23.嘘
寒さと恐怖に震える村人たちをまとめあげ、なんとか帰路に着く準備ができた頃。逃亡していた三人目の賊を捕まえることができたと、ケビたち護衛官の方から報告があった。とはいえまだ他にも林などに潜伏している者がいるとも知れない。ヴァーイをはじめ、体力に覚えのある村の青年たちが警戒しながら、村人最後の一人まで家に送り届けることになった。
緊急の知らせを受けたお父様が、執事たち男手を動員して屋敷のものと村で所有しているものなど、数台の馬車を集めて迎えによこしてくれた。
私よりも先に村人たちを運んでと頼んだけれど、私が先に屋敷へと戻るべきだと、カールによって否定されてしまう。
彼らは私をめがけて襲ってきた。捕まえた者たちはまだ昏倒から目覚めたばかりで、詳細を聞き出すに至っていない。確かめたわけではないが、それならば彼らの対象となる私がまず、村人たちから引き離すべきだと告げられてしまえば、引くしかない。
後の事はヴァーイに任せて、私は屋敷へ戻ることに。
執事シュテファンが手綱を握る馬車に乗り込めば、カールがそれを追ってきた。
「ライラ、後で必ず屋敷に行く、それまでは不安だろうが屋敷の中で大人しくしていてくれ」
「分かっています……あなたも、無理はなさらないで」
「俺の方は大丈夫だ。兵士の増員を手配してくる。それまでは護衛官で男爵家周囲の警護をまかなう」
私が頷くと、シュテファンは見計らったように馬車を発車させた。少しずつ帰路につく村人たち、それから心配そうに手を振るロリたちに見送られながら、先に安全な場所に向かわざるをえない自分に、ふがいなさを感じてしまう。
それにカール。
次第に小さくなる彼の後ろ姿を、複雑な思いで見守るしかなかった。
「ライラ!」
屋敷に着くと、お父様がいつにない真剣な表情で出迎えてくれた。
怪我はないかと尋ねられ、どこもと伝えるといつもの柔らかい笑みで、「よかった」と繰り返している。
「心配かけてごめんなさい、でもカールが守ってくださいましたから」
「カール様が……そうか」
お父様は彼の名を聞いたとたん、表情を曇らせる。
どうしたのかと思いながら屋敷の扉をくぐると、中で待ち構えていたらしいお母様に抱き寄せられる。
「ライラ、心配したのよ。怖い思いをしたわね、本当に無事で良かった」
ぎゅうぎゅうに抱きしめられ、幼子にするかのように頭を撫でられる。
「お母様、ご心配おかけしました。私は大丈夫です。でもすこし汚れていますわ、お母様もお召し物まで汚してしまいます」
「そんなのいいの、私の大事なライラ、あなたになにかあったらと思うと……」
弛めてもらった腕のなかでお母様を見ると、その瞳には滲む涙が光る。
こんどは私からお母様の背中に手を回し、その柔らかい肩に顔をうずめる。いつも変わらない、優しい匂いがした。
「お嬢様、お疲れではありませんか。温かい湯を浴びて少し休まれた方がいいでしょう」
執事からも労わりを受け、私はそうさせてもらうことにした。
使用人たちが色々と準備をしてくれてあり、中途半端に濡れて髪に染み込んだ汚れを洗い流して、ゆったりとした清潔な服に着替える。温かいお茶をいただき、独りにして欲しいとお願いして部屋にこもる。
色々なことがあって、少し考える時間が欲しかった。
楽しいはずのリヨン畑の仕事が、まさかこんな事になるなんて思っていなかった……ううん、兆候はあった。あの幼い脅迫の手紙。手早い警護兵の手配。狙い定めてまっすぐに私を狙った襲撃。
……そして、カールのあの髪。
私は思い立って、間続きの文机のそばにある引き出しを開ける。
普段使うスカーフやハンカチなどをどけると、そこにある黒い手帳。ずっとしまったまま、開けることはないだろうと思っていたもの。
私は勇気を出して手に取り、ページをめくった。
「……カール、カール=アレニウス……あった」
インデックスにある名は、どこかで聞いた有力貴族たちの名前。男性だけでなく、女性の名前もあるとは思わなかったけれど、探していた彼は王族たちから位置にあるので、誰から見てもかなり注目すべき人物なのだろうことがうかがえる。
そのインデックスに指をかけて、彼の項目を開くと……始まりは経歴からだった。
カール=アレニウス、王子つき護衛官。二十四歳、アレニウス伯爵家の三男。そのあたりは聞いていた通りのことが書かれている。しかし続く外見、容姿についてはなぜかはっきりと書かれていない。
肝心な部分に触れていないなんてと、後に続く噂など本当かどうかも分からない紹介記事が続く。マダム・ロッソの弟子である双子が言っていた通り、まず多いのが女性との色恋沙汰の噂。さる侯爵令嬢が王子様を見初め、カールに中継ぎを頼んだのをきっかけに、王子からカールに乗り換えただの。社交シーズンには王子よりもカールを探す娘が後を絶たないだの、いくつか読んで私はいったん手帳から目を離して、お茶を一口。
あまりの記述に頬がひくつくのは、気のせいではない。
けれどそれらの最後には注釈がある。あくまでも噂であり、当事者たちからの原質は取られていないという。
正直なところ、むかむかしてくるので、それ以上はざっと読み飛ばすことを決めた。
しかし最後のまとめ部分で、ようやく見た目の印象について書いてあった。
行動、人となりも掴みどころがない部分が多いのはさることながら、その容姿についても印象がかなり変わる人物。美麗な容姿を無駄にするような、だらしなく軽薄そうだと称する者がいるのと同時に、誠実で強い意志を感じられる目をしていると言う者もいると。それから王子と同じ金髪だと言う者から、くすんだ茶色と表現する者まで様々だという。
私はそっと手帳を閉じる。
読まずにはおれなかったけれど、読んだことに少し後悔を覚えた。結局読んでも、この胸のモヤモヤは晴れはしなかったから。
私はこれらを読んで、ますます現実のカールが分からなくなる。
王子様を護るため、入れ替わっても分からないように髪を染めていると言われれば、それは筋が通る。けれど……
今日、もしかしたら護衛官たちは私を守ったのではなく、私を守る彼を護っていたとしたら?
それに彼らは初めて出会った祭りで、何て言った?
『ケビの同僚です』とわざわざ答えなかったろうか。
なぜ一人の護衛官であるカールの私的な行動に、同僚がついてくるの?
疑問を上げはじめたら、きりがなくなってくる。
指が、自然と王族のインデックスにかかるけれど、開くことをためらう。この頁を見てしまったら、後に来るであろうカールと、私はちゃんと向き合えるだろうか……
「……ううん、ありえないわ、普通」
私は少し気持ちを入れ換えたくて、窓を開けに立つ。すると玄関前の広場に、馬車が一台停まっているのが見えた。
きっとカールが来ているに違いない。そう考えて、私は部屋を飛び出した。
エントランスに通じる階段にさしかかったところで、扉の前に立つカールの姿が見えた。彼はもうすっかり元の濃い髪の色に戻っていて、どうやらお父様と話をしているようだった。声をかけて近づこうとしたところで、腕を引かれて立ち止まった。
振り返れば、私を制止したのは執事のシュテファン。しかも彼は、自分の唇の前に人差し指を立てて、ひっそりと呟く。
「お待ちください、お嬢様」
「どうしたの、シュテファン?」
「話が違いますぞ、カール様!」
聞きなれないお父様の怒声に、私ははっと息をのむ。
執事に阻まれて駆けつけることはできずに、カールの胸ぐらを掴むお父様の後ろ姿をただ驚きをもって見つめる。
「ライラに危険が及ばないと約束してくれたから、私は黙っていることを承知したのです。それを……」
「……すまなかった、ストークマン男爵。すべてこちらの見通しが甘かったせいだ」
カールは己を掴むお父様の責めを受け止め、否定することなく謝罪のための言葉を述べる。
約束って、何のこと?
黙っているって、何を?
見通しが甘いって、何の話?
私の混乱を、執事は渋い表情で見守るだけで。
「どういうこと? 私の知らないところで、いったい何が起きているの?」
シュテファンはうんともすんとも答えようとしない。
執事は男爵家の忠実な僕。私のお願いよりもお父様の命令を守るのは当然のこと。ならば自らお父様を、カールを問い詰めなくては。
再びエントランスに向かおうとした私の手を、執事は離そうとしなかった。
「どうして、シュテファン?」
「申し訳ありませんお嬢様、旦那様からお嬢様をカール様に会わせぬよう、仰せつかっておりますので」
「そんな、それじゃ話が聞けない。カールだって言ってくれたわ、後で必ず報告しに来るって」
「ですから、旦那様がそれは伺っておりますので、心配には及びません」
そんな訳にはいかない。
「カール!」
大きな声で叫ぶと、お父様とカールがともに、私の方を仰ぎ見た。
お父様はすぐさま渋い表情で、執事をとがめるように目線を送っている。でもそんなものはこの際無視させてもらいます。
「私にもお話を聞く権利があります、どうして執事に邪魔させるよう命令したのですかお父様」
「戻りなさい、ライラ」
「だからどうして!」
手すりにつかまり、身を乗り出して訴える私に、お父様は頭を抱えている。
そして諦めたように、お父様は肩を落とす。
「……もういいんだ、ライラ。全ては終わる。すぐに花嫁候補から外れて、元の暮らしをさせてやるから。だから全部忘れなさい」
私は混乱して、お父様とカールを見比べる。
「いいか、ライラ。おまえの名前を、この父が貸したのがいけなかったのだ。全ての責任は私にある、ライラは何も悪くない、私を、浅はかな父を許してくれ」
「ちょ、ちょっとお父様、何を言って……」
いつも飄々としたお父様から、そのような何もかも諦めきったような言葉を聞こうとは。私は唖然としてしまう。
「カール、あなたからも分かるように説明してください」
憔悴しきったようなお父様とは違い、カールはただ冷静に私を見上げ、話しはじめた。
「以前から不適切な金の動きを見せていた、一部貴族の尻尾を掴むために、花嫁候補の選定を囮に使ったんだ。疑いをかけられていた者が、自分の娘を王族にと以前から殊更口にしていたのを利用して、証拠を集めるための捜査を進めていた」
カールが私に向けて告げたのは、思ってもみなかった事。
本当なのかとお父様を見れば、眉間に深い皺を寄せながら、私に頷いて見せた。
「じゃ、じゃあ、花嫁候補の選定は、嘘だったの?」
「そうだ」
あまりのことに、足がぐらつく。
それが本当ならば、何だったのあの苦悩は。だけど私ははっとする。嘘で片づけられるような、段階ではない。
「まって、公に候補の名が発表されたって……まさかそれも嘘?」
「いいや、公表されたのは事実だ。最初は公表前に、全てを片づけるつもりだった。だが目星をつけていた家だけでなく、背後にいるのがさらに上位の貴族である疑いが浮上して……ここで止めれば単なる尻尾切りに終わる可能性が高い。だからまだ続けざるを得なくなったんだ」
「それじゃ、私が残っていたのは……」
「分かりやすい囮として、こちらから男爵に交渉をもちかけた。会ってみたら聞いていた通り、花嫁を固辞してくるくらいだ、他をけん制することなどせずトラブルを抱えることはないと判断した。その代り、必ず守るからと護衛もつけたはずだった。だが……実際はそうはいかなかった。すまない」
カールが私に向かって頭を下げた。
……なんだ、そういうこと。
私は彼の説明は、とてもすんなりと腑に落ちる。
社交界に出たことがない私なら、他の令嬢たちと繋がりが希薄だもの。繋がりがなければ何か情報が漏れることもない。見せかけの候補にするには最適ね。
きっとあの針を仕込んだ手紙ですら、彼らには待ち望んでいた尻尾の一つなのだろう。
「あなたが男爵領に来たのも、囮に獲物がかかるのを、監視するためだったのね」
「……ライラ、どう言っても信じてもらえないかもしれないが聞いてくれ、俺は」
私は掌を彼に向けて、言葉を遮る。
それだけじゃない、きっと酷く不細工で、情けない顔をしていたと思う。
だから彼はそれ以上、言葉を続けることはなかった。
「いいのよ、もう。それ以上は」
「ライラ!」
「でもこれだけは聞かせてくれる?」
「……なんだ?」
「あなたは誰?」
一瞬だけど、彼が動揺したかのように見えた。
だけど答えは……
「カール=アレニウスだ」
「……そう」
私はカールに背を向ける。
いいえ、お父様にも、執事にも。全てからいったん背を向けて逃げ出すことに決めた。
廊下を足早に戻り、自室にこもる。
寝台に放り出していた黒い秘密の手帳を見つけ、もう一度箪笥の奥底にしまいこみ、外側の扉を閉める。
そのまま座り込んでいると、はじめてほろりと涙がこぼれた。
何も知らずに絆されて、彼を胸の奥に住まわせてしまった自分のチョロさに、笑いながら泣いた。
もう彼が誰かなんて、私が知っても仕方ないことなんだ。
それに花嫁にだってなる心配はない。
万々歳じゃないの、ライラ。
なのにこんなに悲しいのはどうしてだろう。
いつしか私は泣き疲れて、夢の中へと落ちていった。




