1話:チョコレート
タクマは自分が所属するオフィスの次席に座って、オフィーリアから受け取ったテキーラの酒瓶を見つめていた。数時間ほど前にとある麻薬カルテルの一派であった下っ端ザコどもを片付けてきたばかりなのである。ただし、彼の場合はほとんどが物陰に身を潜めていただけではあるが。
あの悪党どもを一人で懲らしめたオフィーリアはこのオフィスに隣接する自宅で睡眠中だった。そのため、ここにはタクマだけ――。
《お帰りなさい、タクマ》
ではなく、もう一人。人と言うには少しばかり抵抗があるが、固定された机の上にあるコンピュータが勝手に起動した。
「ただいま、マリア」
《オフィーリアの姿を見掛けませんが》
「家に帰ったよ。子どもにはもう遅い時間だろうし」
《そのようで》
コンピュータから聞こえる無機質な女性の声。彼女はマリアである。マリアはオフィーリアが造った人工知能であり、主に事務処理の役割を果たしてくれる。とんでもなく、オフィーリアはすごいと思う。なんて、小学生でも答えらえる感想しか出てこないが、大抵の場合はそうではないだろうか。そうそう、話が逸れるところだった。そんな彼女に一つ頼みたい仕事があるんだった。
「マリア、もうすぐ資料が届くと思うから、その整理をお願い」
《了解しました。それはそうと、一時間ほど前からミスターミカミがお見えになられていますよ》
そう聞いたタクマは「え?」と席から立ち上がる。マリアは《はい》と教えてくれた。
《隣の応接室で待機をしてもらっています》
「ありがとう」
それならば、対応してくるよと言うと、隣の部屋――応接室へと速足で向かう。そのままタクマはノックもなしでドアを開けた。
「おお、久しぶり。元気そうだな」
そこには日本人の男がいた。この人物をタクマは知っているし、この男もまた知っていた。タクマは片眉を上げながら「いきなりなんだよ」と口を尖らせる。
「来るなら連絡ぐらい入れろよ、親父」
「いいじゃないか。仕事が忙しそうだと思ってな」
「それは親父もじゃないの?」
目の前にいる人物、タカシ・ミカミ。タクマが「親父」と呼んでいることからして、彼はタクマの父親である。タカシは「今日は暇でな」とローテーブルの上に置いていたタバコの箱から一本取り出して火をつけた。隣に置かれていた灰皿の中には大量の吸い殻が。余程、自分を待っていたのかと思われる。
「暇? 連絡をすれば、忙しいって言っているばかりなのに?」
「そりゃ、お前。仕事をさっさと片付けたいんなら、忙しくもなるさ」
タカシは一本どうだ、とタバコを差し出してくるが断った。
「タバコ吸えないし」
「ああ、そうだったな。日本支部だけだもんな、喫煙所があるの。こっち来れば禁煙が多いもん」
「いや、そうじゃなくて、普通にダメなんだけど」
「あっそ」
なんとも自由にして、タバコを吸うタカシ。あまつさえ、靴を脱いでくつろぎタイムに入ろうとしているではないか。そういうのを止めろと言っても聞かないのが自分の父親でもあることを、彼は知っている。タクマは細いため息をつきながら「それで?」と訊いた。
「こっちには何しに来たんだ? タバコを吸いにきただけではあるまい?」
「うん、暇だからタクマとオフィーリアの様子をな。どうだ、あの子は」
「相変わらず人使いが荒いよ。それに、俺とウマが合うとは思えない。今日も、カルテルの連中のアジトを見つけたら、暴れるだけ暴れたよ。今は家で寝ている。よくもとんでもないお子様を紹介したな?」
「まあまあ、オフィーリアは年頃の女の子だからな。しょうがない」
そういう問題ではないのだが。そう言いたいタクマであったが、黙っておいた。しばしの沈黙の後、まだ少しだけ長いタバコを灰皿へと押しつけて「お前たちが元気なら何より」と脱いだ靴を履き始めた。どうやらもう帰るらしい。
それでも、だらしなくかかとを踏んづけたまま「もう行くわ」と言う。歩きづらそうにして。それならば、きちんと履き直せばいいものを。
タカシが応接室のドアを開けようとしたとき、「そうそう」と何かを思い出したかのようにして、タクマの方を振り向いた。
「例の女の子、面会の許可が下りたそうだぞ。見舞いにでも言ってやったらどうだ?」
「そうなの?」
これが入院している病院だと住所が記載されたメモ紙を受け取った。
「おう。ショックで記憶喪失状態らしいけどな。でも、精神は安定しているらしい」
「えっ」
何か質問をしたい。そうタクマが思っていても、いつの間にかタカシは応接室を出ていってしまった。慌てて追いかけようにも、何を訊いたらいいのかわからずに、ドアノブを握ったままの状態である。ドアの向こう側ではだらしない足音が遠ざかっていく。ゆっくり、ゆっくりと消えていく音に耳を傾けたまま、しばらくはその状態であった。
しばらくして、応接室から出てみれば、新鮮な空気が鼻を突き抜けてきた。ああ、そうか。タバコ吸っていたからな。オフィーリアがこっちに来る前に、タバコの吸い殻とにおいを片付けておかなくては。そんなことを頭に入れながら、タクマはオフィスへと戻った。自席に座り、邪魔なテキーラの酒瓶を端に寄せる。タカシから受け取ったメモ紙を隣に置く。息つく暇もなく、ノートパソコンを広げた。
とあるフォルダ内にある一つの動画。それは監視カメラの映像。とても画質は荒い。
倉庫のような場所に一人の女の子がいる。ただ、その子は両手両足を縛られており、身動きが取れない状態である。そんな幼気な子どもに複数の男たちが。小さな悲鳴。男たちの中で首元に大きな『0』の数字のタトゥーを入れた人物が女の子の目線に合わせるようにして、しゃがみこんだ。
そこでタクマは動画を止めた。これ以上の再生は可哀想だからだ。彼は腕を組み、頭を悩ませる。画面の右端にあるカウントダウンの数字を見つめた。あと十五時間と二十四分。長いと思う。
「片付けるか」
やる気がない状態で、腰を上げた。応接室へと移動する最中、窓から差し込む光にタクマは眉間にしわを寄せるのであった。
◆
眠たそうな顔。不機嫌そうな雰囲気。それをオフィーリアはオフィスへと持ってきた。そんな中、マリアに整理してもらった資料を眺めていたタクマは「おはよう」と一応はあいさつをする。
「マリアに整理してもらったの、見る?」
「ミルク」
「……はいはい」
ここでのけんかは勘弁だ。なぜって、彼女は強いのである。昨日の行動を思い出せばわかるように、大の大人が複数いたとしても、オフィーリアには敵わない。それに、タクマ自身はけんか上等というような人物ではない。むしろ、戦いは避けたい方。それが故に、オフィーリアの言うことを聞いてしまうのである。
「ホットでいい?」
頷く彼女は重たそうな瞼を頑張って開いて、資料を見始めた。そんなオフィーリアを横目で見るタクマは「一週間前の女の子」と口を出す。
「俺たちが助けた子な、あの子の面会許可が下りたんだって」
「じゃあ、当時のことを訊かなきゃ」
「記憶喪失状態らしいけどね。でも、精神的に安定しているから、面会許可が下りたらしいよ」
「何それ」
納得がいかない顔。それもそうだろう。自分たち、特にオフィーリアは数時間前に見た動画の男たちを追っているのだから。
「まあまあ。あとで、その子のお見舞いに行くだろ?」
「情報が手に入らないなら、わたしは行かない。あいつらを捕まえ終えたら、行くかもしれないけど」
「友達を作るきっかけにもなるのに?」
出来上がったホットミルクをオフィーリアの前に置いた。彼女は更に機嫌を悪くしたような顔を見せた。
「友達がいないタクマにそう言われたくないっ」
そして、あの言葉がブーメランになると予測はついていたはずなのに。心にくるようなことを言われてしまった。ええ、反論できませんよ。どうせ、学生時代はボッチだったし、唯一の心のよりどころはネットの世界でしたよ。だとしても、それはオフィーリアも同じ。それもそうか。飛び級で大学の博士号まで取った子どもが同年代の子どもを相手にはしないから必然的にいないようなものだな。
「じゃあ、俺だけ行ってくるけど、その間オフィーリアはどうするんだ?」
「マリアとしりとりしてる」
悪くはないだろうが、一緒に来ればいいのに。
これ以上の詮索は止めておくべきか。そう考えながら、とある女の子のお見舞いへと向かうのだった。
◆
メガロポリスの中で一番大きな病院にタクマはいた。ここに入院している女の子のもとへと向かうと――一人部屋にその子がベッドの上で何か絵を描いているではないか。一人だけではあるが、緊張するなと思いつつも「こんにちは」とつたないスペイン語で声をかけてみた。
「調子はどう?」
「気分はいいよ。でも、お兄ちゃんって……どこかで会ったことがあるかな?」
「一週間前にね。きみは覚えていないだろうけど」
「わたしのことを知っているの? だったら、わたしのことを教えて。わたしね、記憶喪失らしいの」
先ほどまで機嫌がよさそうだった女の子は悲しそうな顔を見せ始めた。
「わたしはモニカ・ペドロサって名前だって聞いた。お兄ちゃんの名前は? もしかして、日本人?」
「うん、俺は日本人。俺はタクマ・ミカミって言うんだ」
よく自分が日本人だってわかったな、と感心した。大抵はアジアにあるどこかの国のやつとか、中国人だって思われているから。
「ここには日系の子がいるの。カナっていう子。三日前にわたしとお友達になったの」
「そっか、よかったね」
なるほど、そういうことか。なんて一人納得していると、嬉しそうに「うん」と返事をするモニカ。彼女はお絵かきを再開した。青色の鉛筆で二人の女の子の絵を描いているようだ。タクマは「もしかして」と覗き見しながら訊ねた。
「モニカとカナかな?」
「そう。昨日ね、一緒にサッカーの試合をテレビで見たんだ」
「サッカーは好き?」
「もちろん。退院したら、ジュニアのチームに入ってみたいな」
病室を見渡した。ベッドの周りにあるモニカの私物は人形やらお絵かきの跡がある。絵が描かれていた紙を見れば、サッカーをしている絵だろうか。それがあるだけのように見える。好きという割には、あまりサッカーグッズは見当たらない。
そうしていると、まるで今さっき見たような物言いでモニカが昨日のサッカーの試合について語り出した。その話を適当に相槌を打ちながら聞いていると、病室に一人の女性がやって来てタクマを見るや否や、目を丸くしていた。服装からして、看護師ではないのは確かだ。
少し気まずいな、と思いつつも「こんにちは」とタクマは頭を下げる。そして「俺はこういう者です」と身分証明書を見せた。
「一週間前の事件について調査をしています。話を聞けたらと思い、こちらへお伺いしたのですが」
タクマの身分に納得した女性は「私はモニカの母親です」と応えてくれた。
「あの、今のモニカは……」
モニカは自分の記憶を失っている。それに、彼女の母親の言い分と、モニカの態度を見る限りは自分の家族のことすらも忘れてしまっているようだ。
「私自身もよく知らなくて。友達の家に遊びに行ってくるって家を出てからは……」
涙を流す母親。そんな彼女に「お気持ち、お察しします」とタクマは言う。
「今日は娘さんのお見舞いに来ただけです。それに、必ず犯人を見つけて捕まえてやりますよ」
手掛かりはほとんどないようなものだが。そんな宣言をする傍ら、そのようなことが頭に浮かび上がる。唯一の手掛かりが明朝に見た動画と現場に残されていた薬物。そして、可能性は低いが、事件現場周辺の監視カメラ。これは今、マリアが調査中である。
「ええ、よろしくお願いします」
それからは、しばらくモニカの母親と交えながら、色々な話をした。彼女たちの父親は仕事のようで、なかなか見舞いには来られないらしいが、娘を愛する気持ちはあるとのこと。モニカが記憶を失っているから、両親に対して、どこかよそよそしいこと。事件以前の彼女はスポーツがあまり好きではなかったこと。どちらかと言えば、お絵かきや人形遊びが好きだそうだ。
だからなのか。サッカーが好きという割にはそれらのグッズなどが見当たらなかったのは。これで小さな疑問は解決する。
ある程度の会話をしたところで、タクマは「それじゃあ」と病室を後にした。そのとき、モニカに「お兄ちゃん、またね」と手を振ってくれた。これに彼は小さく手を振り返すのだった。
病院を出て、建物を見返した。ここでの情報はほとんど得られていない。ただ、被害者であるモニカは事件のことが最初からなかったようにしていた。これは喜ばしいことなのか、それとも嘆くべきことなのか。彼女の両親にとっても、自分たちにとっても複雑な気分である。
「オフィーリアがなんて言うか、だよな」
考えなければならない問題はそこだ。今日の会話でろくな情報を得ることができないことは、ここに来る前に粗方の予測がついていたはずだ。きっと、情報を持たずして戻れば「行く必要なんてなかったのに」と辛辣な言葉を浴びせてくるかもしれない。そこは咎めるべきか。いや、逆切れを起こしそうだ。あまり刺激なんて与えたくもない。
そう思いながら、自分のスマートフォンを取り出すと、一件のメールが届いていた。送信相手はオフィーリア。内容はモニカとの会話についての情報をくれということ。まさか、戻る前にして訊いてくるとは。しかし、「情報は何も得られなかった」と面と向かって話すより、文章の方がまだいいのかもしれない。そのように考えたタクマは返信してみた。それでも、文句を垂れる覚悟をして。
返信はすぐに来た。
『こればかりは仕方ない』
内容が大きく外れてきた。どうやら、オフィーリアもモニカのことを心配していたようだ。流石の彼女も普通の人間だ。人々の安全を確保する組織にいるならば、それぐらいの心は持ち合わせるべきであろう。頭や身体能力は人並外れた天才であるが。
オフィーリアの返信メールはまだ続いていた。下へとスクロールしてみると、チョコレートをご所望の様子。しかもQのチョコレートがいいとは贅沢な。そこら辺で買ってきたチョコレートはダメとか。専門店まで行けと? ここからどんだけかかると思っているんだ。
断るに断れない気質のタクマは『わかったよ』と返すしかなかったという。
◆
どうにかこうにかオフィーリアが所望していたQのチョコレートを購入し、オフィスへと戻ってきたタクマ。そんな彼にオフィーリアが「遅い」と辛辣な言葉を投げつけた。
「お見舞いに行くだけに、どんだけ時間がかかっているの」
「オフィーリアがQのチョコレート土産を買ってこいって言うから」
「は?」
片眉を上げるオフィーリア。ここで、会話が噛み合わないことに気付くと、マリアが《私です》と横から入ってきた。
《私がオフィーリアの名義でメールを送らせていただきました》
流石は人工知能。というか、オフィーリアのことをわかっているとでも言うべきか。記憶喪失となった人物に覚えていないことを訊きにいくということは明らかに無茶な話。それを見越して、彼女のご機嫌取りを考えてくれるだなんて。人工知能って便利だ。人間が重宝する理由がよくわかる。別にそういう意味で開発をしたわけではないだろうが。
タクマがマリアに感心を抱いていると、オフィーリアが「だとしても」と手に持っていたお土産を奪い取った。
「あと一時間は早く帰ってこれたよね」
中身を確認しながら目を輝かせている彼女はさながら普通の子ども。そういうところは一般的な子どもになるのか。そう思っていたのも束の間。
「道草食っていたんじゃないの?」
きつい物言いをするから現実に戻ってきたよ。
「病院に行って、軽いあいさつと情報聞き取りをしたら帰るだけじゃないの?」
「被害者とその母親と世間話をしていたんだよ。何か情報が入ってくるかもしれないだろ?」
「でも、なかったんでしょ?」
「そうだけどさ……」
もっともなことを言われて、タクマは口を噤んだ。そんな彼を構うことなく、お土産のチョコレートを一口頬張りながら「挽回のチャンスはまだあるけどね」と一応のフォローは入れてくれた。
「今夜、麻薬カルテルのやつらの取引があるみたい。突撃よ」
「また?」
「またってどういう意味? マリアが監視カメラの解析をしてくれたんだから」
慌てて自分のノートパソコンを開いた。右下にあったカウントダウンの数字が消えているではないか。時計を見た。ああ、もう十五時間と二十四分過ぎたのか。
「ジュディたち張り込み班も似たような情報をゲットしたらしくてね。そこにやつがいるかはわからないけれども」
「場所は? 店じゃない?」
「そう。今回は廃倉庫。そこで大量のクスリの取引があるみたいだから。
だから、行くわよと言うオフィーリア。彼女の後に続きながら、オフィスに残ることになるマリアの《行ってらっしゃい》という言葉を後目に、現場へと急ぐのだった。
◆
情報によれば、この使われなくなった倉庫は夜な夜なならず者たちが集まり、騒いでいるとか。ということは、よく一般の警察にもお世話になっている連中もさぞかしいることだろう。タクマはそんなことを考えながら後方を見た。人気はない。遠くの方からは車の音が聞こえるだけ。前を見た。オフィーリアが倉庫内の様子を窺っていた。
「様子は?」
小声で彼女に訊ねる。
「今のところ誰も」
倉庫内をこっそり見てみれば、誰もいなかった。この時間帯に取引があるとは聞いているが、一向に現れないものだ。もしかして、リークがバレた? だったら、場所変更となるだろう。オフィーリアはそうならないことを願うために、下唇を噛んだ。
「早く来てよ」
それは暴れるためだろうか。一応は念のため、張り込み班兼応援も少し離れたところで待機はしている。
「イラつくなぁ」
なんて一人ぶつくさと呟く彼女はどうやら持ってきたらしい。小腹が空いたのか、Qのチョコレートを食べ始めたのである。しかも、お土産と渡したときにあった紙袋と箱までご丁寧に。
もぐもぐとお目当ての連中を待ち続けていると、待機班から連絡が入った。どうも、こちらの倉庫へと向かっている二人組がいるらしい。その内、一人はブツを運んでいる模様。これを聞いて、オフィーリアは急いでチョコレートを仕舞い込んだ。
「ここじゃバレるかも? もう少し、入り組んだところに隠れよう」
そうタクマが先に動き、入り組んだ場所へと入ったときだった。
「時間通りなのか」
男の声が聞こえてきた。そちらの方を見れば、アジア系の顔立ちをした人物が一人いた。彼は頻りに辺りを見渡している。警戒をしているのか。幸い、タクマの姿は見られていないようである。
「子どもが?」
当たり前だ。オフィーリアは十代前半とはいえ、まだ子ども。裏社会を知らないような少女がここにいる時点であやしむのも同然である。だが、彼女は「お金あげるって言われたから」と話を合わせようとする。
「これをここに来た人に渡せって」
「そうか」
男は納得してくれた。視線はQのチョコレートが入った紙袋へと移動する。それをオフィーリアはためらいすらも見せずに渡すのだった。
「あと、おじさんから確認は倉庫の向こう側で一緒にしてって」
「だろうな」
男は「来い」とオフィーリアのみを連れていこうとした。これにタクマは動くべきかと思ったが、ここで自分が動くべきではないなと考えた。まだブツを持った連中が残っている。そいつらをどうするべきか。相手は自分となるのは間違いない。それはオフィーリアも同様の考えだったらしく、手を引くアジア系の男を怪訝そうな顔で見た後、こちらを見たのだ。「あとはよろしく」と。
完全に二人がいなくなったところで、タクマは周囲を警戒しながら「取引相手とオフィーリアは倉庫の北側へ向かいました」という報告だけをした。入り組んだ場所から出ると、視界の奥からは二人組の男たちが見えている。手にあるのはどこかで見覚えのある紙袋――あれはQのチョコレートのものか。
よく違法薬物を運ぶときは何かしらのカモフラージュをする。それがたまたま自分たちが持ってきていたものと同じであったということだ。ある意味での奇跡。このチャンスをものにしなければ。
「よろしくお願いします」
相手に聞こえないように。たとえ、聞こえたとしても日本語は知らないはずだ。タクマは応援要請をした後、クスリを持ってきた男たちと対峙するのだった。
「お前は誰だ」
「リー・ハオレンです。代理で来ました」
最初こそは疑われたものの、紙袋を持った男がブツを差しだそうとするかと思えば――突然目の前が地面に切り替わった。何事か。答えは簡単。もう一人の男が殴ってきたからだ。
「お前は誰だ」
もしかして、中国人として名乗ったのがいけなかったのだろうか。こいつらの取引相手は中国ではない? 本来の取引相手のあの男はアジアのどこかの国の人ということしかわからない。もしも、中国ではなかったら? そうとならば、タクマが誰だと訊かれるのは当然だった。
「私は代理で来た者ですが……」
だとしても、演技はやりつくさなければならない。流石に本名を知られるのは危険だ。そうして、言ってみるものの――殴ってきた男は「中国人じゃないだろ」と見破ってきた。
「訛り方がなんか違う」
というか、応援! 待機班の人、早く来て! 要請したはずなのに、なかなか姿を見せてくれない仲間たち。それもそのはず。少し離れた場所から物音が聞こえてきたかと思えば、そこに顔が血まみれの女性が倒れていたのだから。この人は――待機班の人! そして、自分たちを見下すようにして立っているのは――。
「昨日、ハバリーが捕まった。なら、こっちも警戒しておくべきだと思っていたちら、本当だったようだな」
いかにも殴り合いのけんかならお任せあれ。そう言いたげな屈強そうな男がいた。用心棒か。いやあ、結構ガタイがいいですね。僕、羨ましい。なんて嘆いている暇があるならば、逃げ出したい気分である。ていうか、もうどうしようもない。応援の人がああなっているならば、三対一の圧倒的不利な状況。ここにオフィーリアがいれば、大体解決できる。だが、今はあの取引相手の男に付きっ切り。こちらへと戻ってくる時間はないのかもしれない。こうして、タクマが意識ある時間すらも。
けんか? したことはまずない。武道? 習ったことはない。心得もない。スポーツ? いつだって、傍観者。体を動かすことで、得意なことはない。ずっとネットの世界にいたから。部活も体育も期待してはならない。だから、いつも帰宅部だった。そんなタクマが敵いそうな必勝方法はこの場にない。
とにかく、殴られないようにして必死に避けるに尽きる。当たっても、すぐに動かないと袋叩きにされてしまう。どうすれば? 護身用の武器は拳銃一丁。それを出して、発砲しても当たるかどうかは不明。それを奪われてしまえば、ジ・エンド。だが、勝てる確率は格段に上がるのは嘘ではない。
拳銃を出してみる。焦点がいまいち合わずとも、銃口だけは男たちに。これでどうだ、と安心――できない。これを見て、彼らは大爆笑する。その笑い声がよく響くなと思う。なぜ笑うのか。その理由はすぐにわかった。
「そんなのでこれに勝てるか?」
三人が手にしているのはこちらの拳銃よりも遥かに性能がいい代物。絶対にこれは密輸か何かで手に入れたなと感じさせるもの。ヤバい。絶体絶命とはこのこと。銃を手にした三人にどう立ち回りできるかなんて聞いたことがない。それって、できたら超人じゃないですか。超人の方、いらしたらどうかこの哀れな日本人を助けてください!
その祈りが通じたのかは定かではない。月が出ているからできる影。それに誰もがその正体に気付く。そこにいたのは――。
「情けない」
オフィーリアだった。彼女はQのチョコレートを口いっぱいに頬張りながら「そっちが運び屋ね」と空になった箱をそこら辺に投げ置いた。
「残念ながら、引き取り屋さんは別の引き取り屋さんに引き取られていったわ」
「このアジア人の仲間か?」
「だったら? 子どもに負ける大人はさぞかし恥ずかしいかも」
彼女の挑発に乗ってしまった男たちは子供でも容赦しないと言わんばかりに、引き金を引いた。数発の弾がオフィーリア目掛けて飛んでいくが――。
「どこを見ているの」
人並外れた技。三人の男が手にしていた銃のすべてを分解したのである。しかも、一瞬のうちに。おまけにタクマの拳銃でさえも。
「そもそも、子ども相手に銃で挑むなんてフェアじゃない」
こちらとしては、相手にすること自体がフェアではない気がするのは絶対に気のせいではない。
「どの道、現場を目撃された、知られた時点であなたたちはブタ箱行きよ」
オフィーリアは一人のみぞおちに殴り入れて、一番体格のいい男に極技をした。体格のいい男は彼女を振り落とそうと暴れる。暴れる。負けじと膝を折らせてやる! オフィーリアは手に力を込めた。
そうしていると、その隙をついてか残りの男が分解された銃の部品を握りしめ、彼女に視線を送った。これは、とタクマが反射的に動く。
「死ねっ、ガキ!」
振りかざされる部品。ようやく、膝を地面に着けた体格がいい男に満足するオフィーリアが気付く。「あ」と口にした。超人的な彼女であっても、避けることは難しそう。だが、こいつらはもう一人いることを忘れているわけじゃないよな?
「コノヤロー!」
タクマ渾身の飛び蹴り炸裂。上手い具合に足があごに当たり、銃の部品を手にしていた男はノックダウン! これぞ奇跡だ、と二度目の尻もちをつきながら思うのだった。
◆
運び屋たちが逃げ出さないように、暴れないようにして縛り上げてみた。現在、彼らは宙ぶらりんの状態でオフィーリアに拘束されている。
「さて、こっちの引き取り屋があなたたちのお迎えにくる前に、訊きたいことがあるんだけど」
「クソっ」
逃げられないとわかっていながらも、悪態をつく男たち。だが、そんな彼らに対して、毅然とした態度で彼女はいた。
「あなたたちのボスはどこ?」
質問をするが、彼らは何も答えない。しらを切るつもりか? それとも本当に何も知らない下っ端か。オフィーリアは自身の髪の毛を弄りながら「ある人物を捜しているんだけど」と別の設問をしてみることに。
「首に『0』のタトゥーをした男のこと。知っていることがあるなら話して」
これにわかりやすく反応を見せたのは体格のいい男だった。ということは、こいつは自分たちが追っている麻薬カルテルに関りがあると言っても過言ではないだろう。いや、昨日の襲撃を知っていたと口にしていたから、ある程度の内情を知っているやつに違いない。
「教えなさい」
普通の脅しは拳銃を突きつけるのだが、オフィーリア流は違う。相手が反応を見せる前に、引き金を引いているのだ。彼女はわざと肩に掠る寸前の軌道で弾を寄こしてくるものだから、たまったものではない。絶妙なコントロールと言ったところか。
「どちらにせよ、あなたが教えて大変な目に遭うところはただの刑務所の中で過ごすということ。受刑者には多少の命の保証があるらしいけど?」
「…………」
「さあ、どんな人?」
体格のいい男は「よくわからねぇが」と観念したようだ。
「面と向かって話したことはないが、あいつは恐ろしいやつだよ」
「知ってる」
「仕事のミスは基本的にロシアンルーレットで許してもらえる。六発中、五発が弾入りのでな」
「仕事にはうるさいのね」
「俺は仕事をしくじった。ということは、ここで解放されたら本気でヤバい。だったら、まだ刑務所の中で過ごす方が安全そうだ。もちろん、この二人もな」
その言葉に、他の二人の運び屋は青ざめた表情だった。嘘だろ、と口に出すが「嘘なもんか」と反論された。
「俺は殺されて死んだ仲間の後処理係でもあるんだからな。見たことも当然ある」
「だったら、ホントに刑務所にいた方がよさそうだ」
「だろ? おい、嬢ちゃん。俺たちは知っていることは何でも吐く。だから、刑務所の中であいつと鉢合わせしないような待遇をして欲しいよ」
「知っているなら、そのタトゥーの男の話はもう終わり? 名前とか知らないの?」
「俺はデーモンと呼んでいる。本名は知らん。もしかしたら、他のやつなら知っているかもしれない」
「それは誰が知っていそう?」
「ソロっていうやつだ。あいつはデーモンの金魚のフンみたいなやつだからな。しかも、親が政界にいるから……もしかしたら、その関係の紹介で本名を知っているかもしれない」
「どこにいるの?」
「南西部にあるカカオ農場周辺にアジトがあると聞いたことがあるが、詳しくは……」
「もう結構」
これ以上の情報は出ないだろうという判断のもと、オフィーリアは尋問を終了した。そして、三人に向かって「情報提供はありがたいけど」と言葉を続ける。
「あなたたちの待遇が必ずしもそうなるとは思わないでおいて」
「そうか……」
それだけ言うと、こちらへと到着した確保班にあとを任せるのだった。タクマとオフィーリアは帰路につくことに。彼女は食べ終えて空となったチョコレートの箱を見つめながら「チョコレートつながりとは思わなかった」と皮肉った。
「今度はカカオ農場か。まさか、田舎に手掛かりがないと思っていたんだけどな」
「でも、ちょっとずつではあるけど、追い着いてきているじゃないか」
「そうね」
それであっても、がっかりな顔をするオフィーリア。そんな彼女に「そう言えば」とタクマが倉庫の方に顔を向けた。
「あの人らの待遇のこと、ホントに上にかけ合うつもりか?」
「そんなことをしている暇があるなら、わたしはカカオ農場に発つわ」
「そ、そうなのか」
予測はついていたのだが、あの三人に「そうなるとは思わないでおいて」という口調は、一応はかけ合ってみるというような物言いだったが? そう口にしたいのだが、あとが怖いから何も言えないタクマなのであった。