表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/27

漆の弐/翡翠堂たそがれ奇譚



 オオミズアオと会ったのは、覚えている限りで三回。

 初めての出会いから四半世紀しはんせいきがたつ事を思うと、わずか三回である。

 だがそのどれもが、鮮明に私の脳裏に焼き付いている。


 激しい夕立。

 蒸し暑い夏の午後の、きんと冷えた冷房。

 紺碧こんぺきの空と入道雲。

 咲き誇る夏草の匂いと、けだるい時間。


 思いだせる風景はいつも夏だ。

 良人が宮地から、風鈴と団扇うちわをもらい受けてきたことがあった。あの不思議な風鈴は、ついの団扇の風を受けると、恋の歌をかなでたものだ。一度だけ使い、わたしはそそくさと納戸なんどにしまった。

 よくもまあ、中年男があのような気恥ずかしいものを造ったものだ。

 私が知っている粗野な男の仕業しわざとは思えなかった。


 こうして思い返せば、秋にあのおんなを思うのは初めてかもしれない。それは宮地も同じだ。己がとらわれたおんなとの思い出は、常に夏の風景のなかだけであろう。

 夏の暑さがやわらぎ実り豊かなこの季節を、オオミズアオは外で過ごした事がない。

 厳しい冬も。

 己の桜が咲き誇る芽吹きの春も。オオミズアオはこの世にいなかった。

 

 ※ ※ ※


 良人と息子は饅頭まんじゅうを食べながら、共に茶をすすっている。男二人の背後にあるサイドボードには、深みのある蒼い皿が一枚立てかけてある。

 皿には夏の大三角。デネブ。ベガ。アルタイルと共に宮地の筆で、西暦が記されている。

 一五年前の夏。

 滅多に外を一人では歩かないオオミズアオが持って来たものだ。


「ご長男誕生おめでとうございます」

 そう言うと、突然やって来たおんなは、ふわりと微笑んだ。


 ※ ※ ※

 

 暑い日であった。

 日傘をさしたおんなは、長い髪をアップにし、細くしろい(うなじ)を頼りなげにさらしていた。

 おんなの着ていた、浴衣の柄をよく覚えている。

 うすい翡翠色の地に、桜模様の華やかな浴衣であった。


 どこで聞いてきたのか。お祝いですと、風呂敷包みを差し出すおんなを、追い返せるわけがない。

 赤子であった息子は丁度眠ったばかり。わたしはおんなを居間へと案内した。

 その日。家のなかは私と息子だけであった。

 これは普段檀家さんや、妖小僧(あやかしこぞう)の出入りの激しい我が家では、珍しいことであった。

 まるで狙い定めたかのように、おんなはそんな時間に、するりとやって来たのだ。


「おかまいなく」

 私の向かい側に腰をかけて、冷たい緑茶を飲むおんなは美しかった。

 初めて会った時にはなかった、つやっぽさがちいさな躯全体を包んでいた。

 ああ、宮地と上手くいっているのだな。そう思わせる雰囲気をかもし出していた。

 

 見るとおんなが持ってきた風呂敷は、数年前に宮地のタオルを包んだものではないか。

「こんな物。まだとっておいたのか?」

 呆れて問うと、「ええ」とおんなが微笑む。


「お返しできて良かった」

 嫌みではなさそうな口調であった。

 風呂敷を解くと、出てきたのものが蒼い平皿であった。

 黒にちかい深みのある蒼を地に、白い点が散っている。おんなが慣れた調子で点を指差していく。


「琴座のベガ。白鳥座のデネブ。鷲座のアルタイル。ベガが織り姫でアルタイルが彦星。圭介さんの造った夏の星空のイヤープレートです。奇麗でしょう」

「イヤープレート?」


 言われてみれば、確かに西暦が書かれている。

 県展で賞をとっている作品とは別に、宮地は活計(たつき)の為にと普段使いの皿も造っている。

 我が家にも何枚かあるはずだ。だがこれは、れらとはかなり違う作風だ。


「宮地の作にしては、ちと可愛いな」

 思ったことをつい口にした。


「河童のキヨちゃん。知っています? 清水清彦くん。小間物屋をしています」

「懇意にはしていないが、知っている」

 河童とサンショウウオ。

 共に水の妖だ。これといった付き合いはないが、人の世に暮らす数の少ない妖同士。互いに顔だけは知っている。そう告げると、おんなが言った。


「キヨちゃんがデザインしたから、可愛いらしく仕上がったのかもしれません」

 そういう事か。

 河童の清水はまだ若く、宮地よりもよほど優男やさおとこだ。

 この皿も清水が考案したのならば、分かるというもの。


「しかし、わざわざこれを?」

「ええ。だってあなたから、お礼を言われたくって。わたしの言った通りだったでしょう?」

 軽やかに。しかし目を光らせて、オオミズアオはそう言った。


 そうだ。

 気に喰わない事に、私は過去にオオミズアオの世話になっていた。

 当時は偶発的だと思っていたが、今日のこの顔付きを見る限り、どうにも怪しい。最初からの(はかりごと)にも思えてくる。だからといって世話になったのは事実。


「あの時は世話になった。おかげで跡継ぎが無事産まれた」

 頭を下げると、「良かった。ではわたしのお願いも聞いてもらえますね」

 抜け目なくおんなが言う。


 流石さすがは妖。

 見た目程単純で純粋無垢というわけではないようだ。だがかえってその方が私としては気が楽だ。受けた恩は、返せる時に返した方が良いに決まっている。


「なんだ? 八田やだにできることなら、手助けするぞ」

「そう言っていただけると、思っておりました」

 確信に満ちた顔でおんなが言った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ