46話 兆し
ボーちゃんの指差す肉片に目をやると、あきらかに生命を感じさせるような動きで、死亡直後の筋肉の痙攣程度などではないように見える。
すばやく辺りを見回すと、辺りに飛び散った肉片すべてがドクンドクンと脈を打つように動き出し、ボコボコと膨張しながら形を変えようとしていた。
まずい! トラップだ!
考えて避けられる事態じゃなかったかもしれないけど、わたしの考えなしの攻撃が、最悪の状況を招く引き金になったのは否定しようがない。
もっと慎重になるべきだった……!
自らの失敗に気づき、背筋に冷たいものが走る。
……あの魔物は"やられる"ためにそこにいたんだ。
攻撃を受け、破裂し、細かく分散して、より多くの人を殺すために!
「みんなぁぁ! 下がれぇぇぇぇ!」
振り返ってそう叫んだ時には、今にも肉片が魔物の姿に変わり、動き出そうとしていた。
巨大な魔物の肉片は四方八方、学校に至るまで数多く飛び散っている。そのすべてが魔物になったとしたらその数は……。
ぞわりと冷たい不安が全身に走り、いてもたってもいられず、魔法を使って加速し校舎の方へ走り出す。
「キャーーーー!!!!」
「うわぁぁぁぁ!!!!」
そこかしこで悲鳴が聞こえ始め、ボコボコと地面から生えるように魔物が出現する。
魔物の形をとった肉片は、よろよろと動き出し、近くにいる人に襲い掛かろうとしていた。
出てきたばっかりでまだ動きが鈍い!
今なら!
わたしは走りながら手に魔力の刃を纏わせ、手近にいる魔物を両断した。
そうやって目の前の魔物を斬りつけたところで、突然背中に衝撃が走り、わたしは前方に弾き飛ばされた。
「うぐふっ!」
顔面から地面へ激突するところを受け身でなんとかしのいだ。
ぞろぞろと発生する魔物への攻撃に気を取られ、背後への警戒ができていなかった。
ぐるりと前転しながら砂をする様に受け身をとり、衝撃のあった方へすばやく顔を向けると、一匹の魔物が私の背中に蹴りを入れたのだとわかった。
牙や爪を使った攻撃だったら今ので死んでた……。
蹴りを食らって無理やり冷静さを引き戻されたわたしは、その魔物の背後の光景を見て、たった今取り戻した冷静さが消し飛ぶほどの衝撃を受けた。
もう……だめだ……。
視界を埋め尽くす魔物の群れ。
その数は百に届こうかというほどの大群だった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ほとんど衝動的に体が魔物に向かって動き、手近な魔物を切り殺す。でも、がむしゃらに魔物を切り続けながら、頭の片隅でうっすらと感じている虚無。
わたしがここで何匹か魔物を殺しても、わたしの手の届かないところでみんな死ぬ。
ママもパパもテテスちゃんもエレナちゃんもみんな!
間に合わない!
襲い来る魔物の攻撃を次々と捌きながら、微かな隙を縫って目を動かし、大切な人たちの姿を探す。
どこ!? 無事なの!?
くそっ! 邪魔だ! 魔物っ!
注意力が削がれ、すでに捌ききれなかった魔物の攻撃が体の数か所の肉を深く切り裂いている。
ズタボロになった服と血液の赤が視界にちらつくけど気にしている余裕はなかった。
足まで流れた血の生暖かい温度が気持ち悪い。
「ママ!」
辺りを見回し大切な人を探す。
それ以外のことに注意を向けられず、躱そうとした魔物の爪が顔面をザクリと抉り、右の視界が割れたすりガラスのように赤く濁った。
まずい! 眼球にダメージ!?
鋭い痛みを認識するのとほぼ同時に魔物の胴を両断した。
右目がほとんど見えてないが、眼球の治療は片手間やるには難しすぎるので、後回しだ。そもそもやったことがないから私に出来るかどうかもわからない。
閉じた右の瞼からドロリとした内容物が頬を伝い落下する。
「パパ!」
大切な人の返事を期待して叫び声を上げる。
それ以外のことは些事でしかなく、魔物の接近を許した。
足首を刈り取ろうとする魔物の攻撃を跳躍して躱したつもりが、欠けた右側の視界が邪魔をし、右足のくるぶしから半分ほど中まで斬りこまれた。
「うおらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
痛みをかき消すために叫び声をあげながら滞空中に刃を振り下ろし、魔物を脳天から断ち切った。
負傷した片足をかばう様に着地し、右側にゴロンと受け身をとる。その間にすかさず傷口に触れて魔力を流し込み応急処置を施した。
──っつ! 骨までいってる!
とりあえずくっつけたけど、これはあとで骨を砕き直してちゃんと正しく治さないと……。
急ごしらえで接合した足の骨に段差ができてしまったのと、依然片目は赤一色に塞がれているので違和感が消えないが、
そんなものを気にする余裕は今はない。
瞬時に体制を直して再び駆けだそうとしたその時だった。
「下がりなさい! この子たちに手出しはさせない!」
遠くで叫び声が聞こえ、声のした方角に顔を向ける。
ママだ!
ママはテテスちゃんとエレナちゃんをかばう様に、魔物の前に立っていた。
魔物を睨みつけながら片手で火球を作り出そうとしていたが、魔法の儀式が完了するよりも前に魔物が動き出した。
「グワォォォォォォォォ!!!!」
魔物の咆哮と共に繰り出される凶刃が、今まさにママに向かって振り下ろされようとしていた。
間に合わない! 時間が足りない!
魔法を発動する時間がない!
詰み!? 嘘だ!
そんな!? イヤだ!
「くっそぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
半ばやけくそになったわたしは、腰に付けた短剣を魔物に投げつけようと柄を手に取った。
その瞬間──
「そうだ。それでいい」
何者かの地を這うような低い声がわたしの耳もとで聞こえた。
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