に行きたかったのでは? なんて口に出したくても、出せずにいるちょっとしたジレンマにかられた。二人との間柄が気になるのに。


「そうですね」


「それにしても、ヘコがタクマに狙いをつけたってことは、なんでバレたのかしら? タクマって何も知らなければ、そこまで演技がダメダメじゃないのにね。私たちも……あっ」


 これ以上はまずいと口を噤むヴァンダ。なんとなく察しがついたタクマは「いいですよ」とマリア本体の方を見た。


「さっき、マリアから教えてもらいました」


「……ごめんなさいね。これ、ミスターミカミからの指示なの。タクマは知った上での演技力は皆無だから、潜入捜査をさせるなら黙っておいてって」


 どうやら、そのことを考えていたのはジュディたちではなかったらしい。この案件にタカシが絡んでいるとなると、タクマの眉間はしわが寄り始めた。


「親父が?」


「ええ。流石はミスターミカミ。きちんと、息子のこともわかっているわね」


「だな。あの人って、家でも尊敬できる父親だろ?」


 タカシを信頼し、尊敬している仲間たち。これにタクマは腹が立った。何もかもが違うのに。みんな、あいつに騙されているのに。父親らしい父親ではないのに。それはここにいる息子がよく知っているし、あんな人間の血が通っている子どもであると思うと、気分が悪い。


 彼は話を逸らすようにして「そんなことよりも」と窓の外に目を向けた。


「ヘコが周囲にいないということは、逃げている可能性がありますね。支部長たちと連絡を取って追いかけましょう」


「そうだな。海外逃亡されちゃ困るし。ミスターミカミにも応援を呼んでもらおう」


「オフィーリアにもね」


 なんて、ジュディがオフィーリアに連絡を入れようとするが、つながらない。ローベルトが「楽し過ぎて電源でも切っているのか?」と肩を竦める。


「ミスターミカミと一緒にいるんだろ? だったら、彼に訊いてみた方が早いかも」


 流石のタカシは電源を切るはずはないだろう。そう考えて、連絡をしてみるのだが――。


「なんでだ?」


 彼自身もつながらなかった。二人して、仕事のことは放り投げ状態なのか? 彼らの性格から考えて、それはありえないとは思うが――。


「あの二人、ケータイをごみ箱にでも突っ込んでいるのか?」


「それはないと思うけど」


 タクマも首を傾げていると、自分のスマートフォンに連絡が入る。支部長からだった。支部長も先ほどからタカシに状況を聞こうと連絡を取っていたらしい。だが、向こうもこちらと同様のことになっている。だから、その子どもであるタクマが何か知っているのでは? と訊いてきたのだった。


《ミカミはきみと一緒にパーティー会場へ潜入すると言っていたのだが。捜索班を増やして、会場に潜入したがどこにいる?》


「俺、自分のところのオフィスにいますよ? えっ? 俺と潜入捜査?」


 話の食い違い。いや、支部長の話は何もおかしくない。なぜって、本来パーティーに参加するつもりだった自分は中へと入らずに退散をしているから。自分の代わりにオフィーリアがいるとだけは伝えた。


《オフィーリアも見当たらないらしい》


「オフィーリアって、その潜入捜査のこと知っているんですか?」


 オフィーリアまで見当たらないなんて。嫌な予感がする。タクマはスピーカーへと切り替えた。支部長の声がオフィス内に響いている。


《私は知らないな。ただ、駐車場にミカミの自家用車が残っている。だから、敷地内にまだいるはずなんだが……》


「それって……」


《他のメンバーの状況は?》


 その質問にタクマではなく、ヴァンダが「オフィーリアを除いて、全員がオフィスにいます」と答えた。これに支部長は納得してくれたようである。


《ならば、今すぐに支部にいるチームと合流し、パーティー会場へと向かえ》


「了解です」


 タクマたちはスマートフォンに向かって敬礼をすると、オフィスをマリアに任せて支部の方へと急行するのだった。


     ◆


 支部へと着くと、支部長たちが出迎えてくれた。タカシとは見た感じ正反対の女性。しっかりとオフィススーツを着こなすカッコいい女性である。


「よく来てくれた。ミカミとは連絡が取れたか?」


 支部長は早々にタクマにそう訊いた。だが、彼は首を横に振る。


「いいえ。取れないというよりも、連絡先を交換していなかったので」


「別にプライベート用の物でも構わないのだが」


「知りません」


 そう発言すると、一同がどよめいた。この反応にタクマはあまりいい顔をしなかった。支部長は戸惑いながらも「それは本当か?」と眉間にしわを寄せている。


「自分の父親だろう? 一緒に仕事をする仲なのに」


「はい、知りません」


 何度聞いたところで、知るわけもない。連絡先を交換していないということは事実なのであるから。


 そう言うタクマにローベルトが「おい」と怪訝そうに肩に手を置いてきた。


「ミスターミカミは支部で頼れる存在なんだぞ? 俺はてっきり、二人が仕事でもプライベートでも色々と連絡を取っていると思っていたのに」


「仕事しか見たことないだけなのに、勝手に決めつけないでくれますか? 現実におけるあの人は父親らしさなんて一欠片もないですよ」


「…………」


「それに、他の人でも連絡が取れないんですよ。俺だけ取れるとかありえないですから」


 タクマの視線が痛いと思った。ローベルトはこれ以上、何も言えない。いや、何も彼だけではない。支部内にいる誰もが彼らの家族の間に入ることは難しいと判断した。連絡が取れないというのは事実であるからこそ、直接会場へと赴いて捜し出すしかない。この選択しか残されていない。


 だとしても、あのパーティー会場には正々堂々と侵入はできそうにない。中に入ることができるのはタカシを含めた四人だけ。この四人が招待状を持っているのだ。そして、タカシを除いた三人はすでに会場へと潜入している。であるならば、タクマたちができることは裏口から侵入し、誰にも見つからないようにして助け出さねばならないのだった。


     ◆


 タクマはローベルトと清掃業者に紛争して裏口から侵入することにした。人気はほとんどなく、しんと静まり返っているからこそ、気味が悪いと感じていた。ローベルトが押しているポリバケツの中には潜入組のシャドウ班であるジュディが紛れ込んでいた。その傍らで掃除道具を担いで歩くタクマを見る。彼は先ほどの言葉が気になっていた。


「なあ、た……ハオレン」


 ハオレンというのはタクマの偽名だ。今は日本人としてではなく、中国人として清掃業にやとわれた外国人として扮装していた。彼は「何?」とローベルト改め、ウィリアムに反応を見せた。


「ウィリアム、行き先はこっちでよかったっけ?」


「そうだけど……さっきの父親らしくないってどういうことなんだ?」


 周りは空気を呼んでいたが、ローベルトはどうしてもタクマとタカシの間がとても気になっていた。その質問に答える気がないというわけではないため、彼は「そのままの意味」と鼻で笑う。


「そりゃ、親父はみんなの頼れる仕事仲間なのかもしれない。でも、家じゃ……父親というより、遠い親戚のおじさんだよ」


「家族とかの思い出とかさ……」


 これまで、中国人のふりをしていたタクマだったが、「ないですよ」と素が出てしまう。


「すべて、あの人がぶち壊しました」


「それは仕事が忙しかったからじゃ……」


「わかっていますよ、それぐらい。でも、俺としては約束を破った親父が許せなかったんです。それでも……せめてでも、連絡ぐらいは欲しかった。子どもみたいな言い訳ですけど、当時の俺は子どもでしたからね」


 ポリバケツからガタン、と音が鳴ってタクマは我に返った。そして、ローベルトに向かってにニッコリ笑顔を向ける。


「正直言って、オフィーリアだけ助かればいいよ」


 ローベルトは何も言えなかった。一緒になって、ジュディが入ったポリバケツを台車に運んでいく。説得しようと思った。だけれども、彼女が出した物音はこれ以上のおしゃべりは止めろということだろう。本当は考え直してほしくて、説得しようとも考えた。だが、あの笑顔は頭に引っかかる。だからこそ、何もできなかった。一言も話せない。


 そうしていると、ジュディの忠告は的中。前方から一人の男が来ていたから。ここの関係者か? パーティー参加者にしては、あまり正装をしていないが? なんともラフな格好なことよ。


 とりあえずは、このままやり過ごす。タクマは緊張しているせいか、こちらへと少し寄ってきた。そこで気付いたこと。


 あいつだ。


 ローベルトは、多少ぐらいなら日本語はわかる。タクマの唇の動き。あいつとは――。前方の男を見ると、確かにあいつだった。そいつはサタナス。首には『0』のタトゥーがある男。


――なんであいつが?


 タクマは相当緊張しているらしい。バレては敵わないだろう。そのため、ローベルトは平然を装い、仲間内に連絡を取り始めた。そうしていると「裏口から入ってくるとは」そう、サタナスがにやにやと嗤っていた。


「そっちの日本人の父親はきちんと正面玄関から入っていたのにな」


 普通にバレてしまっていた。しかも、タカシのことを言っていたからこそ、こいつは彼のことを何か知っているのだろう。


「あのおチビちゃんと正面玄関前にいたのにな」


 タクマの目が見開いている? なぜにそのことを知っている? そう言いたげなのは、彼が図星を突かれたということ。だが、まだ終わっていないと言わんばかりにポリバケツの中からジュディが飛び出してきて――一発サタナスへと発砲する。これは交戦開始の合図だ。物陰に隠れていたシャドウ班が次々に出てくる。こっそりと近付いて、サタナスを捕らえようとするが――。


 ここが敵の陣地であることを忘れることなかれ。待ち伏せでもしていたか。麻薬カルテルの戦闘員の連中に邪魔をされてしまう。


 もはや、真っ向勝負。シャドウ班及び、ローベルトが車での待機班以外に応援要請をした。この隙に、ヴァンダはオフィーリアたちの安全のために一人別の場所へと向かうのだった。


 シャドウ班が戦闘員と交戦をしている。であるならば、こちらはサタナスを捕まえるとしよう。タクマとローベルトは掃除用具を手にして、立ち向かうのだが――。


 タクマはサタナスに足蹴りをされて、壁へと激突。背中を強打したおかげで、一人悶絶する。これは非常にまずいと考えたローベルトは掃除用具を投げつけて、サタナスの追撃の邪魔をする。一発の弾が彼に掠める。どうにかこうにか動ける程度のタクマはジュディが使用していたポリバケツの陰に隠れた。そこから、銃を発砲する。だが、滅多なことでは使用しないからなのか、安易に当たりそうにない。


 痛々しい音とともに、ローベルトの小さな悲鳴が聞こえた。ここからでも見える、彼の苦痛に満ちた表情。助けなければとタクマが動く前に、ポリバケツを蹴飛ばされた。一緒になって、床に転がる。


 急いで見上げれば、そこにはサタナスがいた。銃を手にして、それを鈍器として扱う。


「ヒーロー、イナイ」


 片言の日本語。その言葉がタクマの心に突き刺さった気がした。そう、そういうことだ。ヒーローなんていない。


「ダカラ、死ヌ」


 銃口はタクマの頭目掛けて。これは確実に死んだと思えた。


「マタ、愛スル人失クスナンテ。タカシ・ミカミハ可哀想」


 なんだか、ムカつく言い方だった。動けなかったからだが動きそう。ゆっくりと引き金を引こうとする前に、タクマは自身の拳銃を持ち上げた。その反応に、サタナスは急いで引き金を引いた。もちろん、タクマも引いた。


 弾と弾がぶつかり合うとき、どこかサタナスは嬉しそうな顔をした。それは期待のある表情。


 二人の間に小さな爆発が起こると、タクマはポリバケツをサタナスに投げつけた。これが目くらましだと思ったら、大間違いだと言わんばかりに、それを払いのけるのはいいが――。


「二度と、そうなるものかっ!」


 前方には銀髪碧眼の美少女。後ろには目の前の青年に似た男が。その男――タカシはサタナスを捕らえようと、首に手を回すが、彼は足掻く。背負い投げのようにして、勢いつけてタカシをその美少女――オフィーリアに投げつけたのだ。


 体勢を整えようとするサタナスに向かって、タクマは一発発砲する。その弾は彼の左肩に命中した。苦痛の表情を浮かべるサタナスに――煙幕が。


 ここは狭い廊下。煙幕の煙で視界が悪くなるのも当然である。誰もが身構える中、タクマの目に二人の人物が映った。ヘコがサタナスを連れてどこかへと行こうとする姿も。「待てっ!」と声を張り上げても、誰もが視界を奪われているせいか、サタナスたちの居場所が特定できない。


 ややあって、オフィーリアがタカシをのけて起き上がり、煙幕の風の流れを発見した。そちらの方へと向かって行くと、煙は晴れ――裏口へと出た。そこでは、車に乗り込むサタナスたちの姿が。追いかけるが、流石の彼女であってもその足では車に追いつけなかった。


 後方から、タカシの「大丈夫か!?」という声にオフィーリアは振り返った。そこには路上に倒れ込んでいる捜査官が。彼らは一体? 疑問に思っていると、ヴァンダが「逃げられたわね」と彼らの介抱に努めた。


 オフィーリアは逃走した車の方向を見た。すでに、その車の姿は消えていたのだった。


     ◆


「また逃げられた」


 せっかく、ヴァンダに助けてもらったのに。オフィーリアは悔しそうにする中、タクマは自分が使った拳銃を手に持っていた。ほぼ使うことのなかった得物を今回、初めて使ったのだ。妙な感触。腕全体がまだびりびりとする。


 ぼんやりと拳銃を眺めるタクマにタカシが近付いてきた。これにジュディに支えてもらっていたローベルトは何か言おうとするが、彼女に止められた。それは彼らの問題。自分たちが入るべき案件ではない。黙って、見守るしかない。


 近付いてきたタカシに気付いたタクマはそちらを見た。彼はタクマに小ぶりの箱を差し出す。その箱は角の部分がつぶれていた。


「遅れたけど、誕生日おめでとう」


 箱の中を見てみると、そこには腕時計があった。箱はぐしゃぐしゃになってはいたが、中身は無事のようである。


「ホントは、このパーティー会場で渡したかったんだ」


「…………」


 渡された腕時計とタカシを見る。彼は反省をしている表情で「ホント、ごめん」と頭を下げてきた。


「せっかく、アカネさんと飾りつけしてくれたのにな。連絡もなくて、ホントにすまなかった」


 なんとも言えないタクマは頷くだけ。タカシは「えっと」と何をどう言ったらいいのか、わからないのか頭を掻いた。


「これで、お前の気が晴れるとは思えないけど……その、えっと……いつかでもいいから、タクマがよければ、一緒にお酒でも飲めたらなって思う」


 言いたいことはそれだけ。と、しばしの沈黙後、タカシが後処理に行こうとするところをタクマは呼び止めた。そちらの方を振り返ると、彼は「誕生日、おめでとう」とタクマのプライベート用の連絡先をメモした紙を渡してきた。


「あのとき、親父にあげるつもりでいた、プレゼント……捨てて、ごめん」


 タクマは知っていた。ごみ箱に捨ててなお、アカネにも聞かれたこと。きっと、彼女がそれを拾い上げてタカシに渡していたのだろう。何となく、わかった気がした。


 タカシの左腕に装着している腕時計には見覚えがあるから。


     ◆


 くそっ、と悪態をつくのはサタナスである。そんな彼の怪我を手当てするのはヘコ。彼は運転する男に「トーポ」と呼んだ。


「戦闘員はどれぐらい残っている?」


「まずまずだな。もう、この国じゃ危険だろ。海外逃亡しないとな」


 それが賢明な判断だろう。そう言うトーポと呼ばれた男。しかしながら、サタナスは「まだだ」と諦めが悪い様子。


「あいつはどこまでも追いかけてきやがる。だからこそ、この国で殺さないと、どうすることもできない」


 だが、その作戦とやらはどうするつもりなのか。少しばかりの沈黙後、ヘコが「海外へ逃げる準備は僕がする」と言った。


「要はやつが追いかけてこなければ、いいだけの話だろう?」


「そうだ」


「だったら、人質を取ればいい。そこからなら、どうにか巻き返せるさ」


 サタナスの鋭い双眸はヘコに向けられ、彼は「期待している」と目を閉じるのであった。

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