32話 精霊
体中に鈍い痛みを感じながら目が覚めた。
床に寝転がったまま、まぶたを擦って、うすぼんやりとした視界を元に戻すと、ここが学校の教室だとわかる。
硬い床の上には薄い毛布が敷いてあり、わたしはその上に寝かされていた。
ガチガチに固まった首や肩を動かすとポキポキと音がする。
まだ生きてる……。
体中に広がる痛みが、わたしがまだ死んでいないということを教えてくれた。
切り傷、打撲、筋肉痛。体中のあちこちが痛む。
痛みのオンパレードだよ……。
魔物に刺された時の傷を治療出来てて本当に良かった。
間に合ってなかったら確実に死んでたな……。
上体を起こそうとして手を横につくと、人の体温に触れるのを感じ、わたしは顔を横に向けた。
――顔近っ!
すぐ横にはテテスちゃんが寝ていた。
それも、顔を横に向けたことで鼻と鼻が擦れるほどの至近距離に。
思わずギョッとして少し距離をとり、テテスちゃんを起こさない様に、そっと体を起こした。
びっくりしたー。
テテスちゃん……学校に逃げられてたんだね……良かった……。
寝ているテテスちゃんを眺めて安堵していると、突然耳元で声が聞こえた。
「やあ、ごちそう君! いや……今はごちそうちゃんだったね!」
どこからともなくかけられた声に、一瞬だけ反射で体がビクッとなったけど、なじみのある声ですぐ正体に思い至った。
「おはよう。ボーちゃん。やっぱり精霊には転生前のこともわかっちゃうんだね。久しぶり……ってことになるのかな? 前世の記憶が鮮明過ぎて、ついこのあいだ会ったばかりな気がするよ」
わたしがボーちゃんと呼ぶ声の主は火の精霊だ。
精霊は普段あまりコミュニケーションをとらないんだけど、契約の効果なのか常にわたしの状況を把握していて、必要があれば話しかけてくることがある。
わたしが手を少し持ち上げると、その上に手足の生えた火の玉のような姿のボーちゃんが現れた。
実は精霊の姿というのは特に定まっておらず、わたしの持つ精霊のイメージがそのままその時の姿になるらしい。
火の精霊は以前から火の玉の妖精のような姿でわたしの前に現れる。
わたしの貧困なイメージ力は精霊の姿を幼児アニメの妖精さんのようなビジュアルで捉えているのだ。
だからボーちゃんなんてかわいらしい名前で呼んでいる。
逆に、精霊に対して厳格な恐いおじいさんのようなイメージを持っていると、厳格な恐いおじいさんが現れるそうだ。
性格や話し方もイメージに合わせてくるらしい。
見る人間によってそれぞれ別の姿や話し方の精霊が現れても、会話などに矛盾は生じないらしく、なかなか凝ったギミックになっている。
「うん! こうして会うのは久しぶりだね! でも君のことはずっと見ているから、あんまり会ってない気はしないよ。死んだあと、生まれ変わってから今までの間ずっとね」
ずっと見ているというストーキング宣言に少し微妙な気分になったけど、とりあえず置いておくことにする。
「変なとこ見ないでよ!? それで? 今日はどうしたの?」
わたしの手の上でちょこまかと動いていたボーちゃんがスッと動きを止め、ゆっくりとこちらを向き話し始めた。
「君……さっき死にかけたろ?」
「……うん」
痛いところを突かれて、言葉に詰まりつつなんとか返事をした。
「ずっと見ていてハラハラしてたよ。ごちそうがいなくなったら僕ら困るからね」
「ごめん……」
なんとなく叱られているような気分になるのは、精霊の能力のせいだろうか……?
「僕らは呼び出しに応える形でしか、君たちの世界に干渉できないから、さっきこっちはかなり大騒ぎだったんだよ? わかるかい?」
「めんぼくない……」
いや……もうこれは完全に叱られてるな……。
「最後の最後、もうダメだって思った時に、君のすぐ近くで僕を呼ぶ声が聞こえたんだ」
「呼ぶ声……?」
「そう……君ら人間の言う”儀式”と”呪文”で、火の魔法を使おうとする子供がいたんだよ。 反則技だったけど、背に腹は代えられないしね。それを利用させてもらった」
「子供?」
あの場に子供がいた!?
戦いに夢中で気づかなかった……。
「君の横で寝てる子だよ。テテスちゃんだっけ?」
「テテスちゃん!?」
驚いて声が裏返った。
「そう」
「――ていうことは!?」
最後にあの魔物を倒したのは……?
「うん。まぁその子の魔法だけじゃ無理だったろうけどね。だから君の魔力をちょっと強引に使わせてもらったんだよ」
「そんなことできるんだ」
「僕らつながってるからね。君との信頼関係を損ないたくないから普通はやらないけど、契約してる精霊はやろうと思えばみんなできるよ。もちろん君が拒否すれば簡単に防げるけどね」
一瞬だけ精霊に無理やり魔力を食い尽くされて、ミイラみたいな姿になる想像をしたけど、どうやらその心配はないらしい。
「魔力のことはいいよ。大して減ってないし」
「そう言ってくれると思ったよ。ちなみにその子の魔力で同じ規模の魔法を無理やり出したら、魔力が枯渇してその子はたぶん死んでたよ」
今度はテテスちゃんがミイラみたいな姿になる想像をしたけど、どうやらその心配は回避できたらしい。
「そうなんだ……。いい判断だったよ。ありがとう」
わたしがお礼の言葉を述べると、なぜかボーちゃんの炎の勢いが少し弱まった。
なんとなく申し訳なさそうにしているようにも見える。
「ただひとつ……君に言っておかなきゃならないことがあるんだ……」
何かイヤな前置きに少し警戒しながら、わたしはボーちゃんに続きを促す。
「……言っておかなきゃならないことって?」
するとボーちゃんはテテスちゃんの方を指差し、炎の色を青く変えながら口を開いた。
「その子はもう……おそらく一生魔法が使えない」
「――なんで!?」
驚くわたしを尻目に、ボーちゃんはわたしが原因となった出来事の結果を語り始めた。
背中にナイフを突きつけられているような不安感を覚えながら、わたしはボーちゃんの話に耳を傾けた。