8.戸惑い
「なあ、機嫌を直してくれライラ」
私の馬車に同乗したカールとともに向かったのは、男爵家の荘園内にある家畜小屋。
この時期にやらなければならないことは山ほどあり、突然の来客にかまっている暇がある者は、この村には野良猫一匹たりともいない。
いや、一人だけいた。
「カール、悪いことは言いませんので、いったん屋敷にお顔を出してください。あちらでしたら、母がお相手できますので」
「ウルリーカ殿のお相手もさぞ楽しい話が聞けそうだが、ライラには及ばないだろう。気にするな、何でも手伝う」
こちらが気にしますってば。どうしてこうも会話が成立しないのか、だれか教えてくれないかしら。
突然だったカールの訪問に慌てたのは、もちろん私だけではない。連れて来ていた使用人を一人屋敷に戻らせて、彼を迎え入れる準備をするよう伝えさせた。
カールには、手紙などで来訪の知らを寄越すのが礼儀でしょうと訴えれば、1日前には手紙を書いたと言う。そして本人は夜も明けぬ早朝に発ち、しかも騎乗でやって来たのだから、彼より先に手紙なんて届くわけがない。
「あのね、カール。王家の特別なもの以外で、1日で届くような手紙はどこにもないのよ?」
「それは悪かった。けれど早めに伝えたら、断られると思ったんだ」
「……そんなことは」
ありえるけれど。
そんな本音を誤魔化すために視線を反らしたのを、カールは目ざとく気づいたようで。
「やっぱり、約束を反故にする気だったんだな」
「だって、候補から外れると思っていたし、そもそも私が花嫁候補でなければ、あなたはいらっしゃらないと思ったから……」
普通は、社交辞令だと思うわよ。こんな何もない田舎の男爵令嬢相手に。
「本気にとってなかったのは悪かったと思っているわ、ごめんなさい。でも違う意味で、私はあなたを信用しておりましたの」
「信用?」
どういう意味かとカールは私をまじまじと眺めている。
「あなたは私の話を笑ったりせずに、真剣に聞いてくださったから。私がこの土地から離れたくないって、本心からそう思っているって分かってもらえたと。だからもう会う機会はないんでしょうって」
「……そんなに王子に嫁ぐのが嫌なのか?」
馬車に揺られながら、互いの肩が触れるくらいのこの距離で、カールは真剣にそう聞き返してきた。
「そういうことじゃなくて」
「ライラは一度も王子に会ったことないのに、側で護衛している俺に聞いてきたことがないよな」
「聞く……? なにを?」
「ジークフリート王子のことだ。仮にも結婚相手になるかもしれない相手だろ!」
「ああ、そうですね」
「ああ、って!」
私が苦笑いで固まっていると、カールは心底呆れた風だった。
「他の令嬢たちの多くは、王子がどんな容姿が好みだとか、何色のドレスで合わせるかとか、今どこにいるのかだとか、いつ二人きりで会えるのかだとか、それはもう次から次へと聞いてくるが?」
「だって、知っても仕方ないじゃない、カールはそういうの私に聞かれたいの?」
「……いや、そうじゃないが」
「王子さまことより、《《あなたのこと》》なら聞きたいことは、いっぱいあるわよ」
「俺?」
突然話題を変えたせいか、戸惑った様子のカールに、私は意地の悪い笑みを向けた。
「カールあなた、豚は触れまして?」
「……豚?」
「そうよ、豚。臭いは?」
「それくらいは平気だが、何をするつもりなんだ?」
馬車は荘園までたどり着き、石積みの門をくぐる。
使用人を一人返してしまった上、ここまで来てしまったからには、彼も頭数に入れないと仕事にならない。とはいえ、さすがに日ごろ煌びやかな宮廷にいる護衛職の彼が、首を縦に振るとは思えなかった。
だから諦めて屋敷に向かってくれても、一向にかまわないつもりで尋ねたのだけれど……。
「ええとこの後は、腸詰めと塩漬け加工のための豚を、屠殺場まで運びます。今年はどの子も丸々と育ってくれたので、運搬がそれはもう大変で」
「豚を捕まえて馬車に乗せればいいのか?」
それどころか、カールは目を輝かせていた。
本当に、意味が分かって言っている?
「ライラも同行するのか?」
「ええ、送り届けるまでですが。午後にはもう一度足踏みでの仕込みを手伝ってから、夕方から腸詰に。それぞれ荘園の従業者たちが下準備をしてくれているので、どれも確実にこなさないと労力が無駄になってしまう」
「本当に、忙しいんだな。わかった、豚でも牛でもいくらでも手伝おう」
「……本気ですか?」
「大丈夫だ、力仕事なら任せろって言っただろう?」
提案したのは私なのだけれど……王子様の側近に豚追いをさせるだなんて、大丈夫かしら。
そんな不安も、畜舎に着いたとたんに吹き飛んでしまった。
カールは楽しそうに畜舎に入ると、他の従業者たちとすぐに打ち解けて、あっという間に豚を追い始める。
畜舎の中は柵で三つに区分けしてあり、その中で十頭あまりを飼育している。カールは最初こそ豚たちが鼻で掘った穴に足をとられていたけれど、護衛官をしているだけあり、運動神経は抜群だった。すぐに足場の悪さにも慣れて、目的の豚を追い詰める。そして慣れた従業者が待ち構えていて、豚の首にロープを回して捕獲した。
私はというと、馬車を柵の入り口へと誘導して、彼らの追い立てた豚を迎え入れるだけ。
そうして三頭ほどを馬車の荷台に乗せ終わり、カールたちが豚を繋いだロープを固定する。
「旦那、なかなか筋がいいじゃないか」
一仕事終えてそう呟く畜舎の従業者に、私は何度も頷いてみせた。
「本当ね、カールには才能があるわ、凄い!」
「ライラ、そこまで褒められると悪い気はしないが、実際には走り回っただけだよ」
慣れないことをしたためだ、未だ肩で息をつくカールだったけれど、私は彼を見直し、少々興奮気味に褒めたたえる。
「そんなことないわ、初心者はほぼ追うより追いかけられる結果になるの。カールならいつでもミルド村で働けるわ!」
「……そりゃ、どうも」
「惜しいわね、これなら豚じゃなくて祭りの馬追いで、女の子たちに大人気間違いなしなのに」
「馬追い?」
「ええ、祭りの行事で、独身男性が縄で馬を捕獲する技術を競うの。上位者になるとたくさんの女性から求婚の誘いがあるそうよ、きっとカールなら女の子たちから引く手あまたになりそう!」
泥が跳ねて汚れたカールに、濡れたタオルを渡しながらそう言えば、カールは「ふーん」とそっけない返事。
「それって収穫祭?」
「ええ、十一月の中頃にあるわ。今から冬支度を頑張っているのは、お祭りのためみたいなものよ。ねえ?」
従業者に同意を求める。
「そうですね、春祭りと収穫祭があるから、日々の厳しさにも耐えられるんですよ」
「そうそう、飲んで食べて歌って踊って、その日ばかりは無礼講」
うんうん、お祭りは大事。
「ライラも祭りに参加するのか?」
「ええ、最後のダンスには参加してもいいって、お父様が許してくれているから」
私とカールはおしゃべりもそこそこに、豚三頭を乗せて畜舎を出る。
荘園から出て村の南の外れ近くまで行き、そこで豚を預ける予定。すっかり汚れたカールに改めてお礼を言えば、首を横に振って「大丈夫」とだけ。
普段着のシャツとはいえ、彼の着ている服は絹で、村人たちの作業着とは訳が違う。
馬でここまで来たのなら、着替えを用意してないかもしれない。貸してさしあげるのは当然だけれど、お父様のもので入るかしら。彼の身長とお父様の身長差を思い浮かべて、即座に却下する。
真剣に考えている後ろで、豚が鳴くし、排泄物の香り。
それは彼も同じだったようで、どちらからともなく笑いがこぼれた。
「それにしても、ずいぶん立派な豚だな」
「ええ、穀物の餌をあげられるようになって、充分に育ったものから手を付けられるようになったわ」
「……木の実ではなく?」
「トウモロコシを飼料に与えています」
前世の世界と同じように、時代を変える転機となる穀物は、この世界にもいくつかある。
以前は豚に食べさせる飼料まで手が回らず、秋に森で落ちる木の実を食べさせて豚を太らせていた。けれど最近は情勢が安定していることもあり、遠い国からトウモロコシなどの穀物が伝わってきたのだ。麦よりもずっと生産効率がよく、使い勝手がいい。でもまだ人が食べるほどには品種改良がされておらず、今のところは飼料にしか使えないけれど。
でもそれだけでもこのストークマン男爵領にとっては、もの凄い変化だった。だってそれまでは長い冬を越せるだけの飼料を確保できず、秋に繁殖用の数頭を残して殺してしまわねばならなかったのだから。
肉は全て一括で保存食にするしかなく、しかもすべての村人が食べ繋ぐには足りない量にしかならなかった。木の実は天候にも左右され、不作となればとれる肉はさらに少なくなり、村人たちの命にも繋がる。
馬は国から食料にするのを禁じられているし、牛は耕作には必要な働き手であり、牛乳を生産する大事な生き物。羊は毛を取るために食べるなんてとんでもない。
海もないこの領地でタンパク質をとるには、豚を食べるしかないのだ。
「本当はもっと新しい物を取り入れて、豊かにしていきたい。そのための温室なのに、成果はまだ充分じゃないし……」
「ライラは充分だ、よく勉強している」
「ううん、自分はまだまだ……」
前世の知識を頼ってみても、上手くいくのはほんの一握りの試みだけ。自分だけでは耕せる畑の広さなどたかが知れている、村のみんながいなくちゃ何もできない。だから勉強をもっとしたいし、新しい知識を知りたい。
カールが私の返事にどう思ったのか分からないけれど、それ以上は彼からは何もなかった。
それから私たちは豚を預けて、再び醸造所に戻る。
そこでロリたちが用意しておいてくれた昼食を取り、すぐに足踏みワインの仕込みの続きをする予定だった。カールは周りの村人たちを自ら説得して回り、ちゃっかり葡萄の足踏みに参加することに。
そして彼は、午後になって見回りにやってきた村長のヴァーイの睨みにもめげず、足踏み仕込みをやり通してしまった。
もちろんヴァーイが睨むのは、私の事情を知って頭を下げたのに、成果がなかったから。そこは私と一緒で、彼に責任はないのは分かっているけれど、いわゆる八つ当たり。
そんな理由はヴァーイとロリしか知らないので、他の村人たちがカールを庇う。仕方ない……のかもしれないけれど、結局のところ、彼の人懐こい人柄に、みんな絆されてしまったというのが本当のところだと思う。
それからカールは、村人とともに水浴びをして、私の手配を待つ事なくいつの間にか、ヴァーイから着替えを借りていた。袖とズボンの裾が短くて、すっかり姿もミルド村の青年のようだと、皆に笑われているのに、それさえ嬉しそうだった。
そうしてそのままの勢いで、カールはミルド村の中央広場までついていき、腸詰め作業までをしっかりこなしていった。
彼の働きぶりに感心した村人の中に、自分の娘婿にならないかと声をかける者まで現れたのには、驚いたけれど。
私は腸詰めの燻製の香りをかぎながら、いつの間にかこう思っている自分に気づく。
彼が本当にミルド村の人間だったなら、と。
自分の思考に、戸惑うなんて初めてだった。
村人たちの輪のなかで、楽しそうに片付け作業に加わるカールと目が合い、私は慌てて視線を反らす。
初めて、同じ貴族という立場の人に、理解されたという喜びが、自分のなかに確かにある。
おぼろげな記憶を頼りにやってきたことを、笑わずに認めてくれそうな人。
でも彼には彼の大事な役目があるのだから、なんて失礼なことを考えてしまったのだろうかと反省して、心の中で彼に謝っていた。