傷だらけのメシア 5
「また倒した……!」
「あの子……すごいぞ!」
「俺達……助かるのか?」
「私何度か見たことあるわ。よく校庭で草を毟って遊んでる子だわ」
「あれ、エイデンさん家の娘さんじゃないか?」
レアちゃんが2匹目の魔物を倒した事で、周囲には少しだけ明るい空気が漂い始めた。
みんな僅かな歓喜をにじませながら、それぞれが口を開く。
レアちゃんが見せた光景は私たちの希望となっていた。
そんな矢先だった。
ふらつきながらも攻撃を躱し続けていたレアちゃんが、でこぼこの地面に足をとられてよろめいた。
体勢を立て直すためか、もう一方の足を前に出した次の瞬間。
隙を見逃さなかった魔物が下から爪を突き上げ、鋭い爪がレアちゃんのわき腹に深く突き刺さった。
「がっ!」
「レアちゃん!」
私とレアちゃんの叫び声が重なった。
レアちゃんはすぐさま後ろに飛び退き、それと同時にたくさんの火球をいっぺんに魔物に放った。
信じられない程の高度な魔法を一瞬で出した事は、それ以上の驚きでかき消された。
レアちゃんのわき腹から血が大量に溢れ出る光景が、驚きと焦りで私の頭をぐちゃぐちゃにかき回した。
涙で視界が滲み、目の前のものすべてぼやけて見える。
何も考えられず、咄嗟に衝動で駆けだそうとしたところで、髭の兵隊さんに腕を掴まれ止められた。
「離して! レアちゃんが!」
兵隊さんの手を振りほどこうと引っ張ったけど、大人の力に太刀打ちできない。
「待ちなさい! 行ってはだめだ!」
「でもレアちゃんが――」
私が力を込めて兵隊さんを引き剥がそうと体を振って暴れたその時、頬にバシンと衝撃が走った。
急速に冷静さを取り戻した私は、兵隊さんに頬を叩かれたことに気付いた。
「言ったろう! 我々では何も出来ん! 悔しいが見ていることしか出来んのだ!」
そういって歯噛みする兵隊さんの口元からは血が垂れていた。
悔しいのは私ひとりじゃないんだ……。
そう気付かされて、レアちゃんの方に視線を戻した時、こちらに顔を向けたレアちゃんが大声で叫んだ。
「全員建物の中に避難して! 建物が無ければ岩でもいい! 土の上から逃げて! ママも早く!」
刺された痛みに耐えているからか、レアちゃんの声からは焦りのようなものを感じた。
唐突に投げかけられた言葉は、意味を解釈するのに時間が必要で、私たちは固まってしまった。
建物の中? 岩? どういう事かはわからないけど、ここは土の上だから逃げなきゃだめってこと?
学校の入口から少し出た場所にまで出てきていた私たちは、お互いの顔を見あわせた。
「どういうことだ?」
「逃げるって?」
「でも、あの子が言うんだからきっと意味があるのよ!」
私たちがレアちゃんの言葉の意味を考えあぐねてもたついていると、再びレアちゃんが声を張り上げた。
「死にたくなければ早くしろぉぉぉぉ!!!!」
あまりに気迫を帯びた声だったが、どこか悲痛な色が滲んでるようにも聞こえた。
声からは余裕が全く感じられず、その鬼気迫る様子から、私たちは自分たちがするべきことを理解した。
意味を考えてる場合じゃない、とにかく従おう。
「聞こえたか! 全員! 建物の中へ!」
兵隊さんが促すと、外にいた人たちが一斉に動き出し、全員建物の中へ避難した。
私もそれに続き、土になっている足場から退いて、石畳の上に移動した。
レアちゃんはこちらを一瞥すると、飛びかかってきた魔物の爪を魔法の刃で弾き、その反動で後ろに跳ぶ。
ズサーッと砂を引きずりながら着地し、それと同時にひざまずいて地面に両手をついた。
「地の精霊!」と、レアちゃんが叫ぶと、その周りで一瞬バチバチ!と魔力がはじけ、強い光を放った。
「ゴゴゴゴゴゴ」と地鳴りのような音が響き、土がボコボコと動き出した。
地面にひびが入り、地面の内側から押されているのか、ところどころで土が盛り上がって、パキパキと石が割れるような音が鳴っている。
魔物は何かにおびえたような様子で、それぞれがいろんな方向へと逃げていた。
その中の一匹が私たちのいる学校の入り口へ向かって来ており、髭の兵隊さんが「先頭! 魔法準備!」と号令をかけ魔物を警戒した。
しかし、突然地鳴りが止み、周囲の音が止まったように思ったその瞬間。
「ズドン!」という雷のような轟音が、耳に痛みを感じるような大きさで鳴り響き、音と同時に地面から大人の背丈ほどの鋭い牙が空に向かって無数にそそり立った。
突然地面から生えた牙は辺りの魔物を串刺しにし、こちらに向かってきていた魔物も、入り口の少し手前で牙に貫かれ、体中を貫通した牙によって前衛芸術のオブジェのような姿になった。
串刺しの魔物から染み出る血が地面に水たまりを作る頃、牙の先端がぐにゃりとこうべを垂れ、そのままドサドサと土になって地面に落ちた。
無数の牙によって塞がれていた視界が晴れると、校庭に転がる無数の魔物の死骸がハッキリと見えた。
お……終わった……!?
あれほど恐ろしかった魔物の多くは死に、息のある魔物も力なく鳴き声を漏らすだけになっていた。
「こ……これほど大規模な魔法を……あの一瞬で……」
「こんなの王族の上覧会でもなかなか見られないぞ……」
髭の兵隊さんと誰かが話している。
とてつもない魔法だった……。
あれを……レアちゃんが……。
私も含めて周囲の全員が驚いて思考が停止したかのように止まってしまった。
ハッと我に返り校庭の方に視線を戻すと、もぞもぞと動くレアちゃんの姿が目に入った。
膝立ちの状態からそのまま力が抜けて、おしりをぺたんと地面について座り込んでいる。
服を掴んでめくろうとしていたけど、途中でめくるのをあきらめて横腹に手を当てていた。
当てた手は柔らかく光っていて、治癒の魔法を使っているんだとわかる。
治癒の魔法まで使えるんだ……。
私は驚くよりも納得するような気持ちの方が大きくなっていた。
もう何の魔法が出てきてもすんなり受け入れられそうな気がする。
一刻も早く話をしたいと思い、私はレアちゃんの方へ行こうと、まだ力の入りきらない脚でよろけながら走り出した。
数歩、足を動かしたところだった。
パラパラと上から砂粒が落ちてくるのに気が付き、足を止めて上を向いた。
暗くてよくは見えないけど、屋根の端っこから魔物の足の爪のようなものが、少しだけ飛び出しているように見える。
目を細めて注視すると、炎の明かりに薄く照らされて、爪がスッと動くのが見えた。
魔物だ! まだ残ってたんだ!
周囲を見回すと誰も魔物に気付いた様子はない。
声を上げようとしたその時。
「グギャァァァ!」という、怒りを帯びたような鳴き声が真上から響いた。
レアちゃんはどこか朦朧とした様子で魔物への反応が鈍い。
ダメ! レアちゃん!
そう心で叫んだ時には、もう体が勝手に動き出していた。
無我夢中で走りながら空中に火の精霊の紋を描き、乱れる息の合間をぬって呪文を唱える。
私の魔法が魔物に効くかどうかなんて、頭の片隅にもなかった。
走り出した私の頭上高くを魔物の鳴き声が通りすぎる。
私を追い越していった魔物がドスンと着地するのとほぼ同時に、私の手の上に子供の頭くらいの火球が浮かび上がった。
興奮した魔物が「ぶしゅぅぅ……」と息を吐くのを聞き、もう一刻の猶予もないと判断した私は、火球を放つために腕を振りかぶった。
魔物が腕を振り上げ、今まさにレアちゃんの命を刈り取ろうとするその瞬間。
私の耳元で誰かが
「借りるよ」
と言うのがハッキリと聞こえた。
驚いて反射的に顔を横に向けかけた瞬間、強烈な熱と光を感じ、光の方へ目をやると、私の出した火球が何倍にも膨れ上がり、体を上回る程の大きさになっていた。
直感的にレアちゃんが関係していると思った私は迷うことなく、腕の勢いと魔力の操作で、巨大な火球を魔物に向かって投げつけた。
ものすごい密度の炎は、魔力を少し加えただけでとてつもない速さで飛んでいき、レアちゃんに触れる寸前だった魔物の上半身を跡形もなく消した。
火球に触れなかった魔物の手首と下半身だけが地面にドサリと崩れ落ちる。
それとほぼ同時に、意識を失ったレアちゃんも倒れ、辺りには息切れした私の吐息だけが聞こえていた。




