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1.どういうことですか

「いまだ花嫁候補から外されていないって、どういうことですかお父様!」


 男爵領の小さな領主館のエントランス。一応貴族ではあるので、お客様に恥ずかしくないようにせっせと磨かれた石壁に、私の声が反射して響いた。


「大丈夫って言ってらしたのは、どこの誰でしょうね、お父さま?」

「あ、いや、ほら……僕って押しに弱いんだよねぇ」


 首を傾けて見せるお父様に、心の内で「弱いんだよねぇ、じゃないわよ」と悪態をつく。

 四十越えた中年に、そんな可愛い子ぶられても気持ち悪いだけです。

 商談ついでに呼び出された王宮できっちり話をつけてくると、胸を張って出立したあの凛々しいお父さまは、幻だったのでしょうか。

 

「押されてはいそうですかと、流されるままで良いのですか? どういう経緯でそうなったのか、きっちり聞かせてください」

「うん、説明するから落ち着いて、ライラ?」


 私のイヤミなどさほど痛く感じてもいないくせに、苦笑いを浮かべるこの父は、商才だけが取り柄のストークスマン男爵家の当主、エーランド=ストークスマン。

 元々高くない地位をいいことに、好きで始めた貴人相手の商売が大当たり。規模は大きくないものの、希少な品物を扱うことで、今や貴族から裕福な商人などを相手に売り上げをのばしている。その関係で、本来ならば一方的にあしらわれても仕方のない高位貴族にも、いつの間にか交友関係を深めているらしい。

 ただし、地位はあくまでも末端の男爵。

 その交友はあくまでも社交界に限られていて、王族にまで直接繋がるようなものではなく、本来の立場の通り王宮に出仕することはほとんどないのが現実だった。


 ──だというのに。

 我が家に激震が走る通達が来たのが、二週間前。国王陛下からの親書が届いたのだから、さあ大変。

 なんと王子さまの花嫁候補の一人に、私の名が上げられたという。

 お父様は青ざめて乾いた笑いを浮かべ、お母様は卒倒寸前、執事は大きなため息をもらし、女中たちは悲鳴をあげた。

 青天の霹靂とはこのことで、その日から我が家は、上を下への大騒ぎ。

 それで当の私、ストークスマン男爵令嬢ことライラ=ストークスマンがそれについてどう反応したかといえば、もちろん断固拒否。

 だって私は貴族令嬢とはいえ、領地に引きこもりっぱなしで趣味に明け暮れる毎日。社交界なんて一度しか顔を出したことがないのに、王子様の花嫁だなんて、悪い冗談にしか思えなかった。

 そもそも、父の代になるまで食うのも困るほどの貧乏領地を抱えていた我が家にとって、きらびやかな社交界そのものが雲の上の世界。だから娘に着飾らせてあわよくば玉の輿に……なんて大それた野望など微塵も抱いたことはない。

 いえそれよりも、問題は私自身。

 淑女教育など当たり障りのない程度で済ませていて……要は幼い頃から、平民とさほど変わりない環境でのびのび育っている。

 王子様の花嫁候補だなんて、絶っ対にありえない。

 だから都から昨夜遅くに戻ったというお父様に、朝から詰め寄る。


「私はこれ以上ないほど、落ち着いてますとも。前にも言いましたけれど、王子様の花嫁ということは、将来は王妃になるという前提ですよね。この私に、なれるとお思いですか?」

「いやあ……それはさすがに無理でしょ」


 そうでしょうとも。

 きっぱりと言い切るお父さまも、貴族としてどうかとは思うけれど。

 今もお父さまを前に立つ私の格好は、ドレスどころかスカートですらなく、動きやすい乗馬服を改良したズボン姿。手にはつばの大きな帽子を持ち、絹ではない綿のスカーフを首に巻いている。シャツは仕立ての良い上品な襟のものだけれど、女性らしい薄手のものではなく、目のしっかりと詰まった日を通さない厚手の生地に、ベストを重ねる。さらに腰につけた革製のベルトには、鋏などの道具ポケットが下がる。

 とてもじゃないけれど貴族令嬢ではなく、庭師と言われても仕方のない格好だった。


「じゃあ、どうして花嫁候補からこぼれ落ちることなく、検分役なる人物が領地へ来ることになったんでしょう。お父さまはお断りするために、王宮へ向かわれたのでしたよね」

「うん、そのつもりだったんだけどね、王宮で宰相補佐をしているノルダール候に久しぶりに会ったんだ、ほら、ライラも幼い頃に会ったことがあるはずだよ」

「……あまりよく覚えてはおりませんけれど、確か養子に入られた元子爵家の方でしたわよね、隣領の……」


 父と同じようにヘラヘラと笑う、頼りなげな青年……おぼろげながら子爵家三男をそう記憶していた。


「そうそう、そのヘンリク=ノルダールにちょうどいい伝手があって、おまえが欲しがっていた南洋原産のゴム木が、手に入ることになってね。南国の領事館で育てていたらしいが、気候がやっぱり合わなかったんだろうねえ、枯れる寸前で。でもライラの温室に移植すればまだ……」

「お父様」

「……うん?」


 私が一言差し挟むだけで、よく喋るその口をつぐむのは、後ろめたいからなのだと白状しているようなもので……。


「可愛い娘を売りましたわね? そのゴムの木のために」

「そ、そんなことは決して、断じてないとも」


 目線を泳がせながらも、首を横に振るお父さま。往生際が悪いこと。


「それに悪くない提案でもあると思ったんだ、ライラが候補から外されなかったのは、情報がなくて保留になったままだったからだ。ライラは社交界に出ないだろう? だからさ、実際に見てもらえればライラが王妃に向かないことは、すぐに分かるだろう?」

「……それは、そうだけど」

「うん、だから検分役をこちらに寄越すって話になってね」

「検分役ですって? いったい誰が?」


 驚く私に、お父様は「まあまあ」といなしてくる。

 検分役というからには、それなりな地位の人物なのではないだろうか。


「王子の側近の護衛官だそうだ、貴族の出身だから王家にふさわしいか基本的な部分を見極めるにはちょうどいいって」

「側近……貴族」


 私の不安を察したのか、それとも押しに負けてきた負い目からなのか。お父様は私をなだめるように言い募る。

  

「なあに、心配はいらないさ。きっとすぐに不適格と判断されて、花嫁候補からは除外されるって。僕があれこれ話を通すとかえって目立つから、その方がいいってヘンリクも言ってたし」


 じっとお父様を見つめる。

 娘に睨まれて冷や汗をかいている姿は情けないが、その押しの弱さを利用して一番好き勝手させてもらっているのは、私であることも事実。


「分かりました、検分を受け入れます」

「ほ……良かった」


 あからさまに胸を撫で下ろすお父様。

 王宮からの使者を追い返す権限など、そもそも私にあるわけはなく、はなから受け入れるしかない話なのだ。

 とはいえ、お父様へ愚痴は言わせてもらいますけれど。


「それで、その検分役の方はいつお見えになりますの?」

「たぶん、今日、明日にも」

「そんなに早く? 今日はこれから温室の種まきです、このために数日前から準備をしてきたんですから、変更などしたら台無しになってしまうわ」


 そう、温室は私の大事な子供みたいなもの。

 もうすぐヨアキムが馬車で迎えに来てくれる頃合いだし、これ以上お父さまの持ってきた厄介事に割く時間はない。そう思ってちらりと窓から外をのぞいたら、見覚えのある幌の馬車が見えた。


「じゃあ私はもう出かけます、お迎えなど本来ならば必要でしょうけれど……」

「心配しなくても大丈夫だ。そうかしこまった接待する必要はないとあらかじめ聞いているから」

「そうですか、ではなおさら私も猫をかぶることなく、いつも通りにさせていただきます」

「いやいや、一応、丁寧には扱ってくれよライラ。噂になって、王子様どころか婿の候補まで無くなるのは困る」


 眉を下げるお父さまに「はいはい分かってますとも」と返事を返して扉を開けると、そこに立っていたの馬車で迎えにきてくれるはずのヨアキムではなかった。

 ヨアキムは村の青年で、温室での薬草の栽培と温度管理の仕事を請け負ってくれている。まだ年若いけれど頭の良い青年で、私と背格好が同じくらい。

 なのに目の前にいるのは、見上げるほど背が高く、細くて薄っぺらいヨアキムにはない厚みの肩が、目の高さ。

 村人の誰かが変わりに来てくれたんだろうかと見上げれば、精悍な顔つきに強い眼で真っ直ぐに見下ろされた。


「……誰、でしたっけ?」

 

 二十代前半で、こんな人いたかしら。

 ヨアキムとちょうど同じくらいの年齢みたい、代役かしら。

 ここまで整った顔立ちの青年なら、そうそう忘れはしないだろうに……

 目の前の青年は、濃い麦わら色の髪と、村の青年たちに比べたら比較的白い肌。先日聞いた話を思い出す。


「ああ、もしかしてロリの義理のお兄さん? ヨアキムに頼まれてお迎えに来てくださったのかしら」


 手伝いに交代で来ているロリという娘さんのお姉さんが、近々嫁ぎ先の旦那さんとともに帰郷すると言っていたっけ。収穫が近づくと親族が集まるのも、よくあること。

 ヨアキムの家とロリの家は懇意にしているから、頼まれたのね。それにしてもロリのお姉さん、ずいぶんハンサムさんを捕まえたこと。

 そんな推測を一瞬のうちに巡らせて、相手の返事を待つことなく話しかけたのだった。


 だけど相手はきりりと凛々しい眉毛をほんの少し上げて、じっと私を見返す。

 しかしすぐに視線を私の後ろに向けて、それからもったいぶったように頷いた。


「……迎え、とやらはあちらの者だろう」

「え?」


 落ち着いた声で言われ、誘導されるように彼の後ろを見る。

 すると玄関前の広場には、馬車が二台停まっていた。

 一つは大きく、前部の座席部分には屋根が作られていて、ここでは見たことがないくらい立派なものだった。座席から繋がる後部の荷台には、根を縛られた二本の木が横たわっている。

 そしてもう一台の方が窓から見えた幌馬車で、見覚えのあるもの。その荷台の影から、ビクビクしながらこちらの様子を窺う人物がいた。


「……ヨアキム?」


 なんだ、ちゃんと来てくれていたのね。

 それじゃあ、この人誰?

 驚いて見上げる私に、長身のハンサムさんが微かに笑った。


「深窓の令嬢と噂の正体が、これ(・・)とは……ノルダールが会えば分かると言ったのは、こういうことだったのか」


 カチンときたのは、その言葉というより、笑い出すのを堪えるかのような声の方。


「あ、あなたね……」

「わああ、ライラ待ちなさい、失礼なことを言わないように! その方が検分役のええと……」


 私の反論を遮るように、後ろからお父様が口を挟む。

 手紙をもらっておきながら、名前を覚えてなかったお父様も大概だと思うけれど。

 そんな私たち親子をどう思っているのか、検分役のハンサムさんは気にした様子もなく、胸に手を当てて、騎士らしく膝を折った。


「自分はカール。カール=アレニウス。王命により花嫁候補、ライラ嬢の検分役として参りました」


 一礼をして再び顔を上げるその動きに、マントがなびいて優雅としか言いようがない。

 貴族として、いいえ……性別というものさえも越えて、完全に負けているんですけれど、私。

 

 そして再び私を見下ろすその顔が、さも面白いものを見つけたと言っているように感じられるのは、気のせいよね?

 とにかく、来てしまったものは仕方がない。

 私はしばらくしていなかった淑女の礼とやらを、ぎこちなくして見せた。


「ライラ=ストークスマンです、よろしくカール様」


 想像していたのとは違うタイプの検分役だったけれど、私の望みはただ一つ。

 王子様の花嫁候補から、一刻も早く除外してもらうこと。

 それだけは頑張らなくちゃ。

 洗練されたハンサムさんを前に、私は改めて強く心に誓ったのだった。

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