41話(裏) タツマキ
「はぁ……はぁ……おじさん! 頑張って! もう……あと少しで着くから!」
「エレナちゃん……魔物が追ってきてる。俺がここでなんとかして食い止めるから、先に──」
「ダメっ!」
おじさんはおとりになるつもりだ。
おじさんはあたしがおじさんを見捨てやすいように、わざとそんな提案をしている。
でも、さっきの戦いで利き腕をケガしたおじさんに、もう魔物を止められるわけない。
「おじさんを見捨てて行けるわけないでしょ!」
「だよね。知ってる」
「じゃあ黙って足動かして!」
そう言っておじさんを一喝して走りだすと、数歩進んだところであたしの肩にかかるおじさんの重みがスッと軽くなった。
「エレナちゃん……どうやら……そうも言ってられなくなったみたいだ」
立ち止まってあたしの肩から離れたおじさんが、あたしをかばうように身を乗り出した。おじさんの目線の方に目をやると、あたしたちが進む道の先に一匹の魔物が立ち塞がっていた。
「待ち伏せ!?」
「魔物が連携している様子はないから、たまたまだろうな。ホントついてないなぁ」
後ろから魔物が追ってきている上に、前にも道を塞ぐ魔物。
いつのまにかあたしたちは逃げ場を失ってしまっていた。
おじさんがまた苦そうに笑いながら口を開く。
「エレナちゃん……もう一度言うけど、ここは俺が食い止めるから……なんて言ってもやっぱ納得してくれないよね」
「当たり前じゃん! だっておじさん食い止める気なんてないもん!」
自然と溢れる涙は、歯を食いしばっても止まらず、おじさんの顔が歪んで見える。
「はは……信用ないなぁ…………まぁ否定はできないけど」
「じゃあ──」
「エレナちゃんを死なせたりしたらレアが悲しむ」
「おじさんだって!」
思わず強い口調で反論してしまった。
「そうだと嬉しいんだけど……もうパパよりお友達って年頃だしな……」
おじさんがどんな表情で話してるのか、もう視界が滲んでしまってわからない。
でもおじさんの声には余裕がなく、冗談を口にしていても、ふざけているわけじゃないことが嫌でもわかる。
何か反論しようとしてあたしが口を開くと、すぐにおじさんに遮られた。
「まぁ冗談は置いといてだな……ここからはもう学校が見える。結構近くまで来れてるんだ。村には何人か兵士が派遣されてるはずだから、学校にたどり着いて状況を説明すれば、助けに来てくれるかも──」
「──間に合うわけない!」
反論したところで、状況が変わるわけでもない。
おじさんを困らせるだけだってわかってるけど、言わずにはいられなかった。
悔しさを隠せないままおじさんをにらみつけると、おじさんはだだっ子をたしなめるように、あたしの頭をぐりぐりなでた。
「ここで二人死ぬよりいい。俺はもう魔物を振りきれるほど速くは走れない。可能性は低くても、俺が助かるにはエレナちゃんに助けを呼んできてもらうしかないんだよ。建設的な提案のつもりだ」
どっちかがおとりになってもう一方が助かるなんて、最善な方法なわけない。でも他にいい案が思いつかないあたしは黙るしかなかった。
「俺だってすんなり殺されるつもりはないよ。死なないために死ぬ気で抵抗する……なんちゃって」
「それ、おもしろくないよ」
おじさんのへたくそな作り笑顔を見るのがつらくて思わず目をそらす。
「じゃあ今度おじさんがスベったことをネタにみんなで笑おうな」
おじさんは説得が下手だ。説得されて納得して、心変わりできたならどんなに楽だったろう。
こんな最悪な気分のまま、自分だけが先に逃げ出すなんてホントはいやだ。でも今のあたしはおじさんに従うしかない。
無力……。
レアの家であの子が倒したという魔物を見た。
勇者の記憶がよみがえったとは言っても、体は元々のあの子のまま。
この間までかわいい妹みたいに思ってたあの子が、前世の知識と経験であれを成し遂げたというなら、あたしでももっとましなことができたんじゃないか、なんて思ってしまう。
あの子と話したい……。
きっと教われることがたくさんあるし、まだ全然話し足りない。
あの子ともう一度会って、話す。
そのためには生き延びなければならない……あたしも、おじさんも。
そう覚悟を決めて奥歯に力を込めた。
覚悟と言えるほどきれいなものじゃないけど、あたしは自分自身を騙さないと一歩も進めない。
「頭ん中整理できた?」
「……はい」
あたしがそう言って頷くと、おじさんは「よしっ」と小声でつぶやきながら、あたしの頭をポンポンと撫でた。
「じゃあ始めよう。俺が道をふさいでる魔物を引き付けるから、エレナちゃんはなんとか隙間を見つけて抜けだしてくれ。そっから先は全速力だ。振り返らないで走れ」
おじさんの言葉に黙って首を縦に振った。
作戦なんて呼べるようなものじゃなかったけど、今そんなこと言ってもしょうがない。
迷いを捨てて目の前のことに集中する。
「走れ!」
その一言でおじさんが走り出し、あたしもそのあとに続いた。
おじさんは走りながら呪文を唱え、器用に片手で紋を描き、手のひらに火球を生み出す。
前方にいた魔物がこちらの動きに反応し、叫び声を上げると同時にこっちに向かって走り出した。
あたしがやるべきことは、おじさんが魔物を攻撃した隙をついて、全力で走り抜けること。
ただそれだけを考え、魔物とすれ違う時に全速力を出せるよう、ケガで速く走れないおじさんとの距離を調節する。
あと数秒……。
そう思って唾を飲み込んだ時。
おじさんの数歩後ろを走っていたからそれに気付くことができた。
視界の片隅で動く何か。
何だろうと目を凝らそうとしたその時、その動く何かが建物の屋根からおじさんの方目がけて跳んだ。
「おじさん! 上!」
咄嗟に声を上げ、数歩の距離を詰めたあたしは、おじさんの腰目がけて体当たりし、おじさんを巻き込みながら横に跳んだ。
上から跳んできた魔物の攻撃は空振りし、地面にドスンと四つんばいに着地した。
何が起きたのかすぐに理解してくれたおじさんは、転がりながらも、上から襲いかかってきた魔物に向かって火球を投げつけ、攻撃が当たった魔物は後ろに跳び退り距離をとった。
おじさんが一緒に転がったあたしから離れて、一歩踏み出そうとしたその時だった。
あたしたちが態勢を整えるよりも先に、前方から迫ってきていた魔物が爪を振り下ろす。おじさんは咄嗟に左手で剣を抜いて、上から覆いかぶさる魔物の爪を、あおむけの状態のまま間一髪受け止めた。
のしかかる魔物の重みを手だけでは抑えきれず、おじさんは素早く剣先に右足を当て、魔物の爪を何とか押し返そうとしている。
でも、おじさんの手足の震えが余裕のなさを物語っていた。
「エレナ……ちゃん! 逃げ……ろ!」
歯を食いしばりながら、おじさんはあたしに逃げるように促すけど、あたしたちを囲む魔物は3体。もうどこかに逃げ出す隙間があるとは思えない。
ここで……終わり……?
何かっ! 何か考えなくちゃ! 逃げる!? どうやって!?
違う! おじさんが! 戦う!? あたしひとり!?
魔物の爪が!? おじさんは!?
頭の中を高速で回る考えが、ぐちゃぐちゃに混ざって意味をなさない。
頭は混乱していても、両目からは否応なしに次々と情報が入り込み、魔物の重みを下から支えているおじさんが、少しずつ力負けしているのが見える。
あたしの中を死が埋め尽くしていくかのように、頭に浮かぶ考えが次々と意味を失い、すべて黒く塗り替えられていく。
ここで……死ぬ……。
考えることを放棄し、死を受け入れる間際だった。
会えずに……終わる……レア……。
走馬灯のようにあの子の名前が思い浮かんだ時、無に飲まれようとしていた思考が一瞬だけくっきりと浮かび上がり、闇の中にさす一筋の光を掴み取るかのように、あたしは咄嗟にそれを叫んだ。
「レアァァァァァァァァァ!」
叫び声を上げるや否や、遠くで岩の砕けるような音が鳴り響いた。
魔物もその音が気になったらしく、キョロキョロとあたりを見回している。
あたしも音のした方を見ようと、振り返り空を見上げた。
「タァーーーーーーツゥーーーーーー!」
少し離れた上空から叫び声が聞こえる。
「マァーーーーーーキィーーーーーー!」
何かがすごい速さでドンドンこちらに近づいてくる。
でも、あたしはもうわかっていた。
こみ上げてくる嗚咽を必死にかみ殺す。
これ……絵本で見たことある。
「キィィィィィーーーーーーック!」
勇者マサトの絵本の第4巻『勇者マサトと鉄の巨人』に出てきた、捨て身の必殺技『タツマキキック』だ。
声の主は上空から高速で落下し、その速度のまま、おじさんに覆いかぶさる魔物に向かって足から衝突した。
風の力を纏った蹴りは、魔物を地面に叩きつけ、声の主はその勢いのままがりがりと地面ごと魔物を削り、土煙と血肉巻き散らした。
土を削る音が止み、もうもうと立ち込める土煙の中から「散!」という声が聞こえたかと思うと、瞬時にあたりを覆う煙が霧散する。
地面に方膝をついていた声の主が立ち上がり、こちらを振り向き口を開いた。
「颯爽ゲホッゲホッ登ゲホッ場!」
「レアッ!」
「エレナちゃん! パパ! ゲホッ……遅くなってごめん、おまたせ!」
そこには勇者が立っていた。