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13.マダム・ロッソの「秘密の手帳」

 ストークスマン男爵領に、深い(あか)の彩りの季節がやってきた。森はすっかり紅葉が広がり、収穫を終えた畑と針葉樹などとのコントラストが美しい。それに加えて村の畑の畔道や、小さな家屋が連なる集落のあちこちに、エリクという紫色の小花が咲き乱れていた。最も忙しい日々を過ごした村人にとって、一斉に咲くエリクの可愛らしさは、労りと癒しを与えてくれる。

 そんな十一月の景色を眺めながら、私は一日お屋敷で過ごしていた。

 お母様のたっての願いを聞き入れ、新しいドレスを新調するために、細かい採寸などに付き合う。都で流行のドレスなんていらないってさんざん伝えてはいるのだけれど……。


 そもそも私は痩せっぽちで、あまり女性らしい体型ではない。日頃から忙しく体を動かしているためか、いつまで経っても肉付きは悪かった。まだ十八になったばかりだもの、これからもまだ変化はするだろうし、これぐらい許容範囲よね。なんて思っていたけれど、ロリたち同年代の村娘たちはしっかりと出てるとこは出ていて……

 だけど最近になってお屋敷のメイドが、嬉々としてお母様に報告してしまったのだ。

『ライラお嬢様の服が少々きつくなられました、まだ成長が止まったわけではなかったんです』

 それで喜んだお母様が、都から有名な服飾家(デザイナー)を呼び寄せる。それもまあ、いつもの事。


「奥様が着飾れるお年頃にはずっとベッドの中でらしたので、ご自分の夢を託してらっしゃるのですわ」


 私が何度目かのため息をついた時、呼び寄せられた服飾家(デザイナー)マダム・ロッソがそう慰めてくれた。

 彼女はお母様が嫁ぐ前から付き合いのある、その道では引く手あまたの人気デザイナー。二つにひっつめたプラチナブロンドが、よく笑う彼女の動きに呼応して、ふわふわと綿毛のように揺れる。

 昔を知るマダムの言う通り、病気を患っていた若かりし頃のお母様は、今の私よりもずっと鶏ガラのようだったろう。寄せて上げる脂肪もなく、そもそもコルセット自体無理。憧れがあったのは分かるけれど……今は何でも着られるじゃない。昔の夢を私にその叶えてもらいたいのだろうけれど、その期待には応えられない。だって……


「着る予定もないのに」

「あら、今年もライラは社交界には行くつもりがないの?」

「お母様だって行かずにいたからこそ、お父様と結婚できたんでしょう、なら私もそうするわ」

「お祖父様があなたに会いたがっていたのに、きっとがっかりするわね」


 そんなことを言いつつも、お母様はちっともがっかりした様子ではない。あくまでもドレスを娘に着せたいのであって、社交界にどうしても行かせたいち言わないところが、お母様らしい。

 都はこれから社交のシーズンに入る。年の瀬から翌二月いっぱいまで、貴族たちは領地を離れ、王宮のある都で過ごす。そこで互いに情報交換や、婚姻相手を見つけたり、場合によっては権力を得ようと様々な暗躍をする……らしい。

 お母様の父親、つまり母方の祖父はそれなりに力を持つ伯爵。最も大事な役目でもある子供を産むことが危ぶまれていたため、末娘を婚姻などで政治利用することはできなかった祖父。けれど息子たちはどちらも官僚と武人として、権力の中枢にしっかりと送り込んでいる、典型的貴族の当主。いわばしたたかな狸親父。

 そんな狸な祖父繋がりの服飾家(デザイナー)マダム・ロッソは、毎年ではないものの私たち母娘の衣裳を、何度も手掛けてくれている。そのため私たちの会話に今さら驚くことなく、てきぱきと採寸していく。

 ツインテールの双子(ツイン)な助手が、私の広げた両腕を支えてくれている間に、マダム・ロッソが測り終えた。


「確かに、女性らしい寸法になられましたね、ライラ様。ついでですから普段着も手直ししておきますね」


 そう告げると、私の返事を待つことなくメイドたちが服を取りに行く。

 ドレス一着に膨大な値段を支払うかわりに、こういったサービスをしてくれるのが、貴族相手には喜ばれるのだとか。持ち込まれた服を、手際よくサイズ直しのために糸を外し始める助手たち。その手際の良さには、いつも感心してしまう。

 マダムロッソは、双子の助手たちを働かせながら、記事見本のどっさり挟まったノートを取り出して、すっかり冷めたお茶の置かれたテーブルに広げた。

 ドレスの打ち合わせはまだまだ終わりが見えない。マダムの提案したデザインは、肩が広く開いた大人っぽいものだった。そしてざっと並べられた生地見本のなかに、紺に近い青を見つけて手を伸ばそうとしたところで……


「色はいかがなさいますか、どなたか好きな男性の色を選ぶご令嬢がほとんどです。特になければ今は……こちら、ジークフリート王子の金髪、それから青い瞳。この二つの色を取り入れるのが人気です」

「まあ、王子様の色が」

「そうなんです奥様、みな考えることは同じで。かえって目立たなくなるから、およしになった方がいいとお勧めするのですが、なかなか……」


 苦笑いを浮かべるマダム・ロッソ。まさか王子様の瞳がカールと同じ青とは露知らず、同じ色を選ぼうとした指を止めて、誤魔化すようにお茶の入ったカップに手を伸ばした。


「あら、青が殿下の色でしたら選べないわね、残念。じゃあライラは少し濃いめの麦色はどうかしら」


 お母様の提案に、口をつけたお茶を噴き出しそうになり、寸でのところで堪えた。

 思い切り咽ていると、マダム・ロッソが。


「あらあらあら、ライラ様にもようやくお目当ての方が? 麦色というと、少し地味ですが意外とそれも人気なのですよ」

「ごほっ、ち、違います!」


 何てことを言い出すのかと、涙目のままお母様を睨みつける。


「ほら、こちらをご覧になって!」


 マダム・ロッソは私の声など耳に入っていないのか、生地見本をめくって私に差し出す。

 それはとても光沢があり、光の角度によっては金にも見え、影になると深みのある黄みの強い麦色となる。とても不思議な生地だった。それがまるで、いつか見た彼の髪のようで……


「こうして深いワインレッドと合わせると、夕闇に輝く水面のよう。とても情熱的でしょう?」

「……本当、綺麗ね。これは人気が出るのも分かる気がするわ」


 彼の色だということは置いても、本心からそう思った。

 私がそう言うと、マダム・ロッソは肩をすくめ、部屋の真ん中の絨毯に腰をおろして縫物をしていた双子が、クスクスと笑った。


「実はこの色が人気な理由もまた、王子様の金と蒼と同じ理由なのです。王子殿下に付き従う、護衛の一人カール=アレニウス様のお色だから人気なのです」

「……カール、様の?」

「あら、さすがに彼の名はご存知でしたのね。彼は甘い笑顔と気さくなお人柄で、大人気ですもの。王子様と並んで高嶺の花とはいえ、もしかしたら可能性があるかもと、花嫁の座を狙う令嬢が後を絶たなくて」


 呆然とする私にそう告げたマダムの後を、弟子の双子が続ける。


「でも、女性に甘いから噂じゃ来る者拒まずって主義らしいです」

「泣かされた女性は星の数ほどいるんじゃないかって」

「うそ、私の友達の奉公している先のお嬢様が、けんもほろろに振られたって」

「意外と見る目が厳しいのかもって噂もありますよ、つかみどころがない男性!」

「こら、ニナ、エヴィ。おやめ」


 次々出て来る情報に、私はまったくついていけず。

 そんな双子の口を閉じさせると、マダム・ロッソは置いてあった道具鞄から、ごそごそと何かを探し出してきた。


「……まさかとは思いますけれど、カール=アレニウス様とは、ご面識が?」

「ええ、それが最近少し事情があって」


 お母様の返答に、マダム・ロッソは渋い表情を浮かべた。


「私としたことが、余計なことを口にしてしまいました」

「いいえ、そんなことないわ。ここは田舎ですし噂など耳に入りませんもの、とても面白いお話を伺えました」


 私は努めてにこやかに言うと、マダムはほっとした様子で、手にしていた黒い背表紙の冊子を掲げた。


「それなら良うございました。でしたらぜひ、こちらをライラ様に差し上げます。これは年頃の貴族令嬢、それも上位の家柄の令嬢たちが必ず一冊は持ち歩くという、特別季刊雑誌その名も『秘密の手帳』です!」


 押し付けられるようにして受け取ったそれは、表紙に何も題名が書かれていない薄い手帳。見るからに怪しげなこれは、なんだろう。本とマダムを見比べて戸惑っていると。


「ここにカール様も含め、令嬢方の結婚相手として候補に挙がる可能性のある男性、ほとんどの方の情報が網羅されております。家柄、容姿、社交界の噂まで……いえまあ、噂がほとんどですけれど」

「ほとんどって、真実は?」

「ふふふ、娯楽のようなものですから、ほほほ」


 マダムにつられて笑ったものの、自分の頬が引きつっている気がしてならない。


「とにかく、カール様の噂は特に多く載ってますわ、ご興味がありましたらどうぞ参考になさってください」

「はあ……お、多く?」


 気の抜けた返事を返すことしかできず、押し付けられた手帳を返すタイミングを失ってしまった。

 その後もマダムはご機嫌にドレスを提案してきて、結局はストークスマン男爵領の象徴であるエリクの花の色、薄紫をベースにした優しい色を選ぶことに。

 そんな打ち合わせの間に、十数着の手直しを終えてしまった驚異の双子。彼女たちを連れてマダム・ロッソは、仕事が詰まっているからと大急ぎで都へ帰っていった。

 次に会うときは、仮縫い合わせ。マダムだけが社交シーズンに間に合わせると意気込んでいたけれど、きっとその努力が無駄になるだろう。

 しばらくはまだ、これまで通り。土にまみれ、鍬と長靴と麦わら帽子が、私のドレス。

 今また会えば、カールの存在に揺らがない自信がないから。

 とはいえ、手にした黒いモノをじっと見る。

 ……どうしようコレ。

 怪しげな雑誌を手に、どうしたものかと私は頭を抱えた。




 秘密の手帳を文箪笥の奥にしまい込み、二週間ほどが過ぎた。

 彼の印象を壊したくない気がして、どうしても読む気は起きなかった。どうせ忘れてしまわねばならない思い出ならば、わざわざ傷つけることもない。

 カールが訪れたあの日から、そろそろ一カ月半になる。都は社交界パーティに忙しくなるだろうし、彼の方こそ私のことなど既に忘れているだろう。

 そうして忙しくしていると時間はあっという間。祭りの日が近づき、私も手伝いに奔走する毎日。

 村長や男たちは、祭りの馬追いイベントのために野生の馬を確保しに行ったり、新たな葉が落ち始める前に森から腐葉土を運んできたりと、やることは沢山。女たちはというと、祭りで出す食事とワインの準備から、最後のダンスでつけるお面作りをしている。

 今日は私もお面を作る。

 これまではロリたち村の女性たちが作るものを、一つ分けてもらっていたので、初めての挑戦。

 理由は二つセットで作らないといけないから。


「ライラ様はバタフライと……犬ですかそれ?」

「いいえ、きっとコヨーテよ!」

「違うわ、穴熊だと思う」


 今から言いづらいけれど、狐です。

 蝶の羽はなんとなく見れるように作れてはいるのだけれど、狐を選んだのは間違いだったみたい。鼻先が難しくて、毛もそろえるのが大変。

 祭りの最後には、顔の上半分を動物や虫にならった面を作り、全ての人が被ることになっている。

 お祭りでは豊穣の神様を呼んで一年の収穫をお祝いするのだけれど、神様はとても宴会好き。だからお祭りを締めくくるダンスではお面を被らないと、宴会を終わらせたくない神様が、人間を自分の世界に連れていってしまうんですって。それで連れていかれないように、動物に扮して踊るというわけ。

 お面はほとんど女性が作ることになっている。たいていの人は、好きな男性の分も作って渡す。既婚者は家族の分を作る。だから結構大変な労力。

 毛皮を使ったものから、刺繍を施したもの、飾り羽を使って特徴を出したりと、みんなそれぞれ工夫がしてあり、出来栄えを競い合うのも楽しい。

 

「誰に渡すつもりなんですか、ライラ様?」

「べ、別に誰にも渡さないわ。お父様は今年は隣村のお祭りに呼ばれているし、練習のためよ、練習」


 村娘たちに何度聞かれても、私の答えは同じ。

 ロリはそんな私を、可哀そうなものでも見るかのように、意地っ張りと言う。

 意地もなにも、彼はもうここには来ないんだから、関係ないわよ。そう言ってやりたいけれど、言ってしまったら認めるようなものだから、絶対に言わない。

 私がこんな気持ちになるのは、カールが村で馴染み過ぎたのが悪いのよ。そう、カールが悪い。

 とにかくそんなことを思いながら、やり過ごす毎日。


「じゃあ、俺が貰ってもいい?」


 娘たちが寄り集まっていたのは、村長の家の広間。

 予定より早い帰りだけれどと声のする方を向けば、そこにいたのは従兄のアレクだった。久しぶりに会った従兄は、またずいぶんと背が伸びて、大人の男性になっていた。


「アレク、どうしたの」

「伯父さんが来てくれたんだけど、どうやら忘れ物があったらしくて、俺が使いに来たんだ」

「そうなのね、ありがとう。久しぶりね、歓迎するわ」


 私はお面作りをいったん切り上げ、アレクとともに屋敷へ向かった。

 彼は今お父様が招かれている村の、村長の息子にあたる。将来は村の責任者として、責任を引き継がねばならない立場だ。


「そちらも祭りの準備で忙しいところでしょう? お父様が迷惑をかけたわね」

「そんなことないよ、ちょうどライラに会いたかったし」

「それならいいけど、私も久しぶりに元気な顔を見れて嬉しいわ」


 小さい頃は、たくさん遊んでもらった覚えがある。立場こそ違うけれど、親族として付き合うことを許されていたから。

 彼に馬車の手綱を任せて、私たちは懐かしい思い出話をしながら、屋敷へと向かった。

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