17.誤解と参加表明
本祭の日を迎えて、私は久しぶりに子供たちと遊戯に勤しんだ。
子供たちとともに朝から列の順番を並び、札を買う。これは札に書かれた指示従い、村の各所に設けられた通過点を巡るゲーム。小さな子から、成人前の大きな子供たちまで、森の手前から河川敷まであちこちを回る。
もちろん今は花娘の格好ではなく、いつも通りの動きやすい姿。
通過点では親たちが軽食を用意して待ち構えている。子供ごとにゲームやじゃんけんに勝つまで挑戦したら、札とお菓子を与えられて、次の通過点へ誘導されるという事の繰り返し。最終的に広場に戻ってこれたらゴールと、ちょっとした探検のようで、とても楽しい。小さな頃に数回、シュテファンに手を引かれて参加したことがあったけれど、ぜひもう一度やってみたかったのよね。
「ライラ様、お疲れさまです。楽しまれたみたいですね」
「ええ、久しぶりだったから本当に楽しくて」
両手につないだ小さな手は、札の道筋が同じになった縁で、ゴールまで一緒に歩いた子供たち。途中でもらったお菓子や飴で、みんなポケットはいっぱい。ようやく戻って来るのに、二時間もかかってしまった。
広場にはすでに大きな子供たちは大勢戻ってきていて、用意されたお昼ご飯を頬張っている。案内されるままに、一緒だった小さな子供たちを連れて席につくと、そこかしこで報告合戦が始まる。
「ライラ様は河にも行った?」
「ええ、ちょっと遠かったけど行ったわよ」
「ねえねえ、俺は森の方だったんだ、ちょうど鹿が出てきてびっくりした」
「それは驚いたわね、けがはない?」
「うん、知らないおじちゃんが追っ払ってくれたから」
「私はね、大きな馬を連れた人たちに会ったよ、怖くないの? って聞いたら触らせてくれたわ」
「あ、それ僕が取っといてあったのに!」
「まあ、喧嘩しない。たくさんあるから取りに行っておいで」
すぐに子供たちの話題は、出された問題やもらったお菓子の味くらべに移っていく。
付き添っていた親たちにトラブルはなかったかと尋ねれば、誰もが何もなかったと首を横に振る。
それで安心できるはずなのだけれど、私は昨夜見た人たちを思い出して、モヤモヤしが晴れなかった。そんな考えごとをしつつ、子供たちとともにサンドイッチを食べていると、探していたというロリに声をかけられた。
「ライラ様、戻られていたんですね……どうかしましたか、なんだか難しい顔をして」
「ううん、なんでもない。そうだロリ、もう着替えたほうがいい時間かしら?」
「まだ大丈夫ですから、しっかり食事を終えてから我が家にらいらしてください。衣装一式は執事さんがこちらに届けてくれてますから、うちで着付けてしまいましょう」
「助かったわ、少しはしゃいでしまって。お願いするわねロリ」
そうして村長の家で花娘すがたに戻った頃、アレクたちがやってきたようだった。
軒を出ると人だかりができていて、着いたばかりなのか馬上のアレクが見えている。声をかけようと近くまで行くと、アレクもまた気づいたようで馬から降りた。
「ライラ!」
「こんにちはアレク、それからフリクセル村のみなさん、ようこそミルド村へ。いらっしゃるのを楽しみにしていました」
アレクの他に若い男性ばかりが三人、同じように馬に乗って来たようだった。
そんな挨拶もそこそこに、アレクが私のそばに駆け寄り、興奮気味に手を差しのべてくる。
「すごく似合ってるよライラ、まるで花の妖精のようだ!」
「え? あ、アレク?!」
反応する間もなく、アレクの大きな両腕が私の脇に入り、まるで幼子を抱き上げるかのように身体を持っていかれそうになる。
ちょ、ちょっと、私はもうそんな子供ではなくてよ?
そんな反論を口に出そうとしたところで、宙に浮きそうになったつま先が、すぐに元に戻る。
「失礼、それ以上はやめておかれた方がいい」
私を抱き上げようとしたアレクの腕に、もう一つの手がかかり、押さえつけていた。
いつ側に来たのか、その気配も感じられなかった声の主を見上げれば、赤茶けた髪に、切れ長の目。それを更に細くしながら、アレクを睨む彼は、なんとカールの同僚ケビだった。
「おっと、なんだよあんた……俺は素直に嬉しくて……」
「この方は、ストークスマン男爵令嬢、相応の接し方があります」
「あ、ああ……そうだな、すまない」
気圧されるように、私を解放するアレク。同時に見ていたものの反応できずにいたヴァーイが、彼をそっと下がらせてくれていた。
「ケビ、あなたも来ていたのね?」
「はい、突然の訪問をお許しください。《《友人の》》カールに誘われたのですが、彼が少し仕事で遅れることになり、私だけでもと先に参りました」
「カール? 本当に来る気だったの?」
ケビは私の問いに、苦笑いを浮かべる。
「ええ、無理を押してでもと」
「……そう」
ケビの言葉に、嬉しさがこみあげてくるのを自覚して、頬が緩むのを抑えられない。
熱くなる頬を両手で隠しながら、歓迎する意を伝えると、ケビはアレクにしたように目を細めて私を見下ろす。ただし先ほどとは打って変わって、纏う雰囲気はとても優しく、口元を孤に描きながら。
「出過ぎた真似をしました。私はカールが到着するまで、その辺りを散策でもしています。どうかお気遣いなく」
「ぜひ、みなさんで広場でワインを召し上がっていってください、とても美味しいですよ」
「……ライラ様」
「あなたの他にも、いらしてるんでしょう? 子供たちがお世話になったお礼です、遠慮なさらないで」
ケビは肯定も否定もしないまま、私に頭を下げて「そうさせていただきます」と。そして広場の人混みをするりと抜けて、行ってしまった。
その後姿を追っている間もなく、ヴァーイが中央広場に集まった人々に声を上げた。
「そろそろ準備を始めるぞ! 気合い入れて酔いを醒ませよ、怪我人なんて出したらミルドの恥だからな!」
起き出してきた男衆が、歓びの声を上げると、自然と広場から人々が集落から南方向にある、広い牧場へと移動していく。
ヴァーイはアレクたちを村長の家に招き、ミルド村の馬追いのルールを説明するのだというので、私たちはそこで別れることに。アレクは何か言いたそうだったけれど、また後でと言えば頷いていた。
馬追いの会場となる馬場は、ミルド村で牧畜業を営むヘッグという男性のもの。彼は馬追いに魅了されている一人で、若かりし頃は毎年参加していたのだそう。村長のヴァーイとは幼馴染みで、何かにつけて競い合っている。体力的にヴァーイの方が優位で、馬追いではヴァーイに軍配が上がることがほとんどとはいえ、陽気で底抜けに明るいヘッグには、ヴァーイも助けらることが多いみたい。
「さあ花の娘さんたち、おまえさんたちは一番眺めのいい場所に席が用意されているよ。ライラ様もこちらにどうぞ」
ヘッグの奥さんが、私たち花娘を一番前の席に招き、クッションのついた大きな椅子に座らせてくれた。
目の前はとても広い馬場が広がり、砂が入れ替えられて万全の状態。観客は柵の周囲に自分で用意した木の椅子を置いたり、立ち見台を作ってあったり、村人たちが大勢詰めかけている。
野生馬を追い立てて、縄で捕獲するこの馬追いは、古くから伝統ある儀式のようなもの。今ではほとんどの馬が繁殖飼育されているものの、昔は野生の馬をどれほど確保できるかが、その集落の強さを決めた歴史がある。そんな伝統技術を残すために、各地で馬追いを祭りのイベントとして行っている。それともう一つの理由は、小さな村での繁殖では血が濃くなりすぎることがあり、新しい血を入れるためにも野生馬が必要になる。それを祭りを通して確保できるのは、一石二鳥というもの。
「もうすぐ最初の組が始まるよ、お嬢さんも手を振ってあげてくださいな」
歓声のなか入ってきたのは、もうすぐ成人を迎えるかどうかの少年三人組。体格こそ立派になりつつあるけれど、まだまだ馬追いにはおぼつかない。だから最初は、慣らされてあるヘッグ所有の馬を使って、模擬的な馬追いが行われる。
私たち花娘が立ち上がり、手を振って少年たちを歓迎すると、観客たちも拍手で迎えた。少年たちは照れたように真ん中へ進み、待っていましたと早々に馬が放たれる。
大きな歓声と鳴りやまない拍手。観客に囲まれていても、馬は少しも動揺することなく、楽しそうに馬場をぐるりと周回しはじめる。仕方なしに少年たちの方がおろおろと馬を追いかけ、逆に追い付かれ、どっと笑いが巻き起こったりと、賑やかに馬追いは始まった。何とか首に縄をかけたら、少年の組はそこで終了。そこまでの時間を競い合う。
少年組といえども、勝者が花娘から祝福を受けるのは同じ。私がエリクで作った花束を渡し、二人の花娘が彼らの頬にキスを与える。綺麗なお姉さん方からの祝福を受け、頬を赤らめる少年たち。大歓声のもとに健闘を称えられて、少年たちの馬追いは無事に終了した。
少しの休憩を経て、次はベテラン組の番。白髪まじりのお爺ちゃんたちが、手慣れた様子で馬の首に縄をかけ、あっという間に大人しくさせて裸馬に一人がまたがる。少年たちとは違い、馬に乗らないと終わらない仕組みになっていて、鞍がないからこれがまた難しいのだそう。
そこまで終了したら、しばらくは休憩になった。馬場には大人しい羊や豚が入れられ、馬追いに参加できない子供たちがやってきて、楽しそうに家畜たちを追いかけていた。そんな景色を見ながらお茶をいただいていると、花娘の観覧席と馬場を隔てる柵の向こうから、アレクが手を振っていた。
「やあ、ライラ」
「アレク、準備はどう?」
「これでも馬の扱いは村で一、二を争うと自負してるんだ、大丈夫だ」
「そう、楽しみだわ」
「……ライラ、少しだけ話をしてもいいかな?」
まだ休憩時間はたっぷり残っている。少しくらいなら大丈夫かと、花娘の二人にしばらく席を外すことを告げて外に出た。
アレクを連れて、馬場のそばにある小さな東屋の、日陰の中に入る。
「さっきはごめん、気を悪くしてない?」
「そんなことないわ、小さい頃の癖が出たんでしょう? 怒ってないわ」
アレクはそんなことを気にしていたなんて思わず、安心してもらおうと笑って見せた。
「なら良かった。俺、ライラに良いとこ見せるために頑張るからさ、応援してよ」
「もちろんよ、でも怪我だけはしないよう気をつけてね」
「絶対に勝ってみせるよ」
「あら、ミルド村のみんなもすごく馬の扱いが上手なのよ、だから……」
「俺は、ライラのために勝つよ。伯父さんにもそう言ってきたんだ。絶対に勝ってライラからの祝福をもらうって」
「え……ええと……祝福、を?」
アレクが目を輝かせて頷いた。
「ちょっと待って、お父様と何か約束でもしたの?」
「した。ライラに祝福してもらえたら、告白してもいいと約束を取り付けてきた」
「え…………えええ? こ、告……」
呆然とする私に、アレクは赤くなりながらもはっきりと言い切った自分に、自信を持った様子。
ちょっと待って、だって祝福役をやるなって、手紙で言ってきたのはお父様じゃない。
……どういうことですか、お父様?
そもそもアレクを婿にするのを反対していたのもお父様で。
「じゃあ、そういうことだから。必ず見てて」
「え、ええ、もちろん。花娘の役目、ですし」
「そうか! ありがとう、ライラ。おまえも同じ気持ちだったなんて、頑張るから俺」
そう言って、鼻息荒くその場を去っていくアレク。
肩肘を張って、まるで一世一代の大舞台に望むかのよう……って、待って待って、違うから!
追いかけて訂正しようとしたのだけれど、すっかり出遅れた上に、何をどう言えばいいのか分からず途方にくれる。
「ど、どうしましょう、なんでこんな誤解が……というか、アレクがあんなこと言うなんて、どうして? いつから?」
がっくりと項垂れて、ため息まじりにそう呟くしかなくて、近くに人がいたことに全く気付かなかった。
「へえ、あれが従兄のアレクか」
突然降ってきたその声に、全身が心臓になってしまったのかと思うほど、跳ね上がる。
そろりと顔を上げれば、目の前にいたのは、カール。
今までも洗練された格好をしていたけれど、驚いたことに今日は、宮廷騎士のような煌びやかな姿だった。立派な刺繍の入った厚手の上着の下には、薄いけれどしっかりとした鎖帷子が見えていて、腰の太い革ベルトからは見たこともないような長剣が下がっていた。そして、つややかな生地のマントが風に揺れる。
どこの絵本から出てきた王子様?
そう考えたところで、カールの後ろでこちらの様子をうかがっているケビの姿が。
そう、『仕事で遅れる』と、ケビが言っていた……まさかその仕事って。王子殿下の影武者──?
「やっぱり着替える暇も惜しんで、馬を走らせてきて良かった。危ない危ない。本当に、隙だらけだなライラ」
カールは大きなため息をついて、そう言う。
「危ないって……あなたこそ、その格好でうろうろしたら叱られますよ、王子様に」
「大丈夫、大丈夫」
「クビになっても知りませんからね」
「そうしてもらえれば、好都合なんだけどな」
クビになってもいいだなんて、そんなに激務なのかしら?
相変わらずよく分からない会話を笑顔で返され、素で頬を膨らませていると、カールが私の手を取った。
そして流れるような仕草で、指に息がかかるかと思う位置まで、唇を近づけていた。
「花の精かと見間違うほど、美しいよライラ」
「ひっ、急に、なに?」
「ライラ、祝福って、どういうこと?」
「は、放して、恥ずかしいからっ」
私が真っ赤になって手を引き抜こうとするのだけれど、びくともしない。
カールは涼しい顔で、もう一度言う。
「祝福って、どういうことか教えてくれたら、放してあげるよ」
「う、馬追いでの勝者に、花娘から与えられるキス!」
「それだけ?」
「あと、夕方からのダンスの最初の相手……きゃ!」
放してくれるどころか、握り込まれて引き寄せられる。ぶつかると思ったけれど、彼は優しく私の肩を支えて、元の距離に離される。
だけど、心臓が壊れてしまうのではないかと思うほど、ばくばく音を立てて鳴りつづけている。
「それで、きみは花娘なのか」
「急遽、そういうことに」
「分かった。ケビ」
カールが後ろのケビを振り返り、こう言った。
「俺たちも出るぞ、馬追いとやらに」
────はい?
 




