28.カール=アレニウスという男
お祖父様に面会した翌日、マダム・ロッソが完成させた衣装を抱え、シェーグレン通りの男爵家にやってきた。さすが都で十年以上もの間、人気を保持するだけあり、その腕とサービスは伊達ではなかった。
全ての衣装を仕上げて、しかも小物まで揃えて届けてくれたというのがから、至れり尽くせり。
最初に店から使いをよこし、私の当面のスケジュールを聞き出し、コーディネートをした上でという手際のよさ。顧客が離れないその秘密を、垣間見た気がした。
ここに連れて来ているビルギットは侍女として長く勤めているものの、都の作法は明るくない。それは私も同じことで、これで不安は減ったと二人で抱き合って安堵したのだった。
昨日ヨアキムを図書館まで送り届けた後、衣装の手配をしてくださったお祖父様には重ねてお礼を言っておいた。お祖父様は唸りながら「不本意だったのだが」と前置きしたうえで、私に不自由はさせたくないと言ってくれた。
都に来るはめになった元凶がお祖父様だった、と言われればそうかもしれない。けれどお祖父様にはそれはそれ、これはこれですからと感謝の気持ちを伝えておいた。
「ライラ様、大事なのはお衣裳のことだけではありません。明日の茶会でお会いする方々についての情報は頭に入れておいてください。特に王子様の花嫁として一番の候補とされていたのが、公爵令嬢であるシュスティン=ハグベリ嬢。しかしながら彼女は御年十五歳になったばかり。そこでもっと相応しいお相手として登場したのがエステル=ビューストレム嬢です。彼女はそれはもう華やかな社交界の至宝。お年もじきに二十歳となられますし、ビューストレム伯爵家はメシュヴィッツ家に劣らない資産をお持ちです。淑女としての教養を施され、王子殿下のお隣に立たれるにふさわしい! それが今のところの評判ですわ」
衣裳を届けに来てくれたマダム・ロッソの弟子、ニナとエヴィが熱弁をふるった。彼女たちは私がどのような茶会に参加するのか、もちろん知った上で、それらの情報を立て板に水といった調子で教えてくれている。
もちろん親切で聞かせてくれているのは分かる。分かるけれども、そう一度では覚えられないというもの。
「この御二方だけではありません。手帳にはそのあたりも書いてあるんですよ、ライラ様ってばちゃんとお読みになられましたか?!」
「え? あ、その……読んだ方がよかったのかしら」
「そのためにお渡ししたのに!」
「そうですよ、わざわざ用意したのに!」
そのためにって……あの『秘密の手帳』が?
そういえば、マダムに衣裳を追加で頼んでくれたのは、お祖父様。もしかしてあれもお祖父様の差し金だったってこと?
驚きに固まっていると、部屋に誰か訪れたようだった。ノックの音にビルギットが反応して確かめると、お客様はケビ。
「ライラ様、少しよろしいですか」
慌てて双子が衣裳を片付けはじめ、私はケビを招き入れる。すると手際のよい双子は帰る支度を整えて私に頭を下げると、ケビとは入れ替わりでにこやかに退室していった。
「ケビ、もうヨアキムを送ってもらう時間だったかしら」
「はい、そろそろ」
「ありがとう、人手がないから本当に助かったわ」
昼過ぎから、一般開放が終わった後の夜おそくまで、ヨアキムは図書館に詰めるつもりだという。彼の面倒をみる人手が足りないことを悩んでいたら、ケビから手伝いの申し出を受けた。護衛官たちにそんなことまでさせられないと一度は断ったのだけれど、私たちだけでなく使用人も含めての護衛だからと爽やかに返されて、なし崩しにお願いすることに。
後でお父様には、彼らは私の性格を織り込んでのことだろうと諭されてしまった……確かに、ヨアキムや他の使用人たちが危ないことに巻き込まれるなんて、私には耐えられない。
「今日はご報告があります、ライラ様」
「報告? ケビから私に?」
「はい、先日ストークマン男爵領で暴れた三人の身元と、依頼主が分かりましたので」
身元についてはほぼ想定していた通り、地方の領地出身の平民で、少し素性の悪い商人の用心棒や盗賊まがいのことをして生計を立てていた者たち。お金次第で汚れ仕事を請け負う者は、この世界でもいる。どんな理由があろうと人を傷つけることは犯罪であり、身分の差なく捕まり裁かれることになる。
「依頼主についても、予想通りの人物でした」
「……花嫁候補の中にいるということですか?」
「関係が深い者です」
ちょうどそこに出掛ける支度を終えたヨアキムがやってくる。どうやら話を聞いていたようで、彼らしくなくケビに自ら歩み寄る。
「ライラ様をまだ囮にするんですか」
「ヨアキム」
彼をたしなめる私を、ケビ自身が制して彼に答えた。
「結果的にはそう言われても仕方がない状況です。ですが準備は万全、明日には決着がつく手はずですので、どうかご心配なく」
「万全って?」
「ヨアキム、招待状を受けとり、それに応じたのは私よ」
「いいのですライラ様、彼の心配も当然でしょう。そのためにライラ様には心づもりを願いしたく参上した次第です」
「心づもり?」
ケビが私に教えられるのは、まだ幾つもないという。ただここまでの準備で、ほぼ目的の令嬢以外を排除できている。実は周囲はすべて味方で固めてあるのだという。そこにイレギュラーとしての私の立場は、まだ崩せない。だから全てを教えられないのだと言う。
「当日はこちらの流れに身を任せて、何かなさろうとする必要はありません。以前にも申し上げました通り、ライラ様はライラ様らしく、そこに居ていただければ充分です。今は最後の仕上げをするために、殿下は王宮を動くことができません。ですがどうか、我々を……わが主を信じていただきたいのです」
つまり、これまで通り私は当事者にもかかわらず、何も知らされないということなのか。もともと表舞台には立ってこなかった立場、仕方がないことなのかもしれない。けれど不本意であることには変わりない。
「一つだけ教えてください」
「答えられることでしたら」
「あの手紙……あれは誰からだったのかしら」
刺客が来たことでうやむやになっていたけれど、あの針の入った手紙も同一人物なのだろうかと気にかかっていた。
「あの脅迫まがいの手紙は、シェスティン=ハグベリ嬢からです」
「……公爵令嬢?」
双子たちが真っ先に挙げていた名前だ。
「申し訳ありません、あの手紙は我々も把握しきれずにおりましたので……シェスティン様は殿下からきつくお叱りを受けております」
「では、シェスティン様は目的の方ではないと?」
「はい、最も近い我々の協力者と思っていただいてかまいません。ですが……」
ケビは少しだけ苦笑いを浮かべる。
「とても頭の良い方でいらっしゃるせいか、予想外の行動に皆が振り回されることも多くて」
つまり私への護衛が甘いと忠告するために、あの手紙をわざと送ったということだったらしい。事実、あの手紙が届いたことで、警備兵の増強を大っぴらにできたわけで……
やっぱり、私は明日に備えて秘密の手帳に向き合わなくてはならないと、覚悟した。
一人納得がいかない様子だったのはヨアキム。けれど図書館に向かう時間はもう迫っている。
「ねえヨアキム、昨日お願いしたこと、今日中に何か掴めそう?」
「薬の原材料のことですか、いくつか古い資料を見つけましたから、まとめてきます。どれも持ち出し禁止でしたし」
ヨアキムにそのことを確認していると、ケビの表情が変わった。
「もしやライラ様は、薬のことを調べているのですか?」
「ええ、昔から入ってくるのは分薬となった状態のみ。原材料を知らないのはとても危険です、どのような植物から抽出されているのか調べられないかと思いまして」
「……調べてどうするつもりです?」
やわらかかったケビの雰囲気が、緊張したものに変わる。やはり今回の問題の原点がそこにあることを悟る。
「危険な薬の原料となる植物が、万が一自生などしていたら困ります。自生できるものなら、栽培も容易ですもの。だから品種を確認したいと思いました。もし見つかるようなら、根絶させないと」
「……根絶、ですか」
「ええ、少なくとも男爵領ではそのような危険なものを、抱え込む必要はありませんわ」
ケビは私の言葉に納得したのか、それ以上は追及することはなかった。
戦争に使われていたのなら、普通の薬ではないと思う。気分を高揚させ、鎮痛作用をもたらすのなら、いずれ医療にも使われるかもしれない。だけどまだ早い。少なくともこの国では、コントロールしきれるとは思えなかった。ならば排除するしかない。まずは己の手の届く範囲から。
そうしてケビとヨアキムを送り出し、静かになった屋敷で明日の準備をしてその日を過ごした。本当は置いてこようと思った『秘密の手帳』を取り出し、なんとか情報を頭に入れようと奮闘する。そうこうしているうちに日も暮れて、得意先に「リヨン」を届けに行っていたお父様も戻ってきたようだった。
明日の王宮でのお茶会の件は、お父様もひどく心配してくれている。
けれどその目的が花嫁の品定めではないと知った今、どこか緊張から解き放たれた気分だった。
きっとケビが伝えてくれた言葉も効いているのだろう。
私らしく。私が知る彼なら、きっと私がしたい事も織り込み済みなのだと、信じたい。
真実を知らされて以来、ひっきりなしに見ていた『彼』が私を責める夢は、気づけば見ることがなくなっていた。
都で迎えた二度目の朝、珍しく澄み渡った青空が、冷たい空気を輝かせている。石の灰色が、所々積もった白い雪が、よりその青さを強調している。
着替えて食堂に向かえば、温室で見るよりも髪がぼさぼさのヨアキムと遭遇する。聞けば昨夜遅く、日付が変わってから帰宅したらしい。そして彼からずっしりと紙の束を手渡された。
「僕、限界なのでこれから寝ます。すみませんけれど、ご自分で読んでもらえるとありがたいです」
「もちろんよ、ありがとうヨアキム。今日はゆっくり休んでいて」
ふらふらと部屋に帰っていくヨアキムにお礼を言い、食堂で私は彼がまとめたものを読み始める。
薬の原料は、見たことがない可憐な花が散った後にできる果実だった。花の名前は「アリョーシャ」というらしい。紅色の細い花弁が、八重になっている。一枚では剣のような鋭い形ではあるけれど、集まって咲く様はとても綺麗で華やか。まさかこんな可憐な花がと、誰もが思うだろう。
自然界には、思いもよらない毒を含むものであふれている。私たち人間が食べられるものの数なんて、ほんの僅かなもの。それらだって元々は毒があり、懸命に改良して食べられるようにしたものは、いくらでもある。
「ジエニス」と呼ばれる薬の効能についても、ヨアキムが書きとめてくれてあった。やはり戦意高揚と恐れを緩和するために使われてきたらしい。常時兵士が確保できない小国で、訓練不足を補うために……
ヨアキムが書き写してきた花の絵を、私は握りしめた。
この日、人生二度目となる王宮に足を踏み入れることになったわけだけれど、哀しいことにエスコートはいない。お父様は途中までは同伴してくれたが、王妃様が私的に開いたお茶会に入るわけにはいかず、控室に案内される前には別れねばならなかった。側についていてくれるのは、侍女のビルギットが一人。身の回りの世話ということなので、当然ながら離れたところで待機。
時間になるまで待つようにと私が通されたのは、中庭が見通せる一室。
庭といってもいわゆる空中庭園。雪が積もり始めているこの季節。真っ白い雪をまとったトピアリーも、これはこれで見事なものだと感心していると。私のいる宮殿から中庭に伸びる通路に、ふと人影が見えた。
背の高さ、シルエット、それから明るい色の髪。
咄嗟にその人物を追って、私は中庭に通じる窓を開けて飛び出していた。
「カール……カールなの?」
肌を刺す冷気が、彼の名を呼ぶたびに息を白く染める。
通路を歩く彼が、私の声に気づいたのか、ゆっくりと振り返る。私はその金の髪を見たことで疑いも持たず、真っさらな雪の上に足跡をつけてかけよった。
だけどそこにいたのは、私が知っていたカールではなくて……
「やあ、はじめまして、可愛らしいお嬢さん」
にこやかに私を見下ろすその高さも、青い瞳の色も、声もよく似ている。だけど違った。
カールよりも顔立ちは甘く、優し気に見える。口元は笑みを絶やさないのは同じなのに、全然違う。
たじろいだ私に、彼はもう一度言う。
「ああ、始めましてはまずかったね。久しぶり、ライラ。ようやく王宮で会えた」
「カール……カール=アレニウス?」
「そう、きみの愛するカールだ」
ちょっと何を言っているのと驚いているうちに、彼はすっと私の手をすくい上げ、手袋の上から唇を寄せた。
ぎゃっ、と内心叫んでいるのが丸分かりなのか、彼はそのままの姿勢でクスリと笑ってから、スマートに私の手を解放してみせる。
ぷ、プレイボーイだ、この人。真正のたらしだ。
死語というか、誰にも通じないツッコミを心のなかで入れつつ、私は彼から一歩後ずさる。すると彼も一歩……私の歩幅など足りぬとばかりに、詰め寄ってくるではないか。
「ひ、人違いでした!」
この期に及んで逃げを打とうとした私を、彼は簡単に捕えてしまう。
捕えるというか、ダンスのように軽やかに腰に手を回され、くるりと通路の壁に追いやられる。
「そうやって、逃げる素振りをされると、追いかけたくなるんだ俺、うん。俺たち似てるからさ、きっと彼もそれでとりこになったのかな」
「……な」
すぐにカールが言っている意味を悟り、きっと彼を睨み返す。けれど甘い笑みは変わらず、彼の真意が掴めない。言葉通りなら、名前だけ使うつもりの小娘に余計なことをされたと、怒っているのだと受け取ってもいいだろう。カール……目の前の人は、王子を守るためにいるのだから。
そう思えば、彼が私の存在を面白く思わなくても、当然。
だけど私だって……弱小男爵令嬢にだって、言い分はある。
「彼にはまだ名乗りさえしていただけていませんが……そうですね、とりこになったってそのあたりも問いただしにきましたの。場合によっては、正気に戻っていただくことになるかもしれませんが」
色々と聞かされてきたけれど、やっぱり本人から確かめたい。あの夜のキスすら偽りだと告げられても、耐える覚悟はできている。私は不安から手袋の手をぎゅっと胸の前で握りしめていると。
するとカール=アレニウスのどこにツボがあったのか、突然笑い出した。
「そういや、きみの平手打ちは相当きくらしい。正気に戻すにはちょうどいいかもね」
私はハッとして手を下ろし、そんな乱暴な意味で言っていないと抗議する。
すると彼はさらに妖艶に笑みをたたえる。
「まさかきみが俺と同じ意見だとは思わなかったよ。もしかして似たもの同士かもね」
いやいやいや、私は決して色事が得意そうなたらしではありません。そう思いながら小さく首を振る。
するとカールはあからさまに残念そうな顔を作る。
「あからさまに嫌そうな顔されると、さすがに傷つくな」
「そうは言われましても」
「昨日、ケビから聞いたよ。『ジエニス』の元となる『アリョーシャ』を根絶させたいって?」
「そんな話まで……手に届く範囲でしかできませんが。危険なものは、完全に性質を把握できるまでは回避したほうがいいかと」
「実は俺もそう進言したんだ、けど医者たちが猛反発してきてね、押収した薬の廃棄ですら文句言ってくるぐらいだから。ジークもそれを本心からははねつけていない。役に立つ可能性が、救われるかもしれない命を惜しむ。天秤にかけて悩むんだ、ジークはさ」
カールは、医療で助かる可能性と今の危険を天秤にかけて、自分なら容赦なく今を取ると。
この人は、芯から王子の身代わりだからなんだと、理解する。ジークフリート王子に及ぶ危険を、誰よりもかぎ分けることに注力しているのだ。だから考えられる危険を取り除くために、未来の不確定な犠牲は捨ててしまえる。
マダム・ロッソがくれた手帳の記述にあるように、定まらない評判こそが彼の生きざまなのだと悟り、目の前の人物への印象が変わる。
ならばと、私はポケットに入れてあった紙を取り出して見せた。
「これは?」
「アリョーシャです。図書館で古い歴史書をあさって探し出しました」
カールの表情が一変する。
「五十年前の書に、小さく記述が残っていたようです。花の形状や色は多少変わってきているかもしれませんが、葉はそう変化しないはずです。自領ではどうとでもなりますが、それ以外は私には手が出せません。常習性が強いものだと厄介なので、早めに手を打つべきです」
私は紙をカールに押し付ける。
すると彼はアリョーシャの写しを受け取り、初めて困ったような顔を見せる。それがどこか彼……私の知っているカールと重なる。
長く禁止されていたせいで、手に入るわずかなものは全て薬にされたものばかり。元となるアリョーシャの生態が掴めないというのが、お祖父様の目下の悩みだった。
すぐにでもお祖父様に渡そうと思っていたけれど。
「俺を、信用するんだ?」
「はい、そうするのが一番いいと思います」
「世間知らずのお嬢様なんて簡単に騙されると思わない? 会ったばかりだろ」
「でも彼はあなたを信頼してるから。そうでなかったら自分を任せられないわ」
王子がカールとして訪れている時、自分という存在を任せていたはず。
「……どういうお姫様かと思ってたけど、あんたは領主、なんだな」
思いもかけないほめ言葉に、私は笑顔で「そうですよ」と、彼に胸を張った。




