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9.友情という名の種をまく

 予定していた仕事を全てやり終えて帰途についたのは、太陽が沈みかけた頃だった。

 ほどよい疲れからか、私とカールは自然と口数が減る。それが少しも不快どころか、むしろ心地よくて……。茜色から紫色に染まる空に、小さな星が瞬きはじめるのを彼と共に眺めながら、ゆっくり馬車は屋敷に向かう。

 屋敷ではお父様とお母様が出迎えてくれたのだけれど、お母様は相変わらず「まあまあ……」とどこか私たちを熱い眼差しで眺めては微笑み、そしてお父様は顔色を青くする。


「ライラ、おまえという娘は、お客様に対して何ということを……」


 すっかりみすぼらしくなって現れたカールを、憐みの目で見るお父様。

 決して汚れているわけではないけれど、彼の格好はとても貴族のそれではない。借りて着ているヴァーイの服は、他の村民のものよりは上質なシャツではある。けれども平民の範疇を越えるものではない。

 素材だけの問題ではない。彼の長身では袖の長さが足りず、いっそそれならばと袖口を折りたたんでいる。汚れたブーツにしまい込んでいるから見えてはいないけれど、実はズボンの裾も足りてはいないのだと、着替えを手伝った男爵家(うち)の使用人が言っていた。


「ライラを責めないでやってくれないか、男爵。俺が無理矢理に手伝いたいと言ったんだ、それに村人たちも良くしてくれたし、べつに何の問題もない」

「カール様……ですが」

「むしろ突然の訪問を受け入れてくれて、感謝するのはこちらの方だ。都にいたのでは得られない、有意義な時間を過ごさせてもらった。礼を言う」


 カールは落ち着いた口調で告げて、微笑む。

 穏やかではあるけれど、彼には有無を言わせない、不思議な何かがある。だからお父様もそれ以上は謝罪のしようがなくなってしまい、彼を歓待する方へ気持ちを切り替えたようだった。


「改めまして、ようこそお越しくださいましたカール様。歓迎いたします」


 お父様がそう告げて頭を下げれば、それに倣ってお母様もまたスカートを持って膝を折る。それにカールは深く頷いて「こちらこそ、世話になる」と応えた。

 それから私たちは着替えを済ませて、以前と同じように夕食をとる。

 領地で採れた野菜と肉料理に舌鼓を打ちながら、話題はやはり、村でのカールの活躍。彼は相変わらず話上手で、昼間の村での手伝いの様子を、面白おかしく聞かせて時おりお父様を固まらせている。

 そして話題が移り、私たちが荘園の仕事に追われている間に、お父様が『熊の森(ビョーンスコーヴ)』と呼ばれる森に入っていたことを知ったカール。それにも、好奇心を刺激されたようだった。

 お父様は冬の間に灌漑を整備するために、材木資材の確保に行っていたのだけれど、その名の通り森には熊が生息している。木を伐採するには、ある程度は森の奥に行かねばならないから、そのぶん凶暴な熊と遭遇する頻度は高い。警戒しながらの作業になるため、私が森について行くことは禁じられている。


「あの森を迂回するせいで、このストークマン男爵領は不便な僻地となっている。どうにか森を抜ける街道は作れないものだろうか」


 二度にわたり都からこの地へやってきたカールにとって、森が行く手を阻むものに感じられたのは仕方がないことだろう。

 都からここまで、馬車なら丸一日。早馬を駆ったとしても半日はかかる。もし森さえなければ、都から男爵領までは馬車でなら半日で辿り着けるのではないかしら。それくらい、本来ならば都とは近い距離に位置している。

 王宮のある都から北、山脈の入り口のような地理的条件なため、岩の多い峡谷などに囲まれている。その間にある丘陵地にわずかばかりの村が点在する。その集落を出て南下するには『熊の森』が広がり、行く手を阻んでいた。

 物流が経済を支えているのは、この世界でも同じ。狭い土地とあいまって、男爵領を貧しくさせている要因の一つが、この「森」の存在。

 そんなことは私たちも充分承知している。だけど先祖たちはみな、森に手をつけることはなかった。そしてお父様も。


「森の熊はとても凶暴なので、リスクが大きすぎるでしょう」


 お父様の答えは、多くの意味を含んでいる。


「街道であれば、何割かは国庫が負担することになっているはずだが」

「そういう問題ではないのよ」


 つい、口を挟んでしまった。カールには散々荘園経営のことなどを話してはいるけれど、本来は貴族令嬢が口にするべきではないのを知っている。せめて会食の時くらいはと慎んでおこうとは思っていたのだけれど……

 ナプキンで口元をぬぐい、誤魔化そうとした私に、カールは気にした様子もなく。むしろ身を乗り出して、問い返してきた。


「ライラ、なにか理由があるのなら教えてくれ」

「……森をそのままにしておくのにも、意義があるのです。葉は畑の肥料になりますし、肥えた土は河を流れて海の魚を増やして、海辺に住む民を生かします。雨が降れば水を貯めて洪水を予防し、熊は畑を荒らす猪や鹿を減らしてくれる。直接領内に関わることは少なくとも、他の領地が貧しくなれば、国が荒れるでしょう? 結果として私たちにも返ってきます」

「確かにそれは理にかなってる。だが目の前で、自領の人間が襲われれば、そちらを優先するのではないか?」


 それは否定できなかった。

 山辺に住む住民たちは、少なからず森の恩恵を受ける。けれどその代償もまた大きい。


「その都度、対処していくしかありません。増えすぎれば、人の手で減らすことくらいですけれど」


 木材は常に必要とされているけれど、それだけが利益を生むわけじゃない。それを私は上手く説明することができずに、ただ先人たちがそうしてきたのだからと、それで森は手つかずのまま守ってこれた。今まではそれで何とかなった。けれどもし国王陛下が命令を下したなら、私たちに逆らう力はない。


「まあ難しいお話はそれくらいにしましょう。お祭りも近いことですし、音楽を楽しんではいかがかしら」


 話題が固い政のことに波及してしまい、お母様がしびれを切らして、強引に話題を変えてきた。側に控えていた執事に合図すると、使用人たちがリュートや笛、それからカホンを持ち込む。


「お祭りの曲をぜひ踊っていってください、とても陽気で楽しいのよ」


 舞踏会で踊るような、ゆったりと流れるような曲ではなく、リズムも速くてコミカルな旋律。

 収穫祭が近づくと、村々から練習する音が聞こえてくる。それもまた季節を感じさせてくれて、私はとても好きだった。

 いつも少しずれているお母様なりに、カールをもてなそうと考えたみたい。それならば、娘である私も協力をしなくてはならないだろう。

 私は執事たちの奏ではじめた曲に耳を傾けていたカールの前に行くと、彼の前で膝を折ってお辞儀をした。それがダンスの誘いとすぐに理解したカールは、私の手を取って広い場所に移動する。


「教えてくれ、ライラ」

「ええ。とても簡単よ、でも少し速いので転ばないように」


 カールと少し離れて長めのスカートを少しだけ持ち上げた。そして彼によく見せるようにして、音楽に合わせてステップを踏む。

 貴族の優雅なダンスとは違い、踵を鳴らしたり足を交差させて、スキップのように歩を進める。そして互いにターンして向かい合い、再び同じ動きを繰り返す。

 村人たちの踊りだから、女性は膝下丈のスカートに編み上げのブーツ姿だ。ステップがよく見えて、ターンするときには裾が膨らみ、まるで丸い花が咲いたように華やかになる。祭り本番では男女でペアを組み、一曲ごとに相手を変えて踊り続ける。

 一通り見せた後で、カールにダンスの始めるための合図を送る。

 すると彼は、何度かつっかえながらも器用に、一度見ただけの振り付けを踊ってみせた。


「思ったよりも難しいな」

「初めてでそこまで踊れたら充分よ」


 何ターンか繰り返してから、私は彼の手を取る。


「輪になって踊ることもありますけれど、基本的には男女で踊るんです。こうして手を取って、ターンは女性だけで」

「ああ、なるほど。これは確かに楽しいな」

「でしょう? これが祭りの最後にするダンスなの。毎年楽しみにしているわ」

「それは、村人に混ざって?」

「そうよ、もちろん! 一人で踊って楽しいわけがないわ」


 軽快なリズムは、踊っているうちにかなりの運動量になる。

 長い曲を踊り終えた頃には、慣れていないカールは少しだけ息が上がっていた。きっと本来の貴族令嬢には、このダンスを踊りきるのは難しいだろう。

 休憩をかねてカールをテラスに招けば、冷たい夜風が心地よい。

 小高い丘に建つ屋敷からは、月に照らされた葡萄畑の丘陵と暗い雑木林が見える。ちょうど美しい月が、東の空に登ったところだ。


「やっぱり、森を抜ける道が欲しいな」


 月の光でさえも吸い取ってしまったかのような、地平線近くに見える『熊の森』に目を向けたまま、カールが呟いた。


「どうして? 私の言ったこと聞いてらっしゃらなかったの?」

「分かってる、だが……」


 テラスの柵から森を見ていたカールが、私を振り返る。

 月を背に受けた彼の表情はよく見えないけれど、その髪が光を透かして、淡い金色に見えた。


「道さえできれば、早馬で駆けて、いつでも自由にここへ来られる」


 思いがけない言葉に、私はまじまじとカールを見上げた。

 淡い月の逆光のなかで分かるのは、微笑んでいる彼の口元だけ。今日一日、村で見せていた彼の笑顔を思い出して、なぜだろう……

 村を気に入ってくれた嬉しさと、切ない気持ちが入り混じって、自分でもよく分からない感情がわき上がる。

 しかしその微かな気持ちにかけられた階を払いのけるかのように、カールはクスリと笑って付け加えた。


「ああ、ライラが都に来ない言い訳が、一つ減ってしまうから拙いのか」

「な……」


 近いけれど時間ばかりかかって遠い、そんなストークスマン男爵領の位置を、引きこもる理由の一つに考えていたことを見透かされたことに気づく。


「図星?」

「……違います!」


 ついムキになって反論する私に、カールは今度こそ声をあげて笑う。

 そう深い意味ではなく単にからかわれたと分かり、また彼のペースに嵌められたと憤慨するものの、どこかほっとしている自分がいる。


「熊に襲われた友人の骨を拾うのは、まっぴらです。どうぞ、回り道をしていらしてください……そうですね、縁がありましたら、いつかまたいらしてください」

「……いつか?」

「ええ、……少なくとも、私が花嫁候補から外れたのち、でしょうか」

「そうきたか」

「何か?」

「いいや、何でもない。ところで、明日もまたワインと腸詰めをする予定なのか?」

「カール、それはもう充分に体験なさったでしょう?」

「そうでもない、まだいくらでも楽しめそうだ」


 その言葉に私は心底あきれるのだけれど、やっぱり私はまた、彼の屈託のなさに絆されてしまう。


「明日はいつ頃、発たれますか?」

「昼すぎに」

「でしたら……温室で、少しやることがあります。邪魔をしないと条件つきでよろしければ、ご一緒されま……」

「もちろん、約束しよう」


 喰い気味に返事をするカールに、少しだけ引く私。

 そうして彼が明日の予定を取り付けた後、歓迎の夕食会はお開きとなった。

 慣れないことをしたのだから、よく休んでくださいとだけ告げると、カール「おやすみ」のあいさつを残して、用意された客室へ戻って行った。

 その姿を見送る私を、お父様が呼び止めた。


「ちょっと話があるんだけどいいかな、ライラ?」 

 

 そうして連れて行かれたのは、お父様の書斎だった。大量の書と、羽ペンとインクの匂いがするここは、私の好きな場所のひとつ。足りない知識を埋めるために、何度も訪れては本をあさって読みふけった。


「それで、お話とは」


 お父様を促せば、要件とはなんとお小言だった。


「ライラ、彼はただの護衛官ではないのだよ、頼むから失礼のないようにね」

「分かっているのですけれど、どうしても彼のペースに引きずられてしまって……悪い人じゃなさそうだからつい」


 お父様だってそれは同じじゃないのかしら。今回もまた、始終カールに押されっぱなしだったもの。 


「あのね、ライラよく聞きなさい。彼は王子の影武者も兼ねているそうなんだ」

「……影武者? 彼が?」

「そう、だから堂々とした立ち振る舞いは慣れているんだろうね。まあそのために幼い頃から、王宮の王子のそばで共に育てられてそうだから、当然ではあるのだろうけれど」


 彼の意外な一面を知り、驚いた反面、納得する部分もあった。

 お父様の言う通り、彼は人を使うことに慣れている。


「でもそれって、公にされていることですか? 影武者なんて存在、普通は秘密にされるのではないかしら」

「うん、そう」


 うんそう、ってお父様?

 私があんぐりとしていると、お父様がてへっと笑って誤魔化す。

 だから中年の男性がそんな顔をしたって、誰も喜びませんってば。


 いえ、一人だけ喜ぶ人がいた。

 『まあ、エーランドってば、うっかりさんなんだから』そんなお母様の聞き慣れた声が、頭の中でこだまする。


「ということで、ライラも口外しないように」

「口外しないようにって、そもそもそんなこと、うっかり喋らないでください」

「ごめんごめん、でもライラには、ちゃんと知らせておいた方がいいと思って」


 謝りつつも笑顔のお父さま。

 だけどその言葉の意味が、なぜか気にかかってしまった。


「私に? どうして、そうお思いになるのですか?」


 しばらく言葉を選ぶような仕草をしてから続けられた話は、カールの個人的な事情だった。   


「彼の担う仕事に代わりはいないんだ。それは彼が王子殿下と背格好が似ている、という意味からだけではない。三男とはいえアレニウス伯爵家が、まだ幼かった息子を王家に差し出したのは、それなりに思惑もある。だからライラ……」

「……分かっていますってば、もうこれ以上彼に農作業はさせませんから」

「違うんだ、最後まで聞きなさいライラ」


 珍しく、お父様が真剣な面持ちで私に注意を促した。


「……彼は決して、男爵家に婿に来れるような人間ではない、だから特別な好意を寄せてはいけないよ、いいね?」


 はっきりと伝えられたその言葉で、私はようやくお父様の懸念を理解した。

 そして胸の奥に芽生える前の、小さな感情の種の名も。


 だからお父様を安心させられるよう、私はあえて満面の笑みを浮かべて告げた。


「安心してくださいお父様、そんなことになるわけないわ……心配しなくても彼なら、都にきっと良い人がいらっしゃるわよ」

「うん、ライラはそう言うかなと思っていた、安心したよ」


 お父様の安堵した表情を見て、これで良かったのだと、私も胸を撫で下ろす。

 種は摘めば芽生えることはない。代わりに友情という名の種をまき、芽吹かせよう。

 それがいい。

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