27.自業自得?
メシュヴィッツ伯爵家は、王宮により近い場所に居を構えている。そのくせ敷地は驚くほど広く、馬車でくぐった門からしばらく走らせねば、屋敷には辿り着けない。領地はストークスマン男爵領よりもはるか南、広大な土地を任されている。肥沃な土地柄ではあるものの、国境を含み隣国と接しているせいで、男爵家とはまた違った問題を抱えている。
お祖父様は領地を親族に任せ、今はほぼ一年を通じで都で過ごしている。理由はその身分にある。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
馬車を降りれば、ずらりと並ぶ使用人と門兵たちが出迎えていた。使用人たちに混ざって目につくのは、長いコートの上から皮のベルトをつけ、長い剣を携えた武装した護衛兵士の姿。
そう、メシュヴィッツ家は代々、この国の軍事に力を持つ。次期当主である伯父様は現役の軍人であり、お祖父様自身も退役したとはいえその存在感は、まだまだ健在なのだそう。
緊張から手足を左右同時に出るヨアキムを引っ張って、お屋敷の奥に案内される。場所は家族が居住するあたり。
大きな暖炉があり、とても暖かい。重厚な色の調度品、大きめのソファ、ゆったりとドレープを描くカーテン。天井まである壁のタペストリーひとつ取っても、上品ななかにも落ち着けるよう工夫された部屋だった。私も初めて入るここは、きっとお祖父様の私室なのだろう。
待ち構えていた侍女に、コートを預けると、矢継ぎ早に暖かいお茶と甘いお菓子を勧められた。そういえば小さな頃からここの侍女たちは、とにかく見たこともない甘くて美味しいお菓子を用意してくれたっけ。
ヨアキムと二人、広すぎる部屋で身を寄せるようにして待っていると、私たちが入ってきた扉ではなく、反対側……中庭に通じるドアから大きな影が現れた。
「待たせたようだな」
熊のように広い背中に積もった雪を払う、白髪まじりの老人がメシュヴィッツ家当主であるお祖父様。いつの間にか激しくなっていた雪のなか、軽装のうえに手にしているのは幅広の長剣。それを待ち構えていた使用人に手渡し、代わりに差し出された上着を羽織る。
乱れた髪を大きな手で直しながら振り向くお祖父様の顔には、鼻から左頬にかけて横一文字の傷。大きな体がもつ威圧感と顔にある刃傷のせいか、子供の頃はお祖父様が恐ろしくてたまらなかった。
私は歩み出てスカートを摘まみながら礼をとる。
「ご無沙汰しておりました、お祖父様」
お祖父様は白い髭に豊かな眉を少しだけ上げてから、頷く。
「大きくなったな、いや……それは正しくないな、セシルに叱られる。ライラが美しい花のごとく成長したことを、喜ばしく思っている」
「ありがとうございます、お祖父様」
お祖父様が叱られると言いつつ振り返ったのは、屋敷のあちこちに飾られている、亡きお祖母様の肖像画。私の濃い髪の色は、唯一お祖母様から引き継いだ。それをお祖父様はいたく喜んでいらしたと、お母様から聞かされている。
「お祖父様、彼はヨアキムです。お手紙でお願いした図書の閲覧の件、ありがとうございます」
「ヨ、ヨアキム=ユーンソンです、はじめまして」
「きみのことはよく聞いている、遠慮はいらない。学園の施設は学びたい者に開かれるべきものだ」
お祖父様は使用人に声をかけて、持って来させた鍵らしきものをヨアキムに手渡す。
「特別閲覧室の許可証だ。鍵として今はもう使うことはできないが、古い名残でな。これを持つ者にしか、入れない部屋がある」
「……特別閲覧室、ですか?」
「ああ、そこには過去の記録から、外国の記録など様々なものがある」
過去の、という言葉に少しだけ違和感を覚える。
だけどお祖父様はそこで会話を一旦終わらせ、私たちを大きなソファーへ追いやる。そしてたっぷりのミルクを入れたお茶を用意させてから、私たちには甘い砂糖のかかった焼き菓子を勧めてくる。
「お祖父様に、お聞きしたいことがあります」
一度口をつけて、さらにミルクを足すお祖父様。それはもうほぼホットミルクなのでは? と問いたいところをぐっと堪えつつ、黙って促すお祖父様に、意を決して疑問を投げかける。
「お祖父様は、都の治安を守り、犯罪を取り締まる仕事をされているとお聞きしております。宰相補佐のノルダール侯爵やお父様と同じく、今回の王子殿下の花嫁候補選定について、お祖父様も関わってらっしゃるのですよね?」
「……エーランドがなにか言ったのか?」
「いいえ、お父様が教えてくださったのは、怪しげな薬が出回り、男爵家で作らせている薬が疑われたことだけです。その捜査のために私の名を使いたいと、ノルダール侯爵から打診があったと……ノルダール侯爵がいくらお父様と旧知の仲とはいえ、少々唐突感が否めません」
お祖父様は表情を特に変えることもなく、大きな手でカップをあおり、ほぼほぼミルクなミルクティーを飲み干した。
「というのは後付けの理由なのですが……本当のところは、お母様です」
「ウルリーカが?」
「お祖父様のところへ行くよう仕向けられました。確かに、理由としてはおかしくないのですけれど、まずは手紙でも良いはずなのに」
「理由?」
「はい、お母様が懐妊いたしました」
「…………は、かい…………懐妊?!」
初めて見る、お祖父様の狼狽した表情。大きな体をソファーから浮かせ、大きく開いた目はお母様と同じ緑。驚いた表情は一瞬のことで、あとは厚い手で顔を覆い、大きく息を吐いてソファーに身を落とした。
「なんと、驚いた。いや、まだ無理ではない年齢だが……そうか、それはなんとも嬉しい報せだ」
深い皺の刻まれた顔には、分かりにくいけれど喜びの色が確かに見える。
「お母様からは、直接お祖父様にお会いして、報せてほしいと説得されました。普段のお母様ならば、あまりしない事です」
「……そう、かもしれぬな」
「お祖父様は、長く軍で将をされていたのですよね。確か、国王陛下やその護衛官たちに、剣の稽古もつけていたと小さな頃、お聞きしたのを覚えています。その頃、まだお母様はここにいらした?」
「ああそうだな、ウルリーカは儂の娘としての人生、ほとんどをこの屋敷で過ごした」
「お母様も、お祖父様も、そしてお父様も、ジークフリート王子とは面識がおありだったんですね、知らなかったのは私だけで」
お祖父様は小さなカップを置いて、しばし黙り込む。
そんな緊張した空気に耐えかねたのか、ヨアキムはさほど好きでもない砂糖菓子を口に入れて、お茶のお代わりしている。
「ウルリーカが会ったのは、王子殿下がまだよちよち歩きの幼少の頃だ。面識というよりも、アンドレアス陛下とよく似ている、会えばすぐに察したろう」
「では、私が会ったカール=アレニウスは……」
「ジークフリート=レドルンド、グレンヘルム王国の王子殿下、その人だ」
私の横で、ヨアキムがむせて咳き込んだ。
お祖父様はやはり、都とストークマン男爵領で起きていた事を、承知していたのだ。
「詳細を伝えなかったエーランドを責めないでやってくれ、ライラ。王室の権限はおまえが考えるよりも、はるかに大きい」
「……どうして、ですか。いきさつは?」
お父様がいくら顔が広いとはいえ、何ができるわけではない。最終的にはカールを捕まえるか、ノルダール侯爵家の茶会に参加するしかないと思っていたのだけれど……
どうやら元凶は近くにいたみたい。お母様はそれをわかっていたのね。
「あれは、ほんの些細な爺自慢だったのだ。ノルダールの奴が初孫をそれは自慢してきてな。儂も負けじとライラがいかにセシルの特徴を映しておるか、いかに愛らしいかを競ってな」
「お、お祖父様が?」
とてもそのような事を外で口にする人物ではないと思っていただけに、恥ずかしさがこみあげる。
「儂にエーランドが加勢して、二対一で負けたのがよほど悔しかったのだろう。ノルダールの奴がジークの嫁探しを利用することにして、そこにライラの名前を入れてしまったんだ」
「……ま、まさかそんな些細な理由で?」
「いや、理由はもっともらしいのがあるが、ノルダールの最初の思いつきはそんなところだ。その後調べていくうちにストークスマン家にちょっかいを出している小物が引っかかった。そのせいもあり、ライラの名を外すタイミングを失った。儂は嫌な予感がしたし、反対したのだ」
憤慨するお祖父様に、どこをどうツッコミ入れたらいいのか分からず、唖然としながらも聞くしかない。
「私の名を使うことを、お祖父様は反対してくださったんですか」
「いや、そうじゃない」
「……違うんですか?」
肩透かしをくらった気持ちで聞き返せば、なんとも世間で語られる通りのメシュヴィッツ伯爵そのままの返答だった。
「犯罪を放置するわけにはいかない。可愛い孫や娘であろうが、多少の危険はあっても回避可能と判断できれば、利用しない手はない」
つまり、ちょうどいい囮になるかもしれないから、花嫁候補に名を連ねるくらいならいいと。
しかしお祖父様はそれも途中までのことだと言い直した。
「ジークが……ストークスマン男爵領での、天候には関係性が見られない収穫量の急激な増加、増益に目をつけおった。借金返済状況に興味を持って、いい機会だから視察に行くと言い出したんだ。少々急ぎすぎたのだライラ、こればかりはお前の自業自得といえる」
思ってもみなかった。
借金の返済も、収穫増も、全て領民の暮らしを向上させるため、それこそ寝る間も惜しんで励んできたことだった。褒められこそすれ、自業自得とまで言われようとは。
だったらどうすれば良かったのかと、私とヨアキムは互いに顔を見合わせる。
「ジークは聡い。儂のような兵の強化や統制、力を動かすために政略をめぐらす老兵よりも、紛争が終わったこれからのグレンヘルムに、もっとも必要な人間だ。そういう奴が、ライラに会えば興味を持つだろうことなど……火を見るよりも明らか」
「わ、私は……ただ手の届く範囲のことしか、できていません」
「規模などどうとでもなる。お前が試験場として使う温室や荘園での結果を、領地全体に広めるのと同じことだ……ああ、くそ。儂が目をつけたエーランドをウルリーカがかっ攫った時の、二の舞だ」
お祖父様は大きな体を丸めて、頭を抱える。
「……あの、最後の意味が分かりませんけれど、お祖父様」
「なんだ、知らなかったのか。エーランドは儂の手伝いをさせようと声をかけ、親族に加えるために褒賞仕事をさせようとしたところで、ウルリーカが見初めたんだ。儂を出し抜きよって……すっかり計画が狂った」
「出し抜くって、大げさな。あのお母様が?」
「ウルリーカも身体こそ弱く臥せっていることが多かったが、あれも我が家の娘。獲物に食らいついたら離すわけがなかろう」
私は、取り繕うように微笑みつつ、蛙の仮面を縫うお母様を思い出す。
「だが結果的には良かったと思い至った。ウルリーカは平穏を望んでいたからな。それを与えられる者は我が家には皆無。だが……いいか、ライラ」
「は、はい」
急に真剣な面持ちで、お祖父様が私をじっと見下ろす。
「儂がおまえにしてやれるのは、二つしかない。男爵の身分では足らぬと文句をつけてくる煩い輩を、この伯爵家の威光と武力の後ろ盾をもって黙らせること。もう一つはあらゆる手を使い、ライラの気持ちがついてこられるまでの時間を確保することだ」
お祖父さまの言う言葉をしばらく租借し、理解するのに時間がかかったけれど、要は……
「それは私にとっての選択肢が、一つしかありませんが……?」
震えつつも直接的な言葉を避けたのに、隣で聞いていたヨアキムがぼそりと口にする。
「花嫁は決定事項なんだ」
「う、嘘ですわよねお祖父様!」
「すまぬ、だがこれもまたライラ、おまえがいけない」
「今度は何ですか」
お祖父様はため息をひとつこぼす。
「ジークが最初に訪れたとき、おまえが渡した土産があろう。あれを誰に渡せと言ったか覚えておるか?」
「土産……ああ、葡萄ですね。確かご家族にって……」
そこまで考えて、私はサッと血の気が引く。
あれは隣国ボルツィオラ原産の果物として食べる実の大きな葡萄。彼がカールではなく、ジークフリート王子であれば、当然ながら家族とは……
『家族がとても喜んでくれてね。みずみずしくて美味しかった、ありがとうと伝えるよう言われたんだ』
「ヴァレンティナ王妃がいたく喜んだらしくてな。しかも王妃の故郷の味をしっかりと再現したとあっては、な……」
「な……な、私、そんなつもりでは」
王妃様に届くだなんて思うわけがないじゃない。
最初から……そう、最初から私は選択を誤っていたということ?
気の遠くなる私に、お祖父様はトドメを刺す。
「ジークも、戦術面でも暇になった儂が鍛えたからな。ウルリーカ同様……ジークが本気でライラを望んでいるのなら、既に手は回されているだろう。すまん」
あ、頭を下げられて納得できたら苦労はしません!
そう叫んだ後で、どっと疲労に襲われる。
お祖父様から聞いた経緯には、悶々と晴れない部分は多い。彼が嘘で始まった花嫁探しを真実にするつもりがあるのか、それすらはっきりと伝えられていない。
それに……そもそも知らなかったとはいえ、彼に心を持っていかれてしまった私が、今は誰を責めても責めきれるものではなく……
とにかくこのお話は、これでいったんお開きとなった。
私がお祖母様にますます似てきたとほくそ笑むお祖父様を促して、予定していた通り、ヨアキムを連れて都の図書館へ向かう事に。
王宮からすぐ南の区画に、貴族の子息と、平民のうち試験に合格した優秀な人材のために開かれた学校がある。
最も優秀な人材が集まると言えば聞こえはいいけれど、まだまだ。けれど貴重な文献が揃うのがその学校のみであるのは確かで、お祖父様も少ないけれど、戦略についての講義を頼まれる関係上、様々な資料が並ぶ部屋の出入りが許されている。
そこに入るや否や、ヨアキムの変人ぶりに今更ながら目を疑う。
ずらりと並ぶかび臭い書物に手を伸ばしたと思ったらもう周囲が視界に入らなくなっているようだった。これにはお祖父様も呆れた様子。
「多少、聞かれては不味いことも喋ったが、この男には意味がないようだな」
お屋敷では、私とお祖父様の会話を聞いてはいたようだけれど、まったく興味がない様子だったヨアキム。それなりに警戒しつつ、彼の表情や仕草をしっかりチェックしていたみたい。
「話す相手もここじゃいませんから、ご心配には及びません」
私は夢中になっているヨアキムのそばに屈み、彼の耳元で声を上げる。
「じゃあ、ヨアキム。私は帰るけれど、例の薬の元になる植物の情報、よろしくね」
「え? あ、うん任せてくださいライラ様」
そっけない返事だけれど、その顔は生き生きとして嬉しそうだった。
きっと放っておくと飲食を忘れるに違いない。私はもう一つ、ヨアキムのために、お祖父様におねがいをするはめになる。
彼が飲まず食わずで死なないように、監視をつけてくださいと。




