肆の弐/翡翠堂るいるい奇譚
「そう言えば」
俺は帰って来た時に、粋に報告しようと思っていた件を思いだした。
食卓テーブルで、粋は土産のアイスを喰っている。ハーゲンダッツの、なんか名前のなげえ奴。季節限定って書いてあった。
「仕事で河童に会った」
俺がそう告げると、粋のまるっこい目が増々丸くなる。
「まあ」
口にスプーンをくわえたまま、驚いた声をあげる。
「河童なんて珍しい」
「やっぱ珍しいもんなのか?」
俺はさっき別れたばかりの、河童の姿を思い浮かべながら粋に聞いた。
「ええ。とても。ここから北の方角へ行くと集落があるとは聞いています。けれどそこは山裾の土地ですし、こんな街中に河童がいるなんて、すごく珍しいことなんです。なにせ彼等は、水辺にものすごく執着しますから」
「へええ、そうなんだ」
「ええ。それにしても圭介さん、よく河童だと分かりましたね。まさか街中で変化していなかったんですか?」
「いんや。ちゃーーんと、ひとの男の形をしていた。今時のイケメン兄ちゃんだった。言われなけりゃあ、全然分からねえ」
目の前の粋は、どっからどう見てもひとの形をしている。
河童の兄ちゃんもそうだった。色のしろい丹精な顔だちに、茶髪の優男だ。
妖の変化をひとが見抜くのは難しい。
人間がいる世で暮らしていく為の、妖にとって必要な対応だと言う。
粋は変化を解くと、頭に触覚が。
背には翡翠色の羽がでるらしい。一回見せろと迫っているんだが、いまだに駄目だ。
「だって、蝶に比べたら、すごく丸いんです」
そう言って粋は嫌がる。
いいじゃあねえか。まるっこい粋なんて、ぜってえ可愛い。
いつか見せてもらおうと、俺は手ぐすねひいて待っている。
「河童が自ら圭介さんに、告げたんですか?」
「ああ」
そうだ。
今日の昼。俺は隣町にある「しみず夜」って小間物屋に行っていた。そこの店主で清水清彦っていう二十代の兄ちゃんが、件の河童であった。
しみず夜に出向いたのは、俺の陶器を置かせてもらう算段だからだ。
紹介元は六角師匠だ。師匠は顔が広い。名も売れている。その師匠の太鼓判のついた紹介先だ。
「普段使いの小皿や、洒落た小物類を扱っている。若いがしっかりした店主で、趣味もいい」
師匠がそこまで言うんだ。
俺は安心して、清水清彦に会いに行った。
そこでいきなりのカミングアウトだ。正直ぶったまげた。けど清水清彦的には、俺は非常に冷静だったらしい。
「こんなにすんなりと、受け入れてもらえるのは珍しいです。嬉しいです」
そう言ってえらく感激していた。
まあなんだ。嫁さんがなにせ妖だしな。
最もそこんとこは言ってねえ。ずりいかもしれないが、だんまりを決めた。俺は粋の許可なくして、吹聴する気は、さらさらねえんだ。
粋は河童が初対面にも関わらず、俺に正体を告げたという事実に、少なからず興味をひかれた様子であった。
「今度、粋も会ってみるか?」
何気なく聞いてみると、思っていた以上に興奮した様子で、「ええ、ぜひに」そう言う。
俺以外の野郎にそんなに会いたいのかよと、へそを曲げるのは容易いが、それじゃあ懐が浅すぎる。
粋にとっては、種族は違うが同じ妖。思うところもあるんだろう。
「おう、いいぜ」
俺は余裕を見せて約束した。
これが俺等夫婦と、河童のキヨヒコとの長い付き合いの序幕であった。
※ ※ ※
粋に初めて会ったときの、キヨヒコときたら無かった。
翡翠堂の門の辺りから、俄に緊張した様子である。
何がどうした。腹でも痛いのかと聞くと、「いいえ。いいえ」と顔色を悪くして、首を振るばかりだ。
そこから梃でも動かねえ。焦れた俺が強く問いただすと、「妖がいます」震える声でそう言った。
ここまでバレてちゃあ、しょうがねえ。
粋に断りをいれて、俺はキヨヒコに粋の正体を告げた。キヨヒコは目を白黒させて、へっぴり腰で家にあがった。
よくよく聞くと、どうにも粋はキヨヒコより格段と力が強いらしい。
「僕は強い妖とは、あまり交流が無かったものですから」
キヨヒコは汗を拭きふき、えらく緊張した面持ちで自宅にあがった。
あがるまでも、びびりっぱなしだった。
「まさか圭介さんの奥様が、こんなにもお強い妖だったとは。驚きです」
キヨヒコは粋が淹れた茶に口をつけながらも、緊張した面持ちだ。
俺とキヨヒコはソファーに向かいあって座っていたが、粋は食卓テーブルの方で大人しくしていた。キヨヒコを安心させる為、距離をとっていたんだろう。
「粋。そんな強いのか?」
俺はびっくりして聞いた。
粋はとにかく小せえ。
おまけに細っこい。
キヨヒコは俺と比べたら小せえが、それだって背丈は百七十以上ある。どっからどう見たって、キヨヒコが粋にびびる理由なんざ思いもつかなかった。
「妖としての格が違います。大体僕は戸籍上の年齢そのままです。妖としては赤子同然。豆粒みたいなものです」
「へえ、お前戸籍あんの?」
俺の不躾な質問に気にする素振りも見せず、キヨヒコが説明する。
「河童は一応人の世に対応して生きておりますので、妖枠ではありますが、住民登録されております。なので学校教育も受けましたし、車の免許も修得しております」
「へえええ! じゃあ彼女とドライブできるな」
「……恋人は。ここしばらく、おりません」
一転。顔を強張らせ、キヨヒコが口ごもる。
「そうなのか? お前もてそうな面あ、してるのに」
「上手く続いた試しがないのです」
「そうなのか?」
「告白はしたことも、された事もあります。お付き合いも短いながらも経験しました。けれど……河童だとしれると、どうにも上手く続けられなくなるんです」
そう言うなり、キヨヒコは手にしていた茶をがぶりと飲み干した。
やけくそみたいな動作だった。随分思い詰めた目つきをしている。
「種族の違いというのは、ハードルが高いものです」
「よくそれで、俺にカミングアウトしたな。商売が駄目になるって、考えなかったのかよ」
俺が疑問をぶつけると、背後で粋も無言で頷いてる。
「……無論。ためらいはありました。けれど圭介さんの器を見た時に、僕は感銘を受けました。商売物として扱うならば、長い時間をかけてお付き合いをしたい。そう思ったのです。ならば尚の事、早いうちに言っておいた方が良いんです」
「そんなもんか? 俺はたまたま気にならなかったけどよ。どうせなら付き合い長くなって、互いに信頼しあってから。っていう手もあんじゃねえの?」
「長くても、短くても……」
またもや口ごもりながら、キヨヒコは手のなかの空っぽになった湯のみを見下ろした。
湯のみは俺の造ったもんだ。蒼い茶碗の表面には、所々に唐草模様がはいっている。
湯のみがキヨヒコの掌のなかで、円をかくように揺すられる。
「駄目になる時はなるんです。……時間をかければ、かけた分だけ。受け入れられない人は、僕に裏切られた気持ちになります。僕はその人たちの、無言の怒りや失望を浴びるのが嫌なんです」
項垂れたキヨヒコの横顔は、整っている。
沈痛な顔をしても、イケメンは得である。さぞや、女にもてたであろう。
それなのにこんだけ辛い顔をするんだ。よっぽど過去に嫌な思いをしてきたんだろう。その為の自衛手段が、早々のカミングアウトってわけか。
正直俺にはよく分かんねえ。
だがキヨヒコの言葉は、俺の胸の内をもやもやとさせた。
心の奥底んところから、「いや、それ、ちげえだろうが!」と叫びたくなった。
なったが、俺が言いたい「それ」がどんなものなのか。今この段階で、俺にははっきりと言葉にできねえ。その為か。一層もやもやは、俺のなかで膨れあがっていくみてえだった。
俺が頭を抱えてうーーうーー唸っていると、粋が、「お昼にしましょう」と立ち上がった。
そうだった。今日は昼飯に、キヨヒコを呼んでいたんだった。コロッと忘れていた。
「あ、僕手伝います。一人暮らしで、家事は割と得意です」
キヨヒコは立ち上がると、緊張しながらも粋と共に台所に消えて行く。
俺は二人の後ろ姿を見送りながら、なんともやるせない心持ちになっていた。
落ち着かねえ。もやもやが、イライラになっていく。
「粋。俺、麦酒飲みてえ」
ここはひとつキヨヒコと、ぱあっと飲むか。
そう思ったのに、粋に「何言ってるんですか、圭介さん」と、軽く睨まれた。
解せねえ。俺は粋に珍しくも反論を試みた。
「米代の爺さんは昼っから、飲んでいたじゃあねえか!」
「ご隠居さまは、お仕事を引退されていました。圭介さんは食後に、清水さんを工房に案内して、商品の打ち合わせをすると言っていたじゃあないですか」
「あ、そっか」
いけねえ。こっちも、ころりと忘れてた。
「あの、僕。呼び捨てで結構です」
恐縮したように、キヨヒコが言う。お前そんなに粋が怖いのかよ。
「あら、そんな」
「いえ。いえ。本当に」
「では、そうですねえ。……キヨちゃんで」
随分可愛らしい呼び名を、粋が口にする。
呼ばれたキヨヒコは、「ああ。はい」顔を若干赤らめると、頷いた。
河童の清水清彦登場です。
サイドストーリー「こいし恋しに夜になく」の河童です。