2話:カカオ農場
「またね、バイバイ」
可愛らしく手を振るのはモニカである。そんな彼女を後目にタクマは「またね」と小さく手を振った。
麻薬の密造・取引などをしている組織――ゼロ・カルテルのボスの手掛かりを見つけて一週間がたった。今の目的はそのボスであるデーモンの金魚のフン的ポジションである『ソロ』を捕まえて、情報を吐かせることである。ソロがいる場所はこの国の南西部にあるカカオ農場にいるということだけ。おそらくは、そこの農村地帯のどこかで人目知れず大麻を栽培していることだろう。これはただ単なる憶測に過ぎないが、可能性としては大きいとも言えた。
現在、タクマを始めとするオフィーリアとマリア――麻薬カルテルを操作しているチームは詳細ある情報の収集に努めていた。そんな中で彼はカルテル絡みの事件被害者であるモニカに話を聞こうと病院へと足を運ばせたのだが、記憶喪失状態の彼女は何も思い出せないらしい。今日は母親にサッカーボールを買ってもらったことを自慢げに話していた。
病院を後にしたタクマは「このままオフィスに戻ってみる」というシミュレーションをし始めた。
『何か情報得た?』
『ううん、なかった。サッカーボールを買ってもらって、嬉しそうにしていたよ』
『どうでもいい。ボールは関係ないでしょ』
「……だろうな」
デーモンとの距離は近付いてきている。あれだけ一か月以内にやつらが率いるカルテルを潰すと宣言しているのだ。そりゃ、事件と全く関係のない話をしても無駄だよな。ていうか、八つ当たりをしてきそう。
それならば、ご機嫌直しに何かしらのお土産が必要となってくるか。お菓子がいいのか? だったら、Qのチョコレートを買ってこいと言いそう。それ以外のものでとなると、やっぱり普通に考えてお菓子だよな。
悩みに悩んでいると、後方からクラクションが鳴った。いけない、考え事をしていて車の通行の邪魔になっていたか。そうタクマが頭を下げながら、道路の端っこへと避けようとするのだが――。
「よう、タクマ」
「親父?」
日本に帰ったはずの父親であるタカシがそこにいた。
「日本に帰ったんじゃないの?」
「いいや? しばらくはこっち勤務だけど……って、言っていなかったっけ? 一応、お前らと同じ捜査しているし」
「初耳だ」
冷静になって考えてみればそうだ。日本支部に勤務するタカシがわざわざ自分たちの様子を窺いに来るためだけに異国へと渡らないだろう。だとするならば、近場の支部へ転勤になったという話が一番納得いく。
「まあ、そんなことよりも。お前ら、ある程度落ち着いたらチョコレート食べ放題に行くんだろ? これ、こっちで調べ上げたそれらの資料な」
そう言ってくるタカシはUSBを一つタクマに渡してきた。それを受け取った彼は片眉を上げて怪訝そうにする。
「なんか、違う解釈をしていない?」
「結果は大体一緒だろ」
それは絶対に違う。タクマは心の中でツッコミを入れる。
「それ、一応お前らが欲しいと言っていたものが入っているから」
「ああ、そう」
この情報ならば、オフィーリアの手土産でも問題ないだろう。これならば、怒られる心配性もなし。なんて一人納得していると「あと、これ」そう、箱を渡してきた。ほんのりと香る甘いにおいと箱の冷たさ。ということは――。
「オフィーリアへお土産。子どもはみんな甘いものが大好きだろ?」
「そうだけど。まあ、これでオフィーリアのご機嫌は保たれたな。ここ最近、調べものばっかりしていて苛立っていたみたいなんだよ」
「じゃあ、言っとけ。イライラはカルシウム不足だと。ミルクを飲めって」
「毎日飲んでいるみたいだけどね」
あれでも、年相応の身長であることには間違いないと思う。多分の話だが。そう考えながら、タクマがその場を後にしようとするところを――。
「そういうお前はあの子に手を出そうとするなよ。逮捕されるからな」
タカシがどんな顔をしているのかがわかる。殴ろうかなとも思ったが、ここは落ち着いて「安心して」と横目で見た。
「どの宗教の神様全員に誓ったから」
というよりも、手を出せば自分の命が危ないだろう。というか、それ以前にタクマは少女が趣味ではない。だからといって、そこら辺を歩く素敵でセクシーな女性がいいわけでもない。どうせ、モテないという卑屈が彼にあるのだった。
それじゃあ、戻るから。タクマはそう言うと、オフィスへと戻っていった。
◆
オフィスへと戻ってみると、マリアから《お帰りなさい》と出迎えてくれた。ただし、室内にいるとある人物は目の前にあるものにかなり集中しているようだった。
「ただいま、マリア。この情報データの整理をお願い」
《わかりました》
マリアの本体にタカシからもらったUSBを挿入し、ディスプレイと紙の資料でにらめっこをするオフィーリアに声をかけた。
「ケーキもらったんだけど、要る?」
「砂糖二杯」
要約すると、ケーキを食べるからお茶も出せと言うことだろう。ピリピリしている彼女に頭が上がらないタクマは「はいはい」と返事をすると、紅茶を淹れ始めた。そうして、お湯を沸かしていると、オフィーリアが「進展は?」と訊いてくるものだから「相変わらず」と答えた。
「モニカ、サッカーが本当に好きみたい。サッカーボールを買ってもらって、楽しそうにしていたよ」
「あんな、ボールを蹴るだけのアソビのどこがいいのか」
「卑屈になるなよ。親父が資料をくれたから、今はマリアに整理してもらってる」
「おじさんの方がよっぽど有益な情報をくれる人よね」
「しばらくはこっちにいるってさ」
「知ってる」
まさか、滞在に関してオフィーリアは知っていたようだった。さてはあの男、彼女だけに伝えるだけ伝えて自分には一切連絡を寄こさなかったな? まあ、どうせいつものことだから何も思わないけど。
ケーキの用意ができて、タクマが配膳をしていると、オフィーリアが「ねえ」と訊ねてくる。
「あなたのおじさんって、どんな人なの?」
「どんなって、いつもいい加減。基本的に音信不通の親戚のおじさんっていうイメージ」
昔からそうだった。小さい頃、約束をしたのに――連絡が一切なく、仕事に行ってしまうとか。どうでもいい日に限って、いないと思えば、普通に家にいたとか。とにかく、タクマにとって重要な日にドタキャンされることが多かった。だからこそ、家族というものがどういう風にしてあるべきかを知らなかったりする。
そう答えたタクマにオフィーリアは「ふうん」と反応をする。自分から訊いておいて、なんとも軽い返しである。逆に軽々しいと思ったから、彼は「オフィーリアのお父さんは?」と軽い気持ちで訊いてみた。
「どんな人? オフィーリアみたいにエリートお父さん?」
「さあね」
曖昧な答えだった。というよりも、語る気はない様子。そう言いたげ。なんだか、これ以上の詮索はしてくるなという雰囲気に圧倒され、タクマは黙るしかなかった。無言でケーキをいただく。甘いはずなのに。味がわからない。妙な感じだ。彼は一口を噛み締めながらノートパソコンを開くと、外出報告書を打ち込み始めるのだった。
「…………」
タイピングに集中し始めたタクマはオフィーリアの視線に気付くことはなかった。
◆
某国の南西部にあるカカオの農場付近にある町中。田舎だとばかり思っていたが、町中を歩けばどこか洒落た感じがする。その感じは元々が日本育ちだから逆に新鮮に感じるのだろうかとタクマは思っていた。
こちらへと着いたのは昼過ぎ。オフィーリアの腹の虫は限界らしい。彼女は「お腹空いた」と偶然目にしたレストランを指差した。
「わたし、知っているからね。日本じゃ『腹が減っては戦ができぬ』っていうことわざがあることを」
「わかっているよ。どうせ、俺たち人間は何か食べないと行動できない生き物なんだって」
別に今になって食事することは悪い話ではなかった。タクマ自身もお腹は空いていたのだから。だとしても、せっかく普段とは違う場所へと来たのだから、美味しいものでも食べたい。そう思って、彼は「マリア、この町で評判のいいレストランを教えて」とスマートフォンに話しかけてみた。これの中にマリアのプログラムが内蔵されていたようで《承知しました》と返事が来る。
《この町でもっとも評判の良いレストランはこちらです》
画面に表示された地図とレストラン情報。現在地から少し歩かなくてはならないが、歩けないほどお腹が空いているわけではないので、問題ないだろう。
「オフィーリア、マリアが教えてくれたところでいいよね」
「いいけど、わたしはお腹が空いて動けない」
「俺たち、車移動じゃないけど?」
というのも、この町までは送ってもらったのである。タクマ自身、運転免許は持っているのだが、残念なことに日本だけしか使えない。この国では使えなかった。そのため、近くにあるレンタカー屋があっても、利用できない哀しさがここにある。
「どうにかする方法ぐらい、頭で考えられるでしょ?」
彼女の言い分はおんぶしろと? 冗談じゃない。これまで、オフィーリアの要望には応えてきたが、流石にそこまではしたくなかった。
「自分で歩けよ」
「やだやだ。お腹が空き過ぎて、もう無理」
「じゃあ、もう妥協してここにするか」
ここまで歩けないと断言しているのだ。評判の良いレストランは諦めて、目の前にあるレストランに入ろうか。なんてタクマが言うのだが、オフィーリアが服の裾を引っ張ってきて行動不能にしてくる。
「やだ」
最初にそこのレストランに入ろうと言ったのは彼女である。それは間違いない。それなのに、オフィーリアときたら、マリアが教えてくれた評判の良いレストランへ行きたいと言い出したのだ。
「歩けないんだろ? じゃあ、ここでいいじゃん」
「ダメ。わたしはグルメなの。美味しいものを食べなければならない年頃なの。いいから、連れていって」
「なんで妥協という言葉を知らないんだ」
このままでは埒が明かない。それどころか、服を強く引っ張ってくるものだから、妙に首が絞まってきている。これじゃあ、俺が死ぬから「手を離してくれ」とお願いするが――「自分だけ美味しいものを食べに行こうとするんでしょ」
なんて人聞きの悪い疑いをかけるのか。全く、オフィーリアには困ったものだ。これは自分の方が妥協する道しかないのか。ため息をつくしかないタクマは「わかったよ」とついに諦めた。
「乗れよ」
すぐさまジャンピングおんぶへと移行するオフィーリアは先ほどまでの不満顔から一変して「早く行くよ」と期待するような顔を見せるのであった。
「うーん、あなたの背中より、あなたのおじさんの方がしっかりしているね」
「親父の背中にも乗ったか」
「そう。あーあ、あなたはおじさん似ではないのね」
「何の皮肉だよ。というか、別に似なくてもいいし」
「さて、何を食べようかな。わたしはお肉がいいな」
どうも彼女の発言を聞く限り、この昼食はタクマの奢りになるらしい。まあ、どう考えてもオフィーリアに奢ってもらうというのは成人男性としてどうかという話になってくるのだが。
「はいはい」
最初は軽いと思っていたオフィーリアであるが、足を進めるにつれ、時間が経つにつれてだんだんと自分の筋力がなくなっていくな。重いな。そう感じるタクマであった。
◆
体力切れと考えるが正しいかもしれない。評判の良いレストランに着いたタクマは疲れ切った顔をしていた。一方でオフィーリアは入店したおかげもあって、ようやく離れてくれた。さっさと空いている席に座り、メニュー表を広げていた。
「お肉、お肉」
「食べる前に、俺を労ってくれ」
「ねえ、わたしはこれを食べたい。あなたは何を食べる? これでいい?」
こちらの話を無視するどころか、勝手に注文をしようとするとは。全く、こいつの親はどういう躾をしたんだか。タクマがメニュー表を眺めていると――。
「あっ、お兄ちゃんだ」
どこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。その声がする方へと顔を向けてみれば、そこにはモニカがいた。いや、彼女だけではない。彼女の両親もいるのである。
「あれ? こんなところで会うなんて奇遇だね」
「うん、びっくり。あのね、わたし。今日、おばあちゃんちに行く予定なんだ」
どうやら、この周辺にモニカの祖母が住んでいるらしい。タクマは「そうなんだね」と反応を見せると、彼女の両親へと頭を下げた。彼らの様子を見ていると、以前に比べて親子関係は悪くなさそうである。今日、初めて会うモニカの父親も「娘がいつもお世話になっています」と言ってきた。
「あなたがモニカが言う『お兄ちゃん』ですか」
「いやあ、俺はただの捜査官ですよ」
「ならば、その子は……?」
それもそうだろう。捜査官が一人の少女を連れてここにいるのだから。しかも、自分たちは顔立ちが全く似ていないから兄妹という説も消える。それならば、そこにいる女の子は誰だという話になるだろう。誰もオフィーリアが捜査官だなんて思いもしないだろうから。実際にそう説明すると、二人は驚いていた。ちなみにであるが、オフィーリアはモニカたちの方を一度も見ようとしないから――。
「あいさつぐらいしなよ」
流石にその不愛想な顔は止めろと言っても、融通が利かないのが彼女の特権と言っても過言ではない。モニカはどこか興味津々の様子でオフィーリアを見ているのに。タクマは彼女に耳打ちをした。
「友達ができるチャンスだぞ」
それはタヴーだったらしい。足を踏まれ、脛を蹴られた。とても痛い。思わず涙目。
「何するんだ」
「余計な一言を口にする余裕があるならば、仕事に専念しなさい」
「ある意味でしているけど?」
今、会話をしているのは事件被害者の家族である。だから、ある意味では仕事をしていることになる。だとしても、これ以上オフィーリアがモニカの家族と関わる気はないらしい。そのため、タクマは「すみません」と申し訳なさそうにする。
「ちょっと、気難しいやつでして」
だがしかし、ここで交流を諦めようとしないのがモニカだった。オフィーリアがどうしても気になるらしい。彼女は「わたし、モニカ」とにっこにこな笑顔で手を差し出した。
「あなたの名前は?」
「…………」
「わたしね、サッカー好きなの。あなたも好き?」
「…………」
「このお店のね、チョコレートケーキ美味しかったよ」
オフィーリアがこちらを見てきた。どうやら、チョコレートケーキをご所望の様子。タクマはそれを追加注文しながら「二人に共通点があったね」と言った。
「モニカはチョコレート好き?」
「うん、大好き」
「実はオフィーリアも好きなんだよ。なっ、前にQのチョコレートを独り占めしていたし」
返事は足。地味に痛い場所を蹴ってくるから、超痛い。
「あなた、オフィーリアって言うんだね。よろしくね」
モニカは握手をしようと、ずっと手を差し伸べているが――オフィーリアは無反応。これにタクマは「握手ぐらいしてやれよ」と指示を出した。
「じゃないと、チョコレートケーキは俺が食うからな」
「ダメ」
ようやくか。オフィーリアは渋々とモニカの手を握った。それが嬉しかったのか、モニカは「よろしくね」と素敵な笑顔を見せてくれる。その表情を見たオフィーリアは少しだけ顔付きが変わった。
「ねえ、今度わたしの家で遊ぼ。チョコレートケーキ、私も好きだから一緒に食べようよ」
「……うん」
どうやら、初めてオフィーリアに初めて友だちができたようである。これまでに見たことのない柔らかい表情を見せ始めたのだから。
「ありがとうな、モニカ。よかったな、オフィーリア」
オフィーリアは嬉しかったのか、頷くのだった。
◆
またね、と手を振るモニカ。それを見て、タクマは小さく手を振り返した。そんな彼の見様見真似でオフィーリアも手を振る。あれから、彼女たちは少しずつではあるが、打ち解けていた。きちんと、モニカの家へと遊びに行く約束もした。それが楽しみなのか「ねえ」と
上機嫌のオフィーリアはこちらを見てくる。
「モニカの家に行くとき、何のお土産がいいかな?」
「普通にお菓子とかでもいい気がするけど」
「Qのチョコレートとか?」
「あれは……ちょっとやり過ぎかな。もう少し、近場のものにしようよ」
「難しい」
そう首を捻るオフィーリアはマリアに「友達に最高のおもてなしができるお店を教えて」なんて訊ねてはいるが、彼女は検索違いをしているようで、高級レストランを表示していた。
「ここにモニカを誘えばいいのね。マリア、予約して」
《かしこまりました》
「待って、予約キャンセルして。流石にオフィーリアもモニカも年齢的に早過ぎるから」
慌てて高級レストランの予約をキャンセルさせられ、オフィーリアはふくれっ面を見せる。
「何よ。じゃあ、どうすればいいかわからないじゃん」
「普通に子どもらしい遊びをすればいいだけじゃないか」
そんなことを言っても、と彼女が再び首を捻ったときだった。ここで二人に一件の連絡が入る。どうも二日後にソロが出現するであろうアジトに集まりがあるとのこと。それを知った彼女は「冗談じゃない」となぜだかこちらを睨みつけてきた。
「二日後って、モニカと遊ぶ約束したのにっ!」
「落ち着けよ。モニカに連絡を取ればいいだろ? また別の日に遊ぼうって」
あれだけいい子なのだ。きっと、モニカはわかってくれるはずだ。そうオフィーリアに言い聞かせるのだが「やだやだ」発言がここでも登場。そして、こんなことを言い出した。
「わたし、その日は遊びに行くもん!」
「行くって、こっちはどうするんだよ」
「だから、今から行動するに決まっているでしょ!」
仕事より、遊び優先。その思考がオフィーリアにあったようだ。ただ、彼女の場合は何が何でも間に合わせようと詰め込みするタイプらしい。更に、彼女の作戦はソロを必ず捕まえるという無茶な計画を立て出す。だが、残った残党狩りは張り込み班にお任せとのこと。なんとも雑過ぎる指示であるが、自分たちのチームの中ではオフィーリアがリーダーとなっている。決定権は彼女にあるのだ。
一応は報告するしかないこの作戦。これに張り込み班――すなわち、同じチームメイトからは「タクマも大変だな」という労いの言葉をいただいた。彼らがこちらの事情を理解してくれるだけですごく助かったのはここだけの話である。
◆
カカオ農場の裏手にポツンと存在する小屋の明かり。その小屋にソロがいるという情報がある。だが、それはあくまでも目撃証言。今夜にやつが小屋にいるとは限らないのである。一番確実であるのは二日後。それなのに、オフィーリアったら、遊びを優先にしちゃって。今日までに捕まえると息巻いているんだから。
「なあ、オフィーリア。あいつがいなかったらどうするんだ?」
「明かりはついているから、誰かはいる。だから、何が何でも、どんな手を使ってでも、そいつに吐かせる。知っていること全部」
これがまだ十歳前後の子どもだとは信じがたい発言。恐ろしいやつだとしか言いようがない。そこまでして、モニカと遊びたいのか。
「潜入作戦は?」
「突撃あるのみ」
「それ、オフィーリアだけで事足りない?」
「場合によっては、あなたも必要」
ここでクチャべっている暇がもったいない。そう言う彼女は「突撃!」とガバガバ作戦で小屋の中へと突入するのだった。扉を勢いよく開けて「観念しなさい」と声を張り上げる。
「あなたたちが麻薬の密売・密造をしているのはお見通しなんだから!」
小屋の中にいたのは四人ほどの男たち。彼らはこれまでの麻薬カルテルの者たちとは違って、細身の体系をしていた。というよりも、非戦闘員のような気がする。彼らはトランプで遊びに興じていたからこそ、勢いよく開かれた扉から姿を現した少女に誰もが唖然。
「えっと?」
挙句の果てに、困り顔をする男たち。顔を見合わせて「誰だ?」と口々にする。そんなことはお構いなしにオフィーリアは「床に伏せなさい」と指示を出した。男四人は言われるがまま、言葉通りに従う。
「何なんだ?」
床に伏せた男の一人が怪訝そうにこちらへと視線を向けてくる。その言葉に対して彼女は「しらばっくれるんじゃない」と腕を組んだ。
「ここで麻薬の密造と密売をしているんでしょ? しかも、リーダーらしきやつもこの周辺にいる。でしょ?」
しかしながら、男たちは困惑の表情を見せているだけだった。誰一人、焦っていたり、目を泳がせてはいない。これに違和感があった。おかしいからだ。たとえ、演技で知らないふりをしているとしても、何かしら小さなボロが出るはずだから。そのボロは必ずと言っていいほどオフィーリアが拾い上げてくれる。それだからこそ、タクマは眉根を寄せた。視線を彼女に向ける。彼女自身もこれまた片眉を上げていた。
「嘘じゃないでしょ?」
本当のことを言え、そう問い詰めてみるが――彼らは首を横に振るばかり。知らない。その一言で終わる。もっと、締め上げて吐かせるべきか。なんて考えていたときだった。
何かに気付くオフィーリア。急いでその場から退いた。すると、彼女がいた場所には鉄パイプが。オレンジ色の照明に照らされた錆付きのそれは重厚そうに見える。ボロは男たちから――ではなく、彼女の背後から現れたのだった。
鉄パイプを握る人物は顔色の悪い男である。床に伏せている男たちと同様に細身。屈強そうではない分、こちらが有利に思う。
「チッ」
オフィーリアに命中せず、男は舌打ちをした。それが合図であるかのようにして、床に伏せていた男たちが動き出す。二手に分かれてこちらを捕らえようという魂胆か。だとしても、こいつらは演技に関してはかなりの有終のよう。ここまで騙されるなんて、と彼女も舌打ちをしたからである。
「やっぱりここで正解だった」
男たちの攻撃を避け、オフィーリアは体勢を整えた。一方でタクマは反撃する余地もなく、とにかく捕まらないようにして近くにあった椅子でガードをしまくる。
発言するオフィーリアに「正解だって?」と血色の悪い顔で嘲笑する。
「お前らなんて、不正解に決まっているだろっ! 俺が正しい。ここでは俺が正しいんだ!」
「勝手言うわね」
それは彼女の言うセリフではない。そう言いたげなタクマは一人のすねに椅子の足をぶつけた。涙目にさせてしまった分、怒りも買ってしまったようだ。これは少しまずったかな。
「法律に反しているやつのどこが正解だって言うの?」
「決まっている! 俺の親父は政治家だからな。そこら辺の正義面をした連中なんか、一捻りよ!」
ああ、そう言うことか。この顔色の悪い男は親の七光りででかい面をしているのか。親が政界の人間であるならば、その息子が麻薬カルテルに関わっているならば――。
「あなたがソロね」
「は? なんで――」
先のことを言わせる気がないオフィーリアは、その隙をついて顔色の悪い男――ソロのあごに足蹴りをした。かなりの衝撃が来たらしい。彼はよろめきながらも、どうにか体勢を整える。
「お前……まさか、嘘だろ!?」
あごに手を当てて、ソロは目を見開いた。彼の反応を見る限り、オフィーリアの正体に気付いた様子ではある。タクマの相手をしていた男たちは「何がだよ」とまたすねを椅子の足に当てられていた。
「たった二人だろ? ガキだろ?」
そのたった二人のガキどもに指一本触れられない男たち。ややあって、オフィーリアを捕まえようとしていた二人の男が同時にノックアウトされてしまう。それに気を取られてしまうタクマを相手にする男たち。内、一人は足蹴り顔面強打で床に倒れ込んだ。タクマに油断してはならないとして、もう一人は椅子の上に乗り上げる。これで動かせまい?
「そう、たった二人のガキどもよ」
オフィーリアがソロの鉄パイプを奪い取り、タクマを相手にする男に投げつけた。鈍い音が痛々しいな、と思う。これで敵役は最後の一人となった。さあ、観念しろソロ!
二人がソロを睨みつける。丸腰状態である彼だが「クソが」と悪態をつきつつ、懐から拳銃を引っ張り出した。すでに、いつでも発射できるようにして引き金を手に置いていた。
「なんで、こんなところに……!」
「わたしは首に『0』のタトゥーを入れた男を探している。探すには名前が必要。あなたならば、その男の名前を知っているはずだと聞いた。さあ、教えなさい」
「はい、そうですかって教えるやつがあるかっ!」
もっともな発言ではある。だが、銃口をこちらに向けられても、立場上はこちらが上。なぜって、オフィーリアは天才的超人少女。一瞬のうちに銃を分解できる特異な器用さを持つ――まさに神に選ばれた子どもと言うべきか。
拳銃を分解されて、どうすることもできないソロは膝を崩した。だが、すぐに立ち上がると、へなちょこパンチを繰り出した。諦めの悪いやつ。見え見えの筋に彼女は大きなため息。
「あなた、戦いなれていない」
差し出されたグーパンチを両手で掴み取り、背負い投げで床に叩きこんだ。
「ジュードー習い始めた五歳の子の方が強かったわ」
腰を強打したソロはまるで浜辺に打ち上げられた魚のように跳ねていた。そんな悶絶中の彼を心配することもなく、自身の拳銃を突きつけるオフィーリアは「答えなさい」と一発発砲して脅す。だが、この男は往生際が悪いようである。
「殺せるものなら、殺してみろっ!」
そう涙目で言ってくる。
「お前らなんか、俺を殺した罪で死刑だからなっ! いいのか!?」
「ああ、死が怖くない親の七光りね。あの男と同じようにロシアンルーレットでもすればいいのかしら? それとも、わざとあなたを見逃してみるのも一興よね。ただし、追いかけてくるのはわたしたちじゃなく、あいつだろうけど」
そういう彼女にソロの顔色は更に悪くなった。そして、急に「嫌だ」と顔をこわばらせる。
「嫌だっ! それだけは……サタナスに追いかけられるだなんて……!」
「そのサタナスってやつは首に『0』のタトゥーがある男で間違いない?」
ソロは大きく肯定した。彼はどうも他殺より、自殺へと追い込まれてしまう死が恐ろしいと感じているようである。オフィーリアは「質問に答えて」と銃口を向けたままで問い質す。
「サタナスという男は本名で間違いない? それは姓? 名?」
「その名前は、俺とヘコが呼んでいるだけ」
「ヘコって誰? あなたたちの組織でどんな立ち位置?」
「ふ、不動産業を営んでいる。あいつはサタナスと対等的な立場……」
「どこにいる?」
「メガロポリスのどこかだ。なあ、頼む。俺はサタナスに会いたくねぇ。なんだったら、刑務所に連れていって欲しい」
「そのお望みはもちろん」
扉が開かれた直後、彼女は拳銃を下ろしてあげるのだった。
◆
連行されるソロを後目にタクマは「次は不動産屋の調査か」と独り言のように言った。だが、その独り言はオフィーリアが拾い上げる。
「何を言っているの? 次はモニカの家じゃない」
早く仕事が片付いたかららしい。彼女の頬は上がっていた。そんな彼女をよそに、タクマは腕を組んでソロの発言を思い出す。親が政界に精通していた彼がデーモン改めサタナスの本名を知らなかった。だとするならば、次の標的であるヘコという人物は知っている確率が高い。その人物は不動産業をしているならば、なおさらである。
◆
夜景が通り過ぎていく。この光景をリムジンの中で見ているのは一人の優男だった。彼はグラスにワインを注ぎ、それを一人の人物へと手渡した。
「僕のお気に入りさ。きっと、きみなら気に入る」
「どうだか」
反応を見せる人物はグラスに入ったワインを舐めるようにして飲んだ。彼の様子に優男は「別の件が気になるかい?」と訊いてくる。
「僕らの周りを嗅ぎ回っている『銀色の猟犬』が」
「…………」
「安心しなよ。あの親の七光り野郎が僕のことをバラしたとしても、僕は偽善者となればいい。バレないようにすればいい。そうすれば、『銀色の猟犬』は何も出てこないと諦めるさ。これでも、きみのことが怖いしね」
よくもあんな恐ろしいゲームをロシア人は考えたものだよ。なんて笑って見せる優男だったが、傍らにいる人物の無反応さに表情を消す。
「とにかく。今回、きみに紹介する物件は警察も軍も『銀色の猟犬』すらもわかりっこない場所だ。よく聞くだろう? 灯台下暗しっていう言葉」
彼らを乗せたリムジンはとある場所に停車した。その目の前にある高層ビル。そこからは一人の日本人が出てくる。だが、優男はそちらではなく、向かいのビルを指差した。
「今度、アパレル会社が入る予定のビルだ。そこなら、トラックに商品と紛れ込ませて大量のクスリを運べる。まだトーポの居場所は知られていないから」
「ソロは?」
「あいつはどうせ今日明日に捕まるって。きみも知っただろう? ブエイが捕まって色々しゃべっていたらしいからね」
ソロが捕まったことは仕方がない。そう優男は言った。
「どの道、ソロのところの生産性は落ち気味だっただろ? だから、これからはトーポに頑張らせようよ」
「ああ……」
自分たちが乗るリムジンの横を通り過ぎる先ほどの日本人の男。彼は一瞬だけこちらに目を向けた。おそらくはリムジンという物に目を向けているだけ。中身までは見ることはできまい。
「タカシ・ミカミ、俺はここだ」
日本人の男、タカシに聞こえないような音量で呟く。その呟いた人物の首には『0』のタトゥーが刻み込まれていた。
――捕まえられるものなら、捕まえてみろっ!