傷だらけのメシア 2
開け放たれた扉を通ると、徐々に学校の玄関ホールの様子が見えてきた。
まず、気分が悪そうな顔で壁に寄りかかったり、床に座り込んでいる人たちが見えた。
たぶん魔力の回復を待っている人たちだ。
石でアーチ状に組まれている出入口から少し前に出たところに4人が並び、その4人の後ろにそれぞれ数人が列を作っていた。
中央にいる髭の兵隊さんの号令に合わせて先頭の4人が一斉に魔法を放ち、続けて魔法を撃てそうならそのまま列の後ろへ、 魔力の回復が必要なら、並び直さずに列から外れるという手順を繰り返しているみたいだ。
魔物は火球を嫌がっている様子で、先頭の4人が魔法を放つと、後ろに跳んで「ギャッギャ!」と鳴いていた。
その隙に髭の兵隊さんが号令をかける。
「前列交代!」の声が響くと列が動き出した。
「さぁ、君たちも列へ!」
兵隊さんに促されるまま列に加わると、見えづらかった外の様子がだんだんと見えてくる。
私の足はそこで止まった。
外には鋭い爪と牙から赤い血を滴らせた化け物がゾロゾロと蠢いていて、血で染まった爪をベロリと舐めながら、こちらに顔を向けていた。
1匹でも恐ろしい魔物が他にも10匹以上、こちらに向かってじわじわとにじり寄って来ていた。
もうだめ! これ以上行けない!
恐怖で石のように重くなった私の足は、前に進むことも、後ろに逃げることもできなくなっていた。
魔物の様子を見ても敵と戦っているような雰囲気じゃない。
どちらかというと、エサ箱の中を覗く動物に似たしぐさだった。
こんなの私たちでどうにかできるわけない!
やっぱり来なければよかったんだ!
私は恐くて足がすくみ、その場にへたり込んでしまった。
すると、さっきの兵隊さんが私に駆け寄ってきて、悲しそうに優しく笑った。
「無理を言ってすまなかった。悪いけど落ち着くまで彼等と一緒に後ろで休んでいてくれ」
そう言って壁の方を指差した。
促されるままに壁際に移動しようとしたけど、腰が抜けてしまって思うように立てない。
「あ……足が……た……立てません」
ガタガタと震える私の足を見て、兵隊さんは少し苛立ったように悔しそうな表情を浮かべた。
「すまない……俺は君たちを守る為にここにいるのにな……本当に自分が情けないよ……守る相手の力を借りないと時間稼ぎもままならない……いや……それですら……」
最後に小さく呟きかけたところで兵隊さんは言葉を切って、ごまかすみたいに手を差し出した。
「さぁ、ここは危ない。俺の手を掴んで、ほら……立てるかい?」
その言葉に従って、兵隊さんの手を取ろうとしたその時だった。
「全員退避ーーーー!!!!」
という怒鳴り声のような号令が響き、兵隊さんが外の方へ振り返る姿が一瞬見えたところで、私はびっくりしてギュッと目を閉じてしまった。
逃げ惑う人たちの叫び声と足音が聞こえ、最悪の状況が頭をよぎる。
私は咄嗟に体を縮こまらせ身を守った。
周りの状況は見えないし、何も考えられない!
そんな中、私のすぐ前で「うぐっ!」と何かに耐えるような声が聞こえ、声とほぼ同時にぬるいお湯のような液体が私の頬に飛んでくるのを感じた。続けて、ボタボタと音を立てながら私の下腹部に液体が垂れるのを感じ、おそるおそる目を開けた。
ゆっくりと視界が広がっていくと、まず目の前に兵隊さんが見えた。
私に覆いかぶさるように地面に両手をついて、私と目が合うと「だい……じょう……ぶ……かい?」と尋ねてきた。
何のことを言っているのかわからず、混乱して返事ができない。
少し目を下にやると、兵隊さんの肩には赤い花が咲いていた。
混乱した頭で、なんでこんなところに花を挿しているんだろうなんて考えていると、赤い花が兵隊さんの肩にズズっと潜っていった。
花……じゃない……!?
花に見えたものが、完全に兵隊さんの体の中に潜るのとほぼ同時に、兵隊さんが意識を失ったのか、私の上に倒れこんできた。
ドサッと大人の重みが私にのしかかり、普段の私なら重さを苦痛に感じるところだけど、目の前の光景がそれ許さなかった。
崩れ落ちた兵隊さんが塞いでいた視界のすぐ先、立ち上がって一歩足を前に進めれば手が届く程の至近距離に魔物が立っていた。
魔物は、兵隊さんの肩から引き抜いた巨大な爪を舐め、血を味わうと、ゆっくりとした動きで私の方に歩いてくる。
鎧を着こんだ兵隊さんを持ち上げる力がない私は、兵隊さんの下から体を引き抜くことができず、その場に固まっていることしかできなかった。
ドクドクと心臓が脈打ち、緊張で渇ききった喉に舌の根が貼りつく。
声を出さない方が良いのはわかっていても、恐ろしさのあまり体の震えと一緒に漏れでる声を止められない。
それを意に介すことなく、のそのそと近づいてきた魔物が、もう兵隊さんの腰を跨ぐ位置まで来ていた。
小石でも拾うかのような動作でこちらに手を伸ばし、兵隊さんの頭を掴むと、そのまま体ごと兵隊さんを持ち上げた。
もう片方の手で兵隊さんの胴を掴み、左右に引きちぎるような動作を見せ、兵隊さんからゴキっと骨が砕けるような音や、ブチブチと筋がちぎれるような音がし始めたその瞬間。
「全員放てぇぇぇーーーー!!!!」という怒号が響き、手に火球を浮かべていた数人が魔物に向けてそれを放った。
火球の集中砲火を受けた魔物は「ギャッ!」と一鳴きして、兵隊さんを放り捨てて外に飛び退いた。
「隊列組みなおせ! 次が来るぞぉぉぉーーーー!!」
髭の兵隊さんの声に反応した人たちが再び隊列を組むために動き始めたけど、先ほどの光景を見てすぐに動ける人は多くない。隊列はばらける前の半分になって、約半数の人が動き出せず固まってしまっていた。
もうだめだ……。やっぱりみんなここで死ぬんだ。
私は兵隊さんの血で汚れた自分の下腹部を見て、自分の死を感じた。
もう少し経てば私も兵隊さんと同じに、体の中身を絞り出され、魔物の餌になる。
もう怖いのはイヤだ……。
魔物さん! 早く来て! 私を殺して!
私を恐怖から救って!
そう思い、私はゆっくりと立ち上がり、ゆらゆらと学校の外へ向かって歩き出した。