25.小さな後押しとライラの一歩
約束の期日を一週間ほど過ぎてから、再び男爵領にマダム・ロッソがやってきた。
目の前にずらりと並ぶ、仮縫いを終えた新しい衣装たち。
「ねえ、マダム? 私が注文したのはこの薄い紫の花柄一着でしたわよね?」
薄紫の花を模した可憐なドレス以外に、なんと五着も並べられている。用途も様々で、イブニングドレスから昼の茶会用、外出用の厚手の生地のものもある。およそ都で過ごす貴族令嬢たちのものを、間違えて持ってきてしまったのかと心配するくらい。
「ええ、分かっております、ですがこれらをご用意するようメシュヴィッツ伯爵様からご依頼を受けておりますわ。お孫様でらっしゃるライラお嬢様にご不自由のないようにと」
「お爺様から?」
一緒に仮縫い合わせに立ち会っていたお母様を見ると。
「ごめんなさいね、ライラ。どうしてもって手紙が来ていて。今回ばかりは断れなかったの」
基本的に私たち男爵家に口出しをしないお爺様にしては、珍しいことだった。私のことは孫の一人として気にかけてくれているようだったけれど、都に行かないことを責められたことは一度としてない。最後に会ったのは、二年前。とても威厳のある風貌に怖いと感じながら、ご挨拶したきり。
立場上、都に常駐しているお爺様が、私が今どういう立場なのか知らない訳はない。伯爵の孫娘として、恥ずかしくないようにということだろうか。
「失礼しまーす」
双子の助手によってまずは薄紫の衣裳を合わされ、細部を詰めたりしつけ糸を抜いて弛められたりと、私はされるがままで人形のように立ったまま考える。
やっぱり、このまま引きこもっていられる立場ではなくなったということなのだろうかと。
「あら、素敵です」
「本当、妖精が現れたみたい」
「いっそ髪を下ろして緩く結ったらどうでしょう」
「かの御方も目に留まること、間違いなしです」
「そうそう社交界の話題をさらって注目の的!」
「マダム、来年のお仕事もこれで安泰……」
「ニナ、エヴィ、おだまり」
マダムの一喝で口を閉ざす弟子の双子、ニナとエヴィ。それでも堪えた様子のない彼女たちはにこやかで、手にした針は止まることはなく早業だった。
あっという間に薄紫のドレスだけでなく、次々と衣裳を合わせて修正を施していく。
「いくつかは既成のものを手直しさせていただいております、なにぶん急な注文でしたので」
マダム・ロッソはそう言うけれど、とても完成度が高く、私が着ることを想定して既にデザインを直してあるようだった。さすがは都で人気の服飾家と、感心するばかり。
いくつか派手な花飾りを外して、上品なリボンに差し替えてもらうなどしたけれど、全てが終わるとマダムは誰よりも満足気だった。
「では、すぐにでも仕上げてお届けします。お届け先は、どちらにいたしましょう、ここのお屋敷ですか? それともシェーグレン通りの男爵家のお屋敷に、またはメシュヴィッツ家に?」
「……そうねえ、どちらがいいかしら」
「ちょ、ちょっと待って」
私は慌ててマダムとお母様のやり取りを遮る。
「メシュヴィッツ家もシェーグレン通りにあるお屋敷も、どちらも都なんですけれど!」
「そうよ」
「そうよ、じゃありませんお母様」
「あら、だって都に行くんですもの、あちらで受け取った方がいいわ。荷物になるし」
「あちらって……誰が?」
「ライラが」
にっこりと微笑むお母様。
「私は行けないもの、だったら代理をライラにお願いしようかと」
「お母様はいつも行っていないじゃなですか。それでどうして私がいきなり代理になるんですか」
「そう?」
「はい、私はまだ社交に参加するとは決めていませんし、お父様からも行かなくてもいいって……」
「そうだったかしら?」
私が頷くと、お母様も「ああ」と何か納得した様子。
まだ、イクセル様からの提案に答えを出せずにいたところで、お母様の暴走は心臓に悪いことこのうえない。
しかし、私がほっとして静かになったところで、お母様が爆弾を投下した。
「言うの忘れてたわ、お爺様にお会いして伝えて欲しいの。もう一人孫ができましたって」
うふっと笑うお母様。
私はしばし考える。
孫? 誰に?
そうこうしている内に、マダムが「そうそう」ともう一つの大きな鞄を取り出した。
彼女が手にしたのは、白い生地の束と、ゆったりとした衣裳。
「奥様には急ごしらえですが、お祝いのお品です。また後日しっかりと揃えさせて頂きますわ」
まあ嬉しいとお母様が受け取って自らにあてるそれは、どこからどう見てもマタニティドレスで……
え……
ええええええ?!
「私は男の子がいいって言ったらね、エーランドってばやっぱり女の子の方が可愛くていいって譲らないの」
私が驚きのあまり言葉を失っている姿を見て、幸せそうにお母様が笑って言った。
そしてはっとしておめでとうと言うと、はにかんでありがとうと答えるお母様が、とても輝いて見えた。
どうやら先月の風邪だと思っていたお母様の体調不良は、妊娠の初期症状だったらしい。安定するまではと周囲に内緒にしていたというのは分かるけれど、どうして私にも内緒にしていたのと問えば。
「だってライラが一番過保護だもの。言ったらきっと困ったことになっていたわ」
先日、お父様と二人で隣村の祭り行事に参加していた事を思い出し、青ざめる。
するとそんな私の心内を読んで、お母様は「ほらね」と笑った。
「人生なにがあるかなんて分からないわね、ライラ。私はてっきり長く生きられないと思ったのに、こうしてライラと過ごせてるわ。でも幸運だからじゃないのよ、エーランドがそうできるように支えてくれたからなの。諦めなくてもいいようにって」
マダムたちが大急ぎで広げていた衣裳を鞄にしまうのを見守りながら、私はお母様の言葉に耳を傾ける。
「どうなるか分からないなら、その時に望むように動くしかないわ。長く生きるずっと先のことを大事にしてたら、あなたに会えなかったのよ? そんなのありえないわ。だからライラも、ずっと遠くの未来に縛られないで。今知りたい事、今やりたいことを選んでもいいのよ。そうしていくうちに、きっと望んでいた以上の未来が待ってるから」
「……今?」
「そうよ、今。ライラがしたいことは何? 男爵家の跡取りとしてすべきでないことなんて、いったん置いておいてよ? 今はとりあえず置いておいてもいいの、エーランドはまだ元気だし、なによりこの子。家族がいてくれるんだから、一時くらいは許されると思わない?」
お母様の言いたいことは、分かる。でも私は意地悪なことを聞かずにおれなかった。
「……私はもう、跡継ぎとしてもういらない?」
「まあ、何を言い出すのこの子ったら。あなたが継ぐことには変わりはないわ、あなたを喜んで支える手がもう一人分、増えたってだけ。まだ小さな小さな手だけどね」
お母様がまだ膨らみも見せていないお腹を撫でる。そこに小さくとももう一人家族がいるのだと思うと、それだけで私は胸がいっぱいになる。
「でも、私はいま護衛までして守ってもらっていて、好き勝手したら……」
お母様がふふと笑って、幼子にするように私の頭を撫でた。
「ライラはなまじ頭がいいから気に病むのね。みんなの迷惑にならないようにって。でも問題ないわよ、ここに護衛を派遣するよりも、都にいる方が人手があるもの」
一つ一つ、私の頑なな心をほぐすお母様。
そんな私が答えを出すのを、マダム・ロッソとその弟子たちが見守っている。
「さあ、決めてちょうだい。ライラはどうしたい?」
「……わたし」
言いよどむ私を、お母様は優しい笑顔で待っていてくれた。
今したいこと。知りたいこと。
まとまらない心に、ただ彼の姿が浮かんだ。
「私は、知りたい。彼のこと……それ以外にも、もっとたくさんの事をちゃんと知りたい」
「うん、そうね」
「都に行きます、お母様」
行って問いただしたい。彼に。彼の気持ちを、そして彼自身のことを。
今回のことだって、彼なりの思いがあったろう。それを聞けばよかったのに、意固地になって聞こうとしなかった。結局なにも知らない私は、なにも選べなくて、前にも後ろにも進めなくなっている。
イクセル様が言った通り、たくさんの人、たくさんの出来事を経験したら、もっと自分を知ることができるだろう。たとえ都で辛いことがあっても、きっと得るものは大きいだろう。
決めてしまえば、驚くほどにすっきりとした気分だった。
「分かりました、では衣装は全て完成次第、シェーグレン通りのストークスマン男爵屋敷にお届けしますわ」
「ええ、よろしくマダム」
お母様の返事に、マダムと双子が深々と頭を下げ、前回同様に大急ぎで帰っていった。
この狭い領地から出て、初めて本格的に参加する社交界。シーズンは年の瀬から二月いっぱいまで。最後まで滞在するかは分からない。けれど最短でも一カ月は帰れないことになるだろう。
都に行く決意を伝えにきた温室で、ついでにヨアキムも連れて行くことを告げる。
するとヨアキムは、あれほど都の情報に憧れていたくせに、いざ現実となると尻込みをする。きっとそうなるだろうなと思っていたけれど、悲壮感漂う声で「ええぇ」とうろたえている。
「あれは、冗談だったんだ……そう冗談。それくらい察してくださいライラ様」
いつまでも泣き言を繰り返すヨアキム。
都へ行くのに、極度の人見知りなヨアキムを連れていくことにしたのには、わけがある。
都には大きな学府があり、そこには国で一番の専門的な資料が集められた図書館がある。この国にはない作物や農法の資料など、今後の温室での栽培に役立ちそうな本が、それこそ財宝のように眠っているのだ。これを今こそ掘り起こさねば、領地から離れる意味がない。
お爺様の伝手を使って、ヨアキムが出入りできるようにしてもらったので、せっかくだから連れて行きたい。
もちろんヨアキムもその資料には、大いに興味がある。だからこそ自分でも事あるごとに「都に行きたい」と言っていたのだ。
だけどそれ以上に、彼はヘタレだった。
「そろそろヨアキムも、己と向き合う時期がきたんだ、諦めろ」
そう言って騒ぐヨアキムを叱咤するイクセル様。
私が都に向かうことを決めるのが分かっていたかのようなイクセル様は、ついに旅支度を整え、明日には隣領との境にある山間部の村へ向かうつもりらしい。
「そうよ、人混みが苦手なのを完全に直せとは言わないけれど、そのせいでやりたい事を逃すのはもったいないわ」
「じゃ、じゃあせめて、もう少しメシュヴィッツ伯爵にお願いして、時間外の人がいない時の利用を頼んでよ」
「……わがままね、わかったわ一応お願いしておく」
それで何とか納得するヨアキム。
「ところでイクセル様も人が悪いわ、お母様の懐妊を黙っているなんて」
「悪かったと思っているよ、だが落ち着くまではと、それがご夫妻の願いだったから」
「知っていたからお母様のために、都に薬を届けに戻っても、すぐにまたこちらにいらしてたのね。少しおかしいと思っていたのよ」
ここ二年、イクセル様がお母様のために出していてくれた薬のほとんどが、健康を維持するようなものばかり。定期的に来てくれるのも、主な目的は薬草の買い付けであって、お母様の診察といっても確認くらい。そのため滞在期間は少なく、寂しいくらいだったのだ。
なのに今回は、いったん都に戻りはしてもすぐ戻ってきたりと、かれこれ一月以上の期間、滞在していた。
「ああ、初期は不安定だから。だがもう大丈夫、定期的に診にくるけれど、滞在先の予定は書いて渡した通りだ、困ったことがあったら知らせてくれ、馬を走らせてくるから」
そうしてイクセル様は大きな鞄を背負い、いつものように歩いて旅路についた。
この日、ミルド村に初雪が降る。
赤い土が白く塗りつぶされていく様は、長い長い冬の始まりを告げるにしてはあまりにも刹那で、幻想的な光景だった。
リヨンの収穫も無事に終わり、しばらくは軒下で冷たい風を受けながら、乾燥される。そのほかの漬物や保存食の用意も、何とか間に合ったようだった。
それから留守にする間、温室の管理に少し人手を増やすことになり、希望者を募ってもらった。それらを管理するのがロリと知っていたのだろう、どうやら若い希望者が殺到したようだった。その中に祭りの馬追いに出ていた幼馴染みが入っていたのは、まだロリには知らせていないここだけの話。きっと春には、ヴァーイが不機嫌な顔をしながら、色々と話を聞かせてくれるに違いない。
お父様と、いつもお父様に同行している使用人たち、そして私とヨアキムを乗せた馬車が、都に向けて男爵領を出発する。
すっかり雪に覆われた十二月末。あと一週間で年が変わろうとする日のことだった。




