38話 蘇生
教室の中に入ると、嗅ぎなれた血の匂いが充満していた。
床には血の黒いしみがところどころにできていて、べっとりとした乾ききってない大きなしみも見える。
ごつごつした床の上に布が敷かれ、その上に十人ほどのケガ人が寝かされていた。
部屋の奥にいくつか積んである、布でくるまれた大きな物が何なのか、今は考えたくない。
何人かの村人でケガ人を看ているようだけど、貴重な物資を死にゆく者に使う許可は出ていないらしく、あまり十分な治療ができているようには見えない。
治癒の魔法が使える人がいたとしても、こちらには回ってこないだろうし、けが人の様子を見る限り、村の治療術師が一人二人いた程度でどうにかなる感じじゃなさそうに見えた。
とりあえず切創を縛るか焼くかで、止血だけしてあるという感じだ。
怪我のひどい人は、切断された患部に被せてある布が、血でぐじゅぐじゅになっているのが見える。
横たわっている人たちに生気はなく、呼吸も弱々しい。
たしかに誰かが言っていたという、ここに運ばれた人は助からないという話はその通りなのかもしれない。
ただ死を待つのみの半死人と、死体処理の人員が数名いるだけ、そういうふうにも見えた。ここにいる人たちは、もしかしたらもうそのつもりなのかもしれない。
扉を開け、足を踏み入れたところで立ち止まっていたわたしたちの方に、けが人の近くで座って世話をしていたおばさんが近寄ってきた。
「あんたたち、こんなところに入ってきちゃダメだよ。子供の見るもんじゃあ…………まぁでも、みんな遅かれ早かれ……いまさら何を見ようが……か……」
途中から独り言みたいにつぶやいたおばさんは、諦めたように肩を落とすと、疲れ果てた様子で踵をかえし、もと来た方向にのそのそと歩き出した。
その時、奥にいた一人が、手を挙げておばさんを呼んだ。
「ミッテさんこっち! 死んだよ! 息してない! 手伝って!」
声に反応して奥に目をやると、疲れた様子の太ったおばさんが足元を指さし、床には微動だにしない男性が寝そべっていた。
男性は乾いた血で汚れた服をまとっていて、胸に巻いてある布には赤い血が滲み、布の下の傷の大きさがはっきりわかる。皮膚の表面だけの傷じゃない、肋骨は袈裟懸けに切断され、恐らくここに運ばれたときは、内臓が露出していたんじゃないかと思う。
その顔面は蒼白で、見るからに瀕死といった感じだ。死体と言われても不思議に思わない。
太った女性はその男性を指し「死んだよ!」と言っていた。
ミッテさんと呼ばれた女性は奥に向かい、寝そべっている男性の横で屈むと、男性の口元に手を当てた。
「うん……死んでるね……」
「ついさっきまで息してたのに」
「ああ、まだ温かい、いま限界がきたんだねぇ……よし。運ぼう」
ミッテさんがそう言うと、もう一人もうなずいて動き出し、下に敷いてある布で、教室の奥に積んでる物と同じように男性を包み始めた。
「待った!」
それまでじっと見ていたわたしが大きな声を上げると、おばさん二人は動きを止め、こちらに顔を向ける。
横にいて一緒に事の運びを見ていたテテスちゃんですら、死人を移動させるのを止めるわたしを、不思議そうな目で見た。
「あんたたちまだいたのかい? 見てて楽しいもんじゃないんだから、子供はあっちへ行っ――」
ミッテさんがすべてを言い切る前に、わたしは男性のもとに歩いてしゃがみ込んだ。
覆いかぶさった布をどかし、男性の首に手を当てて体温を確かめると、本当に心臓が止まってから数秒しか経っていないようで、まだ温かい体温が残っているのを感じた。
「うん。まだいける」
「いけるって、なんのことだい?」
おばさんが怪訝な顔でわたしに疑問を投げかける。
時間が惜しかったわたしは説明を省き「見てて」と一言だけ告げて、男性の胸に両手を当てた。
火! 水! 風! 雷!
それぞれの精霊に心の中で声を掛けると、契約によってつながっているわたしの考えは、言葉にしなくても伝わる。
火の精霊は男性の体温を保ち、水の精霊は血液を循環させる。
風の精霊は呼吸器に酸素を送り、雷の精霊はわたしの手に雷を纏わせた。
男性の胸にあてがっている両手に雷のエネルギーが集中し、わたしが「ふんっ!」と力を入れた瞬間「バチン」という音とともに、男性の上半身がビクンと跳ねた。
わたしが尋ねるまでもなく、頭の中に風の精霊から「始まったよ」という、男性の自発呼吸の開始を知らせる言葉が聞こえた。
これはこちらの世界の魔法で、あちらの世界の心肺蘇生法を再現した合成魔法『シンパイソセイホウ』だ。
もともと医療の知識がないわたしでも、ただ魔法を当てるだけで治るような怪我であれば、無尽蔵の魔力のおかげでだいたい治せた。
しかし、知識や経験が必要な怪我の治療にてんで弱く、骨折の治療なんかに何度か失敗し、変な形でくっついた骨を折って治療し直すなんてこともあったくらいだ。
前世で一緒に旅した治療術師の“先生”にはよく注意や指導を受けていて、下手な治療をしたわたしの頭を、微笑みながら容赦なくゴツゴツと杖で殴ってくる先生は、口調は穏やかでも、謎の怖さがあったのを思い出す。
そんな先生に「4柱の精霊を同時になんて……こんな魔法とても真似できない」と言わせしめた自信作の魔法だ。
まぁあちらからこちらに来る過程で使えるようになっただけなので、わたしの技術がすごいわけじゃないんだけど。
合成魔法シンパイソセイホウをかけた男性の口元に手を当て、自発呼吸が戻っているのを確認すると、わたしは立ち上がり、いつの間にかわたしの隣に来ていたテテスちゃんと、もともと治療に当たっていた二人に向かってコクリとうなずき、「戻ったよ」と告げた。




