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11.勘違い

 ヨアキムの操る馬車に乗って、温室に向かう私たち四人。

 御者台の横には一人しか座れない。荷台は空いているけれど、カールに乗ってもらうにはみすぼらしいため、私が荷台に乗ると申し出たのに……


「ライラが椅子に座ればいい、女性を押しのけるなど紳士たる者のすることではない」


 そんな言葉を言われてしまえば、引くのも淑女の役目なのだろう。

 申し訳ないと謝りつつ、カールとイクセル様が荷台の幌の中に入ったのだった。

 今日は暑いので、荷台に幌をかけてきたのだというヨアキム。そんな後ろの荷台を気にしながら、私に耳打ちしてくる。


「……静かですね、無言なんでしょうかね」

「初対面ですもの、さすがに遠慮しているのよお互いに」

「……いいなあ、ライラ様のそういう鈍さ」

「どういう意味よ、さっきから」


 ヨアキムはもう一度ため息をつく。


「ライラ様は見てないからそんな呑気なこと言えるんだ。イクセル様にライラ様が抱きついたとき、カール様がそれは怖い顔をしてたんだ」

「あら……はしたなかったかしら、やっぱり」

「そういう意味じゃないと思いますけど……」


 そういう意味じゃなかったら、どういう意味?


「同じ都に住んでいるんですもの、これを機に交流されたらいいのよ。カールも護衛官として色々な所に赴いているらしいし、旅を繰り返しているイクセル様ともきっと気が合うわ」

「この狭いミルド村じゃないんだから、そうそう接点はないでしょうよ。都がどんなに広くてたくさん人が住んでいるのか、ライラ様も知っているでしょう?」

「だから広いからこそ気の合う人を探すのは重要じゃないかしら。それに私は一度行ったことがあるけれど、ヨアキムは知識だけじゃない。ずいぶん知ったかぶりするのね」

「知ったかぶりとは酷い。僕のは好奇心からくる正確な情報で、ライラ様のは嫌々行かされた時の記憶しかないでしょ」


 うっと言葉が継げないのは、ヨアキムの指摘が間違いではないから。


「……ヨアキムはまだ、都に行きたい気持ちはあるの?」

「そりゃあ、許されるなら都の図書館に住みたいくらいです。けど」

「人が大勢暮らしているものね……」


 黙って頷くヨアキム。

 ヨアキムなら都のそれなりの学校を出られるだろうし、働き口だってどうにでもなる。だけど極度の人見知りとあがり症なせいで、人混みを見ただけで気分が悪くなって卒倒してしまう。そのせいもあって、優秀にもかかわらずヨアキムは、男爵領でただの温室の番人をしている。

 交配の研究や土壌管理に彼の助けはなくてはならない。だからといってこの仕事が彼のためになるのかと、私としてはとても悩んでいるのだ。


「いっそ、ライラ様が都に行かれたら、僕はそれを口実について行くのにな」

「私がどうして都に? それにさっき行きたいけど行けそうにないって、あなた言わなかったかしら?」」


 ヨアキムは呆れた様子で、私を見た。


「一人よりましってだけだよ。それよりライラ様、また今年も社交には行かないつもりなんだ」

「……それが何かいけないことでも?」

「一応貴族らしいことしないと、お婿さん探しがもっと難航するんじゃないですか?」

「い、いいわよそうなったらそうなったで、養子をもらって家督を継いでもらえば」

「じゃあ、従兄のアレクと婚約するの?」

「そ、それは……」


 不可能ではないけれど、難しいというのが本当のところ。


「アレク様は男爵様の妹さんの血を引いているから本当は一番適任でしょうけれど、庶子ですもんね」


 従兄のアレクはたまに交流もあり、よく知っている。だけど結婚相手という意識を持ったことがなかったし、彼は貴族としての教育はまったく受けていない。もしお父様に何かあったときに、領地のことは自分一人の肩にのしかかってくる。協力者は他にもいるけれど、無視することができるほど夫の立場は軽くない。アレクにその役目を任せられるかと問われると、正直不安もあった。

 でも理由は他にもあって……


「それは初耳だな、資料にはなかったがライラに婚約者候補の従兄がいたのか?」


 いつから話を聞いていたのか、御者側の幌をめくり、カールが顔を出した。

 びっくりして振り返れば、説明しろとせっつかれる。


「お父さまの妹でらっしゃるマデリーネ伯母様は、一般の領民へ嫁ぎましたの。そのときに貴族院で定められた通り、男爵家の家督相続者から名前を削除されています。だから当主の血の繋がった甥といえど、アレクは平民なのです」

「それで記録がなかったのか」

「ええ、もしアレクを婿に迎えるとしたら、どこかの貴族にお願いして養子縁組をしてからでないと。とても手続きに時間も手間もかかります……不可能ではありませんけれど、元から貴族として名がある方を養子にしたほうがよほど早いですもの、アレクについてはお父様も前向きではありません。だから私は婚約者候補だなんて、一言も言っておりませんわよ?」

「お前自身はどう思っているんだ、ライラ?」

「どう……とは?」


 聞き返されて何のことかと考えていると、カールは焦れたように言う。


「ライラは婿を取って男爵領を継げれば、たとえアレクという従兄が夫になっても、いいと思っているのか?」

「夫? ……いいえ!」

「本当か?」

「ええ、考えたことはありません。でも、どうしてそんなこと気になさるの?」

「いや……」


 口ごもるカールの肩に、イクセル様の大きな手が乗せられる。


「それくらいにしてやってください、カール様。格好は村娘そのものではありますが、これでも私どもの大事なお姫さまですから」


 イクセル様の言葉に、カールがはっとする。


「すまない、ライラ。あまりにも不躾な質問だった」


 大丈夫と返事をしたところで、温室の前に馬車が到着した。

 なんとなくカールとは気まずいままに馬車を降りて、イクセル様を薬草園に案内することになった。

 貴重な薬草の栽培方法を教えてくれたのはイクセル様でもあるし、きっと見ているうちにカールも気分を変えることだろうと思った。

 そして私の考えはあながち外れてはいなくて……


「ライラ、この実はそろそろ収穫しないと」

「あ、はい」


 イクセル様が薬草の合間を分け入り、生い茂る手の平サイズの葉っぱの裏に実った赤い果実を指さした。

 その実は熟れすぎると、薬草としての効果が薄れてしまう。私は道具箱から出した鎌を片手に、イクセル様の後を追おうと、茂みに足を踏み入れた。


「一気に刈ってしまいましょう」

「まて、ライラ」


 畑に入ろうとしたところで、カールが私の肩を掴んで、引き止めていた。


「カール、突然危ないわ」

「ああそうだ、刃物だ危ない。だからその鎌は俺に任せて」


 私の持つ鎌をよこせですって?


「……まあ、カールってば。これも私専用の鎌ですのに?」


 慣れた手つきで刃に被せてあった皮のカバーを取る。手入れも自分できちんとしているし、そもそも鍬も鋤も鎌も鋏も、どれ一つ欠けることなく扱えなければ農業など出来はしないのに。

 それでも納得しないようで、眉を寄せたままのカール。

 そこに大きな笑い声がこだました。


「まるで十年前のエーランド様のようだ」


 イクセル様はそう言いながら、くっくと笑いが堪えられない様子だった。

 それにムッとした表情のカールが反論する。


「万が一ってのもあるだろう、彼女を淑女として扱うなら、危ないことを代わって何が悪い」

「淑女だからこそ、ライラの意見を尊重している。彼女を見くびっているなら、君にはがっかりだと言わざるを得ない」

「……な、なんだと」


 イクセル様の珍しい物言いに驚いていたのは、私だけでなくヨアキムもだった。

 二人して茫然とする間に、カールがイクセル様に詰め寄ろうとしていたのに気づき、私は慌てて彼の腕を取った。


「カール、心配していただけるのは嬉しいわ、でも大丈夫。こんなことで怒るなんてあなたらしくないわ。心配ならすぐそばで見ていればいいじゃない、ね?」

「……ライラ」


 たかだか鎌くらいで。カールもそう思ったのか、すぐに冷静さを取り戻したようだった。

 頷いてから私の後についてくる。茂みをかきわけて、イクセル様が支える枝の下、幹が束になったあたりに鎌を当てて、一気に刈り取る。

 鎌は手入れをきちんとしておけば、そんなに扱いが難しくはない。それに使う時もコツさえ分かっていれば、力をさほど入れることもない。


「ほら、あなたもやってみる?」


 私が差し出した鎌を受け取ると、カールも隣の株に刃を当てた。

 けれど使い慣れていないからか、何度か刃を入れ直して刈り、その切れ口はいびつだ。


「どうだった?」

「鍬のときも思ったけれど、鎌も難しいんだな」


 私はその言葉に、彼の人柄がよく出ていると思った。

 思っていたことが否定されても、間違いだったと分かれば素直に受け入れる。それは簡単なようで、とても難しい。

 彼がお父様の言うように、幼少の頃に親元を離されて成長したのが本当ならば、これほど真っ直ぐで明るい性格に成長したのだから、きっと側にいた王子殿下も悪い人ではないのだろう。

 私はカールを知ることで、彼の向こうにいる王子様という存在を、はじめて意識する。


 カールは真剣な表情で、手元で何度か鎌を引く練習をして、もう一度別の株を刈り取った。今度は私がしたと変わらないほど、あっさりと。


「もうコツを掴むなんてさすがね、普段から剣を扱っているからかしら」


 感心してそう言えば、カールはまんざらでもない様子だった。

 それからいくつか他にも収穫して、天日干しするものは手分けして網に広げたり、ちょうど梨が熟れていたので採ってみなで食べたりした。

 その後は、イクセル様はそのまま収穫した薬草を煎じるために、奥の調剤室にこもってしまう。ヨアキムも収穫後に与える肥料のかくはんや、花をさかせたフルーツの受粉など、やることがいっぱい。

 私はカールを以前には紹介していなかった洞窟の奥に、案内することにした。

 暗い洞窟内を、ランプ片手に進みながら、彼に説明する。


「絶壁の岩を掘削してできた遺跡は、まるでアリの巣のように奥にいくつかの部屋があるの。どうにか利用できないかと思って辿り着いたのが、菌床栽培と組み合わせ農法の研究で」

「……ライラは、研究熱心だな」

「まだまだよ」

「それ、前にも聞いたな」

「え? そうだったかしら」


 地下は足元が滑るうえに、暗い。段差を降りる手前で、カールが差し出してくれた手に、戸惑いながら重ねる。


「中には入れないけれど、ここはキノコと苔の栽培所」


 扉の小さな蓋を開けて見せると、まるで夜空の星を見ているかのような、小さな光。


「光る苔は、薬になるって聞いて。ヨアキムと書物をあさりながらここまで造ったの」

「書物?」

「そうよ、ヨアキムは人が苦手だから、学校をちゃんと出ていないの。お父様にお願いして、書物を集めてもらって独学で研究をしてくれているわ」

「……なるほど、それで俺はなんとなく避けられていたのか」

「気づいていました?」


 だいたい私の側にいるのに、カールがいる時は空気のように気配を消すヨアキム。カールは村人に受け入れられているだけあって、これでもヨアキムのカールへの態度はいい方なのだ。

 そう伝えると、カールは「あれでか?」と苦笑い。

 いくつかの部屋を見た後、私たちは目的の場所にやってきた。

 

「一番見せたかったのはこっちよ」


 狭い通路脇にある扉をい開けると、そこは建物でいうと三階分くらいの高さに鍾乳石が連なる広間。ただし、昔は閉じていた天井が崩壊し、亀裂から青空が見えている。

 暗い谷底である私たちのいる場所まで、亀裂から光が降り注ぐ。地面には苔がびっしりと生えて、所々に小さな雑草の花が咲く。ここは何度訪れても、どこか宗教画めいていて厳粛な気持ちにさせる。


「……素敵でしょう、カール?」


 振り向きざまに、いまだ手を繋いでいたことを思い出して、焦った。

 いえ、焦る必要なんてまったく無いのだけれど、少し強めに手を振りほどいてしまった。


「ごめん、なさい。わざとじゃないのよ?」

「あ、ああ」


 気を悪くしないでと謝ったつもりが、カールの返事は心ここにあらずだった。


「なあライラ。ライラは都に……その、王子の花嫁候補には、本当にならなくていいのか?」

「なあに、今さら」

「もう一度だけでいい、本心を聞かせてくれないか」


 思いの外真剣な様子のカールに、私は戸惑う。

 彼は、私をどうしたいのだろう。

 そんな疑問と同時に、お父様の言葉が甦る。

 ──彼に特別な感情を持ってはいけないよ──


「私は、王子様の花嫁にはなれません」

「……そうか」


 酷く残念そうに見えるカール。

 それがどうしてか、胸にチクリと痛みが疼く。けれどそれは私の勝手。だから冷静なふりを装ったまま聞いてみた。


「どうして、そんなに気にしてくれるの? 選ぶのは宰相様でしょう?」

「俺が……ライラが都に来たらいいと思ったから」

「……都に来たらって」

「俺は、カール(・・・)は常に王子の側にいて、王子妃になればずっと側に……だから俺はいつでもライラと会えるわけで」

「……ちょっと待って、それってどういう」


 何を、言うつもりなの?


「俺は、ライラがふさわしいと思う。いや、違う。誰か別の男に渡すくらいなら、ライラに王子妃になってほし……」


 それ以上聞きたくない。

 私はただそれ以上何も言ってほしくなくて、気づいたら、思いきりカールの頬を打っていた。

 鍾乳洞の固い岩肌に、その音がこだまする。


「……あなた、自分の言っている意味が、分かっている?」


 息をあらげて睨み付ければ、カールは驚き言葉を失っている。

 叩かれた頬ではなく、その口を大きな手で覆っていた。


「あなたはいいかもしれないけれど、私は嫌。王子様の花嫁となった時、私のそばに護衛官であるあなたがいるなんて……」


 カールは私のことなんて、何とも思っていない。

 いつからか、彼の優しさを勘違いしていたのかしら。

 今はその事実が、私の胸を締め付ける。

 勝手に彼へ特別な想いを芽吹かせて、酷いと叫ぶ。なんて私は愚かで見苦しいのか。

 恥ずかしさから私はその場を逃げ出す。

 私を呼ぶ声が聞こえたけれど、振り返ることはできなかった。


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