14.名乗りを上げる
お父様の忘れ物は、来月から手をつける予定の灌漑水路と溜め池の建設資料だった。アレクの住むフリクセル村にもかかる立地のため、諸々の打ち合わせが必要となる。祭りと合わせて、そのために向かったのにもかかわらず、一番大事な資料を忘れるだなんて!
お父様の書斎から資料の入った束を持って応接室に戻ると、ちょうど執事に用意されたお茶をアレクが一気飲みしていたところだった。
「早かったね、資料はあった?」
「ええ、こちらに。机の上に置いてありました。こんな目立つものをすっかり置いていったと思うと、情けないわ、本当にごめんなさいね」
今度のことで一番迷惑を被ったはずのアレクが、気にしていないよとと言って笑う。
「男爵を責めないであげなよ、夫婦揃っての外出はこの時期だけだろう?、男爵もそれは始終にこにこしてたから」
「お嬢様、私からもお願いします。旦那様の持ち物を確認しなかった、私の責任でもありますから」
アレクと執事の言葉に、お母様の手を引くだらしなくニヤけたお父様の姿が目に浮かび、仕方ないと言うほかない。
普段はあまりお出かけをしないお母様だけど、唯一祭りのシーズンだけはお父様に付き添って、各村の祭事に顔を出すことにしている。そのせいか二人の仲睦まじさを、領地では知らぬ者はいない。
お母様の体調を気遣うお父様にならって、領民たちはお母様の体調を第一に考えてくれる。そのおかげでお母様が無事に帰ってこられるのだと、私や執事はとても感謝していた。
アレクに手渡す前に資料の確認しながら、私は入れ直してもらった熱いお茶に口をつける。
「仲が良いのは、素晴らしいことだよ。ましてや自分たちの領主が、妻を大事にしてるのは誇らしいって皆が言ってるし、俺も男爵は素晴らしい方だと思う」
「そうね、ありがとう……でもあんまり仲が良すぎるのも、娘としては微妙なのよ」
アレクのお父様への称賛が、なぜかむず痒い。お父様のあれは真実、隠しようもないデレデレ夫なだけですのに。
とはいえ。貴族同士の結婚は、アレクの言った通り、政略も多い。特に家長の婚姻は様々な家の都合を優先させて、本人の意志が蔑ろにされることもあるのだそう。そのため夫婦は形式的なものになりがちで、愛人を外に囲っている男性もいるとかいないとか……
そうなると当然ながら子供に対しても、愛情が充分なわけもなくて。
もし私の両親が不仲だったなら、これほど自由に、好きなことをさせてもらえていたかどうか分からない。普通に令嬢の作法を習い、日々美容に心を砕き、社交界で華々しくデビューすることを最重要として生きていくしかなかったろう。
だから両親の溢れるほどの仲の良さには困る反面、とても感謝している。
「あら……資料が足りないわ、ねえシュテファン、地図が入ってないけれど」
「それはおかしいですね、昨日は三枚あったはずですが」
持ってきた束の中を確認していると、昨夜お父様と確認していた周辺地図が足りない。
そういえば、昨夜は工事の話の後に、お祭りのことで色々と雑談をしてから休んだのだった。もしかしたらと、再び書斎に行こうとすると。
「俺も一緒に探そうか?」
アレクがそう申し出てきた。
「わざわざ取りにきてくれたアレクを使うなんてできないわ、あなたはそこで休んでらして」
「平気だよ、手伝うよ。子供の頃は何度も入れてもらったから覚えてるし」
気にするなとアレクも立ちあがったところで、執事が動いた。
すっとアレクの進路を阻むように立ち、優雅に椅子を勧める。そしていつもの微笑をたたえたまま言った。
「書斎は旦那様、ひいては男爵家にとって大事な場所です。ご遠慮願えますかアレクさん」
「え、あ……ああそうか」
「ごめんなさいアレク、悪気はないのよ」
「いいよ気にしないで、俺は待ってるから。お茶も美味しいし」
執事が彼に一礼して、空いたカップに茶をつぎ足す。
「じゃあ、ライラが焦らなくてもいいように、これ読ませてもらいながら待つよ。いいだろう?」
彼が手に取ったのは、お父様が愛読している情報誌だった。都で貴族の間に出回る新聞のようなもので、月に一度だけ発刊されている。内容は様々で、領地間のトラブルのニュースだったり、盗賊の情報、作物の不作情報から流行り病、それから隣国の政治など。一番詳しいのは王族の動向で、それなりの立場の人間相手のものだから、予備知識がないと意味が分からない記事も多い。
都に出かけることの多いお父様にとっても重要な情報源でもあるし、留守を預かることになる私や執事にとっても、必要なものでもある。だから共有するために、応接間に置いてあった。
アレクはそれを待っている間に見つけたようで、興味を持ったらしい。
庶民の間にも同じようなものはあるらしいけれど、田舎に届く頃にはすでに古新聞のようなものばかり。だからアレクには新鮮に思えたのかもしれない。
「もちろんかまわないわ、でもゴシップがないから、読んでも面白くなくてよ?」
「ははは、女性にはそうかもね。でも俺はそういうの興味ないから」
興味深々とばかりに新聞を広げたアレクを執事に任せて、私は再び書斎に向かう。
浮かれたお父様が間違えてしまいそうな所、というと……きっとお母様が作った仮面を置いてあるあたりかしら。そう目星をつけて、書棚の脇の引き戸を開けると、思った通り仮面を収納する箱の横に、綺麗に畳まれた地図が三枚出てきた。
『嬉しくて、全部とってあるんだ』そう言って引き戸の奥に並んでいる箱は、全てお祭りで使った仮面だった。風習にならってお母様が手作りしたもので、毎年新しいのを作るから捨ててもいいはずなのに、お父様は大事にとっておいてあった。それを嬉しそうに、これは最初ので、次のはこんなに上達してとか永遠に聞かされそうになり、逃げかえった昨夜……。
「まったく、娘を相手にのろけないで欲しいわ」
そういえば先日、お母様がお父様用にと作った仮面は、蛙だったような……あれ? お母様のご自分のって確か、アヒルじゃなかったかしら。
昨年はお母様が猫とネズミはお父様、その前はコヨーテと……いyいや、深く考えるのはよそう。お母様はきっと何も考えていないに違いない。
「あら、これって?」
ふと手をついたお父様の文机。その上に積まれた本に肘が触れてしまい、崩してしまった。その拍子に、一枚の封筒がひらりと舞ったのだった。
拾い上げた封筒を元の位置に戻そうとしたとき、見るつもりはなかったのだけれど、偶然に文字が目に入ってしまった。
「……カール?」
差出人のところに書かれていたのは、彼の名前、カール=アレニウスと。
私はその封筒をすぐに戻すことができず、固まっていると……
「ライラ様、地図は見つかりましたでしょうか?」
扉の向こうで心配する執事の声がした。
私は心臓が跳ねたのかと思うほど驚き、慌てて手紙を本の間に戻した。
「大丈夫、今見つけたわ。すぐに戻ります」
「それは良かったです、では応接室でお待ちしています」
執事の足音が遠ざかると、私はどっと汗をかいてしまった。
一瞬だけど、手紙の中を読もうかという考えがよぎった自分を自覚している。それはいけないことだけど、お父様は三日間、フリクセル村から帰ってこない。だったら……
「ダメ、駄目に決まってる」
私は頭を強く振り、誘惑を断ち切る。
きっと先月訪れたことに対しての社交辞令的なお礼に違いない。貴族の礼儀としては普通のこと。誘惑にかられて読んでしまったら他愛もないことにガッカリするだろうし、罪悪感という得なくてもいい思いにとらわれる。
私は後ろ髪を引かれつつも、そう考えて足早に書斎を後にした。
必要な書類を全て確認して、私とアレクは彼の馬を預けてある村長の家に、再び戻る。
「シュテファンさんって、昔はもっと柔らかい印象だったのに、けっこうおっかない人なんだな」
屋敷のある丘を下りきったあたりで、アレクがそう切り出した。彼が屋敷に上がったのは、五年以上前のことになる。今の私より彼は幼く、中庭で開かれた立食パーティーだったこともあり、私たちは一緒に庭で遊び、屋敷の探検に励んだ記憶がある。
あの時だって、危ないことをしようものなら、執事からは雷が落ちていた。
「そうかしら、むしろ歳をとって丸くなったと思うけれど……彼があなたに何か失礼なことをしたのなら、私が謝るわ」
「違うんだ、ごめんそうじゃなくて」
「……違うの?」
うーん、とアレクが言葉を選びながら伝えてきたのは、執事がずっと彼を監視するかのように、着いてきたことだという。悪さをした子供の頃ならいざ知らず、もうすっかり成人した自分が警戒されるなんて、と感じたようだった。
「悪気はないのよ、ごめんなさい。今は両親ともに留守だから、彼なりの責任感がそうさせたのかも知れないわ」
「そう、か。ライラは今、一人で留守番だもんな」
「一人ではないわ、シュテファンはもちろん、メイドも、それから庭師も昨日から戻ってるし」
「使用人だけじゃないか」
「……そうね?」
屋敷は常に人がいて、そんな環境に慣れきっていたけれど、そういえば『前』は違った。家には家族だけがいるのが当たり前で、使用人なんていなかった。留守番といえば家には一人きり。
アレクが言おうとしたことにそこでようやく思い当たり、彼の優しさに気づく。
「みんな家族みたいなものだから、寂しくないわ。むしろしっかりと留守を勤めないとと、張り切っているわ。でも心配してくれたのね、ありがとうアレク」
「いや、礼を言われるほどじゃないけど」
大きな体を縮こませて、彼ははにかんだように笑った。そんな仕草は、昔と変わらない。
「叔父様と叔母様はお変わりない? しばらくお会いしてないわ」
「二人とも元気すぎるくらいだよ、相変わらず喧嘩も多いし。本当に男爵様夫妻がうらやましいよ」
「あら、賑やかなのは平和な証拠よ」
アレクは苦笑いを浮かべる。
叔母様は、とても明るい性格ではっきりと物申すタイプ。優しくて話し合いを重視する叔父様との組み合わせは、我が家の両親と似ている。男女逆なせいか、うちでは喧嘩にはならないけれど。
「男はさ、もっとこうハッキリと家族を引っ張っていくべきなんだ」
「ふふ、叔母様と同じようなこと言ってる。親子ねぇ」
私が笑うと、アレクはまた照れたような仕草。
「でもお父様は、領民の言うところの『尻に敷かれてる』ってタイプよ?」
「そんなことをないさ、だって奥様の方が身分が高かったのに、家督としてちゃんと従えてる。そうだろう? 父さんは村長だけど、結局母さんの元の身分に遠慮してて、情けない」
アレクの話す内容に、少しだけ疑問を抱く。
アレクの父である、ロルフ村長は穏やかではあるけれど、しっかりした方だと思っているし、叔母様はとても叔父を大切に想っていたはず。
とはいえ、うちの両親の方が異端なのは、承知している。貴族は財産の管理のために女性でも家督は継げるけれど、平民は特に男性が優位という意識は強いから。
「ねえ、アレク……なにか心配事でもあるなら」
相談にのるからと言おうとしたとき。
馬車が向かう先、森の手前から山へと通じる街道の分岐点で、手を振る人物が見えた。
「おーい!」
数頭の馬に乗った、ミルド村の男性たち。大手を振っているのは、村長のヴァーイだった。
アレクに頼んで、馬車を彼らの前で止めてもらう。
「お帰りなさい、その様子なら上手く捕まえられたのね!」
「もちろん、三頭の若い雄を確保できました、これで例年通り祭りができるでしょう」
「ご苦労様ヴァーイ、みんなも怪我がなくて良かったわ!」
「ん? 誰かと思ったらおまえ、隣村のアレクじゃないか?」
ヴァーイが御者台のアレクに気づき、感心したように彼の側に馬を寄せて、じろじろと眺め見た。
「すっかり図体がでかくなったな!」
「お久しぶりです、ヴァーイ村長」
「おお、生意気坊主が挨拶出来るようになったか、そりゃ目出度い!」
「なっ……いつの話だよ、それ!」
ばつが悪そうにアレクが言うと、ヴァーイは大きな声で笑いながらも、すまんすまんと謝る。
村長の息子といえど……いえ、そんな立場だからこそ、なかなか他の村に出向く機会がなかったアレクとの再会に、ヴァーイは喜んでいるようだった。
「せっかく来たんだ、ゆっくりしていけるのか? 何なら祭りに出ろよアレク」
「それは無理よ」
ヴァーイの誘いを止めたのは、私。
「なんだ、直ぐに帰るのか?」
「俺は、男爵の忘れ物を取りに来ただけなので」
「……そうなのか?」
アレクの返答を受けて、残念そうに確認してくるヴァーイに、私は頷く。
「できたら俺も違う村の祭りに参加してみたいけど、帰らないと」
「……そうか、そりゃ残念だな」
アレクもヴァーイからの申し出が魅力的だったらしく、残念そうな顔をしていた。すると、村人のなかからこんな提案が。
「今は帰らないといけないだろうが、また来ればいいだろ。親父さんと男爵様に頼んでみろよ、ミルド村の祭りに誘われたって」
「ああ、そりゃいい!」
ヴァーイも乗り気だけれど、そんなに簡単にいくかしら。それはアレクも同じだったらしく、首を横に振る。
「急には無理だよ、たぶん」
「なら、こういうのはどうだ? 今年の花娘はライラお嬢様にやってもらうから、その相手にお前も名乗りを上げるってのは!」
突然、自分の名前が出てきて驚いていると、周囲が一斉に同意する。
「それだ」
「お嬢様がなるなら、今のうちだしな」
「だったら俺も名乗りを上げるぞ」
「お嬢様にやってもらう良い口実ができたな」
「やってみろよ、馬追いで優勝できたら、そいつが花娘に祝福される花男だ」
「だが俺たちも簡単には負けないぜ、フリクセルとミルドのプライドをかけて、花娘になったお嬢様を取り合うか!」
や、ちょっと、待って。
そもそも花娘ってのは、村の娘さんたちの白熱会議の中で厳選され、その上で最後は遺恨が残らないようアミダで決めてるのよ?!
こんな軽い理由で勝手に割り込んだら、絶対に血を見るんだから!
「アレク、馬の扱いに自信は?」
不敵な笑みのヴァーイの問いに、アレクが緊張の面持ちで頷く。
そして固く握手を交わしてにらみ合う二人に、大喜びの外野。
ちょっと、このノリ誰か止めてください!




