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弐の参/翡翠堂あやかし奇譚


 それでもすぐさま六角窯を抜けることなんざできなかった。

 爺さんだって諸々の手続きがあると言う。

 爺さんから言質(げんち)をもらった俺は、その年の夏中、仕事が終われば爺さん家に通った。

 おんなに会える時もあったが、顔も見られない時の方が多かった。会えても大抵が無視された。まだ嫌な顔をされた方が、反応があってマシであった。

 無視されると、かなりへこんだ。諦めようかと思う夜もあった。

 けど一人家に帰って万年床に寝転がっていると、決まっておんなの顔を思いだした。

 諦めたふりならできる。簡単だ。けどそれをしちまったら、きっと俺はこの先ずっと後悔する。そんな人生なんざ御免だった。


 俺だって最初(はな)から、おんなを落とせるとは思っていなかった。

 ましてやあんな、にべもない態度のおんなだ。かなり手強そうだと覚悟はしていた。

 自慢じゃねえが、そんなにもてねえわけじゃあない。背丈があるっていうのは、そんだけで、ちやほやされる事だってある。若い頃はそれなりに遊んだりもした。

 けど「六角窯」にはいって、器造りに夢中になっていってからは、ちょっと変わった。なんて言やあいいんだろう。

 適当に遊ぶよりも、真剣に土に向い合っている方が、俄然がぜん面白くなったんだ。

 そうするとおんなと遊ぶ事からも自然足が遠のいていった。そんなこんなで、俺は三十代も半ば過ぎまできていた。


 一年目は夏中オオミズアオのおんなを追いかけ回して、どうにもできなかった。名を受け取ってもらうどころか、まともに顔を付き合わせて会話さえしていない。おんなは俺が近づくと、つうっと逃げちまう。

「情けないぞ、宮地」

 そう言いながら爺さんは、面白そうに笑っていた。


 ※ ※ ※


 おんなに出会って一年目の夏が過ぎた。

 おんなの姿は見えなくなって、爺さん家の庭には秋がきた。

 絢子さんの手伝いで、紫陽花あじさいの育ち過ぎたかぶ剪定せんていしながら、桜の樹を何とはなしに見ていた。

 桜は秋空に枝を伸ばし、葉を風にそよがせている。

 まだ落葉には早い。なのにおんなは外へはもう出てこない。

 もしかして俺がいるから、早めに引っ込んじまったんだろうか。

 そう考えると、おんなに悪いことをした気分になっちまう。ため息をつきながら、かなりいい加減に剪定をしていると絢子さんがやって来た。


「疲れたでしょう。一休みしましょう」

 縁側にお盆を置いて、俺を手招く。


「すんません」

 俺は剪定鋏せんていはさみ一旦いったん置いて縁側へ座った。

 すんません。

 今年の紫陽花は、不細工かもしれません。

 俺は絢子さんに、心中でこっそり謝った。この人が庭の草木をすんげえ大事にしているのを知ってるから、なおさら情けねえ気持ちになっちまう。


「圭介くん。甘いものより、こっちがいいでしょう」

 そう言って煎餅せんべいと、麦茶をすすめてくれる。


「いただきます」

 俺は塩煎餅に手を伸ばした。

「美味いっす」

 なかなかに堅く、塩気の効いた煎餅だ。噛むのに結構力がいる。ぱりっとして美味いんだが、爺さんの入れ歯じゃあキツいだろう。


「そう? 良かったら持って帰ってね。うちの人は全然無理だから」

 案の定絢子さんが言う。


「いつもすんません」

「いいのよ。いっぱいあるから。良かったら六角窯にも差し入れして」

「そうします」

「あの()はね。甘いものの方が好きなの」

「え?」

「お菓子でも。果物でも。甘いものが好きだから、覚えておきなさい」

 これはあれだ。きっとオオミズアオの事だ。

 爺さんと違って、絢子さんからおんなの話しがでるとは思わなかった。俺は年甲斐としがいもなく狼狽(うろた)えた。


「え? あ、いえ。あ、ああ。はい」

「ふふ」

 絢子さんが微笑む。

 俺はまるでお袋を前にした息子みたいに、言葉につまってしまった。ただし息子は息子でも、どら息子だ。絢子さんの息子さんは、立派に跡目を継いだ秀才だと聞いている。


「ふふ。圭介くん。顔赤いわよ」

「いえ、別に!」

「あら、そう?」

「はい。全然別に。何でもないです」

 俺は煎餅を噛み砕くと、慌てて麦茶で飲み干して立ち上がった。


「剪定。紫陽花の他にもありますか?」

「あら。圭介くん、時間大丈夫?」

「はい。四時までに窯にはいる予定なんで。まだ大丈夫です」

「じゃあ雪柳ゆきやなぎもお願いしようかしら」

「はい!」

 俺は雪柳まで素っ飛んでいった。


 ※ ※ ※


 その頃の六角窯で、俺が一等仲良くしていた弟弟子おとうとでしといったら、浩平(こうへい)だった。

 一回り年下で、背だって俺より頭ひとつ小せい。

 なんでこの道にはいってきたんだよと、聞きたくなるくらい不器用だったけど、素直な性格は師匠をはじめ、窯の皆に可愛がられていた。


 浩平には生意気にも恋人がいた。

 かなり積極的な女で、浩平は結婚を迫られていた。

 そういう話しを、浩平は休憩時間になるたんびに俺に言いに来る。

 これにはちょっと。いや、かなり驚いた。

 ぶっちゃけ俺たちの給料ときたら、滅茶苦茶安い。俺が大学時代にしていた諸々のバイト代の方が下手したら高いくらいに、安い。

 まあ、そこんとこは納得して窯にいるんだから、今さら不平不満なんざねえ。なにせこちとら修行中の身。給料もらえるだけでも有り難いってもんだ。


 けど所帯をもつ事を考えると、いかんともしがたい。

 嫁さんに働いてもらったって、楽はできねえ。今迄窯を去って行った兄弟子たちの中には、結婚を機に陶芸の道から足を洗った人たちもいた。

 なのに浩平の相手ってのは、浩平に陶芸を諦めなくて良いって言っている。

 なんとも奇特きとくな女である。


 浩平はまだまだ駆け出し。

 六角窯のなかでもヒヨッコだ。

 才能があるのか、ないのか。この道で喰っていけるのか、どうか。

 そんな分からない未来にかける女がいる事に、俺は驚いた。それで何を悩む必要があるのか、俺にはちっとも分からない。贅沢な悩みだと、どやしてやった。

 なのに浩平は、相も変わらずぐずぐずと煮え切らない。春の頃からずっと、女のプロポーズに答えをだせずにいた。そのくせに、すぱっと別れもしない。


「だって、みやこは好きなんす」

 昼休み。

 弁当を食いながら、浩平がいつもの愚痴ぐちなんだか、惚気のろけなんだが分からねえ話しをする。

 みやこっていう女が浩平の恋人だ。ちなみに寺の娘なんだと。


かせぎが悪い俺に結婚なんて、まだまだ早い。そこんとこを、分かってもらえればいいんすけど」

 弁当は手がこんでいる。

 でっけえ弁当箱一杯に、色とりどりのおかずが配色良く並んでいる。

 恋人の手作り弁当だ。

 これひとつとっても、女が浩平に本気なのが見てとれる。

 俺は近所のパン屋で買ったコロッケパンを食いながら、多分仏頂面をしていたと思う。


「いいじゃあねえか。俺等みたいな、うだつの上がらねえ職人からしたら、神さまみたいな女じゃねえか」

「そりゃあ……そうですけど」

 俺の言葉に、浩平は言葉に詰まる。

 浩平だって本当は、降ってわいた幸運の有り難さを分かっている。


「お前の恋人。寺の娘だっていうのに、お前にあとを告げって言うわけじゃあねえんだろ?」

「……そうっす」

「そんでお前には陶芸を続けたって良いって、言ってるんだろう?」

「……そうっす」

「じゃあ、問題なんて、なんもねえじゃあねか」


 俺の言葉に肩を落としながら、浩平は恋人の唐揚げを口にした。

 衣ばっかり厚い、スーパーの安物とは見た目からして違う。からりと揚がっている肉厚の唐揚げは、実に美味そうだ。それ以上に、手作りっていうのが、独り身からしたら心底羨ましい。

 だからといって、意地の悪い事を言っているわけじゃあねえ。

 俺は物の道理どうりいてるだけだ。

 窯で働く全員が、俺と同じ反応をするはずだ。

 第一こいつ贅沢すぎんだよ。

 自分の立場をわきまえろ。そんな優良物件の女がこの先でてくるか、分かったもんじゃねえだろうが。

 俺は紙パックの牛乳を、ストローでずずずと飲みほすと立ち上がった。


「宮地さん。本気でそう思っているんすか?」

 浩平がすがり付くみたいな目つきで、俺を見上げる。

 野郎にそんな目で見られたって、嬉しくも何ともねえ。


「おおよ。本気も本気。大本気だ。お前はここで好きな陶芸ができる。女は働いてお前を支える。実家だってお前が継がなくてもいい。しかも寺の敷地にアパートまで持ってるって言うじゃあねえか。そのあがりだけでも、俺とお前の給料足してもかなわねえ額だ。そこに一体全体何の不満があるって言うんだ?」


「だって、宮地さん……俺、寺とか神社って苦手なんすよ」

「お前よう……」

 俺は浩平の言い草にいらついた。思わず口調がキツくなる。


「小学生じゃあねえんだ。そんな泣きごと言ってどうすんだ。第一その女におめえ、惚れてるんだろ? 美人で胸もでっかくて、料理上手で最高だって。散々俺に惚気ていやがったじゃあねえか。結婚しろ、してしまえ。俺が変わりてえくれえだよ。ったく」


「……宮地さん」

 情けない声で、浩平が俺の名を呼ぶ。

 知ったこっちゃあねえ。

 俺は自分が座っていた椅子を蹴っ飛ばすと、外へ出た。

 





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