傷だらけのメシア 3
あそこまで歩けばすべて終わる……。
この恐怖から解放される……。
私の頭はもうそのことでいっぱいだった。
それは私にとって一筋の光明。
魔物の前に立ち、その爪で切り裂かれることで、私は恐怖から救われるのだ。
服から足を伝って血がたくさん入り込んだ靴をグチャグチャと言わせながら、一歩、また一歩と光に向かって歩みを進めた。
兵隊さんの血でべっとり濡れた服が脚に張り付いて歩きづらいけど、そんなことに不快感を覚える余裕は私にはない。
「お嬢ちゃん、大丈夫?」と私に声はかけても、血まみれの私に誰も触ろうとはせず、汚いものを見るような目で見られた。
けど、そんな視線ももう気になんてならない。
「前列交代! 放て!」という号令が辺りに響いていたけど、意味なんかもうどうでもいい。
隊列を組む人たちの横を通り過ぎようとしたところで「お嬢ちゃん! 危ないよ! 後ろに下がりなさい!」と声をかけられたけど、この人たちは何もわかってない。
この学校……ううん、この村の中にいる限りどこにいても危ないのは変わらない。
そしてもう私たちは村から出ることは出来ない。
この場にいる魔物を退ける力なんて私たちには無いから。
もう生きるか死ぬかの問題じゃない。
殺されるのが遅いか早いかの問題でしかない。
偶然通りかかった伝説の勇者が魔物を倒してくれるなんて物語の中だけ。
そんなありもしない絵空事よりも、確実に恐怖を打ち消してくれる『死』の方が私には魅力的に輝いて見えた。
かけられた言葉を無視し、そのまま隊列の先頭を通り過ぎようとしたそのときだった。
ズザーーー!!!
と、少し離れた場所で砂を摩るような音が鳴った。
私は反射的に足を止め、音がした方向に目を向ける。
校庭の入口は一ヶ所なので、音の鳴った場所は顔を上げればすぐにわかった。
風に流されて舞う砂埃と、その中から伸びる小さな影を、辺りの炎がゆらゆらと照らす。
私は胸が高鳴るのを感じた。
待ち焦がれた姿を目にして。
あぁ……来てくれたんだね!
私を殺しに!
レアちゃん!
学校の門から勢いよく滑り込んだ小さな姿。
それは私のよく知るレアちゃんのものだった。
すべてはこの日のためだったんだ!
仲良しのレアちゃんの姿の魔物に殺してもらえるなんて……なんて幸せなんだろう。
レアちゃんは血を浴びたようで、いつも着ている見慣れた服に黒っぽい染みをいくつも作っていた。
その『死』が絡みついたような恐ろしげな姿は、今の私にとっては神々しくさえ見える。
私に死を与えてくれる、恐怖からの救い主……。
もう足の震えは止まっていた。
私が希望へと向かって駆けだそうとしたその時、レアちゃんの声が辺りに響いた。
「ママ! 止まって! 来ちゃダメ!」
レアちゃんは学校の外に向かって声を張り上げていた。
ママ……?
レアちゃんの振り向いた先を見ると、遠くの方で走っていたレアちゃんのお母さんが、声に反応して立ち止まったのが目に入った。
魔物のハズのレアちゃんがお母さんと一緒にいることに違和感を覚えたが、その違和感がハッキリとした形になる前に事態は動き出した。
門の近くにいた数匹の魔物がレアちゃんの方に走りだし、「グギャァァー!」と叫びながら腕を振り上げていた。
校庭の外を向いていたレアちゃんが前に向き直すと、その直後に魔物が飛びかかり爪を振り下ろした。
私はレアちゃんが魔物に切り裂かれると思い、咄嗟に「危な――」と言いかけた。
あのレアちゃんは魔物なんだから心配する必要はないはずなのに……。
しりもちをついたようになっていた体勢から、地面を蹴って後ろに跳び魔物の爪を避けたレアちゃん。
素早く立ち上がって股の間を見ながら、何かつぶやいていた。
次の瞬間、魔物たちは獲物を一人に定めたのか、一斉にレアちゃんの方を向いていた。
一匹の魔物が突然駆け出し、レアちゃんの方に突進していく。
それを皮切りに、複数の魔物が動き出し、それぞれレアちゃんに攻撃を仕掛け始めた。
レアちゃんは突進する魔物とぶつかる間際、魔物の頭に片手をついて上に跳び、ぐるんと宙返りして魔物の突進を躱す。
宙を舞いながら魔法の刃を纏わせたもう一方の手で魔物を切りつけ、その反動で軌道を変えて、着地点を狙って突進する別の魔物の攻撃をかわした。
突進を避けられた魔物が踵を返して、再びレアちゃんの方へと突進していく。
レアちゃんを囲む魔物の数はどんどん増えていき、常に数匹の魔物の攻撃が交錯するようになっていた。
レアちゃんは躱す動作と切りつける動作をほぼ同時に繰り出して、大量の魔物とたったひとりで渡り合っていた。
魔物の攻撃はどんどん激しくなり、攻防は徐々に速くなっていく。
ところどころレアちゃんの服が切り裂かれ、赤い血が滲んでいるのが見えた。
目に入る光景は、なんだか私をいたたまれない気持ちにさせた。
なぜだろう……心がざわつく。
私、あの子が傷つくところを見たくない……?
周囲を見回すと、全員があっけにとられたような表情で、魔物と戦うただ一人の女の子を見ていた。
ただ唖然と。手に火球を浮かべていた者は、火球への魔力供給も忘れて。
供給が絶たれて火球は消えていても、火球を浮かべていた手は上げたままになっていた。
みんなが何もできずに立ち尽くす中、誰かが口を開いた。
「なんなんだ……あの子は……一体!?」