弐の肆/翡翠堂あやかし奇譚
六角窯の工房の裏。
物置の前で一服する。
すんげえいい天気。秋晴れだ。
張り切って飛んでいるトンボはどれもこれも、対でつながって飛んでいる。一匹だけの奴はいやしねえ。トンボも、飛びずれえだろうに。全くご苦労なこった。
俺は紫煙を、目の前を飛ぶカップルに吹きかけてやった。迷惑そうに、トンボ達はすうっと上空に飛んで行く。その様子にざまあと思いながらも、途端自分がすっげえ小せえ人間に思えてくる。
やだ。やだ。やだね。
俺は浩平に嫉妬してるんだ。
好いた女と上手くやって、結婚まで迫られる。
今の俺にとっちゃあ、夢物語りだ。
本当は浩平の気持ちだって、ちっとは分かる。男の矜持ってやつだ。
俺だって好いた女に喰わせてもらって、のうのうと陶芸をするなんざ御免被りたい。
だが好き合ってるんだ。互いに協力するくらいは有りだろう。
それを真っ向から逃げ回ってるのが、気に喰わねえ。って、やっぱり妬みかよ。
俺ってすんげえ、格好悪い。
こんなんだから、オオミズアオにも、相手にされねえのかもしんねえ。
オオミズアオの顔を見なくなってから、半月ばかりが立つ。その間に俺がやっている事って何だ? 売るための器を、こせこせ造って、後は弟弟子に八つ当たりかよ。
ダメだ。全然駄目じゃあねえか。
次の夏まで。
俺はオオミズアオに惚れられる男になっていなくちゃなんねえ。会えない。顔が見えねえからって、気落ちしている暇なんざねえんだ。
俺は煙草を消すと、工房へと戻った。
※ ※ ※
後戻りなんざしねえ。
理屈をこねるのも性に合わねえ。
俺は六角師匠に、独り立ちの件を話した。
誰もいなくなった六角窯の工房で、師匠とさしで話した。清水の舞台から飛び降りるつもりだったのに、師匠はとっくに知っていた。
情報源は米代の爺さんだ。そう言えば、爺同士で仲が良いんだった。
「おめえがここを出るのについちゃあ、俺は文句なんか言わねえよ」
六角師匠は、焼き上がった器を手に話している。
視線の先には、今日窯だしされたばかりの器がある。
師匠の器は形が優美だ。弟子の俺が真似したって、だせねえ上品さってもんがある。
「おめえがここに来て一五年。そんだけいるんだ。技術は俺の折り紙つきだ。だがそればっかりで喰っていける程甘い世界じゃあねえ」
手にしていた器を、師匠は丁寧な動作で卓上に置いた。
そこには十以上の器がある。どれもこれも、普段使いのもんじゃあねえ。微妙に色も形も違う壷。全て展覧会に出品する為の試作品だ。
「俺の言いたい事が分かるか? 宮地」
師匠は浩平よりも、さらに小さい背丈だ。
おまけにガリガリに痩せている。ほとんど骨と皮ばっかだ。だのに俺にとっては一番おっかねえ存在だ。
俺は直立の体勢で「はいっ」と返事をした。
「じゃあ、結果をだせ。独立の話しはおめえの腕次第だ」
「はいっ。ありがとうございます」
俺は頭に巻いていたタオルをとると、師匠に向かってがばりとお辞儀をした。
「おめえのその体育会系の馬鹿みたいな挨拶。昔とちっとも変わんねえなあ」
師匠は肩をすくめると、低い声でくつくつと笑った。
話しは終わりだ。
出て行こうとする俺を、「宮地よお」師匠が呼び止めた。
「ーーはい?」
何だろう。振り替えった俺に、師匠は口角をあげてにやりと笑ってみせた。
「独り立ちするんだったら、煙草はやめるこったな」
「え?」
師匠の質の悪い笑みは、ますます深くなる。
「重から聞いたぞ。惚れた女と所帯を持ちたかったら、煙草なんざさっさと止めろ」
俺は目を見張った。あの爺。一体どこまで、くっちゃべっていやがるんだ。
「煙草の煙は得意じゃないらしいぞ、その女」
「ーーはい」
「よし。もう行っていいぞ」
「はい!」
俺はすっとんで、工房を後にした。
その日から。
俺は器造りに気合いをいれた。
納得のいく作品を造るまで、爺さんの家に行くのは止めにした。
絢子さんには電話で断っておいた。本当は体調の優れない絢子さんも、反応のない桜の樹も、気になって仕方がねえ。だがそれを理由にまともなもんが造れなかったなんざ、いい訳にもならねえ。
俺の宣言に、電話の向こう側で米代の爺さんが、「青春だなあ。なあ宮地」と可笑しそうに言っていた。
何が青春だ。
阿呆かよ、爺さん。俺はもうすぐ四十だぜ。青春なんざとうに、どっかに置いて来ちまっている。
俺のしてる事は、悪あがきみたいなもんだ。
だが職人がやるって決めたんだ。最後までみっともなくても、悪あがきはさせてもらう。
俺はオオミズアオに会えない時間の、もやもやとした気持ちを込めて、器を造った。
納得のいくもんを造り上げるまで、やたら時間はかかった。けどそれは仕方ねえ。師匠だって何十もの試作品のうえに、やっとこさ納得のいく一品を造るんだ。弟子の俺が手を抜いてできるもんじゃあねえ。
俺は秋から冬にかけて、土を捏ねてはおんなを思った。
俺がいなくて、せいせいしているだろうか。ちっとは寂しく思ってくれているだろうか。それとも俺が諦めたって、ほっとしているんだろうか。
それなら、お生憎様だ。
俺は自分で言うのもなんだが、しつけえ。しつけえからこそ器一筋にやってきた。
他に目移りする程頭が良くねえ。思い込んだら、一筋なんだ。
待ってろよ、オオミズアオ。
お前が少しでも俺に惚れられるくらいの器を造って、会いに行ってやる。
そんでもって俺はまた、おんなへのプロポーズを阿呆みたいに続けていくんだ。
その年の冬。
俺は県展用の花器を造りあげ、長年続けていた煙草を止めた。