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5.ライラの想いと裏の事情

 ロリが作ってくれたスープは、カールとケビにとても好評だった。

 ハーブ入りの特製塩漬け肉がいいダシを効かせていて、自家製の小麦粉で焼いたパンにとてもよく合う。本当はお客様である彼らがいなかったら、ガーリックトーストなど出しいたと思う。正確に言うとここで採れるのはガーリック……いわゆるニンニクでははないのだけれど、香りが似ていてとても美味しい。使い方もさほど変わらず、肉や魚などの臭い消しと風味付けに利用されている。試しに作ってみたらロリたちに好評で、すっかり村の定番メニューになっている……のだけれど、惜しむらくはニンニクよりも少々匂いがきつく、大っぴらに紹介しづらい。だからよそではまだ、この美味しい食べ方は知られていない。


「ライラ、午後からの予定は?」

「あなた方は、屋敷にもどられたらどうかしら?」


 興味津々で私の予定を聞いてくるカール。

 実は彼、食事の前に汚れた手足を洗うために、ヨアキムに案内させた温泉の泉が、いたく気に入ったらしい。そこでまくり上げた裾以上に水に浸かり、すっかり濡れ鼠となったのだ。

 そんな彼に呆れた眼差しを向けて、そろそろ屋敷に戻ることを勧めてみたのだけれど。


「ライラのことを知るためにここに来たんだから、俺だけ男爵家の屋敷に行っても仕方がないだろう」


 もっともらしいことを口にするカール。さっき見聞役の仕事のことをすっかり忘れていたのはどなたでしたかしら?


「近頃は堅苦しい視察ばかりだったが、ここは何を見ても面白い」

「視察……ですか?」

「ああ、しかめっ面した年寄りばかりで……」

「カール、喋りすぎるなよ」


 ケビがカールを咎めるように止める。

 彼らは王子の護衛職。視察といえばつまり、王子の随伴。軽々しく話して聞かせてはならない事項だということなのだろう。


「分かってるって……だからこういうケビのような、堅苦しいのばっかりがズラっと顔を揃えてるんだ、辟易してる気持ち分かるだろう?」

「ケビ、あなたもカールと同じ王子様の護衛官でしたの?」


 ただの御者だとばかり思っていた。

 しかしケビの代わりにカールが口を挟む。


「同じ王子付き護衛官の一人だけど主に裏方なんだ、ケビは器用だから」

「雑用ですよ」


 カールが褒めるのを、ケビ自身は照れたように言い直す。カールが見た目から行動などに華やかさを持つせいか、一緒にいると目立たないケビ。だけど二人はとても信頼しあっているのだろうと、なんだか微笑ましく思えた。

 だからというわけではないけれど、少しだけ妥協案を出してみる。ロリからはまた、ほら押しに弱いんだからと言われそうだけど……。


「この後、荘園の見回りに行くつもりですけれど、ご一緒にどうですか?」


 それを聞いた、カールは笑顔を浮かべて是非にと返してきた。

 彼のそういう素直な部分は貴族らしくなく、まあいいかと思わせる力があるのだ。決して私が情に弱いせい……ではないはず。

 だけど提案したとたん、カールがランチを片付けはじめ、その場を仕切る。ケビは荷馬車を連れて先に屋敷に戻ることになり、ヨアキムの馬車で私とカール……つまり二人きりで回ることになっていたのは……うん。

 確かに、流されたかもしれないと少しだけ後悔した。




 貴族に与えられた領地では、きっちりと国に治める税の額と種類が定められている。

 それぞれの特産に合わせて作物での納税と、現金。作物は国の基盤となるものだから、国全体をみたうえで配分を指定される。例えば平地が多い地域ならば麦などの穀物が多いし、海や川が近い場所ならば魚や塩などの加工品で納める。他にも綿などで納めるところもあるし、鉱山を持つ領地などはとても厳密に管理運営することを求められるらしい。

 ここストークマン男爵領はこれといった特産がないため、麦や豆類だけでなく野菜や肉の加工品、それからワインなどで税を賄っている。あとは現金。

 人口に合わせて現金での納税もあるのだけれど、男爵領(うち)は作物が育ちにくいので、常にこの現金で補てんが必要だった。だから私の知識で収穫を増やし、なおかつお父様が事業を軌道にのせるまで借金ばかりで蓄えがなく、常に民は貧困にあえいでいた。


「もうすぐ、収穫の季節を迎えるようだな。いい景色だ」

「ええ、本当に」


 規則正しく並ぶ紫色の畝が、赤土のなだらかな坂を埋め尽くし、美しい景色を作りあげている。その向こうに小さく見える風車小屋と、薄く光る河の水面。空は青く抜けるようで、雲は高く小さな羊の群れ。

 穏やかな温かさのなかで収穫を待つこの季節が、私はとても好きだった。

 葡萄畑が並ぶ小道を、馬車で向かっているのはミルド村の西端に位置する、男爵家所有の荘園。

 貴族は荘園を持つことを許されていて、今は私がここの管理を任されている。


「温室での実験を経てようやく十年、まだまだこの先、男爵領はもっと良くなるわ。荘園で成功させた栽培方法を、村でも取り入れてようやくここまできたの。収穫も徐々に上がってきてて、借金も減ってきているから」

「なるほど……それがライラが農業に必死になる理由か」

「当たり前よ、暮らしが良くならなければ私たち貴族の価値なんてない。王子様の花嫁候補は私ではなくても問題ないけれど、ここはストークマン男爵領、責任が違う」

「……面白いことを言う」


 カールの反応は、ほぼ全ての人と同じだから慣れている。

 でも私は思い出してしまったから、そこに自分を戻すことは無理なんだと諦めている。みなと同じ様に思えたらどんなに楽かと考えたこともあるけれど、でも今はさほど苦労だとは思わない。

 村長のヴァーイたちが仕事を一から教えてくれたし、手をかけて実りを手にしたときの喜びは、かけがえのないもの。

 それに農業に従事することは、前世からの念願だったから。

 もし()にこの景色を見てもらえることができたら、きっと褒めてもらえる。


 馬車で入った先は、背の低い垣根に覆われた農園。ここも葡萄がたくさん植えられており、それらの畑を超えた先には、収穫を間近に控えた野菜たちが畝に並んでいる。


「葡萄の仕込みが終われば、干し野菜の漬物を作る予定なんです。そのためにお父様に塩を手配してもらっているんです。少し届くのが遅れていて、気をもんでいるところなの」

「漬物?」

「ええ、ここは都よりも雪が降りますから、冬は一部の土地以外では作物が作れません」


 馬車を降りて、まずは葡萄の房を見て回る。

 すると一緒について回っていたカールが、ふとある葡萄の前で足を止めた。

 彼の見つめる葡萄は他のものとは違い、つる性のもので、寄り添う支柱に枝を這わせてある。そこからたわわに実る大き目の実がぶら下がっていた。


「目ざといのね」

「こんなに大きな果実をつける葡萄は目立つし、俺はたぶんこれを知っている」


 珍しい品種なのにと、彼の博識ぶりに改めて感嘆する。


「よくご存知ですね、これも王子様に随伴した成果かしら? この葡萄は、王妃様の祖国ボルツィオラで好まれる品種だそうですね。噂で果実をそのまま楽しむための品種があると聞いて、知り合いのつてで株を分けてもらいました」

「分けてもらったって、簡単に言うんだな」

「もちろん苦労したみたいですけれど、お父様が。ただ、栽培するにあたって……問題があってですね」


 一番立派な房から一粒取り、カールに食べてみてと差し出す。

 躊躇なく口に入れたカールに、少し驚きを感じつつも、どうかと尋ねる。


「美味い、しかも驚くほど甘いなこれ」

「そうなんですすごく美味しいのですけれど、虫が寄って来てしかたないので、来年からは温室に引っ越そうかと思っているんです」

「そうなのか? だがこれは売れるんじゃないのかな。都の連中は珍しいものを好むし」

「そうですね、気が向いたらそうしてみます」

「気が向いたら? さっきの話ぶりから、ライラならもっとがっついてくると思った」


 ムッとして、もう一つだけと懇願するから採ってあげた粒を、寸でのところで取り戻す。


「守銭奴みたいな言い方は、やめてください。私だけが儲けても仕方ないでしょう?」

「すまない。言葉が悪かったよ」

「本当に、私の事情は分かっていただけたのかしら?」

「分かった、充分に」

「これが欲しくて適当なことを、おっしゃってる?」

「そんなことはない、ライラが領地に引きこもっている理由は、充分理解した」

「でしたら検分役のカール様? あなたからも伝えていただけるかしら、私は花嫁候補には相応しくないと」

「伝えよう、責任をもって必ず」

「……よろしいですわ」


 カールが言い直した言葉に満足して、葡萄の大粒をもう三つほど増やして手渡す。

 美味しそうに頬張るカールに、すっかり毒気を抜かれてしまう。そんなに気に入ったのならば、そうね。お土産に一房ほど持たせてさしあげてもいいかしら。


 それから荘園を一回りして、雇い入れている作業人に日課の報告を受けてから、私とカールはお屋敷に戻った。

 本来ならば昼からでも丁重にもてなすのが普通だったろうけれど、なにぶん貧乏男爵家。使用人の数は必要最低限にしかおらず、もてなしが晩餐まで伸びたことを、執事からこっそりと感謝される始末。

 屋敷に戻ってしまえば、彼ら使者をもてなすのはお父様とお母様の役目。

 私もカールに自分の意志を伝えられたことで、当面の目的は果たせたことだし。令嬢らしくドレスに着替えて、晩餐にのみおつき合いすれば充分だろう。そうして早々に引っ込んでしまおうと目論んでいたのだけれども。

 人好きのするカールは話を合わせるのが上手く、両親と雑談を盛り上げて、ディナーはゆったりと進んでいた。上機嫌のお母様に、言い過ぎない程度の賛辞ともてなしの礼を混ぜるカールからは、昼間の子供のような姿は想像もつかない。

 そしてメインをようやく食べ終わり、デザートに手をつけたあたりで、天然お嬢様を地でゆくお母様が、爆弾を投下した。


「ねえライラ、せっかくだもの、カール様ともっと親睦を深めたらいいわ。ね、一曲踊ってみせて?」


 私は、我が家の特別な日にだけ作る葡萄と炭酸水などで作る特製ジュースを、盛大に吹きこぼすところだった。

 ナプキンで口元を隠し、必死に咳をやりすごす間にも、お母様が話しを進める。


「楽団は用意できませんけれど、うちの執事は楽器がとても上手なのですのよ」

「ああ、それはいいですね」


 カール、あなたはなぜそこで断らないの!

 私の睨みなど見えなかったのか、カールは立ち上がり、私のところまでやってきて手を差し伸べた。

 社交界にろくに出たことがないせいで、この場を断る方が難しいと諦め、その手を取ることに。

 すると彼は私の手を引いて素早く立たせ、広い場所に私を連れ出した。そして耳元でささやく。


「そう怒らない。ダンスが下手でも査定と思えば、気が楽だろう?」

「……確かに下手だけど、改めて言われると不思議ね」

「ムッとするか?」


 そう言ってカールが笑う。

 彼が改めて差し出した左手に、私は己の手を乗せる。そしてそっと腰を抱かれたタイミングで、執事がヴァイオリンを弾き鳴らした。

 三拍子のリズムに合わせてクルクルと回る私たち。


「上手じゃないか」

「お世辞はいいわよ」

「お世辞ではないよ。さすが元メシュヴィッツ伯爵令嬢の娘だなと、見直した」

「……やっぱり、それが花嫁候補からなかなか外されなかった理由?」


 私の問いに、カールは微笑んだまま答えなかった。

 お母様はこの国で大きな財力と発言権を持つ、メシュヴィッツ伯爵家の三女に生まれた。しかし生来身体が弱く、長く生きられないと言われてきたので、社交界には数回しか出たことがないそう。

 弱い体では成人したとしても、子供を産むことが出来ないのではと言われたらしく、このままでは嫁の貰い手がないと判断した祖父は、男爵であるお父様に娘をおしつけた。もちろんそれなりの支度金を持たせて。

 政略結婚がある貴族とはいえ、病気の若い娘を嫁として押し付けられたお父様と、顔も知らない貧乏貴族の元へ捨てられるようにして嫁いだお母様。この状況はさすがに同情を買い、一時は社交界でも話題だったみたい。お母様とともに伯爵家からついてきた執事から、そう教わっている。

 だけど真実は、小説よりも奇なり。

 お父様は色白で美人なお母様に一目惚れ。お母様は穏やかな……私からすればのらりくらりだけど、そんなお父様にほだされて。今では立派なおしどり夫婦。

 そんな二人に愛されて育った私が、例え農業という夢がなかったとしても、王子様だなんて権力の象徴のような相手にはいそうですかと嫁ぐ勇気があるはずもなく。


「ウルリーカ男爵夫人の病気をすっかり治してしまった秘密も、割合高いんじゃないかな?」


 それを聞いてげんなりした私は、ついカールの足を踏んでしまう。


「あら、ごめんなさい」

「……わざと?」


 にっこり微笑んで、否定はしないでおいた。

 そこでちょうど曲が終わり、私たちは離れてお辞儀をしあう。

 お母様は大喜びで拍手をし、お父様はどこか微妙な表情で私たちを迎えてくれた。


 そうして私は逃げるように退出し、嵐のような一日を終えたのだった。

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