表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/27

弐の弐/翡翠堂あやかし奇譚



 俺がオオミズアオのおんなを初めて見かけたのは三年前。

 爺さんの家に遊びに行った夏の事だった。



 あの日。

 絢子さんは躯の調子が思わしくなかった。

 絢子さんに手伝いを申し出て、十を越す朝顔あさがおはち軒下のきしたに運んでいた時だ。


 縁側えんがわにおんながいた。

 ぽつねんとひとりで座って、真っ青なソーダアイスを齧っていた。

 全体的に細っこい。こどもみたいな体型のおんなだった。

 爺さんの親族だろうか。俺はそう思って、朝顔の鉢を運びながら気軽に「コンチワッ」と声をかけた。

 途端。

 おんなが驚いたように、振り返った。

 目と目が合った。でっけえ目玉が俺を映した。俺は鉢を軒下に置くこともできずに、金縛りにあったみたいに、おんなの目ん玉を見つめた。


 とろりとした釉薬(ゆうやく)をかけられた、磁器じきみたいな目ん玉だった。

 長い時間を持ちこたえた奇跡的なしぶとさと、すぐにも壊れちまいそうな繊細さをあわせ持った、うつわみてえな奇麗な目に、俺は一瞬で囚われた。

 どれだけそうしていたんだろう。

 家を囲むようにして生い茂っている樹々のひとつで、せみがじじじと鳴きだした。一匹が鳴くと、つられるように他の奴らも歌い出す。

 うるせぇったらない。

 突然の蝉時雨せみしぐれに、俺は頭上の樹々を見上げた。


 ほんの一瞬だ。

 だが次に縁側に視線を向けた時には、おんなの姿は消えていた。

 縁側のすぐ側の真っ黒い地面に、食べかけのアイスがべたりと落とされていた。今そこにいたはずの、細っこい躯も。魅惑的な目ん玉も、どこにもない。

 おんなは蝉時雨の残響ざんきょうに吸い込まれるように、消えちまったんだ。



 俺は慌てて家のなかに引き返して、爺さんを取っ捕まえた。

 あのおんなは、どこの誰だと問いただした。

 爺さんは最初すっとぼけて、「白昼夢はくちゅうむだろう」「熱中症ねっちゅうしょうか」と、俺をからかった。だが俺の、「一目惚れだ」の一言に態度が変わった。


「お前さん。おんなの為に人生捨てる覚悟はあるか?」

 そう言った時の爺さんの顔は、人の良い好好爺なんかじゃなかった。

 俺を試すような。

 いどむような目つきであった。


 ※ ※ ※


「義務なら止めて下さいな」

 おんなが言う。

 おんなは毎回同じ台詞を口にする。


「義務なんかじゃねえ」

 俺の返答も毎回同じだ。

 ふたり揃って、台本を読み合っているように、毎回同じ状況。同じ台詞が繰り返される。


 ただ今までの年月の間で変わったものもある。おんなの表情だ。

 おんなは同じ台詞を口にしても、迷っている顔をするようになった。卓上の封筒に手を伸ばしゃあしないが、両の指先を落ち着かなくいじっている。

 最初の時なんざ酷かった。鼻で笑われて、軽くあしらわれた。

 俺は樹から落っこちて、地面でのたくる毛虫にでもなった気分で、おんなにふられ続けていた。


「俺は米代の爺さんから、ここの管理を任されている。だけど仕事を受けたのは、あんたに惚れた後だ。あんたに惚れたから、ここに居る」


 そうだ。

 この家も。窯も。俺のもんじゃねえ。

 それを言うなら、おんなもまだ俺のもんじゃねえ。

 俺は爺さんとの約束で、ここの管理を任されている。住み込みで働いている管理人にすぎねえ。


 ※ ※ ※


「お前さん。六角窯を抜けて、一人立ちする気概きがいはあるかい?」

 爺さんはあの三年前の夏の日。俺にそう聞いた。



 当時の俺には、まだ自分の名だけで喰っていける程の腕も人脈もなかった。

 師匠の弟子でいるっていうことは、俺の器は「六角窯」の品として取り扱われる。

 窯をでるっていうのは、師匠の名。

 ひいては六角窯の名を手放すってことだ。

 名のない俺の器に、世間的な価値はねえ。六角窯を抜ける。それは当時の俺には、即死活問題にもつながる決断だった。



「一人立ちしたら、あのおんなを紹介してもらえるんすか?」

「紹介なんてしないよ」

 俺の質問に、爺さんはそう答えると意地の悪い顔で笑った。俺に初めてみせる顔だった。


「お前さんは、あの娘を見守るここの管理人になるんだ」

「管理人?」

 爺さんの言葉に首を傾げた俺に、爺さんが説明した。


「勿論今すぐじゃあない。お前さんにだって都合があるだろうし、こっちにだって都合がある」

「……」

「絢子がね。実はあんまりよくないんだよ」

 沈んだ声で爺さんが俺に告げた。


「えっ! 大丈夫なんすか?」

 そんなの初耳だ。

 料理上手で優しい絢子さんは、爺さんにはもったいねえくれえ良い奥さんだ。俺は絢子さんに世話になりっぱなしだ。まだ何にも恩を返せていねえ。


「そんなに驚く程じゃあない。大丈夫。今すぐぽっくりくってわけじゃあないから。けど夫婦揃って年をとれば、あっちこっちと悪くなっていくばかりだ。年寄り二人にこの家は広すぎる。窯も庭も。手入れが大変だ。ここらでひとつ、妻孝行しようかと計画しているんだ」

 俺は安堵あんどの息をついた。なんだ。脅かすなよ、じじい。


「穏やかな土地に介護医療つきの高級マンションがあってね。そこを検討しているってわけだ。だがうつってしまうと、問題がひとつ残るんだな」

「……はあ」

「そんな気のない返事をしなさんな。そこでだ。問題っていうのが、あの娘なんだ。あの娘は、儂の可愛い娘だ」

「……爺さん! 浮気したのかよっ!」

 俺は声を張り上げた。途端爺さんに、「ばか」と頭を叩かれた。


「儂が絢子以外に、うつつを抜かすものか」

「だって爺さん、息子さんしかいねえじゃないすか」

「娘のように可愛がっているという意味だ」

「ちぇっ。まぎらわしい」

「儂の話しが嫌なら、いいんだ。娘は諦めな」

「いえ、全然イヤじゃねえ」

「お前さん本当に現金だね。まあ、いい。あの娘は、ここの桜の樹に宿るオオミズアオっていうの化身だ。そう言ったら。お前さん、信じるかい?」


 爺さんが俺を覗き込むようにして、素っ頓狂な事を聞いてきた。

 言葉は素っ頓狂だが、表情は真剣だ。

 多分。今ここで返答を間違えちまったら、俺とおんなの縁は無くなる。そう思った。


 俺は眼を閉じて、おんなの様子を思い浮かべた。

 俺を一瞬で囚えた、あの目の玉。

 言われてみりゃあ、あれは単なるひとの目の玉じゃあねえ。(あやかし)って言われた方が納得できる。人ならざる者だからこそ、俺はすぐにも囚われちまったのかもしんねえ。


 俺は根が単純だ。頭もさして良くはねえ。

 おんなに惚れた。惚れたおんなが、オオミズアオの化身だと、爺さんは言う。

 惚れたのが全ての始まりだ。ならその後の意味付けなんざ、なんだっていい。

 俺は俺の気持ちに従うだけだ。


 器。そしてーー

 オオミズアオだというおんな。

 このふたつは、これからの俺の人生に欠いてはいけねえもんだ。根拠なんざねえ。けど俺は自分の勘を信じる。俺が自由に息をする為に、必要なもんだ。

 おんなの為に、人生捨てる気があるかと爺さんは聞いた。

 それとはちっと違う。

 俺らしい人生を過ごす為に、俺は手を伸ばすんだ。



「信じます」

 俺は爺さんに頷いた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ