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19.月夜の告白

 村の中央広場はまだ人の目が多く、こちらの方がいいだろうということで、私はお屋敷に戻ってきていた。

 なるべく使用人たちも来ないように伝えて、屋敷の一階にある広間に集まるのは、私と執事のシュテファン、それから村長のヴァーイ。当事者のカールとケビがその場に立ち合い、ずらっと並ぶ私たちの前に項垂れているのは、今日もっとも賞賛を浴びたはずのアレクと、その友人であるフリクセル村の青年ダニエル。

 まずここに集まる前に説明されたのは、ケビの同僚である護衛官たちが、見物人のなかで怪しい様子のダニエルを見ていたこと。怪しいというのは、周囲が馬追いに夢中になっているのに、一人その輪に入らず周囲をうかがっていたという。護衛官たちは仕事柄、挙動不審な人物を見極める訓練をしている。その訓練された感覚に、ダニエルは引っかかったのだという。

 そうしているうちに、彼らの注目を集めている前でダニエルは、懐から手鏡のようなものを持ち、自分の髪や服を直しているような仕草をする。何度か手鏡を持ち変えたり角度を変えているなと思ったら、カールの乗る馬が暴れ出した。

 まさかと思いつつも、騒ぎに乗じて逃げ出したダニエルを追い、問い詰めたら軽い気持ちでやったと白状したらしいというのだ。

 緊迫した空気のなか、最初に口火を切ったのはヴァーイだった。


「幸いにも怪我人は出なかったが、やっちまったことは、どう言い訳しようが変わらない。そのところは分かってるよな?」

「……はい、申し訳ありませんでした」

「相手が違うだろうが」


 ヴァーイに一喝されると慌てながらダニエルは、カールたちに向き直り、頭が膝につくのではないだろうかと思うほどに、深く下げて謝る。

 冷たいようだけれど、ヴァーイの言うことは正しい。今回のことはしっかりと、お父様とフリクセル村の村長である叔父様に知らせることになった。

 一方で問題なのは、アレクの優勝をどうするかだった。それについて意見を求められたのだけれど、返答に窮する。

 ダニエルは自分の判断で友人であるアレクに肩入れをしてしまったと主張しているけれど、私は本当にそれが真実なのだろうかと疑っていたから。恐らく、ここに立ち会っている者のほとんどが、同じ意見だったから。

 事実、アレクはひどく友人のダニエルを責めて、自分がきつく叱るから今回のことは、こちらに任せて欲しいとしきりに頼んでくる。本当にアレクが関わりを持っていなくとも、その判断を下すアレクに対して、不快感を否めないでいる。

 だけどここで私が仕切らないと、祭りの締めのダンスが始められない。

 私はため息をつき、心を定める。


「アレクの優勝は、そのまま不問にしましょう。すでに伝えて花娘からの祝福を受けて終わったことですから。ただし、不測の事態が起きていたことは周知します、それでよろしいかしら?」

「ありがとう、感謝するよライラ。」


 素直にホッとした表情のアレク。

 そういう形で事を収め、祭りは滞りなく進めなくてはならない。あくまでも馬追いは祭りのうちの一つに過ぎないのだから。

 ヴァーイにダニエルを託し、話し合いは終わりとなるけれど、共に戻ろうとしたアレクを、私は呼び止める。


「アレクには少し話があるの」


 足を止めてくれたアレクに、祝福の件では伝え損ねたことを謝る。誤解させているのは分かっていたけれど、訂正する暇がなかったことなど。


「ああ、そのこと。残念だったよ、代わりにダンスはしてくれるんだろう? 優勝者の権利だったはずだ」

「最初は本来の花娘の二人からにしてもらうわ、それも勝者の義務よ」

「なんだかライラは、俺のことを避けてるみたいだよな、俺たち従兄妹だろう?」

「アレク……それとダンスは関係ないでしょう?」


 そんなやり取りをしていると、執事と何かを話していると思っていたカールが、私とアレクの間に割って入った。


「ライラとのダンスは予約済みだ、残念だろうが諦めろ」

「なんだよ、あんたは関係ないだろう、遠慮してくれよ落馬したんだから」

「おまえこそ、わきまえろ」


 なんと今まで穏やかな様子でいたケビまで、アレクに対して口出しをしてきた。


「この方は、ライラ=ストークスマン男爵令嬢。さる高貴な方の花嫁にと名前が上がるほどの方だ、いくら血が繋がっていようがその態度はいただけない」

「なんなんだよ、あんたら。失礼なのはあんたたちだ、俺は昨日、男爵からライラに求婚する許可をもらったんだ」

「それは違うはずです、アレクさん」


 執事のシュテファンまでもが、そこに加わる。


「旦那様からお聞きしていますよ。少し前から、ライラ様との婚姻をせがんでいたようですね。旦那様からは何度もお断りしたはずです。あなたのおっしゃる許可は、ライラ様にもはっきりと伝えてみればいいと言われただけでは? お嬢様がお受けするはずないのは、旦那様も分かっていることですから」

「……そう、なのか?」


 私は誤解が解かれるよう、はっきりと頷いて見せた。

 アレクは驚いたように私を凝視する。

 だけど驚いているのは私だって一緒。彼が私と婚姻を望んでいるだなんて、一切聞いたことがなかったから。


「どうして。俺のことが嫌いだからか?」

「いいえ、従兄として好ましく思っているわ、でもそれとこれは違うもの」

 

 幼い頃から村の人間として育ったアレクには、理解しがたいことかもしれない。ただ時おり垣間見るだけの男爵家の屋敷とその日常。一見華やかなうわべに憧れ、いつかそこに自分も加われるものだと思い違いした時があったのかもしれない。それは子供ならば責められはしない。ただの平凡な娘だった記憶を持つ私には、そんな気持ちはよく分かる。

 だけど彼はこれから村を率いていく立場になる。いつまでもかなわない夢に、足元をとらわれていてはいけない。

 だからこそ、私はアレクに淡々と告げる。


「私は、ストークスマン男爵家の次の当主を、誰にもあけ渡す気はありません。例え結婚相手にもです。でもだからといって、婿に来てくださる方が誰でもいいわけじゃないの。この国は、人々に厳しい階級を与えています、生まれた家が平民というだけで、例え能力が勝っていても、進める道は限られているわ。それが正しいとは私は思わない。だけど、今現実としてそうなっている限り、逆らっても領民のためにはならないわ。だったら、ここで踏みとどまって、限られた中でも一生懸命やっていく。それが私の務めなの。だから……」


 私は一呼吸してから、続ける。


「私があなたと結婚することは、絶対にないわ」


 アレクに自ら望みを告げさせる暇を与えなかった。彼はしばらく何かを言いたげに口を開くのだけれど、結局は言葉を飲み込んで肩を落とす。

 そんなアレクに寄り添ってくれたのは、きつい言い方をした執事だった。

 執事シュテファンも幼い頃からのアレクをよく知っている。だから今は、彼に任せることにした。


 皆が退室していくなか、残ったのはカールのみ。

 思ってもいなかった事態を収め、疲れから立ち尽くす私を黙って見守っていてくれていた。

 ……と思ったのだけれど、彼が手持無沙汰に弄っていたものを見て、悲鳴を上げそうになる。


「ちょっと、それ勝手に触らないで!」


 取り上げようとした狐の面を、カールはひょいと掲げて私の手をかわす。

 それどころか私の腕を片手で掴んで押さえ、もう一方でじろじろと仮面を観察しているではないの。そんなに近くで見たら、ほつれとか毛の始末の粗など、丸見えになってしまう。


「返して、それは駄目よ」

「どうして? 可愛い顔してる。ネズミか?」

「狐よ、失礼ね!」


 驚いた顔のカール。それだけで、仮面に対する評価が酷いものだって分かる。


「もしかしてこれは、ライラが作ったのか?」

「そうよ、初めてだから上手くいかなくて」

「へえ、ライラは狐になって踊るのか」

「違うわ、蝶よ」

「じゃあこれは誰が?」

「……べつに、誰にも使わせるつもりなんて……あ、ちょっとカール」


 狐の仮面を顔につけようとするけれど、紐が上手く縛れないようだった。

 落ちそうになる仮面を手で抑えながらも、楽しんでいるのか、なかなか外そうとしない。


「俺のためのものだろう?」

「そんなこと一言も言ってません。仮面は常にペアで作るのよ、それに倣っただけ」


 狐の仮面は、仕立ては荒いものの、カールの顔にはちょうどサイズが合ったようで、くりぬいた部分から、彼の青い瞳がじっと私を見下ろす。

 取り上げようと迫ったせいで、彼との距離はとても近く……


「ライラの蝶は?」

「……ロリの所に預けてあるわ。村長の家で支度をしようと思っているもの」


 冷静になって互いに距離を取り、いつも通りに言葉を交わしているはずなのに。私の心臓はいやに早くて困る。


「じゃあ、急ごう。ダンスが始まる」


 カールはそう言って私を強引に連れ出した。



 祭りの最後をしめくくるダンスは、中央広場で行われる。そこから集落の外れにある林の入り口に小さなお堂があり、そこに人々が神像を収めると、ダンスの曲がそこかしこで演奏される。歌う者あり、奏でる者あり、踊るものと入れ替わりながら、日付が変わる頃まで続けられる。

 動物たちに姿を変えた村人たちが、神様をなだめて送り返す頃には、日付が変わってお祭りもお終い。

 一年に一度の村人たちの楽しみも、同時に終わりをつげる。明日からはまた、冬に向けての忙しい準備が待っている。


「やっぱり少し結わいで、あとは髪を下ろしましょうよ、ライラ様」


 蝶の仮面を付けた私の髪を、綺麗に整えてくれているロリ。もう子供じゃないから髪は上げた方がいいと言ったのだけれど、花娘の白い衣装とのバランスがどうとか。結局ロリのお勧めに負けてしまった。

 村長の家を出た頃には、既に最初の曲が始まっていた。

 遠目にアレクが花娘の手を取っているのを見て、どこか安堵する

 アレクには、ダニエルとのことでたくさん言いたかったことがあるけれど、私にできることはもうない。叔父様に任せることにした。

 しばらくすると、大勢の村人たちがそこかしこで踊りだす。

 輪をつくり、またはお目当ての相手と二人きり離れた場所で、他には友人同士で小さくまとまっていたり。決まり事なんてない。

 みんな楽しくステップを踏むだけ。

 眺めて微笑む私の前に、一人の手が差し出された。

 それは黄金色の、美しい狐だった。

 重厚な刺繍の入った上着を着て、その下には松明の光をあびてキラキラと輝く鎖帷子。私のしつけの悪い狐の毛と同じ色の髪が、金色に輝く。


「お相手を願う」


 その手を取れば、ふわりと石段を下りて自然と踊っていた。

 私たちは蝶と狐。

 賑やかな祭りのなか、現実は遠く、私が誰なのかなんてどうでもよくなる。そして彼もまた誰でもなくて……

 いつしか踊りながら、静かな場所に二人きり。

 音楽は聞こえるけれど、丸い月に照らされる生き物は、私たちと羽音を鳴らす足元の虫だけ。

 ううん、違う。

 微かだけれど、通りに並ぶ糸杉の向こうに、馬の吐く息と蹄の音。


「もう、行くのね」


 カールは来た時と同じ姿。そして輝くような金の髪。きっと戻らなくてはならない事情があるのだろう。


「祭りが、終わらなければいいのにな」

「……そうね。蝶だったら、どこにでも自由に飛んでいけるのに」


 カールの指が私の頬をかすめて、長く下ろした髪をすくう。

 仮面で姿を偽っているせいか、心が無防備になってしまうのだろうか。彼の手に縋りたくなってしまう。


「そうしたら俺がすぐに捕まえる」

「無理よ、お祭りはもう終わるから」


 両手を伸ばして、彼の仮面を撫でる。お祭りは終わり。彼を狐から人に戻さないと、きっと私は蝶のようにひらひらと舞って、彼の手に捕えられてしまう。

 だけどカールの腕が伸びて、私を引き寄せその腕の中にすっぽりと収めてしまった。


「カ、カール」

「ライラが好きだ。今この仮面以外には、一切の偽りはないと誓う。本心からの望みだ、俺の側にいて欲しい」


 カールの言葉に、全身が震える。

 それが歓びから発するものだと自覚しながらも、彼に抱きこまれたまま必死に頭を振る。


「私は、男爵領(ここ)を離れられないわ。あなたにだって大事な仕事があるでしょう、それを捨ててなんて言えない。それに、あなたならもっと素敵な女性がお似合いだし、私と違って相手はいくらでも望める、だから」

「きみが応えられない理由なんて今は聞きたくない。ライラの気持ちは? 知りたいのはそれだけだ」


 応えられない理由。

 上げればキリがないほど並べられるそれらを、彼は飛び越えてしまう。狐が狩りをするかのように、私を捕える。


「苦しくなるって、分かってたのに。好きになるなんて馬鹿だわ私……」


 言い終わらないうちに、カールは抱きすくめていた力を緩め、唇にキスを落とした。

 びっくりして息をつめ、一瞬が永遠のように感じられた。

 

「しゅ、祝福は頬にするものですっ」


 真っ赤になってそう文句を言えば、彼は微笑みながら。


「仮面で口元しか空いてなかった。何なら仮面を外してもう一度するか?」

「結構です!」


 伸ばされた腕を、今度は全力で拒絶する。彼に比べたら短い両手を突っ張って押し戻し、距離を取った。

 油断も隙もあったものじゃない。

 そんな子供じみたやり方で文句を言う私に、カールは声を出して笑う。

 素直に感情を見せる彼のそういうところは、嫌いじゃない。

 彼は笑いながら、今度は自ら仮面を外す。

 彼がちらりと視線を投げた先には、彼を待つ騎乗したケビと護衛官の男性たちがいた。恐らく時間がないのだろう。私もまた彼を見送るために、蝶から人に戻る。


「必ず、会いに来る」

「……無理はしないで」


 近づく彼を、今度は拒絶せずに受け入れる。

 柔らかく触れた唇が、そっと離れる頃。まぶたを開ければ、既に彼は背中を向けていた。

 月夜が照らす村はずれの街道を、数頭の馬が駆け抜けていく。次に会えるどころか、会うことが可能かもわからない関係。

 ただ胸に焦げるような想いだけを私に与えて、彼はストークスマン男爵領を後にした。




 それから二週間後。

 鷲がツバキを咥える紋章、その横にもう一つ、紋章が加わる親書がストークスマン男爵家に届けられた。

 足に剣を持ち、雄々しく翼を広げた鷲の紋章。

 それが世継ぎであるジークフリート王子の紋章なのだと、私はこの時知った。


 同時に、私が王子殿下の花嫁候補として、未だ残されていたことも。

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