30.毒の華
私とジーク、それから案内役をしてくれたカローリーナ以外は、茶会が開かれるサロンに集まっているようだった。
会場となるサロンはなんと、中庭へ張り出すように造られたガラス張りのテラスだという。日頃から王妃様が世話をする花々が咲き乱れ、外の雪景色とはまるで別世界なのだという。王妃様が花を好まれるというのは、周知のこと。あまり冬が長くない国から来た王妃様を気遣って、お慰めするために最初は造られたそう。
サロンではさぞ厳重な警備がされているのかと思いきや、そうでもなかった。もちろん数人ずつの護衛官たちが各所に立ち、警戒はしているようだけれど、ピリピリしたような雰囲気はまるで感じられない。私がただ鈍いのかもしれないけれど、ジークに手を取られ、エスコートされながら通りすぎる私を、誰もが表情こそ乏しいものの、好奇心をもって見られている気がしてならない。
……いたたまれないので、どうか無関心でお願いします。本末転倒だけれど、各々に頭を下げて回りたい衝動にかられたのは、言うまでもない。
「エステルは、気位は高いがそう無茶をするような令嬢ではないと、グレタ=スヴォルベリが言っている」
「グレタ=スヴォルベリ子爵令嬢?」
「そう、エーランド=ストークスマン男爵に、なにかと敵意を燃やすハインツ=スヴォルベリの一人娘だ。子爵はビューストレム家の庇護のもと、最近はかなり大きな顔をしているようだ。例の薬の流れを辿って真っ先につかんだのがこの男」
「では、令嬢同士仲がよろしかった?」
「どうかな。親の関係をそのまま引き継いでいたというのが正解だろう」
「その、グレタ様からの情報なんですか?」
スヴォルベリ子爵は、そもそも薬を売っていた張本人ではなかったろうか。
「ああ、心配はいらない、すでに娘のグレタはこちらに取り込んでいる。元々父親に似ず、大人しい性格の娘だったらしい。有力貴族との繋がりのために、ずいぶん利用されてきたようだ」
「……そうだったんですか」
「ああ、娘すらモノのように扱う男だ。取り込んだとはいえ、グレタにさほど情報は与えられてはいなかった。さすがに免責とまではいかないが、父親と同様に扱うのは忍びない」
ジークいわく、子爵はそう立ち回りが上手い方ではなく、どちらかというと粗野で乱暴がゆえに、何かと問題を起こすタイプなのだという。そのくせ上昇志向というか野心家。だから取るに足らない我が家が、伯爵家から嫁をもらい、自前の努力で借金を減らし、社交界での信頼を回復させていったのが気に入らなかったのだろうと。
一方ビューストレム伯爵家はというと、現当主は非常に頭の切れる人物らしい。領地にはいくつかの鉱山があり、農地に向いた平地もあわせ持つ。歴代の当主たちは戦により国に貢献したこともあり、ある程度の采配を許されていたため、かなりの財を築いている。しかし近年、平和が続いたために、鉱山での生産は厳しく制限され、国からの管理を受けている。
「恐らくそのあたりも、今回のことに影響をあたえているのやもしれない。一昨年の長雨からの水害に、ビューストレム伯爵領も多大な被害を受けていたからな」
ジークの厳しい横顔に、国を治めること、つまりは貴族たちとの関係の難しさがにじむ。
彼はその難しさを、引き受けて生きる人なのだ。
もちろん助け手はいるだろう、大勢。でも王はただ一人。
彼の腕に添えていた手に、つい力が入った。
些細な変化に気づき、私を振り返るジーク。きっと私の緊張が増したのだと、心配してくれたのだろう。
「大丈夫だ、ライラに危害を加えさせたりしない」
私の心配はいいの。そう伝えたかったけれど、どうしたら彼の力になれるのか、分からなかった。
ついにサロンの入り口に立ち、私たちは寄り添うようにして並ぶ。作法の通りに肘を曲げてくれたジークの腕に、私は手袋をした手を添える。ドレスをまとった貴婦人をエスコートする紳士らしく、ジークはゆっくりと歩き出す。
一歩サロンに足を踏み入れると、天井から暖かい日差しが差し込んでいる。久しぶりに晴れた空の青が、ガラス越しに見えて、まるで春の庭のようだった。
まず感じるのは、ふわりと鼻をくすぐる、花の香り。サロンのそこかしこに、季節がら種類こそ少ないものの、たくさんの鉢植えの花が飾られている。
蘭のような開花期間が長いものを選んでいるせいか、白や薄い色の花が多い。しかしその中で、ひときわ目を引く花があった。
黄みの強い紅色をした、八重咲きの花。
にわかに走る緊張。そんな私にジークが気づいて「あとで」と囁く。
気を取り直して歩み寄った先、円卓のような大きなテーブルを挟み、女性たちが席についていた。その中央にも、蘭に混ざって咲く毒の花が飾られていた。
再びなんとも言えない気持ちを鎮め、私は努めて冷静を装う。
最奥に座っている女性が、王妃様。
目鼻立ちがはっきりとした、美しい女性だった。強い印象を与えるその目元は、王妃様が生まれた国ボルツィオラの人々がもつ特徴だ。
その王妃の隣には、長い銀髪の美しい女性。きっと彼女が伯爵令嬢エステル。大人びていて、凛とした姿がまさに令嬢といった雰囲気ではあるけれど、体つきはとても細い人。私たちが王妃様の前に並び立つのを、少しだけ驚いたような表情をして見ていた。
「ようこそ来てくださったわね、ライラ=ストークスマン男爵令嬢。わたくしが本日の主催者、ヴァレンティナです」
「はじめまして、ライラと申します。このたびはお招きいただき、ありがとうございます」
スカートを持ち、ゆっくりと礼をしてから顔を上げれば、王妃様はふわりと微笑んだ。強い意思が宿る目元が、笑うと驚くほど様相を変える。とても優しげで……そんな笑みの仕草が、ジークとそっくりだった。
「あなた以外は、顔見知りばかりなのよ。紹介してさしあげましょうね」
やはり予想通り、王妃様のそばにいたのがエステル=ビューストレム伯爵令嬢だった。その隣に続くのは、子爵令嬢グレタ。話に聞いていた通り、大人しそうな女性だった。決して美しくないわけではない。むしろ優しさがにじみ出るような淑女であるのに、エステルと並んでしまうと引き立て役となってしまう。
王妃様と向かい合わせになる席にいたのが、シェスティン=ハグベリ公爵令嬢。聞いていた通りまだ成長しきってない少女といった容姿。黒髪と大きな黒い瞳に好奇心をめいっぱい乗せて、私を見ていた。目は口ほどに物を言うとは、よく言ったものだと思うほどに。
そして折り返した席にいるのが、カールの妹カロリーナ。
こうして令嬢たちの紹介が終わると、今度は王妃様がみなに向かって私を招き入れるのだろう、最後の花嫁候補としての一人として。
少しだけ緊張を和らげていた私の予想を、王妃様はいとも容易くひっくり返してきた。
「皆さんにも紹介するわね、彼女はライラ=ストークマン男爵令嬢。ジークフリート自身が選んだ唯一の花嫁候補です。あなた方にはぜひ、彼女の未熟なところは支え、導いてさしあげていただきたい。わたくしがこの国に嫁いできたときのように」
驚きに声すらあげられずにいると、王妃様の横にいたエステルがすっと立ち上がる。
「……なぜ、男爵令嬢ごときが王妃候補なのですか、私には理解しかねます」
エステルはその言葉の棘とはうらはらに、声を乱すことなく、凛とした態度だった。王妃様に向かって堂々と異論をとなえ、そしてジークを見つめる。
「聞けばその低い爵位を恥じてその身を磨くどころか、下賎な者とともに土いじりに興じ、その時の姿は女を捨てているかのようだそうではありませんか。泥まみれになり、農民と過ごす令嬢……そのような王妃など聞いたことがありません。いっそ爵位を返上させてただの町の長にでも就かせればよろしいのよ。彼女の価値などせいぜいその程度ですもの」
一気に告げるエステルは、まるで能面のように強ばっている。それでも伯爵令嬢としての気概か、声音は冷静そのもの。
おそらく今の言葉が、彼女にとっての生き方そのものなのだろう。確かに間違ってはいない。爵位には順位があり、領地や権限もそれに倣っている。だから彼女のいう通り家格の違いは大きい。
だけど。それ以外の言葉について、私は受け入れることはできなかった。
「エステル、あなたの憤りはまあ理解できるわ」
横やりを入れたのは、王妃様の向かいに座る公爵令嬢シェスティンだった。
「でもそれを基準にしてしまわれると、私が一番にジーク兄様へ嫁がないといけなくなってしまうし、それはとても困るのだけれど」
え、困るんだ……私は驚きをもって彼女を眺める。
長い黒髪のサイドをいくつか細くまとめ、ビーズのような節飾りをつけたその先をいじりながら、少女は頬をふくらませている。
対するエステルはちらりと見返すだけで、冷たく言い放つ。
「子供は黙ってらして」
すると、まあまあと王妃様がその場をとりなし、私たちをひとまず着席させる。
仕方なしといった風にエステルも座り、待ち構えていた侍女たちがやってきて、皆の前にあった美しい花柄のカップにお茶をついでいく。そして侍女たちが離れていたたところを見計らい、シェスティンが再びエステルに問いかける。
「子供らしく聞いちゃうけれど、エステルの考える王妃の資質ってなに?」
先ほどのエステルの迫力など気にした様子でもないシェスティンは、ある意味最強かもしれない。そんな二人に挟まれたグレタの微笑みが、苦笑いにしか見えない。
「だから先ほども申し上げた通り、相応の高い身分と、それに裏付けられた統べる者としての教養。女性らしい美しさと立ち振舞いは、王妃にできる最上の助けとなるのです」
「言っておくが、妃の美しさに助けられねばならないほど、情けない王になるつもりはない。それにこれでも信頼できる優秀な臣下を選んで、次代の体制を整えているつもりだ」
「……ジークフリート様」
「だが、エステルの言い分にも一理ある。教養は必要だ。ライラはどう思った?」
え、私?
突然話を振られて、ぎょっとしてしまったのだけれど、ずっと様子を見ていただけの王妃様が「遠慮はいらないわ」と後押しをくれた。
だからきっとそれが役目なのだと理解し、持論を述べることにした。
「私は……私の立場でしか言えませんが、領民は財産で、土がなければ人は誰も生きていけません。下賎と蔑める仕事など、この世にただの一つだってないと思っています。確かに、ストークマン男爵家は力も弱く、借金を抱えています。けれどその借金を返すためのお金も、この美しい衣装も、目の前にある美味しいお菓子も、すべてあなたが下賎と呼ぶ民と土が産み出すものなんです。その民と土が愛おしく思う自分を、私は恥じていません。将来は領地を引き継ぎ、小さいけれど良く納めたいと努力してきました。きっとそれがひいては、王として国を治めるジークフリート様を、助けることになるのだと信じていましたし、それが一番よい選択なのだと」
でも、と。隣で聞いてくれているジークを見る。
「それで彼の重荷を少しでも軽くできるのか、分からなくて。領主に代わりは用意できても、王は独りですもの。それなのに王の持つ権力は、大きすぎる」
貴族の地位を与える権限は王にのみ存在する。その地位を保証するに足る権力があるから、貴族は与えられた領地で決まりを守って治めている。その代わりに王族への忠誠を誓わせる今の制度は、王一人の能力に国そのものが左右される。
「だから磐石の権力を保つために、あなたでは不足だと言っているのです。貴族など政略をめぐらし、私服を肥やす者ばかり。綺麗事で大事なものが守れますか」
叫ぶように語気を強めたエステルに、私ではなく隣のグレタがびくりと震えた。
その旧知の令嬢を一瞥すると、エステルがカップを持ち上げてお茶に口をつける。しかしその白く細い指が微かに震えているのに、私は違和感を覚えた。
「そうよ、私こそ相応しいと教えられてきた、そうでないとジークフリート様が……お父様が」
カタカタと揺れながら、ソーサーに落ちたカップ。鮮やかな赤味の液体が、跳ねて白いクロスに飛び散った。
「エステル様!」
とっさに庇ったのは隣で様子をうかがっていたグレタだった。しかし滴り落ちる熱いお茶はエステルの膝に落ちて、ドレスを染めた。
注いだばかりのお茶はまだ湯気をあげている。なのにエステルは気にするどころか、慌ててハンカチを取り出すグレタを突き飛ばす。そしてガクガクと震える手で空になったカップを持ち、テーブルに打ちつけて二つに割ってしまった。
「お嬢様!」
控えていたビューストレム伯爵家の侍女が、青い顔をして走り寄ってきた。けれどそれを護衛官の一人が阻止してしまう。
「お嬢様は調子がお悪いのです、どうか離してください。お薬を……」
しかし警護官は無視して、侍女を引きずって遠ざける。
一方、割れたカップを持つエステルは、それらの騒動が聞こえていないかのように、刃物のように鋭くなった破片を見つめる。その表情は、これまでの彼女とはうって変わって怒りに満ちており、鬼気迫るものだった。
危険を感じたジークは、咄嗟に隣にいた王妃様をかばい、わらわらと警護官たちが集まる。
それに触発されたのか、エステルは興奮気味に叫んだ。
「どうしてあなたなの、ライラ=ストークマン。私は……この手になにもないというのに!」
銀糸のような美しい髪を振り乱し、割れたカップを振り上げたエステル。
その破片が向かう先は私ではなく、エステル自身。
私は咄嗟にテーブルに乗り上げ、飛び付くようにして彼女に手を伸ばしていた。
そのぎらついた眼に、涙が溢れていたから。それがただ苦しかったから、他になにも考えられなかった。
隣で私の名を呼び、制止しようとするジークの手は届かない。
勢いよく飛び付いたせいで、飾られた花を撒き散らしながら、私とエステルは抱き合うようにして、ともに床に倒れこんだ。
「ライラ!」
甲高い悲鳴、それからジークが私を呼ぶ声。落ちて割れる食器の音、全てが同時に響いていた。




