4.宣言
膝についた土を払いながらこちらを伺うようなカールと目が合い、私は慌ててロリとの内緒話を切り上げて、愛想笑いで誤魔化した。
抜いた新芽をロリに押し付けて、今日のお昼にいただきましょうと話題を変える。
「今日はライラ様の好きなスープにしますか、それともバターと塩でソテーに?」
「スープにしましょうよ、昨日ヨアキムのお母さんからいただいたラム肉の塩漬けがあるの、最後のだから焼くよりスープにしないと」
「ああ、塩が強いですものね」
それだけ伝えると、ロリはカールに頭を下げてから、篭を抱えて温室から出ていった。
「もう話はいいのか?」
「ええ、ありがとうございます。手伝っていただいたので助かりました。よろしければ他も案内しますが」
「そうしてくれ」
私はカールを連れてもう一つの温室の方へ案内する。茂った木を使って遮っただけではあるけれど、ぐっと湿度が上がり、温かい空気が肌に圧迫感を与える。
南国の植物は、温暖なこの国ではなかなか手に入らない薬の材料となる。そういった値のはる植物を育てれば、私有地の農園を経営していく助けになることを知って以来、手伝いの人たちへの給料などがずいぶん楽になったし、施設への投資もできるようになった。
「この水路は、わざわざ作ったのか?」
「はい、苦労しました」
カールが真っ先に聞いてきた水路こそが、投資の最大の目的。細い水路を網の目のように張り巡らし、そこに沢からの温水を流している。その蒸気で湿度が上がり、岩の多く温度が低めだったこの地に南国植物さえ植えられるほどの温室にした。
「……すごいな、ずいぶん手が込んでいる」
ふふふとつい笑みがこぼれてしまうくらいには、思い入れのある設備。褒められればもちろん、嬉しいに決まっている。
「ここを実際に設計してくれたのは村の職人たちやヨアキムで、みんなで作り上げた自慢の力作なんです」
「これほどの物だと、完成するまでかなり時間がかかったんじゃないのか?」
「もちろん、少しずつでした。ここに場所を決めてから……足掛け三年くらいは。完成は七年も前のことですもの」
「……七年前?」
「そうよ、どうかしまして?」
「その計算だと場所を決めたのが十年前ってことだよな? ずいぶん幼い頃からこういった趣味を持っていたということか?」
「……え、あ、まあ」
カールに聞かれて初めて、失言に気づいた。
私は今十八歳。農業経営を夢見て娘に甘いお父様をそそのかして、ここに温室を作ると言い出したのは確か八歳の頃のこと。ずいぶん早熟だと自覚してはいたけれど、すべて前世の記憶があるゆえのこと。
成人して二年、近頃はもう精神年齢を偽る必要がなくなったせいもあり、つい油断していた。
「聞いていいか、ライラ?」
「……はい、なんでしょう?」
真剣な面持ちのカールに、私は何を尋ねられるのかと内心ヒヤヒヤしていた。
「ライラは、社交界に出て着飾ることには、本当に興味がないのか?」
「も、もちろんです」
「なにも華やかな場所だからというのではなく、そこで培った人間関係で領地のためになることもあるだろう? より強い貴族間で絆が作れれば……」
「いいえ、カール」
もっと違う意味で、鋭いことを聞かれるのではと焦っただけに、ホッと胸を撫で下ろす。
「私はこの領地で、文字通り地に足をつけて生きていきたいのです。今の私にとって、長靴と麦わら帽子が人生の伴侶です。王子様にはこんな私などより、もっと素晴らしい淑女を伴侶としてお選びいただきたいと思います」
ええ、だからどうぞおかまいなく!
そんな私の宣言を前に、カールは呆然とした顔で私を見下ろす。
「それはつまり、王子妃であることを望まない、と?」
「はい」
心から頷きながら、はっきりと言い切った。
するとカールは、小さくため息をついて苦笑いを浮かべているようだった。
「……断りを入れられたのは、ライラが初めてだ」
「え?」
私は最初から断りたいって伝えてもらうよう、お父様に頼んでいます……よね?
まさか、全く伝わっていない……わけじゃないわよねと、カールに問いただせば、彼は首を横に振る。
「ま、まさかこれって不敬罪にあたります?」
王子を振る……いいえ、請われてすらいないのだけれど、候補すらお断りするのって、してはならないことだった?
不敬罪になったら、今まで以上に領地を削られたり、取引を制限かけられたり……?
最悪、私有地として与えられていた荘園を取り上げに……これまで領地のためにしてきた努力が水の泡に……なんてことに?
「そんな青い顔をするなって」
「で、でも……決して王子様に不満があるわけじゃなくて、私……」
「断ったくらいで罪にはならない……俺がそこは保証するから」
「本当?」
カールは蒼くなって不安がる私に、本当だと念を押してくれた。
「まさか、王子がそこまで傲慢な男だと思われてたのか?」
「いいえ、決してそんなことは……でもよく存じ上げませんから」
「それはライラが都に来ないからだろう、もしかしなくとも顔すら知らないんだろう?」
「……それは、そうですけど」
「なれなら、断る前に一度都に出て、会ってみたらどうか。気持ちが変わるかもしれないぞ?」
会う? 王子様に?
ぎゅうぎゅうに絞られてまでドレスを着て、緊張のなかお城に向かう自分を想像して、慌てて首を横に振る。
「無理、無理です。ダンスも上手には踊れないですし、ドレスは苦しくて苦手ですから」
「そこまで嫌がるか、普通?」
本当に困ったようにそう言うカールに、彼はいったいどういうつもりなんだろうかと、私は純粋に疑問がわく。
「あの、あなたは検分役ですよね?」
「もちろん」
「ではどうして都に行くことを勧めますの? 花嫁候補のなかから少しでも至らない部分を持つ者を、ふるいにかけるのがあなたの役目ではありませんか。ここで私がやっぱり花嫁になりたいから候補に残してと懇願されたら、お困りになるのはあなたではありませんか、カール?」
それも思ってはいなかったのか、彼は素で「そうか」と呟いてから豪快に笑った。
「それは思いつかなかった、それもそうだったな」
「思いつかないって……呆れましたわ」
「悪い、さっきの畑仕事が思いのほか楽しかったんで、つい。そうだな、ドレスが着れない王妃は困る、かな?」
「あなたの望むお妃様像が、私のようなものでなくて安心しました」
どうにも王子の腹心である検分役は、かなりマイペースな方らしい。これって人選を間違っていやしないだろうかと、ある意味心配になる。
でも、と。私も少しだけ心が軽くなった。
彼は悪い人じゃない。だって土にまみれる私を馬鹿にすることはないし、貴族の人間でありながら土いじりを楽しいと笑ってくれるのだから。
そうして話ながら温室の端まで歩いていくと、温室の南側の入り口にヨアキムの姿が見えた。それと木を運んでくれた御者さんも。
「ライラ様、ちょうどよかった。村長がすぐに手配してくれて、先に滑車を持ってきてくれたんだ。これくらいなら僕たちでも出来るかなと」
「本当? それは助かるわ」
そう言いながらヨアキムが頼りない細腕で運ぼうとしていたのは、木を起こすための滑車を吊るす三脚の柱。
私が彼に手を貸そうとすると、カールがそれを止めて御者の彼に指示する。
「ケビ、お前も手伝ってやれよ」
そう言ってカール自身も手を貸してくれて、太い丸太をあっという間に運び入れてしまう。
それから三人で支柱を組み上げると、身軽だからという理由で御者の彼……ケビが猿のように支柱に登って、あっという間に滑車を取り付けてくれた。
「よし次は木を運び入れるんだな?」
なぜかやる気満々のカールに待ったをかけるのは、私とケビ。
「なんでそんなにやる気なんだ、カール?」
「村長が人をよこしてくれるからそれまで待って、慣れない私たちだけでは怪我の元よ」
特に彼、ケビは呆れ顔をしている。それもそうだろう、何度も言うけれど彼は騎士であり、今は花嫁候補の検分役でもあって、農夫ではない。
「いや、楽しくて」
そわそわしているカールは、まるで田舎の農業体験にやってきた、都会の子どもみたい。
そうこうしているうちに、温室の外が騒がしくなった。
くもったガラス越しに見えたのは、村長のヴァーイが村の男性二人を連れて、温室前に馬車で乗り付けたところだった。ヨアキムが彼らを迎え入れる間に、私は大き目の箕を抱えて、腐葉土の山へ。
「それで何をするんだ?」
「カール? あなた本当に好奇心の塊ね……腐葉土を混ぜて植えようと思って」
麦わらで編んだシートを外し、しっとりと発酵した葉の塊に箕を差し入れ、腐葉土を持ってかけつけた。
「ヴァーイ、今日はわざわざありがとうございます」
「ああ、かまいませんよ」
「彼はカール様とケビ様。都から今日いらしたお客様よ、カール、彼はここミルド村の村長でロリのお父様、ヴァーイ=ベルクシュトレームよ」
互いに言葉少なく、軽く会釈し合っていた。元々ヴァーイは言葉少ない人だ。村のまとめ役としてとても頼もしい人で、私の農業の師でもある。
私は彼らを横目に、ヨアキムとともに土に腐葉土を混ぜて準備する。
さすが大人の男性が五人もいれば、その後の作業はあっという間に終わってしまった。もちろん、そこの男性にヨアキムは入っていない。
手伝いに来てくれた村人たちは、カールたちに驚きつつも慣れた手順で台車を使って木を運び入れ、ロープを縛ってから、みんなで力を合わせて木を起こし、予定していた場所に根を下ろす。
私はその横で傾斜を確認したり、スコップ片手に土を入れてしっかりと踏み固めるだけ。
「ご苦労様、みなさん。助かりました」
植樹作業を終えて三人の助っ人を見送ると、残るのはすっかり汚れたヨアキムとケビ、それから一番張り切っていたカール。
「あなたたちもありがとう、もしよかったら温泉で手足の汚れを流していらして。それからお昼にしましょう。大したものは出せませんが、ロリが作ってくれる料理はとても美味しいのよ」
にこやかにそう告げれば、真っ先に頷くカール。もう彼がこういうことを断らない人間なのだと、私は確信してのお誘いだったのだけれど、ケビはそうではなかったようで。カールに「いいのか?」と戸惑いながら確認するような様子だった。
「もし不都合があれば、遠慮なくおっしゃって。今からでも屋敷にお戻りになれば、もっとちゃんとしたお食事をお出ししますから」
私がそう言えば、ケビは気難しそうな印象を崩して、頭を掻きながら首を振る。
「いや、そうじゃなくて……こいつがあんまりあつかましいんで心配して」
「そんなこと! 気にしないでください」
「あつかましいだなんて、酷い言い方だなケビ」
いえ、そこは誰も否定してないんですけれどね。
呆れた眼差しをカールに向けるケビ。カールのそういう自由奔放なところに、ここまでの道中も翻弄されたのかしらと、ケビにほんの少し同情を寄せる。
するとこの気持ちが伝わったのね、げんなりとしたケビとばっちり目が合った。
「ライラ様、みなさん、休憩にしましょう!」
ちょうどいいタイミングで、ロリが声をかけにきてくれた。
すっかり日も高くなり、温室はじっとりと汗をにじませるくらいの室温。
「さあ、私たちが用意しますから。ヨアキム案内してあげてね」
そう言って男性たちを温室から追い出し、私はロリとともに建物内の厨房へ向かったのだった。