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伍の肆/翡翠堂はくせん奇譚



 どきどきした。

 けれどそれは、今まで彼女に感じていた浮き立つようなどきどき感ではなかった。

 胸の痛みをともな鼓動こどうだった。


 モールの中は、きんきんに冷房が効いている。

 なのに嫌な汗が背筋を流れる。息がしずらい。

 仕事が忙しい。そう言った彼女の言葉を、そのままとらえて信じていたわけではない。ていの良い断り文句だと、この年になれば、否が応でも分かってくる。

 だからと言って、買い物中の姿を目の当たりにするのは、思いも寄らぬショックであった。

 ああ。やっぱり。

 そう思った途端。改めてあきらめの気持ちが、僕のなかで急激にわきあがってくる。

 彼女は随分たくさんの紙袋を抱えて、壁際にいた。

 誰かを待っている風だ。これが先月までだったなら、僕は偶然の邂逅かいこうに大喜びで駆けつけて荷物持ちをしてあげた。けど今の僕には、その勇気はない。第一彼女が望まないだろう。

 すぐにも立ち去って、この無言の最終通告を機に、彼女を忘れるんだ。

 そう思った。


 なのに僕の足は、なかなか動いてくれなかった。

 彼女もまた動かない。

 その様子に誰かを待っているのだと気がついた。現れるのが男性だったならば、それこそ吹っ切るのに最適だ。

 僕は自分がこんなにも、自虐的じぎゃくてきだとは思っていなかった。

 我ながら何とも女々しい。

 苦笑いを浮かべながら、遠くから見守っていると果たして相手が現れた。

 僕はその姿に目を見張った。


 現れたのは、彼女より頭ひとつ小柄な女性であった。なんだ、女友達か。

 ほっと胸をなで下ろした反面、どっちにしろ彼女は休日のショッピングを楽しむだけの時間はあっても、僕には会ってくれないのだ。

 その事実を苦く噛み締めた。

 もう、よそう。これ以上彼女を眺めていたって、みじめになるだけだ。きびすを返してフロアを出ようとした時だ。連れの女性の声が、僕の耳に届いた。


「お姉ちゃん、最後。次で最後だから付き合って」

「これ以上まだ買うの?」

「最後。さいごだから。上の階の食器コーナー付き合って」

「あんたねえ……妊婦なんだからそんなに欲張って、一日で買い物しなくたっていいじゃない。後で躯しんどくならない?」

「妊婦だから、今するの! 産まれちゃったら、買い物なんて気楽にできないんだから。さ、次。つぎ」


 そう言うと、両手に大荷物の彼女を引きずるようにして、上がりエスカレーターに乗って行く。

 姉妹だ。しかも妹さんは目立たないけれど、妊娠中のようだ。

 ……なんだ。そうか。

 妊娠中の妹さんの買い物の手伝いか。そこでほっとしてしまう自分に呆れる。

 相手が男性であろうが、妹さんであろうが、僕でないのは明白なんだ。今度こそ帰ろう。

 どっと疲れた思いがする。

 息を吐き、足元に視線を移す。


 そこには靴をいた僕の足がある。

 うす茶のモカシンは、僕のお気に入りの一足だ。けれどこんなの全て嘘っぱちだ。

 本当の僕には両手両足に水かきがある。モカシンのお洒落しゃれな靴なんていらない。裸足で歩いたって何ら問題がない。それなのに、必要のない靴を僕は履く。

 丈夫で、ちょっと小綺麗な服を選んで着る。

 車の免許を取って、川から遠く離れた街中に住んでいる。


 少しでも好意を抱いたり、長い付き合いになると思った人達には、弱気になる前にカミングアウトをする。

 そうして去って行く人。とどまってくれる人を見極みきわめている。

 相手に主導権を与えておいて、本当はずっと求めているんだ。

 僕が河童であろうが、なかろうが。

 清水清彦という僕を、必要としてくれる人を。

 清水清彦でなければならないと、求めてくれる人を。


 足元の白線から、僕を連れ出してくれなくてもいい。

 一緒に白線のなかに入って、共に過ごしてくれる人を求めているんだ。

 こんなにも僕は小さくて、情けない。

 僕が卑屈ひくつな気持ちに沈みこんでいると、突然背中をどんと押された。


「押せって言ったじゃねえかっ!!」

 驚いて振り返ったけど、本当は口調ですぐにも分かった。

 圭介さんだ。

 いつも通り。頭にタオルを巻いて、渋い顔つきで立っている。

 いつからそこに居て、どこまでを見ていたんだろう。赤くなって、すぐにも顔色を失くした僕に、情け容赦なく圭介さんが言う。


「なんか良く分かんねえけど、さっき居たのが、お前の好いた女なんだろ? なにぐずぐず遠くから見てるんだ。行かねえのかよ」

「え、いや。そんな」

「俺に嘘つくんじゃねえ。ばればれなんだよ。お前すぐ顔にでるんだ。粋もすっげえ心配している」

「粋さんが……?」

「キヨちゃんが恋煩こいわずらいで、つらそうだとよ。ほれ」

 そう言って圭介さんが、僕に紙袋を押し付ける。


「粋からだ」

 紙袋は薄くて、軽い。

 何だろう? 開けてみるとそこに入っていたのは、団扇うちわであった。

 普通の紙製ではない。団扇には(みどり)いろの布が貼られている。


「これ……」

「この間の、桃のお返しだとよ」

 団扇は粋さんのお手製のものだ。

 しかもただの団扇じゃあない。粋さんが圭介さんと会えない時間に、桜のなかで糸を紡いで織り上げた布でできている。本来僕ら妖のたぐいは、造るという行為を余りしない。世界と一体になり、ただあるがままに生きる。それが妖本来の姿だ。けれど粋さんは布を織るようになった。


「桃のお返しで、こんな……貰えません。これは粋さんの思いがこもっています」

 僕の言葉に、「やっぱり知ってやがったか」圭介さんが苦々しく呟いた。

「以前お前、俺らを盗み見してたろう」

 それで僕は自分のへまに気がついた。

 圭介さんは少しだけ顔を赤らめると、あさっての方に視線を走らせながら、「あーー」とか「うーー」とかうなっている。


「ええと、あの」

 しどろもどろになりながらも、僕は圭介さんへ紙袋を返そうとした。

 その掌をぴしゃりと叩かれる。


「キヨ。お前、粋の好意を無下むげにする気かよ」

 圭介さんの顔が怖い。

 強面こわもてにらむと、すごみが増す。

 圭介さんは怒りっぽい。粋さんがからむと、怒りの導火線はさらに短くなる。


「いえ。そんな。ただ僕には勿体もったいないなあ……って」

「俺も全くそう思う」

 腕を組むと、圭介さんがしかめっ面で言う。


「だが粋がやると言うんだから、お前に拒否権はねえ。そして粋の団扇をもらうんだ。玉砕ぎょくさい覚悟で告白してこい」

「そんな……」

 僕は途方にくれて、圭介さんを見上げた。


「とにかく。一刻も早くお前は、例のしな子さんを追っかけろ。何ぐずぐず迷っているか知らねえが、惚れたんなら、最後まで全力でぶつかって来い」

「……」


 圭介さんの言葉に僕はうつむいた。手のなかの包みがにわかに重たく感じる。

 粋さんの団扇と、圭介さんの風鈴は対になっている。

 ふたつが合わさると、風は甘く薫る。

 団扇の風でのみ、風鈴はこいしい、恋しいと恋の歌を唄いだすのだ。

 粋さんの妖の力と、圭介さんの思いが合わさってできた一品だ。

 だがそれは、すでに二人が思い合っているからこそだ。僕が粋さんの団扇を、しな子さんに差し出しても、怪訝な顔をされるのがおちだ。


「下ばっか向いてんじゃあねえ」

 いきなり頭をつかまれた。

 圭介さんの怒号どごうに周りのお客さんや、店員の人達がびっくりして立ち止まる。


「圭介さん、ちょっと、その、不味いです」

 このフロアには展示会場がある。

 ここで圭介さんに問題をおこさせるわけには、いかない。僕はひそめた声で、圭介さんをいさめた。


「だったら、お前がしゃんとしろ!」

「分かりました。わかりましたから」

 圭介さんの腕から何とか逃げ出して、周囲の人たちへ頭を下げる。

 好奇心まるだしのお客さん達に、何でもないと無言のアピールをする。陶芸家宮地圭介の乱闘騒ぎなど、万に一つでも写真に撮られ、拡散されるわけにはいかない。


「お前本当に、分かってんのかよ?」

「分かりました。圭介さんの言うとおり、今からしな子さんを追いかけて、団扇を差し出し、速攻振られてきますから!」

 半ばやけくそでそう言うと、圭介さんがため息をつく。


「情けねえ……」

 情けないのは、今この状況の僕だ。

 圭介さんに言われる筋合いはない。流石さすがに少しむっとする。


「キヨヒコ。お前は河童だ」

 声のトーンを落とし、圭介さんが言う。


「はい……」

「そんでもって俺は人間だ。多分そのしな子さんっつう女も、人間なんだろう」

「はい」

「けどな、それを理由にすんな」

「はい?」

「いや、普段なら理由にしたっていい。言い訳のねえ奴なんて、いねえからな。俺だって言い訳と、できねえ事だらけの人生だ。威張いばってお前に説教できる程、できた人間でもねえ。だがな。自分の生きていくうえで、これだけは絶対譲れねえもんだ。そう思えるもんは、それが仕事でも女でも、言い訳すんな。全力でいけ。最初(はな)から玉砕前提で行くな」


「だって、それは圭介さんが」

「阿呆。言葉のあやだろうがっ」

 そう言って僕の頭をびたんと(はた)く。


「一度くらい断られたって、そこでめげんなって事だ。手応えがあるなら、押し通せ。傷つく事をさける為の、言い訳をすんなって事だ」


 圭介さんの言葉に、僕は顔をあげた。

 初めてこの男に、腹の底から怒りがこみ上げてきたからだ。


「じゃあ、傷つけって言うんですか!?」

 僕は低い声で、うなるように圭介さんへ言った。


「まっぴらだ。そんな事。僕が今まで、のうのうと生きてきたとでも思っているんですか? 河童である事で、散々いやな目にあってきました。好きだって言ってくれた人が、河童であるというだけで、掌を返すように無理だって言いだすんです。だまされるところだったって言うんです。その気持ちが、人間の社会で生きる、人間の圭介さんに分かるはずがない!」


「ーー」

 圭介さんが息を飲む。

 気が弱くて、優しいキヨちゃんが、まさか自分に喰ってかかってくるとは、思ってもいなかったのだろう。

 いい気味だ。

 僕はどこか清々しささえ、感じていた。

 これで良い。これで面倒で、わずらわしい人間関係がこっぱ微塵みじんだ。

 頭を悩ます必要もなくなる。僕はいどむように圭介さんをにらみつけた。






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