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2.ライラの秘密

「それでは私は用事がありますので、失礼します」


 この場をその一言で振りきるつもりだったけれど、甘かったみたい。

 検分役として現れた彼、カールの横をすり抜けようとしたのが、すっかり見破られていたようで、通せんぼされていて。

 いわゆるお見合い状態というか、なんというか。

 慌てる私とはうらはらに、彼はほんの一歩ずれるだけで私の行く手を阻んでしまう。だから傍目には私が彼に向かっていっているみたいになるのが、少し悔しい。


「……あの!」

「何か?」


 しらばっくれるなんて、なんて意地の悪い人かしら。

 ムッとしていると、お父様が助けに入ってくれた……と思ったら、私たちの横をすり抜けて階段を降りていく。


「ちょっと、お父様?」

「見てごらんよライラ、カール様が例のゴムの木を運んできてくれたようだ。早く植樹しないと!」


 御者に話しかけて、嬉しそうに荷台のカバーを外すお父様。こちらの事などもう見向きもしないその様子に、私は大きくため息をこぼす。


「きみが望んだ品ではなかったのか?」


 カールもまた男爵当主らしくないお父様に呆れた様子で、私に問う。


「ええ、そうですけれど、上手く生育してくれた暁には、その恩恵を受けるのは父の方でしょうね」

「例えば、どういう使い道に?」

「様々です、私は温室の補修に使いたかったのですが」

「温室を?」

「ええ。我が子のように可愛がっております。これから向かう予定でしたので、そろそろ私は失礼させていただきますね」


 これ以上遅れると、温室で待っている者たちに申し訳ない。忙しい家の仕事の合間に、手伝いとして来てもらっている娘さんたちがいるのだから。

 相変わらず馬車の脇で待ちぼうけのヨアキムの方を見て、淑女らしくカールに膝を折って挨拶をする。

 今度こそここを突破しようと歩き出すと、なぜか彼もついてくるんだけれど……。


「なあライラ嬢、あの木は温室に植えるのだろう? だったら今すぐこの馬車で運んでしまえばいい」

「でも……カール様は到着したばかりでお疲れでしょう、先に館でお休みになってください。カール様のお手を煩わせるまでもなく、木は私どもが……」

「いや、都からここまで馬車でたった一日、近いものだ」


 そりゃあ、辺境の領地に比べればそうですけれど、そういう問題じゃないんですってば。

 ニコニコしてついてくる彼を、どう言って振り払ったらいいかなんて、私には分からない。こういう時こそ社交界での経験があれば、もっとうまくあしらう作法でも学べたかもしれないけれど。

 見るからに都の騎士様といった風情のカールを引き連れて馬車に向かえば、ヨアキムが明らかに青ざめている。

 ヨアキムは身体が弱くて村の仕事には向かないけれど、頭はいい。だけど頭の良さで補いつくせないほどに、極度の人見知りで臆病なのだ。

 なんでそんな奴つれて来るのさとヨアキムの顔に書いてあるけれど、私だって知らないわよ。

 そんなとき、地雷を踏むのはいつだってお父様。


「ちょうどいいじゃないの、温室を案内してさしあげれば」

「お父様?!」


 人がその言葉だけは避けていたというのに、どうして気づかないのかしら。それともわざと?

 カール様に見えない位置から睨みをきかせるものの、お父様はニコニコしているだけ。


「それはいい! ぜひそうしてくれ、俺に気兼ねはいらないから」


 そしてなぜあなたは乗り気なの?

 そう問いたいものの断る理由が思いつかず、結局流されることに。


「気兼ねしているわけでは……でも分かりました。その代りと言ってはなんですけれど、お願いしたいことがあります」

「特別に花嫁候補に残してくれという願い以外なら何なりと」

「ち、違います、失礼ね」


 それは心外だと思わず出た本音に、私は口元を手で隠す。


「……コホン、失礼しました。そうではなくてですね、温室には貴重な草花を生育しておりまして、なかでも品種改良などの作業はとても繊細ですので、私どもの許可なく植物に触らないと約束していただけますか?」

「ああ、そういうことか。もちろん約束しよう」


 カール様は語気を荒げた私をとがめることなくそう言うと、いたく楽しそうに馬車の荷台に乗った。


「あの幌馬車の後ろについていってくれ」


 御者にそう告げると私たちにも馬車に乗るよう促した。

 なぜ私たちが彼の言う通りに動かねばならないのかと、内心もやもやするものの、時間が押しているのは事実。私はヨアキムをなだめ、幌馬車を出発させることに。


「ねえ、ライラ。あの人なんなの?」

「しっ、聞こえるわよ」


 眉毛を八の字にさせて聞いて来るヨアキムを、御者台に押し込みながら悩む。どう説明しても話が長くなりそうで頭が痛い。


「これは内緒なのですけど、彼は都から来た花嫁候補の検分役ですって」

「ええ?!」

 

 驚くヨアキムに指を立てて静かにさせる。


「ライラ、それ断るって言ってなかった?」

「断ったわよ、でもまだ正式に外してもらえてないの! だからね、あなたたちにも協力して欲しいの、ヨアキム」

「僕たちが? どうやって?」

「今回ばかりは、私の貴族令嬢らしからぬ部分を取り繕う必要はないわ、縁談を断られたいんですもの。だからいつも通りの仕事を彼に見せるから、あなたたちも何か聞かれたときは、真実を話して」

「う、うん……分かった。もちろん協力したいけど」

「けど、何?」

「ライラ、僕が人見知りなの知ってるよね?」

「分かってるわよそんなこと、出来る範囲でいいから! とにかく着いたらロリたちにも話を通しておいて。王子殿下の側近の方だから、くれぐれも失礼のないように」

「わ、分かったよ」


 ぐずぐずと言い訳を連ねそうなヨアキムの馬車の馬の尻を叩く。

 ゆっくりと歩き始めた馬車を見送り、私はカール様の隣へ乗り込んだ。人の手も借りずに乗り降りする令嬢など見たことがなかったのか、彼はぎょっとした顔をした。

 さすがにこれは不味かったかしらとチラリと振り返れば、見送るお父さまの顔が青ざめていたような気もするけれど、見なかったことにしようと思う。


「道すがら、ご案内いたしますね」

「ああ、よろしく頼む」


 ヨアキムの幌馬車を追って、私たちの乗る荷馬車も走り出した。

 男爵邸は少しだけ小高い丘の上にあり、緩やかな坂道を降りる。糸杉の並木の濃い緑と、その間から見える収穫前で色づいた葡萄畑の赤紫が、美しいコントラストを描いている。領地では最も美しい季節が、もうすぐやってくる。

 畑の間にある林ももう少ししたら赤く染まることだろう。

 その前にワインを仕込んだり、ソーセージや塩漬け肉の仕込みをしたり、これから忙しい季節を迎える。

 都から近い位置にあるとはいえ、その間には深い森が横たわっていて、それほど便利な街道が通じているわけではないこの領地では、なるべく冬の間も自給自足できるよう準備に余念がない。それは領地の領民が一丸となって当たるべきことで、自分も例外ではなかった。

 本当に、忙しいときに来てくれたわね……

 ついそんな風に考えていると、大人しく黙っていたカールも秋の景色に、目を奪われているようだった。


「ストークスマン男爵領は、豊かで美しい土地だったんだな」


 煌びやかで洗練された都会の人間に、そう表現されるのは意外な気がした。


「ありがとう、ございます……」

「予想を良い意味で裏切られた」


 カールの言い分に思い当たることはある。

 今でこそストークスマン男爵領は、それなりに収益を上げて豊かな暮らしができるようになった。けれど長い歴史の大半は、貧困と戦うことに終始していた。

 そう広くない領地では、悪天候での影響を受けやすい。そのせいで借金を抱えてしまうことが続いていた。他領の人間にはいまだ、男爵領が貧しいという印象た残っていても、それは仕方のないこと。


「畑は整えられて、よく管理されている。それだけではなく、道もきれいに保たれているだろう? 雑草もあまり見当たらない畔道は、よく日が当たり崩れにくいと聞いた。貧しいとそこまで手が行き渡らないものだ」

「……よく、ご存知なんですね」


 カールの言葉に、ただの護衛騎士だと思っていた彼の印象を少し改めた。


「そりゃあ、視察に行くのも仕事だからな」

「ああ、ジークフリード王子殿下の随伴ですか」

「……そんなところだ」


 確かにカールの言うとおり、貧しい領地は荒れ地が目立つものだ。特に山は苅られ荒廃し、水が枯れて土の質が落ちたりして、不作になりがち。いったんそうなると、負の連鎖から抜け出すのも一苦労だ。

 このストークスマン男爵領は今、お父様の商売のおかげで公共事業に資金をかけられるようになり、生産性が高まってきている。徐々にではあるけれど、領民にいくぶんか楽な生活をさせてあげられるようになった。その証というか、街道脇には所々だけれど、村の娘たちが余暇に花を植えたりと、村に彩りを添えてくれている。

 これまでの道のりだって平坦ではなく、皆が努力して得たものばかり。だからこそカールの言葉は、まるで自分のことを誉められたかのように、嬉しくなる。


「でもまだまだ、やれることはたくさんあります」

「やれること?」

「ええ、灌漑がまだ整ってない所があるので、今年の冬はそちらを優先的に手をつけたいんです。その工事が終われば貯水池との相乗効果で、イェイエル河の氾濫も、少しは治められるはずなんです」

「治水か、確か一昨年には被害が出ていたか……」

「ご存知、なんですか?」


 カールの言葉に、さらに驚いた。こんな小さな領地で起きた洪水を、覚えてくれている都の人がいたなんて。


「いや、ここに来るにあたって少し資料を」


 謙遜なのか、すまなそうにするカールに、私は少なからず彼の印象を修正する。


「人的被害はなかったのですが、麦秋だったので収穫に影響して、蓄えが不足することになり、かなり苦労させられました」

「そうか、水害のことは知っていたが、詳細は知らずにいた。申し訳ない」

「まあ、カール様が謝られることなどありませんのに、真面目なんですね。だからこんな役回りを押し付けられたのね、お可哀想に」


 図星だったのだろうか、彼は苦笑いを浮かべただけだった。


「それで考えたんです、いつもイェイエルの氾濫は初夏の収穫の時期が多いでしょう? だからいっそ収穫を早めてしまえばと」

「もしかしてそれで、品種改良を?」

「ええ、まだ試行錯誤ですけれど。とっても楽しいですわ、()()は手をかけてあげた分、素直に応えてくれるんですもの」

「……なるほど、それでそのような格好で励んでると」


 私をまじまじと見るカール。ポーカーフェイスではいたものの、彼もここに到着して以来、対面した私の姿に困惑していたのだと悟る。


「私の生きがいと思っています」

「生きがい?」

「ええ、土に触れ、季節を肌で感じて、収穫を喜び、自然からの豊かさを得る。そうして生涯をかけて、ここを国一番の豊かな荘園にしたいと。そう決めているのです」


 この手で作物を作り、土とともに生きたい。

 ──今度こそ(・・・・)

 知識が先でもなく、ただやみくもに突き進むでもなく。みんなと試行錯誤していく。それが私の、今生の意味だと決めたから。


 そう私、ライラ=ストークスマンは転生者だから。


 カールにどころか、両親にさえも言えない、私の秘密。

 そしてこれが、模範的な貴族令嬢として生きられない、最大の理由。

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